スパダリ社長の狼くん

soirée

文字の大きさ
103 / 130
第五章

十二話

しおりを挟む
ウッドデッキに腰を下ろして、南国の夜の暗さに染み入る。
幼い頃から、闇は恐れる物ではなかった。ただ静かに受け入れてくれているようで、むしろ誰の目にも晒されない暗闇は忍にとっては居心地が良かった。
今もそう、こうして一人、闇に取り残されているような感覚に、どこか安堵を感じてしまう。
背後の窓から、カーテン越しの光が漏れている。シーリングライトのプロペラが揺蕩う陰影が時折、忍の瞳に光る碧水を揺らめかせていた。
デッキの上は、一応屋根がある。それでもデッキから降りて庭に出れば、頭上にはおそらく満天の星空が広がっているのだろう。
リゾートで見上げた時にはただただ美しかったその光も、今は一人で見上げる勇気がなかった。
星はあまりにも光が頼りなく、いつか消えてしまいそうで……。
本州では聞き覚えのない虫の音が響いている。時折窓ガラスにぶつかる翡翠色の小さな羽虫が光った。
もうじき、この世を去るということ……恐ろしいはずのそのことに、なぜか安堵を感じている。瞬と離れるのは寂しい。だが、これでやっと、もがき続けた人生から逃れられると思わずにはいられないのだ。希死念慮などとは無縁に生きてきたが、いざその誘惑を突きつけられると死は甘美な香りがした。



 カラカラ……と窓のサッシが音を立てた。香ばしい香りを伴って、瞬が姿を見せる。端正な顔立ちに人懐こい笑みを浮かべたその瞳が、忍のことが好きでたまらないのだといつも素直に教えてくれる。ひとたびその目を見てしまえば先ほどの安堵も消えてしまって、瞬の側になんとかしてい続けたいと願う忍もいる。矛盾した自分に振り回されて、呆れたように忍は小さく笑った。
「ありがとう。すごくいい香りだね」
「ああ、お前は好きかどうかわからなかったけど、ちょっと作ってみたくて」
デッキのテーブルの向かいに腰を下ろしながら、瞬は泡立てたダルゴナコーヒーを手渡してくれる。一昔前に流行ったそれは、忍も一応口にしたことはある。だが瞬に限ってありきたりなものを出してくるとも思えない。期待をしながらカップに口をつける。
芳醇な深煎りの豆の香りに、どこか野生味のあるクリームのコク。加えてあるのはシナモンだろうか。甘みにはわずかな独特の癖がある。思いもかけない複雑な美味に感嘆の声をあげる。
「美味しいな。今まで飲んだものとは全然違う。どういうレシピなんだい?」
 忍の反応にホッとしたように瞬は笑う。いつも全く新しいレシピを試した時には微かな緊張を覚えるのだ。口に合うかなと。
破顔して、種明かしをする。
「さっき夕食にヤギの肉を使っただろ? 買いに行く時についでにヤギのミルクをもらってきたんだ。生クリームに加えてある。シナモンと一緒に加えてあるのはサトウキビの黒糖だ。ここでしか作れないダルゴナコーヒーだよ。豆はお前の好きなグァテマラ」
「へぇ……ちょっとした名物になりそうなレシピだな。本当に美味しい」


 瞬のいうとおり、夕飯にも瞬はヤギ肉を使ってくれた。喜界島ではよく食べられているとのことで、少し硬い肉を丁寧に叩いて、砂糖と塩を加えた少量の水に漬け込んでしっかりと柔らかくしてくれていた。作る工程を見ているとパインなども出てきて驚いたのだが、肉を柔らかくするのには定番の手段なのだという。じっくりと低温で煮込んだヤギのブロックをゴロっとカットして、深みのあるシチューに仕立てた瞬は、煮込みに使うための赤ワインなども調達してきていた。残ったワインを丁寧に注ぐ。そしてグラスをかわしながら思いがけず記念日のようなムーディーな食卓になったと照れたように笑った。
「……君がいてくれることは、僕の人生にとっては何よりの幸せかもしれないね」
 つぶやいた忍に、瞬が笑う。
「俺も同じこと言ってやれるぜ。なぁ、星見てきていいか?」
 カップを手にしたまま庭に降りた瞬が、不意に口を閉じた。手を伸ばせば届きそうなほどに近い星空。あまりにも多くの星が降り注ぐその空は、少し怖いようにさえ思った。
並んで降り立った忍がそっと手を握ってやる。
「……大丈夫?」
「……ああ……。でも、こんだけたくさんあると星座とか全然わからないな。どれとどれを繋げばいいやら」
「好きなように繋いでごらん。決まりなんてないよ。君の描けるものを描けばいいんだ。ほら、たとえばこんなふうに」
 瞬の襟を軽く引いて忍がその唇を塞ぐ。
「……君と僕を繋いだ物だって、決まりなんて何もなかった。星と星も、人と人も……無限に繋がっていくんだ」
 柔らかく微笑んで、忍は瞬を愛おしそうに見つめて囁く。
「君はこれからどれだけだって羽ばたいていける。この先の君の未来は、今度こそ無限大の可能性に満ちているんだ……たとえ僕がいなくなってしまっても、君はもう大丈夫」
 瞬が小さく瞠目する。忘れたくても忘れられない、それは瞬だけではなく、誰よりも忍本人が……近い未来に消えてしまう旅立ちの準備をもう、覚悟してしまっている。
 微かに瞬の瞳に涙が滲む。泣いてはいけない、忍を心配させてはいけないと思えば思うほどに心が重く淀んでいく。あとどれくらい……こんな風に忍と言葉を交わせるのだろう。あとどれだけの時間が二人には残されているのだろう……。

 微笑んだ忍の輪郭が星の光を弾いている。微かにその髪が風に靡いて揺れる。
無言のまま二人でただ、空を見上げる。
いつかきっと……自分が消えてしまった後も、遺した光がこうして瞬を照らしてくれていたら、と忍が静かに瞳を閉じた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。 更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。

ふたなり治験棟 企画12月31公開

ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。 男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

待てって言われたから…

ゆあ
BL
Dom/Subユニバースの設定をお借りしてます。 //今日は久しぶりに津川とprayする日だ。久しぶりのcomandに気持ち良くなっていたのに。急に電話がかかってきた。終わるまでstayしててと言われて、30分ほど待っている間に雪人はトイレに行きたくなっていた。行かせてと言おうと思ったのだが、会社に戻るからそれまでstayと言われて… がっつり小スカです。 投稿不定期です🙇表紙は自筆です。 華奢な上司(sub)×がっしりめな後輩(dom)

兄さん、僕貴方にだけSubになるDomなんです!

かぎのえみずる
BL
双子の兄を持つ章吾は、大人顔負けのDomとして生まれてきたはずなのに、兄にだけはSubになってしまう性質で。 幼少期に分かって以来兄を避けていたが、二十歳を超える頃、再会し二人の歯車がまた巡る Dom/Subユニバースボーイズラブです。 初めてDom/Subユニバース書いてみたので違和感あっても気にしないでください。 Dom/Subユニバースの用語説明なしです。

後輩が二人がかりで、俺をどんどん責めてくるー快楽地獄だー

天知 カナイ
BL
イケメン後輩二人があやしく先輩に迫って、おいしくいただいちゃう話です。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

処理中です...