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第六章:平和の残響と、哀しき一線
しおりを挟む「名前がないなら、僕が君を呼ぶための言葉が必要だ。そうだね……」
アリオスは少し考え、騎士が王に忠誠を誓うときのような、大げさで冗談めかした敬礼をして見せました。
「ここは君の小屋だ。今日から君のことは『小さな主(あるじ)』と呼ぶことにするよ!」
「……あるじ?」
思いもよらない呼び名に、セレーナの唇がわずかに戦慄(わなな)きました。重苦しい沈黙を、彼の明るい声が塗り替えていきます。アリオスは、彼女が自分の過去を話したがらないことを察すると、それ以上は踏み込まず、代わりに街の賑やかな話を始めました。
「今日、ここへ来る前に市場へ寄ったんだ。そうしたら店主が、『いい体格をした騎士様だ』って、このリンゴを一つサービスしてくれたんだよ」
「それから、広場の噴水のそばを通ったらね、水しぶきに小さな虹がかかっていて……。君にも、見せたいくらい綺麗だったー!あ、見えないんだっけ。でも、水が流れる音とか、癒されるから心地良いんだよね!」
アリオスが語る、ありふれた、けれど鮮やかな「平和」の断片。
それを聞くセレーナの胸の内には、複雑な感情が渦巻いていました。
(ああ、あなたは知らないのね……)
アリオスが仕える主(あるじ)は、彼女をこの森へ捨てた実の父であること。
そして、彼が守り、彼が「平和だ」と笑うその国は、セレーナが自らの自由を捧げ、この瞳を封印することで守り抜いている、身を削った代償そのものだということを。
「今日も国は平和だよ」その言葉を聞くたびに、彼女の心には二つの感情が同時に咲きました。
一つは、「私の捧げた年月は無駄ではなかったのだ」という、ひそかな救い。
そしてもう一つは、「でも、私はもうあの中には戻れない」という、突き刺さるような寂しさです。
アリオスが楽しそうに語れば語るほど、彼女が守ったはずの「外の世界」の眩しさが、この薄暗い小屋の孤独を際立たせます。これ以上、彼を近くに置いてはいけない。この優しい少年にまで、自分の背負う「呪い」の重さを背負わせてはいけない。
セレーナは、まだ温かいティーカップをそっと置き、透明な声で言いました。
「……騎士様。もう、ここへはいらっしゃらないでください」
アリオスの言葉が、ぴたりと止まりました。
「ここには、あなたが守るべき民もおりません。討つべき魔物も……今のあなたには、きっと見つからないでしょう。私は、一人で大丈夫ですから」
それは、彼女が引ける精一杯の境界線でした。
「これで終わりにしましょう」という言葉を飲み込み、彼女はただ、見えない瞳をアリオスのいるはずの方向へと向けました。レースの奥に隠された金色の瞳が、悲しみに潤んでいることなど、真っ直ぐな少年には知る由もありませんでした。
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