【短編小説】1/250秒の違和感[ミステリー]

とあるPdM / 短編小説

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1/250秒の違和感

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「佐伯康介の不倫スクープ、特集トップでいくぞ!」編集長の声が響き渡ると、週刊誌『リアルタイム』の編集室がざわめきに包まれた。芸能人のスキャンダルは世間の関心を集めやすく、売上アップの期待がかかる大ネタだ。だが、綾音はその喧騒から少し距離を置き、モニターに映る写真をじっと見つめていた。「何やってるんだ、新人が!記事の原稿まとめるんだろ?」田島の怒声に、綾音は慌てて姿勢を正した。

「すみません。あの……この写真、なんか変じゃないですか?」「何がだ?」田島が渋々モニターをのぞき込む。「佐伯さん、あんなに顔が売れてるのに路地裏で堂々と密会するのって不自然じゃないですか?」「まあな。でも有名人のスリル好きは珍しくない。それに、写ってるのは間違いなく佐伯康介と例の女だ」「でも、この背景……」綾音が画面を指さした。そこにはぼんやりとした人影が映っていた。「ただの通行人だろ。それより記事を書け」田島はそれ以上の話を聞こうとはせず、デスクへと戻ってしまった。「……ただの通行人、かな?」違和感は消えないままだった。

翌日、綾音はスクープ写真の原稿を書き終えたものの、心の引っかかりは消えなかった。モニターに再び写真を映し出し、今度は細部まで丹念に目を凝らした。写真の中央には、佐伯康介が帽子を目深にかぶり、サングラス姿の女性と並んで歩いている姿が写っている。路地裏の暗がりではあるが、二人の顔ははっきり判別できる。そして、その背後――。

「……やっぱり気になる」

写真の隅には、傘を持ったぼんやりとした人影が立っていた。撮影されたのは雨の日。だが、その人物は傘を持っていながら差しておらず、まるでじっと誰かを見張っているように見える。「これ、もしかして……」綾音がつぶやいたその時、編集部の電話が鳴り響いた。「早川!佐伯のマネージャーからクレームだ!」田島が電話口で声を荒らげる。その話によると、佐伯は「写真は事件の決定的証拠だ」と訴えているらしい。

「証拠? どういうことですか?」綾音が尋ねると、田島は苛立った様子で肩をすくめた。「知らんよ。とにかく佐伯は『俺が証言した事件の真犯人が写真に映ってる』って言ってるそうだ。だが、写真を見てもそんなもん、どこにも映ってないだろ」「……本当に、そうでしょうか?」綾音はモニターに目を戻し、写真の隅に佇む人影を見つめた。胸の奥で、記者としての直感がざわめいていた。

「3週間前の殺人事件、覚えてるか?」田島が資料の束をデスクに置いた。綾音はそのタイトルを見て眉をひそめた。『人気レストラン「Ristorante Fiore」オーナー刺殺事件』「これって、あの事件ですよね。深夜、レストランの駐車場でオーナーが刺されて亡くなったって……」「そうだ。佐伯は事件の目撃者だが、証言はあやふやで信憑性が薄かった。現場には誰の姿もなかったって話だ」田島は淡々と説明しながら、佐伯が当時の証言で話していた内容を読み上げた。

「事件当日、俺は近くのカフェで仕事の打ち合わせをしていた。外を見たら傘を持った人影が駐車場のほうに歩いて行くのが見えた。でも、顔は暗くてわからなかった」「傘を持った人影……」綾音の頭に、スクープ写真の隅に写っていた謎の人影が浮かぶ。「佐伯は事件の後、その人影が犯人じゃないかと証言したんだが、捜査では相手の顔がわからない以上、重要な手がかりにはならなかった。それで証言は軽視された」「でも、佐伯さんは『スクープ写真に証拠がある』って言ってるんですよね?」「そうだが、写真にそんなもん写ってるわけがない」田島は呆れ顔だったが、綾音の胸には不安が募った。

「……その写真、もう一度ちゃんと調べてみます」「勝手にやれ。ただし、仕事はきっちり終わらせろよ」田島は背を向けてデスクに戻った。綾音は事件資料の束を抱え、もう一度スクープ写真に映った人影に目を凝らした。「……これが犯人の正体だとしたら?」綾音の記者としての勘が、写真に隠された真実を告げている気がした。

その夜、綾音はデスクに残り、事件の詳細を洗い直していた。資料によると、殺害されたのは三宅伸吾というレストランオーナーで、事件当日はレストランの閉店作業を終えた直後に駐車場で刺されていた。「犯行時刻は午後10時30分頃か……」佐伯の証言によると、彼がカフェから人影を見たのはちょうどその頃だった。綾音はスクープ写真をもう一度確認する。「やっぱり、この人影……」写真に写る謎の人物は、傘を持っていながら開いていなかった。さらに、影の向きや立ち位置から、まるで誰かを見張っているかのように感じられる。

「もしかして、犯人は現場から離れた場所で佐伯さんを見張ってた……?」その瞬間、背筋に冷たいものが走った。もし犯人が写真に映っているとしたら、写真の存在に気づいた今、誰かが記事の差し止めを狙って動く可能性がある。「佐伯さんが言ってた『写真が証拠』って、やっぱりこの影のことだ……」翌日、綾音は意を決して佐伯の事務所へ向かった。

「佐伯さん、スクープ写真についてお話を……」「その話はもういい。もう俺は関わりたくないんだ……」疲れ果てた表情の佐伯は、そう言ってうつむいた。「でも、佐伯さんが言ってた“証拠”って、あの写真の人影のことですよね?」佐伯の顔がはっとこわばる。

「……そうだ。俺は、その写真を見て思い出したんだ。あの日、傘を持ってたのに開いてないやつがいた。あれが……犯人だと思う」「じゃあ、事件の真犯人は……」佐伯は小さく息を呑み、低くつぶやいた。「……俺のマネージャーだ」綾音の背筋に、再び冷たい戦慄が走った。

「マネージャーが……犯人?」佐伯の言葉が耳にこびりついて離れなかった。綾音は編集部に戻ると、再びスクープ写真を確認した。何度見ても、佐伯と女性の密会写真が中心で、決定的な証拠が写っているようには思えない。「これ、本当に証拠なんだろうか……」不安が募る中、綾音は田島に相談することにした。

「佐伯さんのマネージャーが事件に関与してるかもしれません」「は? マネージャーって、確か……あの温厚そうな奴だろ? まさか」田島は怪訝そうに腕を組んだが、綾音は続けた。「でも、佐伯さんが“写真が証拠だ”って言ってる以上、何かあるはずなんです。もしかしたら……この写真の背景がカギかもしれません」綾音は写真の一部を指さした。佐伯の背後、薄暗い路地の中に、傘を持つ人物のぼんやりとした姿が確認できる。「たしかに、こいつは怪しいな……」田島が低くつぶやいた。

「もう少し写真を拡大してみます」綾音はパソコンで写真の一部をズームしてみた。画像は粗くなったが、その人影が持っていた傘の柄に赤いラインが見えた。「赤いライン……」佐伯の証言では、事件当日、駐車場で見かけた人影が「赤いラインの入った傘」を持っていたという。偶然の一致とは思えなかった。「やっぱりこの人影は、事件と関係があるんじゃ……」「問題は、そいつがマネージャー本人なのかどうか、だな」田島は険しい表情で写真を見つめながら言った。

「佐伯の証言だけじゃ弱い。もっと確実な証拠が必要だ」「……この写真の場所、行ってみませんか?」「お前、そこまで言うなら付き合ってやるよ」綾音の決意に押され、田島は重い腰を上げた。

翌日、綾音と田島はスクープ写真が撮影された場所に向かった。写真の背景に写っていたのは、繁華街から外れた薄暗い路地裏。人通りは少なく、建物の外壁には落書きが目立つ。「こんなところで密会なんて、正気の沙汰じゃないな……」田島が呟く。「でも、佐伯さんはここにいたんですよね」綾音は写真と周囲の風景を見比べながら歩いた。やがて、写真に写っていた壁の落書きと同じ模様を見つけた。

「ここだ……」「だが、問題は例の人影だな」綾音は写真を確認しながら、影の人物が立っていた場所に足を運んだ。「この辺りですね……」その場所には、灰色のタイルが敷かれた建物の入口があった。何気なく視線を落とした綾音の目が止まる。「……これ、傘の先?」足元に、割れたビニール傘の柄の一部が落ちていた。よく見ると、その柄にはうっすらと赤いラインが入っていた。

「まさか……」「こりゃ確かに怪しいな。証拠品として警察に持って行ったほうがいいかもな」「でも、この傘の持ち主が本当にマネージャーさんだって証明できるでしょうか?」「証明できる。ほら、ここを見ろ」田島が指差したのは、傘の柄に貼られたシールだった。そこには、小さく「T.K.」とイニシャルが書かれていた。

「マネージャーの名前……高橋健一(たかはし けんいち)の頭文字だ」「……やっぱり」写真の人影は、佐伯のマネージャーだった。事件当日、マネージャーはここにいて、佐伯を見張っていたのだ。「こいつ、何を隠してやがる……」田島の表情が険しくなった。綾音の胸にも、真相へ近づいている手応えとともに、不穏な緊張が広がっていた。

「佐伯のマネージャーが現場近くにいたってだけじゃ、犯人と断定するには弱いな……」編集部に戻った田島は、デスクに投げ出した傘の破片を見つめながらつぶやいた。「でも、佐伯さんの証言と写真の人影が一致しています。それに、この傘……」綾音はパソコンでスクープ写真を再度拡大した。写真に写る傘の柄は、現場で見つけた破片と同じく赤いラインが入っている。

「確かに証拠にはなるが、肝心の動機がわからん。どうしてマネージャーが……」田島が言いかけたそのとき、綾音は写真の隅に気づいた。「……あれ?」「どうした?」「この時計、変じゃないですか?」写真の背景にはビルの外壁に取り付けられた時計が写っていた。針は午後10時32分を指している。「この写真が撮られたのは事件当日の夜、ってことは……」「そうか……」田島が息をのんだ。

「事件の犯行時刻と一致する。これで、写真に写っていたあの人影が“事件発生時に現場付近にいた”ってことが証明できる」「しかも、その人物は傘を持っていながら開いてなかった……。警察の発表では、被害者が刺されたのは雨が降り出してすぐだったんですよね?」「つまり、あの傘の人物は犯行直後だったってことか……」綾音の中で、バラバラだったピースが一つにつながる感覚があった。「佐伯さんは事件を見ていたんじゃなくて、犯行後の“見張り”を見ていたのかもしれません」「マネージャーが共犯者、あるいは真犯人……」二人は顔を見合わせ、同時に立ち上がった。

「もう一度、佐伯さんに話を聞きましょう」事件の真相が、ようやく輪郭を帯び始めていた。「……マネージャーが、犯人?」佐伯康介は蒼白な顔でつぶやいた。綾音と田島は、再び佐伯の事務所を訪れ、写真の証拠とマネージャーの疑惑を伝えた。

「マネージャーの高橋さんが、事件当日に現場付近で目撃された可能性が高いんです。傘の持ち主は彼で間違いないでしょう」「でも、あいつが人を殺すなんて……」佐伯は困惑した様子で顔を伏せた。「佐伯さん、高橋さんとは長い付き合いなんですよね? 事件当日、何か変わった様子はありませんでしたか?」佐伯はしばらく考え込み、ぽつりと口を開いた。

「……そういえば、事件の翌日、あいつがやたら俺のスケジュールを調整したがってたんだ。警察に呼ばれないよう、会見を入れたり、わざと人目につくように動かされた気がする」「やっぱり……」「でも、どうしてそんなことを?」綾音の問いに、佐伯はぎこちなく唇を噛んだ。

「……たぶん、三宅さんとの金のトラブルが原因かもしれない」「金のトラブル?」「三宅さんはレストランの投資話を持ち掛けてきて、マネージャーは結構な金を突っ込んでたんだ。でも、事業はうまくいかなくて、マネージャーは大損したって……」「つまり、三宅さんと高橋マネージャーの間に確執があった……」「それだけじゃない。事件の数日前、俺は偶然マネージャーが三宅さんと口論してるのを見たんだ」「口論?」「『これ以上、佐伯さんを巻き込むな』って怒鳴ってた。あのときは俺のために怒ってくれたんだと思ってたけど……」「……いや、違う。もしかすると、その時すでに……」佐伯の言葉は、声にならなかった。

「……マネージャーが事件に関わってるとしたら、次に狙われるのは……」「佐伯さん、あなたかもしれません」緊張が一気に高まった。

「高橋が……俺を狙ってる?」佐伯の声は震えていた。「可能性は高いです」綾音は写真と事件の資料を広げながら説明した。

「佐伯さんの証言によると、事件当日、マネージャーが持っていた傘とスクープ写真の傘が一致しています。さらに、この写真に写っていた時計は、犯行時刻の午後10時32分を指していました」「……つまり、俺が目撃した人影は、犯行の直後に現場付近にいた高橋だったってことか」「しかも、事件の翌日に佐伯さんを意図的にマスコミの目立つ場所に出させたのは、もしかすると“犯行の疑いを佐伯さんに向けさせるため”かもしれません」「……くそっ、信じられない」佐伯は握りこぶしを作り、震える声で吐き出した。「佐伯さん、しばらく身を隠したほうがいいかもしれません」「そんな……」そのとき、事務所のドアが乱暴に叩かれた。

「佐伯さん、いるんでしょう? ちょっと話が……」「……高橋だ!」佐伯が青ざめる。「綾音さん、逃げたほうが……」「いえ、ここは逆にチャンスかもしれません」綾音はバッグからスクープ写真のコピーを取り出し、ドアの前に立った。「佐伯さん、何があっても冷静にしてください」「……ああ、わかった」ドアがゆっくりと開き、マネージャーの高橋が姿を現した。

「佐伯さん、ちょっと話が……」「……その前に、お話があるのはこっちです」綾音は写真のコピーを突き出し、高橋の表情が一瞬強張った。「これ、何か心当たりはありますか?」「……これは……」高橋の目が、写真に写った傘の影へと向けられた。その視線は、まるで何かを隠そうとしているようだった。

「……これがどうかしたんですか?」高橋の声は平静を装っていたが、その目は写真の隅に写る傘の人影を意識していた。「この傘、事件当日に現場近くで目撃された“赤いラインの傘”と一致します」綾音は鋭く指摘した。「しかも、傘の柄に貼られたシールには“T.K.”のイニシャルが入っていました。これ、あなたの物ですよね?」「いや、それは……」「言い逃れは無理です」田島が横から割り込んだ。「証言と証拠がそろってる。あんたが事件当日に現場付近にいたのは間違いない」「……チッ」高橋は舌打ちし、鋭い目つきで佐伯を睨んだ。

「……全部、お前のせいだ」「俺のせい?」佐伯が困惑した声を上げる。「三宅の投資話をお前が断ったせいで、あいつは俺に金を返せと言い出したんだ! 俺は全財産をつぎ込んでたんだぞ! あいつさえいなければ……!」「だから、三宅さんを……?」「ちょっとした口論のつもりだったんだ……気づいたら、あいつが倒れてて……」高橋の声がかすれ、目が泳いだ。

「それで、佐伯さんの証言が邪魔になって、スキャンダルでごまかそうとしたんですね」「全部、お前が余計なことさえしなければ……」「もう終わりだ」田島がスマートフォンを掲げ、録音アプリの画面を見せた。「警察に通報済みだ」高橋は青ざめ、力なく肩を落とした。

――その後、高橋は逮捕され、事件は解決した。佐伯の証言は再評価され、スクープ写真が「事件の決定的証拠」としてニュースを賑わせた。「いい記事になりそうだな」田島がニヤリと笑う。「……はい。でも、佐伯さんを守れてよかった」そう言いながら綾音は、スクープ写真を静かに見つめた。記者としての勘が導いた真実が、今、確かにそこにあった。
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