或る分別者の呻吟 ~関ヶ原逸聞伝・参~

佐倉伸哉

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一 : 命を削りて尽くす忠-(12)“覚悟”の意味

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 うたげは大盛況に終わり、徳川家の面々が屋敷から出立する時を迎えた。この後、家康一行は藤堂高虎の屋敷に宿泊する事になっている。
 徳川家の家臣達は美味い酒に豪華な膳、この日に合わせて三河や遠江・駿河から取り寄せた故郷の味にとても満足した様子だった。そして、家康は最後まで接待を固辞し続けた。
 玄関で草履ぞうりを履いた家康は、ようやく利長と向き合う。
「儂の我儘をお聞き頂き、かたじけない。さぞ気を遣われたことでしょう」
「いえ、そんな……」
 家康からの予想外な言葉に、利長も恐縮する。直後、目元をグイと親指でぬぐう家康。
「……済まない。よわいを重ねた所為せいか、つい涙腺るいせんが緩くなってな」
 釈明するように明かした家康に、利長は信じられないものを見た気分だった。年明け直後はそれぞれが大坂と伏見の親玉だった間柄、家康からすれば利家は目の上のこぶみたいな存在でと認識していただろうに、だ。一瞬演技かと利長は疑うも、沈痛な面持ちにはなすする仕草、潤んだ瞳などを勘案すれば本心だと思う。これが芝居なら家康は千両役者である。
 それから、悄然しょうぜんたる空気を振り払うように家康は利長の手を両手で握り、その目を見つめながら言った。
「中納言殿の御父君より『よろしく頼む』とお願いされた。……今後も末永く良き関係でありたいな」
 父とどのような話をしたのか、利長は知らない。ただ、今の発言で何となく分かった。
 利長は片手を添え、家康の手を包み込む。これで一連の騒動の和解を内外に印象付けた。
 門前に用意された輿に乗り込んだ家康は、見送りに出た前田家の者達に軽く頭を下げる。直後、藤堂屋敷へ向け出発して行った。
 徳川一行を見送りながら、利長は先程互いの両手で握手を交わした場面に思いを馳せる。肉厚な手に包まれたあの時の感触や温もりを、利長の中に深く刻まれていることが不思議でならなかった。


 饗応の片付けや警護の撤収は他の者達に任せ、利長は父の元に向かった。これには理由があり、父に呼ばれてのことである。
 客間には、父の小姓が側に控えるだけで他に誰も居ない。会談を終えた父は一仕事を終え満足したような柔らかな表情をしていた。
「恙無く、終わりました」
 枕元に座り、首尾を報告する利長。それを受け父は「うむ」と頷く。
「孫四郎」
 呼び掛けたかと思うと、父は自らの手で掛布団をペラリとめくる。あらわになった光景に、利長は思わずギョッと目を剥いた。
 寝ている父のすぐ脇に、抜身の刀が置かれていたのだ。その事実に利長は言葉を失う。
「お主に“その気”があれば、内府に起こしてもらうよう介助をお願いするていで、そのまま刺す心算つもりだった。無論、儂が死ぬのも承知の上で、な」
 淡々と語る父に、黙って耳を傾ける利長。父はさらに言葉を紡ぐ。
「又若(利政の幼名)にはお主に内緒で徳川の者共を始末する用意をさせておいた。謀殺と批難されようが構うものか。徳川の力を削げるならばどんな汚い手でも使うさ。……全ては上様、豊家、そして我が家の為ぞ」
 父から明かされ、利長は合点がいった。
 物々しい数の兵や装備は、家康と差し違えた後の事を想定しての準備。恐らく屋敷内にも戦同様の気構えの兵が相当数潜んでいただろう。にこやかに饗応していた家臣達も“その気”を内に秘めていた。前田家にも相当な犠牲が出る事を覚悟の上で、家康を始めとする徳川家の中枢を支える者共を殲滅せんめつさせる計画が進められていた。知らぬは利長、只一人。
 蚊帳かやの外の置かれた利長は、言葉が震えそうになるのをこらえながら「……どうして」と言葉をこぼす。
「どうして、父上は、そうなさらなかったのですか?」
「儂は確認したさ。お主の“覚悟”をな」
 サラリと言及され、思い当たる節のある利長は「あ」と漏らす。さらに父は重ねる。
「この先前田家を背負うお主に“その気”があるなら、儂や又若に家臣達は命を捨てて礎になる肚を固めていた。奴は必ず牙を剥く。豊家、そして我が家にな。野心明らかな奴を仕留めるなら今が最後の好機だ。しかし、儂の一存で奴を謀殺すれば無関係なお主にも影響が及ぶ。“内府様を騙し討ち同然で始末した、同義に反する前田家”の汚名を着せられることになる。故に、お主に覚悟を問うた」
「……でも、私は解釈を間違えた」
 膝の上に乗る利長の拳が、小刻みに震える。体の内からり上がる気持ちが声に込もらないよう、こらえながら続ける。
「あの時、私は純粋に受け入れ準備の事を確かめられたと思いました。でも、それは誤りでした。福福しい彼奴あやつの顔を前にし、殺意がよぎりました。そうと知っていれば……!!」
 抑えたくても、悔しさが込み上げる利長。ギュッと固く握られた拳に、そっと手が重ねられる。
 ガリガリに痩せ骨と皮のみで血管がくっきりと浮かんでいるその手は、紛うことなき父の手だった。枯れ木のような見た目に反し、掌から温もりがじんわりと伝わってくる。
 息子の心情をおもんぱかる父は、震える拳を優しくさすりながら語り掛ける。
「済まぬな。この件だけはお主に知られると奴に勘付かれる恐れがあった。怪しまれては元も子もないからな。全てはお主に泥が被らないよう、儂等が汚れ役を買って出ただけだ」
 この件に利長が一切関与してないと証明されれば、名誉回復の可能性も出てくる。それでも失われた信頼を取り戻す道のりは長く険しいもので、生半可な覚悟では成し遂げられない。だからこそ、父は全てを引っくるめて直前に利長の決意を質したのだ。
 過去に戻れるなら、戻りたい。あの時に立ち返って、父に「はい」とはっきり答えたい。しかしながら、瞳から流れ落ちる涙が上へ昇らないように、時間は巻き戻せない。誤った選択のまま未来へ進む他ないのだ。
 押し殺していた感情が一粒の雫となって零れる。滂沱ぼうだの涙を流す利長に、父はニコリと微笑みかけながら優しい口調で発した。
「内府殿にはお主のことを“くれぐれも頼む”と重ねて頼んでおいた。あぁ見えて義理堅いところがあるから心配要らぬ。……あとの事、頼んだぞ」
 そう語り、ポンポンと利長の手を叩く。まるで泣きじゃくる幼子をあやすかの如く慈愛に満ち溢れた手付きだったが、肉付きの薄さから父の寿命が残り僅かである事を否が応でも突き付けられた気分だった。
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