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第二冊 絵本

老紳士(1)

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 春さんと椿野彰が共に旅立って、二か月が経った。

 霜がコンクリートを凍らせていた季節も漸く終わり、堀沿いに植えられた桜の樹が一斉に満開になった頃だ。

 一人の老紳士が、紫の袱紗に包まれた絵本を持って神楽書店を訪れた。

 一目見て、私は身なりのいい老紳士だなと思った。

 着ている物もそうだけど、自然と出る立ち居振る舞いが洗練されていて、老紳士の育ちの良さを物語っている。歳をとっても、滲み出る優雅さは健在のようだ。

「お待ちしておりました。高藤様ですね」

 私は遠方からお越しになったお客様にソファを勧める。固い椅子は膝と腰に負担が掛かるからね。

 店内に入ってきたのは老紳士だけだった。おそらく、供の者は外に待たせているのだろう。

「こんにちは、お嬢さん。貴女が、神楽書店の店主ですね?」

 老紳士は真っ直ぐ私を見詰める。

 表情は柔和だ。なのに反して、その視線の強さに私は一瞬怯みそうになった。どうにか踏みとどまる。

 確かに老紳士の視線は鋭く強い。

 だけど、睨んでるとかじゃなくて、マイナスの印象は全く感じなかった。他のお客様のような、戸惑った表情や困惑した感じも受けない。

 その代わりて言っていいのかな。何かを確かめるような、試されているようなそんな感じがした。

 たぶん……始まってるんだと思う。

 高藤さんが入って来たと同時に観察したように、彼もまた私を観察しているのだ。その目は、私よりもとても厳しいものだと感じた。それだけ、抱く想いは強いんだろう。嬉しくなった。

(気を引き締めないとね)

 たからこそ背筋をピンっと伸ばす。

「はい。神谷祐樹といいます」

 ソファに腰を下ろした老紳士に、私はコーヒーじゃなく桜茶とうぐいす餅を用意した。鶯餅の餡は彼が好きな粒あんだ。

 茶菓子を見て、老紳士はここに来て初めて微笑む。

「……神楽さんは、よい後継者に恵まれたようだ」

 向かいに腰を下ろそうとしていた私に、老紳士は優しい声で告げる。

(よかった……。一次試験は合格したようね)

「ありがとうございます。まだまだ若輩者ですが、そう言って頂けると嬉しいです」

 一次試験が合格したことよりも、神楽さんのことを知っている人に認められたことの方が嬉しくて、私は自然と微笑んでいた。

 
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