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第13話 この世の春
しおりを挟む時はアイリスが王妃と面会した日まで遡る。王宮の一画、高級品が所狭しと置かれた華美な部屋で、女がひとり声を荒げていた。人払いを済ませた部屋には、侍女がひとり控えているばかりである。
「あぁもう、なんなのよ、なんなのよっ!」
「夫人、落ち着いてくださいませ」
「落ち着けって言うの!? 忌々しいアルビノのバケモノに馬鹿にされたのよ!?」
アーネット伯爵夫人はパウエル子爵夫人を睨みつけた。
「夫人、そのようなことを言ってはなりません。たとえ事実であっても、あの娘はこの国唯一の公女なのです」
「たまたま公爵の娘に生まれただけじゃない!」
「今暫しのご辛抱でございます。すぐに、誰もがあなた様に跪く時が来ます」
「……そう、ね」
アーネット伯爵夫人は大きく息を吐いて、僅かばかり膨らみ始めた腹を撫でた。
「その為に、5年も我慢したんだから」
舞台女優だったアーネット伯爵夫人が、お忍びで舞台を見ていた国王に見初められたのは5年前。一年かけて愛妾の座を掴み、好きでもない男の上で腰を振り続けたのに、4年経っても子が出来なかった。否、国王と関係を持って懐妊した者は、誰ひとりとしていなかったのだ。
「ようやく、ようやくよ」
――あいつに種がないせいで、随分手こずらされたんだから。
他人の子とも知らず、愚かな国王は飛び上がって喜び、宝石やアクセサリーや領地をくれた。けれど、それでは物足りない。
「あたしは王の母になるのよ。誰もが、あたしに跪く……王妃も、公女もよ」
アーネット伯爵夫人は己の腹を見下ろし、笑みを浮かべた。
「――あぁ、早く生まれてきてちょうだい」
***
「ふむ、これがいいか、それともこっちがいいか……」
「陛下」
「うーむ、いややはりこっちの方が……なんだ」
「家臣たちが朝議に出て欲しいと嘆願を送ってきております」
「放っておけ! 余は我が子のことで忙しい!」
国王の侍従は溜息を飲み込んだ。その視線の先で、国王は生まれてくる子供の産着をどれにしようかと悩んでいる。
国王の愛妾・アーネット伯爵夫人が懐妊してひと月。国王は狂喜乱舞し、政務を疎かにし始めた。朝議にも出ず、未来の王たる我が子の為に、揺籃や産着、果ては教師の選定まで行っている。その発言は正教を敵に回すと諫めても、聞く耳を持ちはしない。何度も嗜めた侍従に至っては、気に入らぬからと他所の部署に飛ばされてしまった。
――ほんとうに陛下の御子かも定かでないというのに。
国王が初めて侍女に手を出したのは、国王が13歳の頃だ。それから13年、好色な王は王妃のみならず多くの女性と関係を持ったが、誰ひとりとして懐妊した試しがない。子を作る能力がないのだろう、と5年前から言われていたのだ。今更子が出来たと聞いても、信じ難い。或いは国王自身も、自分は子を作れるのだと証する為に、この話を信じているのかもしれなかった。
「うむ。やはりこれだな! 息子にはこれが相応しい!」
ようやく満足のいく産着を見つけたらしい。ホクホク顔で産着を抱いて、国王は意気揚々と部屋を出ていく。行く先は聞くまでもなかった。
「陛下! 今日もいらしてくれたのですね!」
「あぁ。クララは今日もかわいいな」
「やだ、陛下ったら」
アーネット伯爵夫人は恥ずかしそうに顔を赤らめる。国王の前でだけ見せるアーネット夫人の気弱な顔に、国王はすっかり参っているらしかった。
「おおそうだ、今日は吾子のために産着を持ってきたのだ!」
「まぁ、陛下ったらお気が早い」
「うむ、教師の選定も行っておるぞ。我が血を引く未来の王、立派に育てなければならぬからな!」
「まぁ、吾子のことをそんなに考えてくださるなんて、クララ、とても嬉しいですわ」
瞳を潤ませ、アーネット夫人は国王にしがみついた。身長差的に、国王を見上げる形になる。国王はごくりと唾を飲み込んだ。
「これ、離れんか。身重なのだぞ」
「きゃっ、ごめんなさい。陛下がかっこよくていらっしゃるから、つい……」
「愛いことを言うではないか」
国王の眦は下がり切り、締まりのない顔をしている。侍従は心の中で溜息をついた。
――王太子殿下を見習っていただきたい。
先立って立太子された国王の甥は、慣れないながらも精力的に働いている。現在も国王に代わり政務をこなしている頃だろう。
粛清を恐れ、もはや誰も諫めはしない。ただ溜息ばかりが募っていく。
***
「この書類は決済した。財務省に持っていってくれ」
「も、もうですか」
「あぁ。急ぎなのだろう?」
「あ、ありがとうございます!」
新人の官吏が目に涙を浮かべ、書類の山を抱えて飛び出して行く。
セオドリックはそれを見送り、深く椅子に腰掛けた。その顔からは、先程まで浮かべられていた笑みが抜け落ちている。
「……お疲れ様です、殿下」
「あぁ」
短く言って、セオドリックは差し出された紅茶を飲み干した。朝から紅茶を二杯しか飲んでいない。それもこれも、王が執務を放棄しているせいだ。
さっさと退位してほしい――セオドリックは心の底から思う。
「……裁判の手続きはまだかかりそうか」
「ええ。何分、王家絡みですので」
「面倒な……」
セオドリックは端麗な顔に苛立ちを滲ませた。
「……貴族たちの反応は」
「概ね予想通りです。アーネット派が揉み消そうとしておりますが、悉く失敗しています」
「だろうな」
アーネット夫人は密通の末に子を宿した。
今、社交界でまことしやかに囁かれている噂である。勿論流したのはセオドリックだ。しかしすぐにそれが広まったのも、多くの者が信じたのも、本人の挙動が原因である。
「裁判の前には平民の間にも広がるでしょう」
「それはいい。劇にでもしておけ」
「そのように」
従者が恭しく頭を下げて部屋を出て行く。ひとりになった部屋で、セオドリックは深々と溜息を吐いた。
「……王、か」
呟いた瞬間、鳥肌が立った。
――どうして、私に許されなかったものが、お前には許されるのかしら。
足が地面から浮く感覚。じわじわと首を絞められ、息が出来なくなり、狭窄する視界。その視界の中で唯一暗く輝く、黄金の瞳。すべてが鮮やかに甦り、セオドリックは首を押さえた。額に汗が滲み、呼吸が浅くなる。深呼吸を繰り返し、息を整えた。
「……儘ならぬ、ものだな」
望んだことは、一度もない。それでもこの手に転がり込んできた。
渇望し、足掻き、それでも手に入れられなかった母とは対照的に。
恨まれても、仕方ないのかもしれない。けれど、愛してほしかった。一度でいいから、名前を呼んで欲しかった。
セオドリックは天井を見上げる。ふと、白い髪に赤い瞳を持つ妹の姿が浮かんだ。忌まわしい色彩を持つばかりに、周囲から嫌厭される哀れな子。
王嗣の座を突きつけられた時、あの子は、何を思うのだろうか。絶望するだろうか。セオドリックのように。或いは淡い期待を抱くのだろうか。この国の頂点の座が自分の身に降ってくることはありえない、と。
話がしたい、と思った。話したことなど数えるほどしかないし、今更過ぎる気はするが。
きっと、あの絶望を知っているのは、あの子だけであろうと思うから。
「――殿下? どちらへ?」
立ち上がった時、ちょうど侍従が戻ってきた。セオドリックは笑む。
「――少し、休憩をな。二時間ほど、いいか?」
「勿論でございます。本日の夜までの予定を調整しておきます」
「ありがとう」
セオドリックは頷いて、王宮を飛び出した。
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