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三 : 凡愚な分別者の苦慮-(3)残存する丹羽勢の対処
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吉継の策略に踊らされているとは露知らず、前田勢は越前を中心に西軍勢の動向を探った。結果、大谷勢はまだ敦賀に留まっている事、越前の敵勢力に出撃や結集の動きが見られない事から、利長は安全に退却可能と判断。慶長五年八月八日、前田勢は退却を開始した。
西暦に置き換えれば九月十九日、秋霖がそぼ降る中を粛々と北上していく前田勢。越前は敵地であり、先日まで恭順を示した勢力が翻って襲ってくる事も想定され、物見を頻りに出したり応戦の態勢を執らせたりと警戒を怠らず行軍を続けた。
無事に越前を越え、前田勢は加賀へ入る。しかし、ここで無視出来ない問題に直面する。
日没まで一刻〈二時間〉強の頃合、利長は今後の方策について重臣達を集め軍議を開く。
「皆に率直な意見を問いたい。――丹羽を、どうする」
喫緊の課題に挙げたのは、小松城の丹羽長重勢への対応だ。
行きの折は北陸随一の堅城攻略に相当な犠牲と日数を要するのを嫌い、押さえの兵を残して通過した。それでも南進する前田勢へ丹羽勢は木場潟に小舟を出して鉄砲を撃ち掛け味方に軽微の損害を出したが、三千の手勢では小松城に籠もるしかなかった。
ただ、今は金沢へ引き揚げる途上。一刻も早く領国へ戻りたい敵を丹羽勢が見過ごしてくれるとは思わない。必ず仕掛けてくる筈だ。対する前田勢は損害を出さず通過したい。願わくば、丹羽勢との交戦は避けたい。だが、相手が攻めて来たのに逃げては面子に関わる。それも敵がこちらより明らかに少ないなら尚更だ。挑まれた戦を受けたい気持ちは大なり小なり持っている。
「……その前に、若殿のお考えを伺いたく存じます」
発言したのは、連龍。見れば、荒子以来の譜代や府中・能登から利家に仕えている本座者達が利長の言動をじっと窺っていた。前田家の当主になってから凡そ一年半、当主として家臣達と対面してもうすぐ一年になるが、まだ仕えるに値するか疑問を抱かれているのか。信頼されてない事に一抹の寂しさを覚えながらも、利長は在りのままの思いを明かす。
「戦わずに済むなら望ましい。だが、我等に襲い掛かるなら話は別。北陸の太守として、堂々と受けて立つ」
はっきりと宣言する利長。この回答が正解かどうかは抜きにして、自分の胸中は晒した。さぁ、家臣達はどういう反応を見せるか。
暫し瞼を閉じ静止していた連龍は、大きく息を吐き出してから応えた。
「よくぞ申されました。それでこそ我等が命と名誉を懸け奉ずるに能うる主君であります」
そう述べ、深々と平伏する連龍。やや遅れて譜代や本座の者達もそれに倣う。これには利長も理解が追い付かずキョトンとしている。
頭を上げた連龍は、平然と言い放った。
「もし『丹羽が攻めて来ても構わず速やかに通過せよ』と仰せになられたなら、この場で暇乞いをする心算でした。拙者を始めとする古参は大殿の心意気に惚れ、臣下として身命を賭してきた者ばかり。それ故に、大殿の遺命で引き続き従いましたが、心の底から殿へ仕えるべきか正直決めかねておりました。“分別者”の評判は耳触りこそよろしいが内実は争いを避ける軟弱者ではなかろうか、と。……然りながら、今の御言葉を聞いてその懸念は払拭致しました。勤仕するに相応しいと確信した次第です」
自分の返答次第で家臣が離脱していたかと思うと、利長は背筋が凍った。ここで経験豊富な将兵が複数名離脱すれば応戦どころか軍自体が崩壊してしまう。最悪の事態を免れ胸を撫で下ろしたが、頑なに“若殿”と呼んでいた連龍が初めて“殿”と呼んでくれて素直に嬉しかった。
続けて、連龍は小松周辺の絵図を持って来るよう求めた。利長の近習が陣卓子の上に広げると、腹案があると思われる連龍は扇子を用いながら策を述べる。
「殿には三道山城へ入って頂き、別動隊は御幸塚(現“みゆきづか”)城へ入ります。明日、別動隊が西を通り敵の目を引き付ける間に殿が率います本軍は一路金沢を目指して下され」
軍を二手に分けて別動隊が囮になっている隙に本隊は北上する。大軍だからこそ可能な、理に適った策だと利長は思う。
うんうんと頷いていた利長だったが、はたと気付く。
「待て。それでは――」
「はい。別動隊は丹羽勢の猛攻を耐えながら本隊が進む刻を稼ぐ必要がございます。不肖、拙者が殿を務めさせて頂く所存」
利長の懸念に、淡々と答える連龍。自らが言い出したのだから一番危険で難しい役目を引き受けると当然の如く表明した。
戦は攻めている時は勢いに乗りガンガン押せばいいが、逆に退く時は嵩に掛かって攻め寄せる敵の攻撃を凌ぎながら行軍する必要がある。末端の兵は命の危険が差し迫れば逃げ出したい衝動に駆られるので、如何に恐怖を抑え統率の取れた行動を取れるかは将の手腕に懸かっており、その技量で将の優劣が決まる。才能だけでなく人柄や相性から“攻め”に向いている者も居るが、“退く”のが巧い者は特に貴重だった。特に部隊の最後尾は敵の激しい攻撃に晒され討死する可能性も高く、百戦錬磨の連龍と言えど殿は危険な役目だ。
不安そうな表情を浮かべる利長を横目に、周囲を見渡しながら連龍は呼び掛ける。
「誰ぞ、拙者に付き合ってくれる酔狂な者は居らぬか?」
遊びに誘うように軽い口調で訊ねる連龍へ、真っ先に手を上げる者が居た。
「お、庄兵衛殿か」
「……やろう。武功の匂いがする」
朴訥な調子で応じるは、長徳。寡黙な性格で家中の立ち位置も高くはないが、山崎の戦い・賤ヶ岳の戦いに敗者側で奮闘し修羅場を幾度も潜り抜けてきた正真正銘の勇士である。
「違ぇねぇ。厳しい戦こそ功名の立て処ぞ」
但馬守が賛同すると、「某も加わりたく存じます!」と栄明も名乗り出る。他にも富田“下総守”直吉や今枝“民部”直恒(史料には直恒の名が記されているが天正十五年生まれの十四歳で、実際は義父・重直と思われる)が参戦を志願した。
ここまで錚々たる顔触れが名を連ねる中、さらに直訴する者が現れた。
「殿、私も加えて頂けませんか?」
穏やかな口調で提案してきたのは、右近。これには利長も意表を突かれた。智謀家で利長の右腕として伺候する事の多い右近は不測の事態に備えて本隊に属すとばかり思い込んでいた。
もしもの時を考えれば前田家にとって大損失になる為に利長は不許可しようかと一瞬脳裏を過ったが……右近が力強い眼差しで訴え掛けてきたので言葉を呑み込み、受諾した。右近に何らかの意図があると利長は読んだ。
そこへ「待った!」と割って入る者が居た。――利政である。
「敵を引き付ける別動隊の大将は、私が務めたい。兄う……殿が本隊を率いるならば、弟たる私が大将の任に就いて然るべきだ!」
危険を承知で敢えて厳しい戦に身を投じたいと志願した利政の姿勢に、重臣達も感嘆の息を漏らす。その勇気に連龍は「その心意気、御立派です」と称賛した上で続ける。
「なれど、孫四郎様にはもっと大切な御役目がございます」
「何だと?」
受け容れられるとばかり思っていた利政は、連龍の予期せぬ返しに戸惑う。間を置かず、連龍は真顔で言い放つ。
「孫四郎様には、本隊に危険が及んだ場合に殿を逃すべく壁になってもらいたく」
連龍の口から明かされた内容に、言葉を失う利政。それから噛んで含めるように続ける。
「敵は丹羽勢だけとは限りませぬ。丹羽に同調した地侍や百姓が武装集団と化したり、大谷勢の先手が殿の本隊を襲う可能性も考えられます。充分な軍勢は連れておりますが、大軍だから絶対安全とは言い切れないのが戦の恐ろしいところ。孫四郎様には殿の命を守るべく“盾”になって頂きたいのです」
その言葉に利政だけでなく利長も絶句した。利長の身が危なくなれば利政が身替わりになれと連龍は説くのだ。
誰かが“考え過ぎだ”と助け船を出してくれると思ったが、異論は出ない。重臣達は揃って利政を万一の保険にすべきとする連龍の主張を支持していた。利長も過保護だと思う反面、それを言葉にしないのは“もしも”の備えが必要だと心の片隅に持っていたからだ。
嘗ての主君・織田信長は永禄三年五月に二万五千の大軍を率いて侵攻してきた今川勢を田楽狭間で休止していた間隙を突き二千の兵で奇襲、総大将・義元を討ち取る奇蹟的大勝を収めている。織田勢の動向を今川方が掴んでなかった点や直前に雹混じりの暴風雨が一帯を襲った等の好条件が重なった事があるにせよ、桶狭間のように時と場合次第で圧倒的戦力差を覆すのが“戦は生き物”と呼ばれる所以だろう。
それでも利政は反論を試みようとするも、口をパクパクとするだけで何も言えずに終わった。捨て石になれとする非情な宣告も含め、御家の事を考えるなら連龍の言う事が正しいと利政は理解し呑み込んだ。
議論は尽くされたと判断し、重臣達は席を立って行く。各々が与えられた役割を果たす為に、自陣へ戻る。最後まで残ったのは利長と右近の二人だ。
「右近」
「はい」
「どうして、志願した?」
あの場で聞けなかった事を訊ねる利長。すると右近は事も無げに答える。
「私は大殿・殿と特別扱いを受けております故、家中でも面白く思わぬ者も大勢居りましょう。家中の信を得るべく意図したのが半分」
「……もう半分は?」
質すと、右近は口元を緩ませながら言った。
「智の面で頼みとされておりますのは重々承知しておりますが、私も武士の端くれ。危ういと分かりながらも“大功を挙げたい”と血が騒ぐのを抑えられませんでした」
やや恥ずかしそうに明かす右近に、利長は苦笑した。今でこそ前田家の参謀ながら、それ以前は向こう見ずな武将だった。有能さを買われて信長・秀吉の下で出世を重ねるも、信仰の為に大名の地位も領地も失っている。打算云々は扨措き、武人として戦いたいと真っ先に右近は浮かんだのだろう。利長はそれを止める権利はあれど、右近の心情を尊重する他なかった。
「相分かった。なれど、必ず生きて私の元に帰ってきてくれ。これは主命である」
「ははっ、承りました」
畏まった遣り取りに、二人は堪え切れず笑みが溢れた。右近にはこの先も頼みとする場面が多くあるだろうから利長は「死ぬな」と命じたが、それを守れるかどうかは運次第である。厳重に守られていても銃弾一発で命を落とすのが戦場であり、身分の上下も武力の優劣も関係ない。精々が口約束であっても言うと言わないでは天地の開きがある。……言わねば相手に伝わらないからだ。
互いに笑い合ってから、右近は自陣へと引き揚げて行った。これで全員が去った。あとは各々の務めを果たすのみ。
利長は床几から腰を上げると、陣から出るべく歩き出した。空は厚い雲で埋め尽くされているが、夜へ向かっているのを表すように暮れていくのが分かる。我等が進む先に待っているのは土砂降りか暴風雨か、それとも快晴か。それは明日にならねば分からず、遠い先より目の前のやるべき事へ利長は目を向けるべきだと考えた。
その後、前田勢は手筈通り二手に分かれた。利長率いる本隊約一万五千は東寄りの三道山城へ、連龍達七将の別動隊約一万は西寄りの御幸塚城へ、それぞれ入った。両城で夜を明かした両軍は、日の出と共に行軍を再開した――。
慶長五年八月九日。三道山城を発った利長の本隊は金沢へ帰還すべく北へ向かっていた。
前日同様に雨は強弱を繰り返しながら利長達を濡らす。馬上の利長はまだマシで、徒士や足軽・運搬用の牛馬や荷車・輜重を担う小荷駄の人夫は泥濘に足を取られ濡れた土や葉などで足のみならず体も汚しながら進んでいる。行軍は晴れている時と比べ遅れているが、それも致し方なしと利長は考えていた。
巳の正刻〈午前十時〉より少し前、泥を撥ね上げながら別動隊の早馬が駆け込んで来た。
「申し上げます! 丹羽勢、我が方へ襲撃!」
その報せを受け、“やはりか”と冷静に受け止める利長。一万の大軍が敵に悟られず行軍するのは無理な話で、撤兵を知った丹羽勢は必ず仕掛けてくると利長は睨んでいた。
詳細を聞きたい利長は使い番に先を促す。
「我が方も敵勢の攻撃を警戒しておりましたが、地の利や攻めの時機を得た丹羽勢に押され、形勢はやや悪く……」
報告するにつれ、使い番は歯切れが悪くなる。周りの者達の表情が明らかに強張る中、利長は「そうか」と一言呟いてから告げた。
「ご苦労だった。我等は直ちに出発する」
利長の指示に、全員が仰天した。別動隊が襲われたと聞いたのに利長は先を急ぐと言う。
堪らず利政が声を挙げる。
「兄上!! 味方が敵に襲われているのに何の手立てもせず先を急ぐのは如何なものかと!?」
家臣達の気持ちを代弁するように抗議する利政。公の場では主従の立場を弁えて“殿”と呼ぶところ“兄上”と口にしてしまう程に動揺していた事が窺い知れる。
明らかに再考を促す利政へ、冷静沈着に利長は答える。
「こうなるのは昨日の時点で分かっていた事。もし我等が足を止めたり手勢を割いて援軍を送ったりすれば、敵を食い止めている者達の想いを無碍にしてしまう」
淡々と述べる利長に、グッと詰まる利政。前日に利長も連龍の献策の危険性を指摘しようとしたが、本人や危険を承知で志願した者達の覚悟に自分もそれに応えるべく“無事に金沢へ帰る”役目を全うする肚を固めた。賽は投げられた以上、家臣達を信じる他ない。
利政も家臣達もその遣り取りを目の当たりにしており、考え直すよう進言する声は出なかった。利長は改めて使い番に労いの言葉を掛け、出発に向け準備するよう命じた。
正直、利長も別動隊の動向は気懸かりだった。もっと深く状況を聞きたかったし、場合によっては取り決めに反し救援の部隊を送りたい気持ちもあった。それでも後ろ髪を引かれる思いを振り払うように非情な選択をしたのは、命懸けで戦ってくれている者達に報いる為だと利長は自らに言い聞かせる事にした。薄情者と誹られようとも、心を鬼にすると決めたのだ。
別動隊襲撃の報を受けても本隊は撤退を続行。幸い攻撃される事もなく前田領内に入り、翌十日には金沢入りを無事に果たした。
西暦に置き換えれば九月十九日、秋霖がそぼ降る中を粛々と北上していく前田勢。越前は敵地であり、先日まで恭順を示した勢力が翻って襲ってくる事も想定され、物見を頻りに出したり応戦の態勢を執らせたりと警戒を怠らず行軍を続けた。
無事に越前を越え、前田勢は加賀へ入る。しかし、ここで無視出来ない問題に直面する。
日没まで一刻〈二時間〉強の頃合、利長は今後の方策について重臣達を集め軍議を開く。
「皆に率直な意見を問いたい。――丹羽を、どうする」
喫緊の課題に挙げたのは、小松城の丹羽長重勢への対応だ。
行きの折は北陸随一の堅城攻略に相当な犠牲と日数を要するのを嫌い、押さえの兵を残して通過した。それでも南進する前田勢へ丹羽勢は木場潟に小舟を出して鉄砲を撃ち掛け味方に軽微の損害を出したが、三千の手勢では小松城に籠もるしかなかった。
ただ、今は金沢へ引き揚げる途上。一刻も早く領国へ戻りたい敵を丹羽勢が見過ごしてくれるとは思わない。必ず仕掛けてくる筈だ。対する前田勢は損害を出さず通過したい。願わくば、丹羽勢との交戦は避けたい。だが、相手が攻めて来たのに逃げては面子に関わる。それも敵がこちらより明らかに少ないなら尚更だ。挑まれた戦を受けたい気持ちは大なり小なり持っている。
「……その前に、若殿のお考えを伺いたく存じます」
発言したのは、連龍。見れば、荒子以来の譜代や府中・能登から利家に仕えている本座者達が利長の言動をじっと窺っていた。前田家の当主になってから凡そ一年半、当主として家臣達と対面してもうすぐ一年になるが、まだ仕えるに値するか疑問を抱かれているのか。信頼されてない事に一抹の寂しさを覚えながらも、利長は在りのままの思いを明かす。
「戦わずに済むなら望ましい。だが、我等に襲い掛かるなら話は別。北陸の太守として、堂々と受けて立つ」
はっきりと宣言する利長。この回答が正解かどうかは抜きにして、自分の胸中は晒した。さぁ、家臣達はどういう反応を見せるか。
暫し瞼を閉じ静止していた連龍は、大きく息を吐き出してから応えた。
「よくぞ申されました。それでこそ我等が命と名誉を懸け奉ずるに能うる主君であります」
そう述べ、深々と平伏する連龍。やや遅れて譜代や本座の者達もそれに倣う。これには利長も理解が追い付かずキョトンとしている。
頭を上げた連龍は、平然と言い放った。
「もし『丹羽が攻めて来ても構わず速やかに通過せよ』と仰せになられたなら、この場で暇乞いをする心算でした。拙者を始めとする古参は大殿の心意気に惚れ、臣下として身命を賭してきた者ばかり。それ故に、大殿の遺命で引き続き従いましたが、心の底から殿へ仕えるべきか正直決めかねておりました。“分別者”の評判は耳触りこそよろしいが内実は争いを避ける軟弱者ではなかろうか、と。……然りながら、今の御言葉を聞いてその懸念は払拭致しました。勤仕するに相応しいと確信した次第です」
自分の返答次第で家臣が離脱していたかと思うと、利長は背筋が凍った。ここで経験豊富な将兵が複数名離脱すれば応戦どころか軍自体が崩壊してしまう。最悪の事態を免れ胸を撫で下ろしたが、頑なに“若殿”と呼んでいた連龍が初めて“殿”と呼んでくれて素直に嬉しかった。
続けて、連龍は小松周辺の絵図を持って来るよう求めた。利長の近習が陣卓子の上に広げると、腹案があると思われる連龍は扇子を用いながら策を述べる。
「殿には三道山城へ入って頂き、別動隊は御幸塚(現“みゆきづか”)城へ入ります。明日、別動隊が西を通り敵の目を引き付ける間に殿が率います本軍は一路金沢を目指して下され」
軍を二手に分けて別動隊が囮になっている隙に本隊は北上する。大軍だからこそ可能な、理に適った策だと利長は思う。
うんうんと頷いていた利長だったが、はたと気付く。
「待て。それでは――」
「はい。別動隊は丹羽勢の猛攻を耐えながら本隊が進む刻を稼ぐ必要がございます。不肖、拙者が殿を務めさせて頂く所存」
利長の懸念に、淡々と答える連龍。自らが言い出したのだから一番危険で難しい役目を引き受けると当然の如く表明した。
戦は攻めている時は勢いに乗りガンガン押せばいいが、逆に退く時は嵩に掛かって攻め寄せる敵の攻撃を凌ぎながら行軍する必要がある。末端の兵は命の危険が差し迫れば逃げ出したい衝動に駆られるので、如何に恐怖を抑え統率の取れた行動を取れるかは将の手腕に懸かっており、その技量で将の優劣が決まる。才能だけでなく人柄や相性から“攻め”に向いている者も居るが、“退く”のが巧い者は特に貴重だった。特に部隊の最後尾は敵の激しい攻撃に晒され討死する可能性も高く、百戦錬磨の連龍と言えど殿は危険な役目だ。
不安そうな表情を浮かべる利長を横目に、周囲を見渡しながら連龍は呼び掛ける。
「誰ぞ、拙者に付き合ってくれる酔狂な者は居らぬか?」
遊びに誘うように軽い口調で訊ねる連龍へ、真っ先に手を上げる者が居た。
「お、庄兵衛殿か」
「……やろう。武功の匂いがする」
朴訥な調子で応じるは、長徳。寡黙な性格で家中の立ち位置も高くはないが、山崎の戦い・賤ヶ岳の戦いに敗者側で奮闘し修羅場を幾度も潜り抜けてきた正真正銘の勇士である。
「違ぇねぇ。厳しい戦こそ功名の立て処ぞ」
但馬守が賛同すると、「某も加わりたく存じます!」と栄明も名乗り出る。他にも富田“下総守”直吉や今枝“民部”直恒(史料には直恒の名が記されているが天正十五年生まれの十四歳で、実際は義父・重直と思われる)が参戦を志願した。
ここまで錚々たる顔触れが名を連ねる中、さらに直訴する者が現れた。
「殿、私も加えて頂けませんか?」
穏やかな口調で提案してきたのは、右近。これには利長も意表を突かれた。智謀家で利長の右腕として伺候する事の多い右近は不測の事態に備えて本隊に属すとばかり思い込んでいた。
もしもの時を考えれば前田家にとって大損失になる為に利長は不許可しようかと一瞬脳裏を過ったが……右近が力強い眼差しで訴え掛けてきたので言葉を呑み込み、受諾した。右近に何らかの意図があると利長は読んだ。
そこへ「待った!」と割って入る者が居た。――利政である。
「敵を引き付ける別動隊の大将は、私が務めたい。兄う……殿が本隊を率いるならば、弟たる私が大将の任に就いて然るべきだ!」
危険を承知で敢えて厳しい戦に身を投じたいと志願した利政の姿勢に、重臣達も感嘆の息を漏らす。その勇気に連龍は「その心意気、御立派です」と称賛した上で続ける。
「なれど、孫四郎様にはもっと大切な御役目がございます」
「何だと?」
受け容れられるとばかり思っていた利政は、連龍の予期せぬ返しに戸惑う。間を置かず、連龍は真顔で言い放つ。
「孫四郎様には、本隊に危険が及んだ場合に殿を逃すべく壁になってもらいたく」
連龍の口から明かされた内容に、言葉を失う利政。それから噛んで含めるように続ける。
「敵は丹羽勢だけとは限りませぬ。丹羽に同調した地侍や百姓が武装集団と化したり、大谷勢の先手が殿の本隊を襲う可能性も考えられます。充分な軍勢は連れておりますが、大軍だから絶対安全とは言い切れないのが戦の恐ろしいところ。孫四郎様には殿の命を守るべく“盾”になって頂きたいのです」
その言葉に利政だけでなく利長も絶句した。利長の身が危なくなれば利政が身替わりになれと連龍は説くのだ。
誰かが“考え過ぎだ”と助け船を出してくれると思ったが、異論は出ない。重臣達は揃って利政を万一の保険にすべきとする連龍の主張を支持していた。利長も過保護だと思う反面、それを言葉にしないのは“もしも”の備えが必要だと心の片隅に持っていたからだ。
嘗ての主君・織田信長は永禄三年五月に二万五千の大軍を率いて侵攻してきた今川勢を田楽狭間で休止していた間隙を突き二千の兵で奇襲、総大将・義元を討ち取る奇蹟的大勝を収めている。織田勢の動向を今川方が掴んでなかった点や直前に雹混じりの暴風雨が一帯を襲った等の好条件が重なった事があるにせよ、桶狭間のように時と場合次第で圧倒的戦力差を覆すのが“戦は生き物”と呼ばれる所以だろう。
それでも利政は反論を試みようとするも、口をパクパクとするだけで何も言えずに終わった。捨て石になれとする非情な宣告も含め、御家の事を考えるなら連龍の言う事が正しいと利政は理解し呑み込んだ。
議論は尽くされたと判断し、重臣達は席を立って行く。各々が与えられた役割を果たす為に、自陣へ戻る。最後まで残ったのは利長と右近の二人だ。
「右近」
「はい」
「どうして、志願した?」
あの場で聞けなかった事を訊ねる利長。すると右近は事も無げに答える。
「私は大殿・殿と特別扱いを受けております故、家中でも面白く思わぬ者も大勢居りましょう。家中の信を得るべく意図したのが半分」
「……もう半分は?」
質すと、右近は口元を緩ませながら言った。
「智の面で頼みとされておりますのは重々承知しておりますが、私も武士の端くれ。危ういと分かりながらも“大功を挙げたい”と血が騒ぐのを抑えられませんでした」
やや恥ずかしそうに明かす右近に、利長は苦笑した。今でこそ前田家の参謀ながら、それ以前は向こう見ずな武将だった。有能さを買われて信長・秀吉の下で出世を重ねるも、信仰の為に大名の地位も領地も失っている。打算云々は扨措き、武人として戦いたいと真っ先に右近は浮かんだのだろう。利長はそれを止める権利はあれど、右近の心情を尊重する他なかった。
「相分かった。なれど、必ず生きて私の元に帰ってきてくれ。これは主命である」
「ははっ、承りました」
畏まった遣り取りに、二人は堪え切れず笑みが溢れた。右近にはこの先も頼みとする場面が多くあるだろうから利長は「死ぬな」と命じたが、それを守れるかどうかは運次第である。厳重に守られていても銃弾一発で命を落とすのが戦場であり、身分の上下も武力の優劣も関係ない。精々が口約束であっても言うと言わないでは天地の開きがある。……言わねば相手に伝わらないからだ。
互いに笑い合ってから、右近は自陣へと引き揚げて行った。これで全員が去った。あとは各々の務めを果たすのみ。
利長は床几から腰を上げると、陣から出るべく歩き出した。空は厚い雲で埋め尽くされているが、夜へ向かっているのを表すように暮れていくのが分かる。我等が進む先に待っているのは土砂降りか暴風雨か、それとも快晴か。それは明日にならねば分からず、遠い先より目の前のやるべき事へ利長は目を向けるべきだと考えた。
その後、前田勢は手筈通り二手に分かれた。利長率いる本隊約一万五千は東寄りの三道山城へ、連龍達七将の別動隊約一万は西寄りの御幸塚城へ、それぞれ入った。両城で夜を明かした両軍は、日の出と共に行軍を再開した――。
慶長五年八月九日。三道山城を発った利長の本隊は金沢へ帰還すべく北へ向かっていた。
前日同様に雨は強弱を繰り返しながら利長達を濡らす。馬上の利長はまだマシで、徒士や足軽・運搬用の牛馬や荷車・輜重を担う小荷駄の人夫は泥濘に足を取られ濡れた土や葉などで足のみならず体も汚しながら進んでいる。行軍は晴れている時と比べ遅れているが、それも致し方なしと利長は考えていた。
巳の正刻〈午前十時〉より少し前、泥を撥ね上げながら別動隊の早馬が駆け込んで来た。
「申し上げます! 丹羽勢、我が方へ襲撃!」
その報せを受け、“やはりか”と冷静に受け止める利長。一万の大軍が敵に悟られず行軍するのは無理な話で、撤兵を知った丹羽勢は必ず仕掛けてくると利長は睨んでいた。
詳細を聞きたい利長は使い番に先を促す。
「我が方も敵勢の攻撃を警戒しておりましたが、地の利や攻めの時機を得た丹羽勢に押され、形勢はやや悪く……」
報告するにつれ、使い番は歯切れが悪くなる。周りの者達の表情が明らかに強張る中、利長は「そうか」と一言呟いてから告げた。
「ご苦労だった。我等は直ちに出発する」
利長の指示に、全員が仰天した。別動隊が襲われたと聞いたのに利長は先を急ぐと言う。
堪らず利政が声を挙げる。
「兄上!! 味方が敵に襲われているのに何の手立てもせず先を急ぐのは如何なものかと!?」
家臣達の気持ちを代弁するように抗議する利政。公の場では主従の立場を弁えて“殿”と呼ぶところ“兄上”と口にしてしまう程に動揺していた事が窺い知れる。
明らかに再考を促す利政へ、冷静沈着に利長は答える。
「こうなるのは昨日の時点で分かっていた事。もし我等が足を止めたり手勢を割いて援軍を送ったりすれば、敵を食い止めている者達の想いを無碍にしてしまう」
淡々と述べる利長に、グッと詰まる利政。前日に利長も連龍の献策の危険性を指摘しようとしたが、本人や危険を承知で志願した者達の覚悟に自分もそれに応えるべく“無事に金沢へ帰る”役目を全うする肚を固めた。賽は投げられた以上、家臣達を信じる他ない。
利政も家臣達もその遣り取りを目の当たりにしており、考え直すよう進言する声は出なかった。利長は改めて使い番に労いの言葉を掛け、出発に向け準備するよう命じた。
正直、利長も別動隊の動向は気懸かりだった。もっと深く状況を聞きたかったし、場合によっては取り決めに反し救援の部隊を送りたい気持ちもあった。それでも後ろ髪を引かれる思いを振り払うように非情な選択をしたのは、命懸けで戦ってくれている者達に報いる為だと利長は自らに言い聞かせる事にした。薄情者と誹られようとも、心を鬼にすると決めたのだ。
別動隊襲撃の報を受けても本隊は撤退を続行。幸い攻撃される事もなく前田領内に入り、翌十日には金沢入りを無事に果たした。
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海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~
川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる
…はずだった。
まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか?
敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。
文治系藩主は頼りなし?
暴れん坊藩主がまさかの活躍?
参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。
更新は週5~6予定です。
※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
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