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第一冊 桜のこより

死神と付喪神(2)

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 考え過ぎなのかもしれない。しかし一度頭を過った考えは、簡単に消えたりはしなかった。

 だから、直接白さんに訊いてみる。「白さん。誰が逃げ出したんですか?」って。

 すると白さんは、一瞬目を見開いてから苦笑する。
 
「本当に察しがいい。……逃げ出したのは、椿野つばきのあきら。一週間前、事故死した大学生だ」

(事故死……?)

 つい最近、事故死した人がいたって話を聞いたばかりだ。確か、事故死したのって……。

(はっ!? まさか!!)

「それって、は『嘘っ!! ……嘘よ……』」

 背後から春さんの 悲痛な叫びが聞こえた。と同時に、バサバサと何かが落ちた音がした。春さんが持っていた詩集だ。

 今まで感情一つ面に出さなかった春さんが、始めてここに来て感情を面に出した瞬間だった。

 春さんは両手で顔を覆い呻く。

『嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘ーーーー』

 何度も何度も、同じ言葉をただただ繰り返す。あまりにも異様な光景だった。

『『あれは、ちょっとヤバい』』

 いち早く反応したのは付喪神様たちだった。わらわらと、付喪神様たちは逃げ出す。

 白さんは私を庇うように前に出た。その手には、亡者を斬る鎌が握られている。

(完全に狩る気だ。それだけは駄目!!)

 私は白さんの腕を掴み、軽く首を横に振る。戸惑う白さんを無視して、私は一歩前に出た。

 そうしている間も、春さんの足下から黒い霧が噴き出し続けている。

 それに合わせて、カタカタと店内に置いてあった物が鳴り出した。

「春さん。これ以上暴れるなら、強制的に動きを封じさせてもらいます。いいですか?」

 私にしては厳しい声で言い放つ。

 おそらく今の春さんには、私の声は聞こえてないだろう。それでも、私は警告する。それは嘗て人であった者に対しての、最低限の礼儀だと思っているからだ。

 黒い霧は益々噴き出し、春さんの体全体を包み込む。

 姿形が認識出来ない程に。

 そして、椅子の上に積まれていた本が宙に浮く。

(っ!! まずい!!!!)

 これ以上は放置出来ない。

 一応、一階には壊れたり傷付いて困る物は置いてはいない。だけど、万が一ってことがある。

 付喪神様の本体に傷が付いたら、もし壊されたら取り返しがつかない。想像しただけで、全身の血の気が引く。

(……今は最悪なことを考えちゃ駄目)

 頭を過った映像を何とか追い払う。目の前のことに集中しなきゃ。

 それに、これ以上黒く染まると彼女は帰って来れなくなる。

 人の感情を完全に失ったバケモノに変化してしまう。

 人であったことすら忘れてしまい、人の形すらとれなくなってしまう。

 そうなれば、間違いなく審判もなしに地獄の最深部に放り込まれるだろう。

 そこに、救済は一切ない。

 あるのは、無限に続く闇と、拘束され終わりなき拷問の苦痛だけだーー。

 そして最終的には、無に還る。無にね。

 無に還れば、転生の輪から外れてしまう。もう二度と生まれ変わることは出来ない。

 実際ここに来た亡者の中で、そこに堕ちた者も多い。

 悲しいけど、それが現実。

 その度に、私は自分の不甲斐なさが嫌になる。傍観者であるべきとされていてもだ。

(でも今なら、まだ間に合う!!!!)

 なら、やるだけ。無意識に握り締めていた拳に力が入った。


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