スパダリ社長の狼くん

soirée

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第四章

七話

 意外と泣くだけ泣いて悲壮感に浸ってしまうと、人間はスイッチを切り替えられるものだ。翌朝には2人ともいつも通りに支度を済ませて出社をし、何事もないようにその後も時間は過ぎた。泣こうが喚こうが決まりきったタイムリミットを前にしていつまでもグズグズ泣いていられないという忍らしいポジティブさと、とにかく支えてやらなくては、俺がいつまでも泣いていてどうするという瞬ならではの真面目さがいい相乗効果を呼んで互いを前向きにさせたのだ。瞬が無理矢理吐き出させた忍の中の本音も口にしてしまえば忍本人が「言っても仕方のないことを」と呆れてしまうという結果になり、ともあれ表面上2人は完全に落ち着いていた。

 社食で大盛りのカツカレーを前にしている瞬に、向かいに座った槙野が感心する。
「それだけの量が入るのはやはりその身長のせいなのですかね。太らないのだから羨ましい」
「いや、俺も毎日こんなん食ってたらさすがに太りますよ。ここんとこちょっとろくに飯食えなかったから腹減ってて」
 やはりですか、という槙野の言葉にぎくりとする。槙野が何でもないことのように続けた。
「あなたも社長もここ数週間の集中力のなさといったら酷かったですからね。有給をとったあたりからでしたか。何かあったのだろうとは思っていましたが、それだけ食べようという気持ちになったのであれば安心しました。うまく切り替えられたのでしょう」
 優しい笑みを浮かべてくれる槙野の洞察力と、気づいていても余計な口出しをせずに見守ってくれる度量の広さに感謝する。たしかにこの1ヶ月の2人のメンタルは散々なもので、大げんかを起こした件の騒ぎの時以上に忍は神経質に、瞬は荒れ放題になっていた。他者から配慮のかけらもなく口出しをされていれば、その人間関係には亀裂などという生易しいものではない破局が訪れていただろう。槙野とそうはなりたくなかった。
「すみませんでした……俺たちの事情でご迷惑おかけして、事情も話せないで……」
 しゅん、とひさしぶりに耳が見えそうな瞬の姿にくすっと指を口元に当てる。こういう時に相手に必要以上の攻撃をさせないためには折れておくのも手なのだなと瞬を見ていると思う。もっとも、彼の場合は打算でもなんでもなく本心からこれをやっているのだからある意味タチが悪かった。手を伸ばしてカツカレー越しにその頬をつねってやる。いつになく強くつねってくる槙野に瞬が涙目になった。
「い、いひゃい……」
「よく戻ってきましたね」
 柔らかく微笑む。何はどうあれ日常にきちんと帰って来れた2人を褒めてやりたい気持ちなのだ。頬から指を離してその前髪をくしゃっと撫でてやり、自らの注文した翡翠麺に口をつける。通りかかる女子社員とこの手のメニューの話題で盛り上がれるのは槙野の強みだ。野菜たっぷり、サラダチキンに低糖質。
「その……腹、減りません?」
「いえ、元々胃が強くないんですよ。食べすぎるとすぐに胃痛を起こすので苦労しています」
 そういえば、と槙野が顔を上げた。
「安曇さんに聞きましたよ。どうやらやっと事態が動いてくれそうとか。入院の予定も社長にお聞きしました。頑張れそうですか?」
 瞬が一瞬カツカレーを詰まらせた。不安がないわけがない。忍の手前大手を振って怖いと騒ぎ立てて忍の手を煩わせることに申し訳なさを感じるだけで、誰かに大丈夫だと安心させて欲しくないわけではない。ぎりぎりまでお預けを食らっている甘え心は鳴りを潜めているだけで消えたわけではなく、そろそろと視線をあげた瞬の上目遣いの破壊力に、うっかり槙野が箸を取り落とした。忍への忠誠という強力なブレーキがかかっている槙野ですら手を出してしまいそうになる。これはいけない。
「……黒宮さん、それ……自覚ありますか?」
「え?」
 不安そうにきょとんとする邪気のない顔はもはや罪だ。抱き寄せてしまいたくなるのをグッと堪えるが、脳裏をいつかの夜に暴いた瞬の肢体がチラついて非常にまずい。がたっと席を立つ槙野に、瞬がビクッとする。
「すみません、黒宮さん……この後片付けなくてはならない案件が溜まっていたのを忘れていました、ひと足先に仕事に戻りますね」
「え?! ちょ、槙野さん……?!」
 そそくさと社食を後にする槙野においていかれた瞬が、煽り立てられるだけ煽り立てられて放置された甘え心を持て余す。いくら表面上平静を保っていても、消えることなく瞬の中で助けを求めるSubとしての瞬──もはや誰でもいいから撫でて欲しいというところまでその声は大きくなっていた。忍の手を求めることを瞬の意識がセーブをしてしまっている今、その心の隙に入り込むことがいかに容易なことか……瞬が入院したその翌日には忍はそれを痛感させられていた。

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