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第七話 第四節:「影の輪郭 ― 霧の境界線」《修正完全稿》
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霧の帳が、次なる戦場を静かに覆っていた。
湿り気を帯びた夜気が肌を撫で、空と大地の輪郭は曖昧に溶け合っていく。
ここが誰にとっての「境界」なのか――その答えすら、霧の向こうに溶けていた。
剣之介は、神社裏手の山道をひとり歩いていた。
その足が辿るのは、かつて父が通ったであろう道。
苔むした岩と朽ちかけた木道、風の音すら吸い込む静寂の中を、彼の歩みは乱れなかった。
——本当に、これでいいのか?
胸の奥に燻る問いに、答えはない。
だが進むほどに、剣の重みは己の中で何かを明確にしていた。
前方の霧が風に押され、木立の間から滲むように白い灯が浮かぶ。
神社の境内だった。そこに立っていたのはナギサ。そしてその傍らに、一人の少年の姿があった。
「……来てくれたんですね」
ナギサの声は、霧の底から滲むように穏やかだった。
剣之介は無言で頷く。その足取りが、答えだった。
やがて霧の奥から、軽やかな足音が響く。
姿を見せたのは、まだ幼い少年。ナギサのもとに身を寄せているユウトだった。
「剣之介さん……」
その呼びかけには、恐れも拒絶もない。ただ、まっすぐな願いが込められていた。
「あなた、本当は……誰も殺したくないんでしょう?」
その一言が、心の深部に触れる。
閉ざしていた扉が軋むように、剣之介の内側で何かが崩れ落ちていく。
——気づいていた。
気づかないふりをしてきたが、自分の中に芽生えていた違和感。
このまま進めば、きっと自分は自分でなくなってしまう。
「……戦いは、もうすぐ始まる」
掠れた声が、口をついて出る。
「俺が斬るべきものが、そこにある。だが……それだけじゃない」
ユウトは黙って頷いた。
その幼い顔に浮かぶ表情は、どこか覚悟めいていた。
ナギサが静かに口を開く。
「なら、今この静けさを、心に刻んでください。
それが、あなたを戻す道しるべになるかもしれないから」
剣之介は目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。
草の匂い、湿った土の感触、空気の冷たさ――それらが確かに、守りたいと願ったものだった。
そのとき、境内の奥から足音がひとつ、近づいてきた。
背を丸めた青年が、手製のアンテナ装置を背負いながら現れる。
「……剣之介、今夜の霧は“動いてる”。村の北東斜面、通常より20分遅れの流れだ」
それは、探索班の斥候として村の外部を巡っている青年、リツキだった。
元は村の外の出身だが、白霞の地に流れ着き、その知識と直感で幾度も村を危機から救ってきた男だ。
「リツキ……お前の勘か?」
「ああ、ただの勘じゃない。“風”と“鳴き声”が合っていない。動物たちが“何か”に怯えてる」
剣之介はリツキの言葉に黙って頷いた。
それは戦の始まりを告げる兆し――自らの心が騒ぎ出すのを、剣士は本能的に察知していた。
「時間がないな。……戻るか」
「いや、行こう。霧の先にあるものを見定めるまでは」
剣之介は、剣を静かに握り直した。
その背に、ナギサとユウトの気配が、温もりのように寄り添っていた。
やがて霧の中へと踏み出していく背中に、リツキは視線を預けた。
そして、ナギサもまた、かすかに目を細めながら祈るように呟いた。
「どうか……あなたが、自分を見失いませんように」
風が、霧を揺らす。
それは、剣の道に差す“もうひとつの問い”の始まりだった。
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