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28話 恋を知った乙女

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 それは、フローラにとって人生で最も印象に残った記憶。
 とある男の子と遊んだ頃の記憶だ。










「おいフローラ! そんな所で何してんだ?」

「あ、マリウスくん。今ね、お花で冠作ってるの」

「冠? そんな安っぽいのじゃなくて純金製で作ったものとか欲しくね?」

「これはこれでいいものだよ。素朴な美しさがある」

「ふーん……俺にはぜんぜん良さなんてわからねぇけどな」

「じゃあマリウスくんも一緒に作ろうよ。一緒に作れば花の冠のよさがきっとわかると思うの」

「え~? 俺がそんな女々しいことできるかよ! 女っぽいし気持ち悪い。そういうのはフローラみたいな地味な奴がすることなんだぞ」

「そうかな? 子供なんだしあんまり関係ないと思うよ?」

「んー……まあ、お前がどうしてもって言うならしょうがねぇな。俺様が一緒にそのよくわかんねぇものを作ってやるよ」

「ふふ、ありがとうマリウスくん。作り方を教えるね」

 最初は、マリウスを貴族らしい子供だとフローラは思った。
 自分みたいな平民と寄り添う貴族の方が少ないことを彼女は知ってた。
 だからマリウスの態度に嫌な感情はそこまで沸かない。それを普通だと認識していたから。

 それでもなんだかんだ一緒に遊んでくれるマリウスのことは好きだった。
 その頃のフローラは、ずっと一人で遊んでいたのだから。

「な、なんだこれ……思った以上に難しいじゃん。ぜんぜん上手く作れねぇぞ!」

「そこはね、こうして……こうやるの。マリウスくんの場合はちょっと力が強すぎるかな。もっと優しく、宝物を扱うみたいにさ」

「宝物を? 無茶言うなよ。こんなゴミを宝物と同じにできるか。俺の宝物はそれはもうすげぇんだぞ?」

「ご、ゴミ?」

「ゴミだろ。そこら辺に生えてる雑草で作った冠なんて」

「酷い! これはゴミなんかじゃないもん! マリウスくんの意地悪!」

 始まりは些細な喧嘩だった。
 マリウスの性格が災いして、珍しくフローラを怒らせてしまう。

「なんだよ……急に怒って。ゴミをゴミって言って何が悪いんだ! ふざけやがって!」

 作りかけの冠を捨て去り、マリウスが立ち上がる。
 やる気も集中力も奪われた彼は、苛立ちながら明後日の方へと歩いて行ってしまった。

「あ……ま、待って、マリウスくん! ごめん、ごめんなさい! ちょっと言いすぎちゃって……」

 一人になってしまう恐怖からか謝罪するフローラだが、マリウスの耳には届かない。
 すぐに彼の姿はどこかへ消えてしまった。

「マリウスくん……う、うぅっ」

 静寂がフローラを襲う。
 寂しくて彼女は泣いてしまった。

 しばらくその場には彼女が泣く声だけが響く。
 しかし、ある程度の時間が経過すると彼女は疲れて眠ってしまう。
 頬を伝う涙と哀しそうな表情を浮かべたまま。



 ▼



 一体、どれだけの時間が経過したのか。
 ようやく目を覚ましたフローラ。
 すると、すぐそばには寝転がるマリウスの姿があった。

「マリウスくん? どうして……」

 いつの間にか戻ってきていたのか。
 そんな疑問が彼女の中で浮かぶ中、ふいに自分の頭に違和感を覚えた。
 手で触れてみると、そこには自分が作ったものでない不恰好な花の冠がある。

 まるで初心者が作ったものだ。
 誰が作ったのかすぐにわかる。

「もしかして……作ってくれたの?」

 あのあと、恐らく自分が泣きながら寝てしまったことに気付いたマリウスが、これもおそらく謝罪の意味を込めて冠を作ってくれた。
 そしてわざわざプレゼントしてくれたことに、フローラは胸がときめいた。

 子供ながらに単純で、子供ながらに素直な反応。
 それでもたしかにそのときの彼女は、マリウスからのプレゼントを嬉しいと思えた。

「うーん……」

 そこでふとマリウスが寝返りを打つ。
 フローラの膝のそばに頭が近づいた。
 それを見て、何を考えたのかフローラは彼の頭をゆっくり持ち上げて膝枕をする。

 途端に、マリウスの顔色がよくなった。
 疲労も何もかも抜けたかのように、幸せに彼は笑う。
 その姿に、またしても胸が幸せになる。

「ふろー、ら……?」

 だが、そのせいでマリウスの目が覚めた。
 やや申し訳なさそうにフローラは言う。

「あ、ごめんなさい……起こしちゃった?」

「ううん……平気。さっきは、ごめん、な。俺も、言いすぎ、た……それ、その冠……やっぱり、フローラには良く似合う……まるで、お姫様みたいだ」

「————ッ」

 心臓が跳ねた。
 これ以上ないくらいに跳ねた。

 寝ぼけた時のそれは寝言に近いだろうが、珍しく素直で可愛いマリウスにフローラの心が打ちぬかれた。
 本人も知らぬ間に、フローラという女性は一度、マリウスという少年に恋をしたのだ。

 それゆえに彼女はマリウスを簡単には見捨てられなかった。
 マリウスがいつか、あの頃の笑みと純粋さを取り戻してくれることを信じて。
 だが、本来その願いは叶わない。

 マリウスはどこまでも邪悪に、陰湿に成長してしまう。
 けれど、この世界線における彼はマリウスであってマリウスではない。
 その変化が、今……新たな恋を成就させようとしていた。
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