スパダリ社長の狼くん

soirée

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第三章

十二話

ホテルエスティメイト。懐かしいといえばそれまでだ、高校時代によく呼び出されていたホテルである。パーキングで合流するのは、忍の退路を絶つためなのも嫌になる程心得ている。部屋を指定されたところで、当時から忍はそれなりに知恵を巡らせては逃げられる時には逃げていた。電球色のライトが点る薄暗い空間で、思わず視線を巡らせる。今の忍は大抵の事態には対処できる力を身につけている。何も恐れることはない。無言で視線を据えた先に、軽自動車から降りてきた三人の男が歩み寄ってくる。
 朧げな記憶の中の高校時代も冴えない姿ではあったが、歳を重ねてより見苦しくなったなと苦笑が漏れる。
「懐かしいな、東條。元気にしてたのかよ。有沢から聞いて驚いたんだぜ。一流企業の社長だって? 小遣いくれながらヤらせてくれるってお前、相変わらずハメられないと耐えられねえのかよ」
 嘲笑うような声を記憶の中からようやく見つけ出す。一致させるのに苦労するほどに、忍の中の記憶は混濁していて判別が難しいのだ。たしか、中森といった。汚れた作業着は仕事をしてきたからと言うよりはただ単に身元を隠すために思えた。が、残念ながら先ほど佑が勤め先も現住所も割り出してしまっている。家族が気の毒だとしか言いようがなかったが、これでも三人の子供の父親だという。どうしても記憶と一致しないもう一人は、昼の有沢のセリフから察するに厚木という名なのだろうか。
「申し訳ないけれど、戯言に付き合う気はないんだ。いつまで中学生と同じ手法で脅迫できると思ってるのかと呆れて言葉もないよ」
 淡々と拒絶を口にしながら、腰を落とす。いざとなればこの身一つで制圧する。気づかずに歩み寄ってきた三人が、確実に捉えられる範囲に踏み込んだのを確認して声をかける。
「瞬」
 忍の声に物陰から一瞬で飛び出した瞬が有沢と中森に体当たりをする。元々の高身長、筋力も尋常ではない瞬が本気を出せば、忍のように武術の心得でもない限りは敵うはずもない。腕を捻り上げて床に組み敷き、有沢の背に馬乗りになる。すこしでも動けば激痛が走る体勢だ。忍直伝の制圧術は伊達ではない。今にも噛みつきそうな勢いで唸るように吐き捨てる。
「人様の大事な恋人を下らねえ手段で脅迫しやがって……容赦しねえぞ! 腕の一本や二本へし折るくらいじゃ飽きたらねぇ」
捻り上げられた腕に加えられる容赦のない力に中森が呻き声を上げ、有沢が蒼白になる。厚木の懐に潜り込んだ忍の方も瞬く間にその手首を掴んで捻りあげる。構造上曲がるはずのない向きに関節を固められた厚木が悲鳴をあげて膝をつく。見下ろしながら忍は、淡々と予め仕組んだ通りに進んでいるシナリオを告げる。
「残念だったね。いつまでも僕が対抗手段も身につけずにいると思ったのかい? 生憎僕は君たちのような進歩のない人間ではいたくなくてね。槙野、そろそろかい?」
 パーキングの入り口から歩み寄ってくる槙野の隣には、制服姿の警官が複数人。いよいよ言葉を失う3人に槙野が冷たい目を向けた。
「時間稼ぎをありがとうございます。──お手数をおかけしました、こちらです。現行犯でいいでしょうか、社長は今朝からの会話を全て記録していますし」
 セリフの後半を警官に向ける。おそらくは一番上の立場にいると思われる警官が、呆れているとも感心しているともつかぬ表情で現場を一瞥した。完全に制圧された三人には、かすり傷ひとつない。
「賢い人らだな。叩きのめすのではなく抑えているだけときたら過剰防衛にもならん。その動きを見る限り君が身につけているのは合気道と逮捕術か?」
「お恥ずかしながら、柔道と剣道も少し」
 しれっと答える忍に警官は苦笑いを漏らす。もともとその立ち居振る舞いでかなりの手だれであることは見抜いていた。
「君に手を出すのがどれほど悪手なのかはすこしでも格闘術を嗜んでいれば一目で分かるんだがな……証拠の音声ももらっていくがいいかね?」
 槙野が懐から例の写真を封筒に入れたものを差し出す。眼鏡を押し上げながら、光る瞳で念を押す。
「恐れ入りますが、会社に貼られた写真も含めて提出をしますので脅迫罪での立件をお願いします。徹底的に」
 こうまで用意周到に立ち回られると、もはや清々しくさえある。思わず豪快な笑いを漏らした警官が有沢の腕を瞬から奪い、引きずり上げるように立ち上がらせた。固められていた関節が痛むのか、顔を歪ませている有沢に厳しい瞳を向ける。中森と厚木もそれぞれ警官に引き渡される。その口が憎々しげに捨て台詞を吐いた。
「は……このクソ野郎が。寝るしか脳がねえくせによ」
 忍が堪えきれずに吹き出す。
「その寝子にこれほどあっさり返り討ちに遭った気分を聞きたいね」
 肝の据わった忍に釣られて、警官たちが笑う。
「お前さんら、とんでもないのをターゲットにしたなぁ。気の毒にすらなる。まぁ覚悟してあとは署でな。乗れ」
 毒づきながら連行されていく三人を見送り、槙野が忍を振り返る。色々と掘り返すつもりもなかった過去を垣間見てしまったが、槙野はこれまで通り必要以上に忍に踏み込むような真似はしないつもりでいるのだとその瞳が語っている。忍が柔らかく笑んで頷いた。頷き返して、槙野は会釈を落とす。
「では、私はこれで。黒宮さん──よろしくおねがいします」
 忍を支えてやってくれ。言外の意図を今は瞬も汲み取れる。頷いて、忍の隣で影のように寄り添う。
 かつては瞬のその立ち位置に身勝手な嫉妬を覚えたこともある。誰よりそばで支えてきたと思っていた尊敬してやまない上司に、あっさりと寵愛を受けた瞬に苛立ちを覚えてならなかった。けれど今はこれでいいのだと納得している。本人が誰より求めてやまないのだから、そして瞬には求められるだけの理由があるのだから、と。




「色々あってね。僕が受けていたのは単なるイジメというよりは悪質な性暴力だ。部内では公然と行われていたのに学校側も世間体を恐れて介入しない。中学卒業でそんな環境からやっと逃れたと思った矢先に祖母は僕を独り立ちさせた。一人暮らしの家はうってつけだと分かるだろう?」
 苦笑いを見せる忍の首を抱き寄せて瞬が唇を噛み締める。こんな過去を口にする時すら笑ってしまえる忍が気の毒でならなかった。瞬が無理矢理痛みへの耐性をつけられたのと何ら変わらない。否応もなく身につけざるを得なかった忍耐強さなのだ。まだ13歳だった忍が誰に助けを求めることも叶わず耐え抜いた地獄の中で、きっとどんなことが起きても笑って受け流してしまう癖がついてしまったのだろう。
 その中で一流大学を目指し、武術の習得に励んだという事実が物語るのは、忍が他人からの救済ではなく自らの力での解決を望んでがむしゃらに努力を重ねてきたということだ。彼が本当に安堵して眠れるようになるまでどれほどの時間を要したのだろう。
「瞬? 大丈夫だよ。僕はそれなりに過去との決別はできているし、ここまでの道のりの中で過ぎたことは変えようがないことを理解してきた。変えようのないものに時間を割くことほど勿体無い生き方はないよ。学ぶところだけ学んであとは未来へ視線を向けたほうが賢いし、楽しくもある。僕はそんなにダメージは負っていないんだ」
「今のお前はそうかもしれないけど……お前の中の13歳のお前は多分まだ泣いてる。だからしばらくこのままでいろよ」
 いつかに抱いた忍の過去への嫉妬。なんと浅はかなものだったろう。忍のもつベッドテクニックすらも望んで身につけたものではないのに。気がつけば涙が溢れてしまっていた。泣けない忍の代わりのように、瞬の瞼から透明な雫が頬を伝う。
「瞬……」
「お前の代わりに泣いてんだ……お前はこんな時でも泣けないから、そのために俺の涙腺はこんな緩くなってんだ……」
「ありがとう」
 微笑んだ忍が指先で瞬の涙を拭う。ますます酷く涙を零す瞬を愛おしげに撫でる。瞬の言う通り、気がつけば忍は何があっても涙などほとんど流せない性格に育ってしまった。耐え抜くことが必然で、当然で、それに疑問を抱くこともなく生きてきた。望まない日々を乗り切るには笑って受け流すしかなかったのだ。考えてしまえば傷になるから──戦う力を持てなくなるからだ。
「ありがとう……」
 しがみつくように忍の背に両腕を回して肩に前髪を押し付けながら忍の代わりに悲しんでくれる恋人に、優しくキスを落とす。過去がどうであれ、今の忍は幸せなのだから……むしろその過去があったからこそ瞬との絆も築けたのだから、と。
 忍が落としてくれた言葉の数々──変わらない状況はない、きっと全てうまくいく……それらは全て、忍自身が生きるために己に言い聞かせてきた言葉なのだということを痛烈に思い知る。忍がそれで瞬を救うことができたのだから意味はあったと繰り返す。

「泣かないで。いい子だから」

 忍の優しさが悲しい。涙を止められない瞬を忍が抱き寄せた。
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