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第四十話 皇帝殺害
しおりを挟む「早く戻ってきてね!」
「ええ」
「体調には気をつけろよ」
「ふたりもね」
馬車に乗り込むと、あっという間にふたりの姿が小さくなる。フェデリカはそれを眺め、窓を閉じた。
四頭立ての豪華な馬車は、出来る限り衝撃を抑えるための工夫が施されている。乗り心地はかなりいい方だ。計算式を解こうかとも思ったが、折角の密室なのでやめた。
「――レナート。お伺いしたいことがあるのですけれど」
「なんだろうか」
「私との婚姻を無効にした後、退位されますか?」
フェデリカの問いに、レナートは目を瞑る。子を作れることが分かった以上、レナートが退位する最たる理由が消えたことになる。
「......しない、かもしれない。分からない。一度即位した以上、退位すれば混乱を招く。まして今王位継承順位1位のロレンツィ侯は傍系だ。横槍が入る可能性も否めない。私が玉座に座り続けるのが最も穏やかだ。だが......」
レナートは言葉を切った。視線が彷徨い、虚空で止まる。
「......私はあの日から、王というものを疎んでいる」
フェデリカは目を見開いた。しかし考えれば当然のことかもしれない。王位に固執した兄によって、生殖器を傷つけられたのだから。
「権力があるということは、それを狙う者も多いということだ。命を狙われることには慣れているが、正直辟易している。今まで民の税で養われた恩があるからこそ玉座を受け入れたが、長いこと座っていたいものではない」
「あと2年で気持ちが変わらなければ、逃げてしまってもいいと思います」
「......そうか?」
「国王の地位に魅力を感じている人は多いでしょう。ロレンツィ侯だって、満更ではない様子でしたし。やりたい方にお任せしてしまえばいいのでは?」
研究と同じように考えてしまうのは、よくないかもしれない。しかしやりたくないことをやり続ける人生なんて、フェデリカは嫌である。
「君が言うと実現できそうな気がするよ」
「私はやりたいことだけやってきましたから。嫌なことから逃げるのは得意ですよ」
「王妃として政務を果たしてくれていることを考えると、信憑性が低いな」
否定できない。建国祭の時期は、我ながら随分と思い詰めていた。
「退位するとしたら、その後何かやりたいことはありますか?」
レナートは腕を組み考え込んだ。
薄々気付いていたが、レナートは個人の好みというものがあまりない。食べ物も好き嫌いなく食べるし、暇があれば政務をしている。夜、寝室で互いを待つ間には本を読んでいるが、それだって学術書や政に関するものばかり。
「レナート」
「すまない。あまり思い付かなくてな……フェデリカ?」
フェデリカはレナートの手を両手で包んだ。
「好きなことを探しましょう。きっと、何よりも誰よりも大切にしたいものが見つかりますよ」
「……君にとっての研究のように?」
「はい」
躊躇なく頷くと、レナートは目を細めた。
「――では、ひとつ見つけたかもしれないな」
***
『なんだと?』
病床に伏した皇帝は、痛む体をおして起き上がった。平然とこちらを見つめる息子を睨みつける。
『王妃を捕らえられなかっただと? 貴様は何をしていたのだ!』
海の王国に向かわせた暗殺者も失敗して逃げ帰ってきたばかりだったので、皇帝はひどく怒っていた。
『申し訳ありません、父上。思いの外臣下たちが無能でして』
『うるさい! 言い訳をするな!』
枕元にあった剣を振り回したが、息子には届かず空を切った。息子は嘲笑を浮かべる。
『おいたわしや、父上。かつて前王朝を倒した武勇はもはやおありでないようだ』
『だまれ、黙れ黙れ黙れっ! これもすべて、あの男のせいだ!』
ラティフ・ハーシェム・ヤークート。闇のような漆黒の髪と血のような赤い瞳を持つ、シルハーン朝最後の皇帝。
殺される直前だというのに、穏やかな顔で妻の助命を願った男。国を任せた、という静謐な声が、いつまで経っても耳にこびりついて離れない。あの日から、皇帝は一日だって安眠できた試しがなかった。
皇帝は手で顔を覆った。剣が床に落ちて乾いた音を立てた。
『殺さなくては......あの男の子供を.......殺さなくては』
ずっとずっと探し続けた。あの男の一族を殺し尽くし、その妻を探した。しかし20年経っても手掛かりがない。赤い瞳の子供を探しては殺したが、誰一人としてあの男の縁者ではなかった。もしや親子共々死んだのでは、と希望を抱いた矢先に、見つけたという報が入った。しかも、2人も。
あの男に瓜二つの娘と、その妻に瓜二つの息子だった。瞳の色は赤と青を足した紫。
肖像画を見た瞬間、体全体が戦慄いた。あの男が蘇ってきたと思った。生かしてはおけぬと直感した。
己が手で殺しに行きたかったが、足が思うように動かなかった。その為、わざわざ捕らえて連れてこいと命じたのだ。
『切り刻み豚の餌にしても足らぬ......この世のありとあらゆる痛みを教えてやらねば......』
『ほう。父上は随分と死者の尊厳を踏みにじるのがお好きですね。だから娘のこともあれほど容易く打ち捨てることが出来たのでしょうか』
『娘?』
『ああ、覚えてもおられないか。アイシャ・ナーイラ・バラカ。第十八皇女ですよ』
皇帝は記憶を漁ったが、全く覚えていなかった。ラティフを忘れるために抱いた幾多もの女、その内のひとりが産み落とした子供だろう。
『そんなことはどうでもいい、それよりも早く王妃を——?』
口内に血の味が広がった。己の体を見下ろすと、先程まで自分が振り回していた剣が生えている。
『王妃など、それこそ私にはどうでもいいのですよ。とっとと死ねよ、くそ野郎』
剣が抜かれる。声もあげずに皇帝は倒れた。己の血を見て、皇帝はラティフの瞳を思い出した。恐怖に苛まれ、皇帝は声を上げようとした。しかし今度は頭に衝撃があり、意識は急速に閉ざされた。
***
『ふう......』
皇帝を殺したアーキルは、ふと入口で彫像のように佇む兵士を認めた。今しがた殺した男は警戒心が強く、護衛でさえも信じることが出来なかった。側におく兵士は常にひとり、だからこそアーキルが殺害に成功したのだが。
『――そなたには何もしない。報告に行ってもよいのだぞ』
『いえ。わたくしめは皇帝暗殺の命を帯びていた者ですので』
アーキルは目を見開いた。褐色の肌と黒い髪、服の着こなしのどれをとっても皇宮勤めの兵にしか見えなかった。
『そうだったのか。済まないな、横取りしてしまって』
『構いません。ですが折角ですのでご提案が』
『なんだろうか』
暗殺者からの提案とは斬新だな、と思いつつアーキルは耳を傾ける。
『わたくしめが殺したということにしていただけないでしょうか』
『理由は』
『わたくしめは暗殺の命を受けてまいりましたが、同時に国を混乱せよとの命も授かっております』
アーキルが殺したのではすぐに事件が解決してしまう。暗殺ということにすれば犯人捜しで皇宮が騒がしくなる、ということか。
『了解した。しかし僕の服は随分汚れているが』
『わたくしめにお任せください』
兵士の皮を被った暗殺者は目にも留まらぬ速さで血を落としていく。アーキルが使用した剣の血糊もぬぐって枕元に置きなおし、皇帝の体に空いた穴に背後から別の剣を突き刺して血糊を付けた。わざとらしく血の付いた足跡まで残している。
『......すごいな』
『ありがとうございます。それではわたくしめが消えたらすぐに悲鳴をあげてください。陛下が、陛下が、などと慌てた様を見せて気絶していただけますとより効果的です』
『相分かった』
兵士の姿が一瞬で消えた。どこに、と視線を彷徨わせると、天井の一角に穴が開いているのを認めた。アーキルは微笑む。この国の混乱、望むところだ。早く倒れてしまえばいい。こんな腐り果てた王朝は要らない。
アーキルは大きく息を吸い込んだ。
『誰か! 誰か来てくれ! 陛下が、陛下が——!』
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