愛は契約範囲外〈完結〉

結塚 まつり

文字の大きさ
38 / 59

第三十八話 医学教授

しおりを挟む
「コルティノーヴィス教授、本日はお時間を頂きありがとうございます」
ユルゲン物理学教授とこの娘っ子と、そっちは誰だ?」
「私の夫です。学士ではありません」

コルティノーヴィス教授は無精髭を生やした40過ぎの男だった。白衣には血が固まったのであろう黒い染みがついている。

「ほーん。で、俺に聞きたいことって何?」
「乳房がふたつある理由についてです」
「ぶっ」

隣で聞いていたレナートは噴き出した。教授はレナートには目もくれず続きを促す。

「解剖を許されていなかったため、我が国では二つあることによって左右の対称性を保つためと考えられてきました。神がいびつを嫌ったためであると」
「ああ、間違いない」

レナートは目を伏せた。フェデリカはレナートの手を握る。もう片方の手で持参した解剖図鑑を開いた。

「しかし、海の王国のナバスクエス教授が3年前に執筆された解剖図鑑新書によれば、哺乳類において、乳房の数は将来産み育てる子供の数に比例するとありました。そこで考えたのですが、人間の乳房はひとつでも問題ないのでは?」
「げほっ、げほっ」

レナートは盛大に咳き込んだ。フェデリカは背をさすってやる。

「......ふむ。そうだな、確かにその通りだ。乳房が生まれつきひとつしかなかろうが、事故で片方を失おうが、問題なく子は育てられるだろうよ。なんだお前、まさか一個しかないのか!? 解剖させてくれ!」

教授が身を乗り出すのでレナートは思わずフェデリカを抱き寄せたが、フェデリカは表情を変えずに首を横に振る。

「いえふたつあります」
「なんなんだよ......つまんねえなあ」

教授はがっかりした様子で腰を下ろした。

「もうひとつお聞きしたいのですが」
「あん? まだあんのか」
「腕、足、目、耳、それから肺と腎臓、卵巣、精巣もふたつあるそうですね? これらもまた、1つでも問題なく役割を果たすと思っていいのでしょうか」

レナートは息を呑んだ。卵巣や精巣というのは医学用語なのでレナートは知らないだろう。それでもふたつあるもの、と言われて分からないほど鈍感でもない。

「目と耳については分からん。戦によって片方失った奴の記録があるが、初めはそこかしこに体をぶつけただとかなんとか。知覚に何かしらの異常を来している可能性が高いが、生きる上で支障はないだろうな。他のすべてにおいても同様だ」
「そうでしたか。ありがとうございます。失礼します」
「おう。あ、ラヴィニアに会ったら菓子買ってきてくれって伝えといてくれ」
「わかりました」

フェデリカは教授の部屋を出ると、レナートの手を引いて足早に客間に向かった。長椅子に腰かけ解剖図鑑を開く。

「レナート」
「......ああ」
「卵巣、精巣というのは分からなかったと思いますが、双方生殖器官です。卵巣は女性の、精巣は男性の。ここに描かれているのがそれです。精巣は俗称で言うと分かりやすいでしょうか。玉です。医学知識がない人々の間では、神話の影響もありふたつでひとつに完成するもの、という考えが浸透していますが、教授の話で確証が取れました。精巣がひとつ欠けていても生殖機能そのものには問題がないかと」
「つまり、私は子を成せると」
「恐らくは。教授に実物を確認していただいたわけではありませんが、陰茎には傷がなかったようですし、排泄に問題がないことを考えても......」
「フェデリカ」

はい、と返事を仕掛けて、フェデリカは気圧されたように黙り込んだ。
レナートはこれまで見たことがないような、獣じみた目をしていた。

「レ、ナート?」
「......済まない。なんでもない」

レナートは片手で顔を覆った。ふ、と吐息のような笑い声が漏れた。

「レナート」
「......ありがとう。ありがとう、フェデリカ」

レナートの肩が震えた。かみ殺した嗚咽が聞こえる。フェデリカはレナートの隣に座り、その背を撫でた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ベルガー子爵領結婚騒動記

文月黒
恋愛
その日、王都より遠く離れたベルガー子爵領は、俄かに浮き足立っていた。 何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。 ちょっとだけ(当領比)特殊な領地の強面領主に嫁いで来たのは、王都の男爵家の末娘・マリア。 だが、花嫁は領主であるベルンハルトの顔を見るなり泣き出してしまった。 最悪な顔合わせをしてしまったベルンハルトとマリア。 慌てるベルンハルトの腹心の部下ヴォルフとマリアの侍女ローザ。 果たしてベルガー子爵領で彼らは幸せを掴めるのか。 ハピエン確定のサクッと読めるギャグ寄り恋愛ものです。

旦那様、彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵夫人フルールは、夫である伯爵と愛人の秘書に長年頭を悩ませていた。 何度夫に苦言を呈しても「彼女は仕事において必要不可欠なパートナーだから」と一切聞く耳を持たない。 困り果てていたそのとき、彼女は突然前世の記憶を取り戻した。 このままだと夫と愛人の真実の愛の犠牲になってしまう。 それだけは御免だ。 結婚五年目にして、彼女はようやく夫を見限り、新たな事業を立ち上げた。 そして事業を成功させたフルールの隣には、いつも同じ男が立っていた。 その男は誰なのかと問い詰める夫に、フルールはニッコリ笑って言った。 「彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです」と。

側近女性は迷わない

中田カナ
恋愛
第二王子殿下の側近の中でただ1人の女性である私は、思いがけず自分の陰口を耳にしてしまった。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、すれ違いの末に離れ離れになった夫婦の物語。 再会したとき、二人が選ぶのは「離婚」か、それとも「再構築」か。 妻を一途に想い続ける夫と、 その想いを一ミリも知らない妻。 ――攻防戦の幕が、いま上がる。

破滅フラグを回避する為に完璧な淑女になったはずが、何故私は婚約者の兄にライバル視されてるんですか!?

弥生 真由
恋愛
 6歳の誕生日に王国きっての神童と名高い王子様から求婚されたカナリアは、自分が転生して乙女ゲームの悪役令嬢になったことを自覚した。このまま行けば未来に待つのはテンプレートな婚約破棄と国外追放!そんなの困る!  そこでカナリアは考えた。 『だったら今から頑張って、ヒロインはもちろん誰も代わりが勤められないくらいの完璧な淑女になればいいんだわ!』  そうして月日は流れて15歳。ゲーム開始の直前となり、誰もが憧れる高嶺の華にまで上り詰め『さぁヒロインさん、いつでもかかってらっしゃいな!』と迎え撃つ気満々でいたカナリアに『お前は完璧な王子の婚約者にふさわしくない!』と勝負を挑んできたのはなんと……!?

「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。 目が覚めたら、婚約破棄されていた。 理由は「地味で面白みがない」から。 泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。 最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。 でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。 厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。 そして就任スピーチで宣言した。 「500人全員の名前を、覚えます」 冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。 悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。 元婚約者は——後悔し始めていた。 婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。 なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。

貴方の願いが叶うよう、私は祈っただけ

ひづき
恋愛
舞踏会に行ったら、私の婚約者を取り合って3人の令嬢が言い争いをしていた。 よし、逃げよう。 婚約者様、貴方の願い、叶って良かったですね?

処理中です...