15 / 59
第十五話 砂の皇国第十三皇子
しおりを挟む
フェデリカは暫く穏やかな日常を過ごしていた。同じ物理学専攻の学士と討論したり、ラヴィニアに誘われて近くの丘にピクニックに行ったりと、勉学にも交友関係にも満ち足りた日々であった。懸念といえば実父と養父からの返事が来ないこと、そしてベルトランを海の王国に連れ帰ったという男や、ベルトランの実の両親の情報が何ひとつとして出てこないことくらいだ。
そんな折、知り合いから演奏会に誘われた。音楽専攻の学士が作った曲を幾つか演奏する小さな会だが、大学の卒業生で名の知れた音楽家が気紛れに訪れるので、気が抜けないらしい。他科目専攻の楽器が上手な学士も呼んで、賑やかになるのが常であった。
貴族では楽器を弾く者は少ないが、フェデリカは父の勧めで幼少期から竪琴を習っていた。入学した当初から定期的に演奏会に呼ばれている。
練習をしようと演奏室に行くと、中から音がした。竪琴でもオルガンでもラッパでもない。首を傾げつつ中を覗くと、色鮮やかな衣装が目に入った。褐色の肌に黒い髪と翡翠の瞳。頭に巻いた白い布。
——砂の皇国の第十三皇子だろうか。
粗暴という話をカルミネから聞いたが、とてもそうは見えない。耳を澄ませていると、不意に音が止まった。目を開いた途端に、凭れていたドアが開かれ、態勢を崩しかけた。
「――大丈夫ですか」
「あ、はい。失礼しました」
「演奏室をお使いになるんですよね。どうぞお入りください」
促されるがまま入室する。椅子の上に、見慣れぬ楽器があった。
「ケマンチェといいます。砂の皇国東部の伝統楽器です」
「初めて目にしました。どうお弾きになるのですか?」
「このように」
青年はもう一度楽器を奏で始めた。耳慣れぬ音が、どこか心地よい。
「――あなたは何をお弾きになるのですか」
「竪琴を」
「そうですか。お邪魔でなければ、ここで弾いていても構いませんか」
「後に来たのは私です、寧ろ私がお邪魔になってしまうのでは?」
「いえ。気になりませんので」
「ではお言葉に甘えて」
フェデリカはそこで1時間半ほど練習した。お腹が空いたので食堂に行こうと片づけを始めると、腹の虫が鳴った。フェデリカのものではなく、青年のものだ。
「......食堂に行かれますか?」
「そうします」
青年も早々と片づけをし、同じタイミングで演奏室を出た。早々に違う道へ進もうとしたので、こちらです、と指を指す。
「ありがとうございます。こちらに来たばかりで、勝手が分からず」
「食堂までご案内しますね」
「お願いします」
道中は静かだった。食堂が見えてきた頃になってようやく、青年が声を発した。
「僕は、ダーヤ大学から参りましたアーキル・ザイン・タイスィールと申します。生物学を専攻しています。あなたのお名前を伺っても?」
「フェデリカ・ヴェルディアナ・ディ・デアンジェリスと申します。専攻は物理学です」
大学内なのでデアンジェリスを名乗る。多分もう会うことはないだろう、と思いつつ、フェデリカはよろしくお願いします、と微笑んだ。
しかしながらフェデリカの予想はすぐに外れることになる。
「――あ」
「こんにちは」
翌週の演奏会に、アーキルも参加していたのである。
「お久しぶりです」
「はい。ようやく、迷わずに食堂まで行けるようになりました」
アーキルは穏やかな笑みを浮かべている。
「あれ、ふたり知り合いだったの?」
ふたりの会話に割って入ったのは音楽専攻の知り合いだ。
「この前、演奏室でお会いしました」
「そうなんだ! じゃあ頼みやすくていいや。3か月後の演奏会でさ、ケマンチェと竪琴の合奏してもらいたいんだよね」
「「へ」」
「よろしく!」
知り合いは返事も聞かず颯爽と他の人に声を掛けにいった。残されたふたりは呆気に取られて佇んだ。
「ええと......よろしくお願いします?」
「......よろしくお願いします」
これは頻繁に顔を合わせることになりそうだ。面倒くさい、とフェデリカは微笑みの裏で溜息を吐いた。
***
よろしくお願いします、と微笑む令嬢を前にして、1つの肖像画が脳裏に過った。褐色の肌に黒い髪、赤い瞳を持つ男。似ている、と直感した。肌の色と瞳の色を変えただけでは、と思うほどに。
——彼女が、前王朝の血筋なのだろうか。
噂で、彼女が次期王の婚約者だと聞いた。これまで大学という俗世から隔絶された場所にいたために見つからなかったのだろうが、王妃ともなれば大勢の目につく。父の目から逃れることはできないだろう。だが、同様に彼女を殺すことも難しい。ただでさえこの国は砂の皇国現王朝を厭うているのだから。
——僕が彼女のことを言わずにいるうちに王妃になれば、あの男は彼女を殺せなくなる。
父が絶望する顔を思い浮かべ、アーキルは笑みを浮かべた。彼女に怯え、震える姿を考えると、胸が躍った。
——母さん。ようやくあの男にも罰が下るかもしれない。
アーキルは微笑みを浮かべてケマンチェを構えた。
そんな折、知り合いから演奏会に誘われた。音楽専攻の学士が作った曲を幾つか演奏する小さな会だが、大学の卒業生で名の知れた音楽家が気紛れに訪れるので、気が抜けないらしい。他科目専攻の楽器が上手な学士も呼んで、賑やかになるのが常であった。
貴族では楽器を弾く者は少ないが、フェデリカは父の勧めで幼少期から竪琴を習っていた。入学した当初から定期的に演奏会に呼ばれている。
練習をしようと演奏室に行くと、中から音がした。竪琴でもオルガンでもラッパでもない。首を傾げつつ中を覗くと、色鮮やかな衣装が目に入った。褐色の肌に黒い髪と翡翠の瞳。頭に巻いた白い布。
——砂の皇国の第十三皇子だろうか。
粗暴という話をカルミネから聞いたが、とてもそうは見えない。耳を澄ませていると、不意に音が止まった。目を開いた途端に、凭れていたドアが開かれ、態勢を崩しかけた。
「――大丈夫ですか」
「あ、はい。失礼しました」
「演奏室をお使いになるんですよね。どうぞお入りください」
促されるがまま入室する。椅子の上に、見慣れぬ楽器があった。
「ケマンチェといいます。砂の皇国東部の伝統楽器です」
「初めて目にしました。どうお弾きになるのですか?」
「このように」
青年はもう一度楽器を奏で始めた。耳慣れぬ音が、どこか心地よい。
「――あなたは何をお弾きになるのですか」
「竪琴を」
「そうですか。お邪魔でなければ、ここで弾いていても構いませんか」
「後に来たのは私です、寧ろ私がお邪魔になってしまうのでは?」
「いえ。気になりませんので」
「ではお言葉に甘えて」
フェデリカはそこで1時間半ほど練習した。お腹が空いたので食堂に行こうと片づけを始めると、腹の虫が鳴った。フェデリカのものではなく、青年のものだ。
「......食堂に行かれますか?」
「そうします」
青年も早々と片づけをし、同じタイミングで演奏室を出た。早々に違う道へ進もうとしたので、こちらです、と指を指す。
「ありがとうございます。こちらに来たばかりで、勝手が分からず」
「食堂までご案内しますね」
「お願いします」
道中は静かだった。食堂が見えてきた頃になってようやく、青年が声を発した。
「僕は、ダーヤ大学から参りましたアーキル・ザイン・タイスィールと申します。生物学を専攻しています。あなたのお名前を伺っても?」
「フェデリカ・ヴェルディアナ・ディ・デアンジェリスと申します。専攻は物理学です」
大学内なのでデアンジェリスを名乗る。多分もう会うことはないだろう、と思いつつ、フェデリカはよろしくお願いします、と微笑んだ。
しかしながらフェデリカの予想はすぐに外れることになる。
「――あ」
「こんにちは」
翌週の演奏会に、アーキルも参加していたのである。
「お久しぶりです」
「はい。ようやく、迷わずに食堂まで行けるようになりました」
アーキルは穏やかな笑みを浮かべている。
「あれ、ふたり知り合いだったの?」
ふたりの会話に割って入ったのは音楽専攻の知り合いだ。
「この前、演奏室でお会いしました」
「そうなんだ! じゃあ頼みやすくていいや。3か月後の演奏会でさ、ケマンチェと竪琴の合奏してもらいたいんだよね」
「「へ」」
「よろしく!」
知り合いは返事も聞かず颯爽と他の人に声を掛けにいった。残されたふたりは呆気に取られて佇んだ。
「ええと......よろしくお願いします?」
「......よろしくお願いします」
これは頻繁に顔を合わせることになりそうだ。面倒くさい、とフェデリカは微笑みの裏で溜息を吐いた。
***
よろしくお願いします、と微笑む令嬢を前にして、1つの肖像画が脳裏に過った。褐色の肌に黒い髪、赤い瞳を持つ男。似ている、と直感した。肌の色と瞳の色を変えただけでは、と思うほどに。
——彼女が、前王朝の血筋なのだろうか。
噂で、彼女が次期王の婚約者だと聞いた。これまで大学という俗世から隔絶された場所にいたために見つからなかったのだろうが、王妃ともなれば大勢の目につく。父の目から逃れることはできないだろう。だが、同様に彼女を殺すことも難しい。ただでさえこの国は砂の皇国現王朝を厭うているのだから。
——僕が彼女のことを言わずにいるうちに王妃になれば、あの男は彼女を殺せなくなる。
父が絶望する顔を思い浮かべ、アーキルは笑みを浮かべた。彼女に怯え、震える姿を考えると、胸が躍った。
——母さん。ようやくあの男にも罰が下るかもしれない。
アーキルは微笑みを浮かべてケマンチェを構えた。
1
あなたにおすすめの小説
毒姫ライラは今日も生きている
木崎優
恋愛
エイシュケル王国第二王女ライラ。
だけど私をそう呼ぶ人はいない。毒姫ライラ、それは私を示す名だ。
ひっそりと森で暮らす私はこの国において毒にも等しく、王女として扱われることはなかった。
そんな私に、十六歳にして初めて、王女としての役割が与えられた。
それは、王様が愛するお姫様の代わりに、暴君と呼ばれる皇帝に嫁ぐこと。
「これは王命だ。王女としての責務を果たせ」
暴君のもとに愛しいお姫様を嫁がせたくない王様。
「どうしてもいやだったら、代わってあげるわ」
暴君のもとに嫁ぎたいお姫様。
「お前を妃に迎える気はない」
そして私を認めない暴君。
三者三様の彼らのもとで私がするべきことは一つだけ。
「頑張って死んでまいります!」
――そのはずが、何故だか死ぬ気配がありません。
義務ですもの。
あんど もあ
ファンタジー
貴族令嬢の義務として親の決めた相手に嫁いだが、夫には愛する人がいた。夫にないがしろにされても、妻として母として嫁としての義務を果たして誠実に生きたヒロインの掴んだ、ちょっと歪んだ幸せとは。
ベルガー子爵領結婚騒動記
文月黒
恋愛
その日、王都より遠く離れたベルガー子爵領は、俄かに浮き足立っていた。
何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。
ちょっとだけ(当領比)特殊な領地の強面領主に嫁いで来たのは、王都の男爵家の末娘・マリア。
だが、花嫁は領主であるベルンハルトの顔を見るなり泣き出してしまった。
最悪な顔合わせをしてしまったベルンハルトとマリア。
慌てるベルンハルトの腹心の部下ヴォルフとマリアの侍女ローザ。
果たしてベルガー子爵領で彼らは幸せを掴めるのか。
ハピエン確定のサクッと読めるギャグ寄り恋愛ものです。
【完結】婚約を解消されたら、自由と笑い声と隣国王子がついてきました
ふじの
恋愛
「君を傷つけたくはない。だから、これは“円満な婚約解消”とする。」
公爵家に居場所のないリシェルはどうにか婚約者の王太子レオナルトとの関係を築こうと心を砕いてきた。しかし義母や義妹によって、その婚約者の立場さえを奪われたリシェル。居場所をなくしたはずの彼女に手を差し伸べたのは、隣国の第二王子アレクだった。
留学先のアレクの国で自分らしさを取り戻したリシェルは、アレクへの想いを自覚し、二人の距離が縮まってきた。しかしその矢先、ユリウスやレティシアというライバルの登場や政治的思惑に振り回されてすれ違ってしまう。結ばれる未来のために、リシェルとアレクは奔走する。
※ヒロインが危機的状況に陥りますが、ハッピーエンドです。
【完結】
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
裏で国を支えていた令嬢「不純物だ」と追放されるも、強面辺境伯と共に辺境を改革する ~戻ってきてと嘆願されましたが、それに対する答えは……~、
水上
恋愛
「君のような地味な不純物は不要だ」と婚約破棄され追放されたルチア。失意の彼女を拾ったのは、皆から恐れられる辺境伯レオンハルトだった。だが彼には意外な一面があって!?
ルチアはレオンハルトと共に、自らの知識や技術で領地を改革し始める。
一方、ルチアを追放した王国は、彼女の不在によって崩壊の危機に陥る。
今更戻ってきてほしいと嘆願されましたが、それに対する答えは……。
『めでたしめでたし』の、その後で
ゆきな
恋愛
シャロン・ブーケ伯爵令嬢は社交界デビューの際、ブレント王子に見初められた。
手にキスをされ、一晩中彼とダンスを楽しんだシャロンは、すっかり有頂天だった。
まるで、おとぎ話のお姫様になったような気分だったのである。
しかし、踊り疲れた彼女がブレント王子に導かれるままにやって来たのは、彼の寝室だった。
ブレント王子はお気に入りの娘を見つけるとベッドに誘い込み、飽きたら多額の持参金をもたせて、適当な男の元へと嫁がせることを繰り返していたのだ。
そんなこととは知らなかったシャロンは恐怖のあまり固まってしまったものの、なんとか彼の手を振り切って逃げ帰ってくる。
しかし彼女を迎えた継母と異母妹の態度は冷たかった。
継母はブレント王子の悪癖を知りつつ、持参金目当てにシャロンを王子の元へと送り出していたのである。
それなのに何故逃げ帰ってきたのかと、継母はシャロンを責めた上、役立たずと罵って、その日から彼女を使用人同然にこき使うようになった。
シャロンはそんな苦境の中でも挫けることなく、耐えていた。
そんなある日、ようやくシャロンを愛してくれる青年、スタンリー・クーパー伯爵と出会う。
彼女はスタンリーを心の支えに、辛い毎日を懸命に生きたが、異母妹はシャロンの幸せを許さなかった。
彼女は、どうにかして2人の仲を引き裂こうと企んでいた。
2人の間の障害はそればかりではなかった。
なんとブレント王子は、いまだにシャロンを諦めていなかったのだ。
彼女の身も心も手に入れたい欲求にかられたブレント王子は、彼女を力づくで自分のものにしようと企んでいたのである。
『やりたくないからやらないだけ 〜自分のために働かない選択をした元貴族令嬢の静かな失踪〜』
鷹 綾
恋愛
「やりたくないから、やらないだけですわ」
婚約破棄をきっかけに、
貴族としての役割も、評価も、期待も、すべてが“面倒”になった令嬢ファーファ・ノクティス。
彼女が選んだのは、復讐でも、成り上がりでもなく――
働かないという選択。
爵位と領地、屋敷を手放し、
領民の未来だけは守る形で名領主と契約を結んだのち、
彼女はひっそりと姿を消す。
山の奥で始まるのは、
誰にも評価されず、誰にも感謝せず、
それでも不自由のない、静かな日々。
陰謀も、追手も、劇的な再会もない。
あるのは、契約に基づいて淡々と届く物資と、
「何者にもならなくていい」という確かな安心だけ。
働かない。
争わない。
名を残さない。
それでも――
自分の人生を、自分のために選び切る。
これは、
頑張らないことを肯定する物語。
静かに失踪した元貴族令嬢が、
誰にも縛られず生きるまでを描いた、
“何もしない”ことを貫いた、静かな完結譚。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる