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8巻
8-2
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《三百六日目》
安全地帯の一つで一夜を快適に過ごし、今日も早朝から攻略を開始した。
【アンブラッセム・ポントス号】はこれまで挑んできた迷宮と同じように、場所によって内装などが大きく変化する。
上層になればなる程、大富豪御用達の豪華クルーズ客船よろしく宮殿めいた豪奢な内装となる。それに対し、現在攻略中である喫水線よりも下の船底に近い区画では、まるで海底に沈んだ邪神を奉る神殿のような不気味な内装の回廊と小部屋が待ち構えていた。
常時海水に濡れている暗緑色の石壁には、フジツボのような甲殻類や毒々しい色合いの海藻類がビッシリと密集していて気色悪い。
信者が『イア! イア!』などと叫んで信奉していそうな蛸頭の邪神像もあちこちにあって、怪しげな青紫色に輝くと同時に、まるで大量の魚が腐ったような臭気を撒き散らしている。
正直、【アンブラッセム・ポントス号】内部では最も劣悪な環境と言っていい場所だ。
トラップの類はあまり配置されていないので進みやすくはある。だが見つかる宝箱の中身やドロップアイテムの質が悪い点も含めて総合的に考えれば、素通りしてもっと利益の出る区画を攻略した方が、肉体的にも、精神的にも、戦果的にも良いのだろう。
しかし俺達は、この区画をゆっくり時間をかけて進んでいた。
そりゃ、単純に攻略するだけなら、今の俺達であればゴリ押しでどうにでもなるだろう。
俺だけでなくカナ美ちゃんや【勇者】である復讐者達も居るのだから、戦力は十分過ぎるどころか過剰と言っていい。
しかも、長い月日をかけて攻略している他の攻略者から、八割程が埋められているダンジョンマップを購入済みだ。
その他にも何気ない会話から情報を収集した結果、ダンジョンボスが居ると思われる最奥に至るルートも、大雑把ながら既に予想できている。
予期せぬ出来事でも発生しない限り、これまで攻略した迷宮のように【アンブラッセム・ポントス号】を手中に収める事ができるだろう。
だが今回はせっかく俺の家族が同行しているのだ。
最近ほったらかしにしていたので、迷宮という鍛錬に最適な場所で家族サービスの一つや二つ、したっていいだろうさ。
まあ、家族サービスといっても全員が来ている訳ではないので、他の家族には別の形で報いるとして。
環境が劣悪な代わりなのか、この区画はダンジョンモンスターが基本的に一体、多くても三体までの群れしか現われない。上手くやれば一対多という有利な状況で戦闘に移行できるので、俺が助力する機会をグッと減らせる。やはり、できる限り本人が自力で倒した方がいいのだから。
おまけに、経験値が他よりも少し多く得られるという特性があるのも都合が良かった。
という事で、甘えてくるオプシーを抱きかかえた俺は、いつでも助けに入れる距離を保ちつつ、勇猛果敢に挑む赤髪ショート達の後ろに控える。皆以前と比べて遥かに強くなったものだと嬉しく思うと同時に、大丈夫だろうかとハラハラドキドキしながら、戦いの行く末を見守った。
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生まれて初めて見る大海。
最初、透き通るような海水で満ちたそこは、果てしなく広がっているのだと思った。
けれど、大海の先には別の大陸があると言われて、想像もできない世界に興味を抱いたのは、つい先日の事。
その時こそ、いつかこの大海の先にあるという大陸に行ってやる、という野望を抱いた瞬間だったわ。
まあ、そんな私――オーロの野望はさて置き、想像以上に綺麗だった大海に面する迷宮都市《ドゥル・ガ・ヴァライア》をじっくりと観光できたのは、とっても良かったと思ってる。
やっぱり生活している場所の特性によって、文化とか技術とかは独自に発展するものだからね。街並みとかもこれまでに無かった構造で興味深かったし、生活習慣とか、食文化とか、今まで知らなかった事を知る絶好の機会で、凄く楽しめた。
ただ、今回はお母さんや鬼若達が居なかったのはとっても残念だったわ。こんな綺麗なところを観光できなかったなんて勿体ないと思う。
でも、いつか超えてやろうと目標にしているお父さんは勿論、優しくて綺麗なカナ美義母さんや、厳しくも優しく包み込んでくれるルベリア義母さん、それに生まれた時から一緒で私の半身とも言うべきアルと、可愛い可愛い私の大切な妹の一人であるオプシー、あとは時々鍛えてくれる復讐者さん達が居たから、まあ良しとしておくわ。
お父さんも、また今度皆で来ような、って言ってたしねッ。今は思いっきり遊んで、今度皆で来た時に私が案内してあげなくちゃッ。
翌日、私達は小舟を経由して山みたいな大きさの船――【アンブラッセム・ポントス号】に乗り込んだ。
そして錨を伝って中に入ったと同時に、ここはお父さんが攻略して自分のものにした【神代ダンジョン】とは違う、と理解する事になった。
ヒヤリとするような、独特の雰囲気。
周囲に潜む、明確な敵意。
命を狙われている、という圧迫感。
巧妙に隠された、挑戦者を試す神意。
お父さんの【神代ダンジョン】では、何処か安心感が得られた。でもここにはそれが無い。
約束された安全など皆無であるここは、まだ私とアルには荷が重い。
私達だけであれば即座に殺されてしまうような格上ばかりが雑兵として配置されている、と思わないといけない。私達にはまだ挑戦すら許されていない、そんな領域ね。
けどお父さん達の助けを借りながら、数回程戦闘を経験する事ができた。
お父さん達が敵の数を減らしてくれたり、体力を削ってくれたりした分だけ、私達が得られる経験値は減少したのだろうと思う。けどそれ以上に格上ばかりだった事もあって、私達に蓄積されていく経験値はあっという間に規定値を超え、グングンとレベルを上昇できた。
それに加えて、倒した敵の死体がダンジョンに吸収されて消える前に可能な限り肉を食べる事で、私達が持つ【聖獣喰い】の効果が発動し、普通よりも遥かに効率的に能力が向上していく。
入る前よりも確実に、私達は強さを増していった。
それでも、まだ来るには早すぎる場所だから、私達がこうして実力より上の世界を経験した後は、お父さんがサッサと攻略するものだとばっかり思っていたの。
――でもね。
『この区画ならオーロ達のレベル上げに丁度いいだろうから、じっくり進んでいこうか』
そう、お父さんは言ったの。
そりゃ、私達だって早く強くなりたいわ。お父さん達にただ守られるだけの存在じゃなくて、助けとなれるように頑張るつもりだし。
でも、別にこの区画じゃなくてもいいじゃない、と思うのよ。
ここは船底に近いからか凄くジメジメしているし、壁にビッシリと生えたフジツボ? っていうのなんて、とんでもなく気持ちが悪い。見ているだけで鳥肌が立ちそうになるわ。
それに鼻が馬鹿になる程臭くて、出てくるダンジョンモンスターも何だか生っぽいし、ネバネバしてるというか、とにかく気色の悪い体液に濡れてるのもいるの。
しかも個体としては私達より強いから、少しも油断できない。下手すれば、多分即死する事もあるでしょうね。
そんな場所だから、精神的な重圧でストレスが溜まるし、肉体的にもこたえるのよ。
まあ、ストレス発散も兼ねて思いっきり【魔砲】をぶっ放しても怒られないから、完全に嫌って訳じゃないけど。
「オーロ姉、まだですかッ」
今、ルベリア義母さんは前衛として単身頑張ってくれている。それをサポートすべくアルは〝鬼珠〟を解放し、手にした白銀の大弓にパルチザンを番え、矢継ぎ早に射掛けていた。
「ゴオオオオオオオオオオッ!!」
怒気を漲らせて咆哮する〝怒りの荒くれ者〟は、六メルトルという巨躯相応の重量だけでも脅威だ。しかもそれを支える強靭な筋肉や骨格、そして青色の分厚い皮膚は、半端な攻撃を受け付けない天然の防具でもある。
幸い遠距離攻撃はしてこないけど、接近戦では私やアルだとまだまだ分が悪い強敵ね。
「くそッ、なんて防御力だッ」
アルは比較的柔らかい眼球や耳、致命傷を負わせやすい頸部、それと動きを鈍らせる事のできる四肢の関節を正確に狙っているけど、やっぱり皮膚や筋肉が厚すぎて攻撃の効きが悪いみたい。
一応グサリと突き刺さってそれなりに出血させているし、若干ながら動きの阻害には成功している。普通の相手ならもう倒していてもおかしくない手ごたえなんだけど、あの巨躯からすればダメージは少なそうだわ。
現に今も元気よく暴れているしね。
「ガアアアアアアアアアッ!」
そんな〝怒りの荒くれ者〟に最も近い場所から、ルベリア義母さんが獣のように吼えながら縦横無尽に攻め立てていく。豪速で振り回される錨を軽やかに回避し、あるいは【将軍凧盾】で逸らしながら、肉厚な純白の刀身を持つ愛剣【将軍大包丁】に赤い燐光を纏わせ、右膝の同じ箇所に斬撃を集中させている。
何かしらの【戦技】を使用した斬撃の集中攻撃には流石の分厚い皮膚と筋肉も耐え切れなかったらしく、巨木のような片足から夥しい鮮血が噴出する。
「ギガッ、ゴオオオオオオオオオオッ」
片足を切断されてバランスを崩した〝怒りの荒くれ者〟だったけど、せめてもの反撃なのか、地面に倒れながらもその手に持つ錨をルベリア義母さん目掛けて振り下ろした。
まるで巨岩が落下してきたような一撃だったけど、ルベリア義母さんは既にそこに居ない。
獣以上の俊敏さで攻撃範囲外に逃げていたからだ。
錨は石畳の回廊を穿ち、破片を勢い良く飛び散らせたけど、その他の被害はなかった。
「――ッチ」
小さな舌打ちが聞こえた。それはルベリア義母さんが漏らしたものだった。
「もう再生が始まってるかぁ。同じ程度の体格ならとっくに仕留められるんだけど、大きさって厄介だなぁ、本当に」
ルベリア義母さんが距離をとった僅かな間に、〝怒りの荒くれ者〟は切断された部位と部位を無理やりくっつけ、馬鹿げた再生力で繋ぎ合わせてしまったのだ。
多少の違和感があるようだけど、そこまで動きに問題があるようには見られない。地面に転がっていた状態から、もう立ち上がってしまった。
足をくっつけている間、アルが懸命にパルチザンを撃ち込んでいたけど、多少の被弾を無視して再生を優先していた。
やっぱりこれまでの迷宮で戦ったダンジョンモンスター達と比べて知能が高いわ。攻撃されても焦らず、しっかりと優先順位を決めて私達を屠る為に動いているのだから。
「圧倒的な体躯差のある相手に対する決定力不足、か。今後の改善点にしないと」
ルベリア義母さんは自分より三倍以上大きい〝怒りの荒くれ者〟を近接戦で圧倒している。一切ダメージを負わず、一方的に攻撃を加えていくのだけれど、再生能力を突破して殺害するには攻撃力が若干足りなかった。大きさが違いすぎるから仕方ないにしても、それが気に食わなかったらしい。
事態は膠着した、とも言えるわ。
でも、こんな時こそ私の出番なのよねッ。
「魔弾生成完了ッ、私達の経験値にしてあげるッ」
斬撃や打撃で倒すのが困難なら、再生が追いつかない程の火力で全身を一気に燃やしてしまえばいいのよッ。
[オーロは戦技【破滅の魔砲】を繰り出した]
今回は戦技も上乗せして、確実に火葬してあげるッ。
「ちょッ、まだルベリア義母さんがッ」
アルが何か叫んでいるけど、アルが見えてないだけでルベリア義母さんはとっくに退避済みよ。
しかもその前に、飛ぶ斬撃を繰り出す戦技を使って〝怒りの荒くれ者〟の眼球を深く切り裂いていった。
短時間で再生されるだろうけど、それによって一時的に視界を奪われた〝怒りの荒くれ者〟が私の攻撃を回避する可能性はグッと低くなったわね。
そんなルベリア義母さんの援護に感謝しつつ――
「ファイヤー!!」
お父さんがくれた魔砲の引き金を絞ると、砲口から目も眩むような発火炎と共に耳をつんざく轟音が迸る。私の魔力を糧に生成された魔弾は視認できない程の高速で射出されると、視界を奪われ、万全ではない右足のせいで咄嗟に動く事のできなかった標的に、狙い違わず着弾する。
胸部に直撃を受けて、錨を手放しながら大きく仰け反った〝怒りの荒くれ者〟の全身を、青白い業火が包む。しかもそれは周囲に拡散する事なく、鎧のように〝怒りの荒くれ者〟を覆っていく。
まるで巨大な松明のように、高い天井を焦がす程の火柱が立ち上った。
「ギ、ギガアアアアアアアアッ」
全身を燃やされては、流石の〝怒りの荒くれ者〟もたまらないようね。
見る間に青い皮膚は焼け爛れ、再生しようとしていた眼球は沸騰して弾け飛び、業火を吸い込んだ肺は内部から燃え出し、肉の焼けていく匂いが漂い始めた。
今回選択した魔弾は、対象を燃やし尽くすまで消えない魔炎を発生させる【不鎮炎弾】と、特定範囲に強風を発生させる【錯乱風弾】を合成した【劫火纏嵐弾】。
これはレベルを上げた私が、【職業・魔砲使い】によって生成可能になったばかりの合成魔弾の中で、最も攻撃力が高いもの。それに戦技【破滅の魔砲】を上乗せした結果、その威力は通常時と比べて三倍以上にまで引き上げられている。
異常なまでにタフな〝怒りの荒くれ者〟でも、生物である以上は全身を燃やされればダメージは深刻なはずッ。
「ガアアアアアアアアアアッ!」
それでも、死んではいなかった。
全身を燃え上がらせ、まるで炎の巨人のようになった〝怒りの荒くれ者〟は、怨嗟の咆哮を撒き散らしながら私に向かってくる。
〝怒りの荒くれ者〟の全身を包んでいる炎は数千度にまで達している。魔弾の効果によって周囲に飛び火こそしないけど、流石に近づき過ぎれば熱波に焙られて非常に熱い。
「ファイヤーッ! ファイヤーッ!」
多少は我慢できるけど、限度というものがある。慌てて後方に下がりながら、追加で【劫火纏嵐弾】を撃ち込んだ。
炎はより一層勢いを増し、周囲のジメジメとしていた空気が熱波で散っていくのが分かる。
「ガアアアアアッアアアア、アア……」
ついに耐え切れなくなったらしく、巨大な四肢の末端から燃え尽きた部位がボロボロと崩れ落ちていく。
自重に耐え切れなくなった脚部が砕け、巨体が前のめりに転倒した。にもかかわらず、腕で這って近づいてくるのを止めない〝怒りの荒くれ者〟。
肉体の半分以上が燃え尽きてもまだ死なない事には流石に恐怖したけど、アルがパルチザンを撃ち込み、脆くなっていた肉体を次々と砕いていく。
ようやく動けなくなった〝怒りの荒くれ者〟に、ルベリア義母さんがトドメを刺す。振り抜かれた後から風切り音が聞こえてくる程に鋭い戦技の一撃は、惚れ惚れするくらい綺麗だったわ。
でも、これで〝怒りの荒くれ者〟との戦闘は終了した。
「よしッ、これで――」
この時。一瞬だけであれ、強敵を倒した事で私は油断してしまった。
それが新たな敵に、致命的な優位をもたらしたのは間違いない。
「――〝精神侵す悪意の波動〟」
私の死角になっていた横道から放たれ、一瞬で身体を駆け抜けていった黒い波動――深淵系統第五階梯魔術〝精神侵す悪意の波動〟。
油断していた精神による抵抗など、圧倒的なその威力の前には無意味であり、私はまるで熱した金属棒で脳髄を掻き混ぜられるような耐え難い激痛に蹲るしかなかった。
それでも何とか状況を確認しようと顔を上げる。そして、アルやルベリア義母さんだけでなく、知っているありとあらゆる人達の死骸が、まるで山のように視界一杯に積み重なった光景を目の当たりにした。
鼻腔を貫く、夥しい血と臓物と汚物が混じり合った悪臭。
踏んだ死骸の骨が砕け、腐った肉が擦れる生々しい感触。
五感で認識するそれ等は、現実のものとしか感じられなかった。
「うぷっ」
胃からこみ上げてくる気持ちの悪さ。食道が胃酸で焼かれ、ツンとした臭いが鼻につく。
家族全員が惨たらしく死に果てた光景は強いストレスを生み出し、それによる激しい頭痛が正常な判断を遮断する。
恐らく今の私は、【恐慌】や【混乱】といった【状態異常】に侵されている。
〝精神侵す悪意の波動〟には肉体を破壊する効果はないけど、精神に強いダメージを与えて精神的な【状態異常】を幾つか引き起こす陰湿な〝魔術〟、と勉強した。
今見えているモノ全てが幻覚、そのはずなのに。
余りにも現実的な感覚が、もしかしたらそうなっているのでは、なんて思いを引き出してしまう。
幻影を振り払う事など、今の私にはできない。圧倒的強者から放たれた魔術に抵抗できない。
「イア! ムグディアングルム」
幻覚のはずの、屍の山の上。そこに魔術を行使した敵がいる。
肉体的にはそこまで強くないけれど、魔法に関しては非常に優れている事で知られる、狂気を撒き散らす残忍なダンジョンモンスター〝イシリッド〟。この迷宮で遭遇する敵としては最悪に近い存在ね。
ハッキリ言って、私達では勝ちようが無い。遭遇した瞬間に勝敗は決してる、そんな格上の存在だった。
そんな〝イシリッド〟が、白目を剥いたお父さんの生首を、骨と皮だけのような細長い指で掴み、口元に蠢く無数の触手型捕食器官を使って脳髄を啜っていた。
ジュルジュルジュルジュル、嫌な音が聞こえてくる。
ニタリ、〝イシリッド〟が悪意に満ちた笑みを浮かべた気がした。
「あ、あ、あああ、ああああああああああ」
思わず私の口から出る叫び。
それに気を良くした〝イシリッド〟が、脳髄を吸い尽くしたお父さんの頭部を両手で押し潰した。
まるで爆発したかのように肉片が飛び散る。
「イア! アンバルゥグンナム」
勝ち誇るように〝イシリッド〟は何かを言い、お父さんの肉片がこびり付くその手に濃密な魔力を集約させる。
何かしらの魔術を発動させようとしているのだろうけど、私にはそんなの関係なかった。
「あああああ、アホかーーッ!」
「イア!? アブルンマ!?」
幻覚だと分かっていて、それでも現実だと思ってしまうような光景は、確実に私を苦しめていた。間違いなく、私は〝精神侵す悪意の波動〟によって正常な精神状態ではなかった。攻撃されれば、防御すらできずに殺されていたと思う。
でも、流石にこんな、有り得ない光景を見させられれば、正気に戻るというものだ。
「お父さんがアンタ如きに殺される訳ないでしょうがッ! お父さんはアンタの同族と遭遇した時に『お、蛸発見。よし、食べてみよう』って言って、槍のひと薙ぎで抵抗すら許さず瞬殺してたじゃないのッ!! しかもその後で実際に食べて『あ、蛸足がコリコリしてて美味いな。お土産に何体か狩ってこうか』って言ってたしッ」
この区画に来るまでの間、数は少なかったけど〝イシリッド〟達とも遭遇した。その時お父さんが、まるで草を刈るように瞬殺していったのを目撃しているのだ。
しかも、【恐怖】して半狂乱に陥りながら高階梯の魔術を連発してくる〝イシリッド〟に対し、防御らしい防御もせず、ただ近づいて槍でなぎ払うだけで。
そんな程度の存在が、よりにもよってお父さんの生首を掲げて脳髄を啜るなど、幻覚にしても酷すぎるわ。
「あーもう、あーもう、なんでこんなのに負けそうだったのかしら! あームカつくッ」
もう頭の激痛は無い。多分【状態異常】も消し飛んでいる。
馬鹿げた余興に付き合わされたような鬱憤を晴らすのに、ピッタリな方法がある。だから私は迷わずそれを実行した。
「全部全部全部、ぶっ飛べーーーーッ!!」
最大まで魔力を込めた魔砲が生み出す魔弾。
それが尽きるまで、私は引き金を引き絞り続ける。
圧倒的な爆砕が、〝イシリッド〟を一瞬で呑み込んだ。
安全地帯の一つで一夜を快適に過ごし、今日も早朝から攻略を開始した。
【アンブラッセム・ポントス号】はこれまで挑んできた迷宮と同じように、場所によって内装などが大きく変化する。
上層になればなる程、大富豪御用達の豪華クルーズ客船よろしく宮殿めいた豪奢な内装となる。それに対し、現在攻略中である喫水線よりも下の船底に近い区画では、まるで海底に沈んだ邪神を奉る神殿のような不気味な内装の回廊と小部屋が待ち構えていた。
常時海水に濡れている暗緑色の石壁には、フジツボのような甲殻類や毒々しい色合いの海藻類がビッシリと密集していて気色悪い。
信者が『イア! イア!』などと叫んで信奉していそうな蛸頭の邪神像もあちこちにあって、怪しげな青紫色に輝くと同時に、まるで大量の魚が腐ったような臭気を撒き散らしている。
正直、【アンブラッセム・ポントス号】内部では最も劣悪な環境と言っていい場所だ。
トラップの類はあまり配置されていないので進みやすくはある。だが見つかる宝箱の中身やドロップアイテムの質が悪い点も含めて総合的に考えれば、素通りしてもっと利益の出る区画を攻略した方が、肉体的にも、精神的にも、戦果的にも良いのだろう。
しかし俺達は、この区画をゆっくり時間をかけて進んでいた。
そりゃ、単純に攻略するだけなら、今の俺達であればゴリ押しでどうにでもなるだろう。
俺だけでなくカナ美ちゃんや【勇者】である復讐者達も居るのだから、戦力は十分過ぎるどころか過剰と言っていい。
しかも、長い月日をかけて攻略している他の攻略者から、八割程が埋められているダンジョンマップを購入済みだ。
その他にも何気ない会話から情報を収集した結果、ダンジョンボスが居ると思われる最奥に至るルートも、大雑把ながら既に予想できている。
予期せぬ出来事でも発生しない限り、これまで攻略した迷宮のように【アンブラッセム・ポントス号】を手中に収める事ができるだろう。
だが今回はせっかく俺の家族が同行しているのだ。
最近ほったらかしにしていたので、迷宮という鍛錬に最適な場所で家族サービスの一つや二つ、したっていいだろうさ。
まあ、家族サービスといっても全員が来ている訳ではないので、他の家族には別の形で報いるとして。
環境が劣悪な代わりなのか、この区画はダンジョンモンスターが基本的に一体、多くても三体までの群れしか現われない。上手くやれば一対多という有利な状況で戦闘に移行できるので、俺が助力する機会をグッと減らせる。やはり、できる限り本人が自力で倒した方がいいのだから。
おまけに、経験値が他よりも少し多く得られるという特性があるのも都合が良かった。
という事で、甘えてくるオプシーを抱きかかえた俺は、いつでも助けに入れる距離を保ちつつ、勇猛果敢に挑む赤髪ショート達の後ろに控える。皆以前と比べて遥かに強くなったものだと嬉しく思うと同時に、大丈夫だろうかとハラハラドキドキしながら、戦いの行く末を見守った。
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生まれて初めて見る大海。
最初、透き通るような海水で満ちたそこは、果てしなく広がっているのだと思った。
けれど、大海の先には別の大陸があると言われて、想像もできない世界に興味を抱いたのは、つい先日の事。
その時こそ、いつかこの大海の先にあるという大陸に行ってやる、という野望を抱いた瞬間だったわ。
まあ、そんな私――オーロの野望はさて置き、想像以上に綺麗だった大海に面する迷宮都市《ドゥル・ガ・ヴァライア》をじっくりと観光できたのは、とっても良かったと思ってる。
やっぱり生活している場所の特性によって、文化とか技術とかは独自に発展するものだからね。街並みとかもこれまでに無かった構造で興味深かったし、生活習慣とか、食文化とか、今まで知らなかった事を知る絶好の機会で、凄く楽しめた。
ただ、今回はお母さんや鬼若達が居なかったのはとっても残念だったわ。こんな綺麗なところを観光できなかったなんて勿体ないと思う。
でも、いつか超えてやろうと目標にしているお父さんは勿論、優しくて綺麗なカナ美義母さんや、厳しくも優しく包み込んでくれるルベリア義母さん、それに生まれた時から一緒で私の半身とも言うべきアルと、可愛い可愛い私の大切な妹の一人であるオプシー、あとは時々鍛えてくれる復讐者さん達が居たから、まあ良しとしておくわ。
お父さんも、また今度皆で来ような、って言ってたしねッ。今は思いっきり遊んで、今度皆で来た時に私が案内してあげなくちゃッ。
翌日、私達は小舟を経由して山みたいな大きさの船――【アンブラッセム・ポントス号】に乗り込んだ。
そして錨を伝って中に入ったと同時に、ここはお父さんが攻略して自分のものにした【神代ダンジョン】とは違う、と理解する事になった。
ヒヤリとするような、独特の雰囲気。
周囲に潜む、明確な敵意。
命を狙われている、という圧迫感。
巧妙に隠された、挑戦者を試す神意。
お父さんの【神代ダンジョン】では、何処か安心感が得られた。でもここにはそれが無い。
約束された安全など皆無であるここは、まだ私とアルには荷が重い。
私達だけであれば即座に殺されてしまうような格上ばかりが雑兵として配置されている、と思わないといけない。私達にはまだ挑戦すら許されていない、そんな領域ね。
けどお父さん達の助けを借りながら、数回程戦闘を経験する事ができた。
お父さん達が敵の数を減らしてくれたり、体力を削ってくれたりした分だけ、私達が得られる経験値は減少したのだろうと思う。けどそれ以上に格上ばかりだった事もあって、私達に蓄積されていく経験値はあっという間に規定値を超え、グングンとレベルを上昇できた。
それに加えて、倒した敵の死体がダンジョンに吸収されて消える前に可能な限り肉を食べる事で、私達が持つ【聖獣喰い】の効果が発動し、普通よりも遥かに効率的に能力が向上していく。
入る前よりも確実に、私達は強さを増していった。
それでも、まだ来るには早すぎる場所だから、私達がこうして実力より上の世界を経験した後は、お父さんがサッサと攻略するものだとばっかり思っていたの。
――でもね。
『この区画ならオーロ達のレベル上げに丁度いいだろうから、じっくり進んでいこうか』
そう、お父さんは言ったの。
そりゃ、私達だって早く強くなりたいわ。お父さん達にただ守られるだけの存在じゃなくて、助けとなれるように頑張るつもりだし。
でも、別にこの区画じゃなくてもいいじゃない、と思うのよ。
ここは船底に近いからか凄くジメジメしているし、壁にビッシリと生えたフジツボ? っていうのなんて、とんでもなく気持ちが悪い。見ているだけで鳥肌が立ちそうになるわ。
それに鼻が馬鹿になる程臭くて、出てくるダンジョンモンスターも何だか生っぽいし、ネバネバしてるというか、とにかく気色の悪い体液に濡れてるのもいるの。
しかも個体としては私達より強いから、少しも油断できない。下手すれば、多分即死する事もあるでしょうね。
そんな場所だから、精神的な重圧でストレスが溜まるし、肉体的にもこたえるのよ。
まあ、ストレス発散も兼ねて思いっきり【魔砲】をぶっ放しても怒られないから、完全に嫌って訳じゃないけど。
「オーロ姉、まだですかッ」
今、ルベリア義母さんは前衛として単身頑張ってくれている。それをサポートすべくアルは〝鬼珠〟を解放し、手にした白銀の大弓にパルチザンを番え、矢継ぎ早に射掛けていた。
「ゴオオオオオオオオオオッ!!」
怒気を漲らせて咆哮する〝怒りの荒くれ者〟は、六メルトルという巨躯相応の重量だけでも脅威だ。しかもそれを支える強靭な筋肉や骨格、そして青色の分厚い皮膚は、半端な攻撃を受け付けない天然の防具でもある。
幸い遠距離攻撃はしてこないけど、接近戦では私やアルだとまだまだ分が悪い強敵ね。
「くそッ、なんて防御力だッ」
アルは比較的柔らかい眼球や耳、致命傷を負わせやすい頸部、それと動きを鈍らせる事のできる四肢の関節を正確に狙っているけど、やっぱり皮膚や筋肉が厚すぎて攻撃の効きが悪いみたい。
一応グサリと突き刺さってそれなりに出血させているし、若干ながら動きの阻害には成功している。普通の相手ならもう倒していてもおかしくない手ごたえなんだけど、あの巨躯からすればダメージは少なそうだわ。
現に今も元気よく暴れているしね。
「ガアアアアアアアアアッ!」
そんな〝怒りの荒くれ者〟に最も近い場所から、ルベリア義母さんが獣のように吼えながら縦横無尽に攻め立てていく。豪速で振り回される錨を軽やかに回避し、あるいは【将軍凧盾】で逸らしながら、肉厚な純白の刀身を持つ愛剣【将軍大包丁】に赤い燐光を纏わせ、右膝の同じ箇所に斬撃を集中させている。
何かしらの【戦技】を使用した斬撃の集中攻撃には流石の分厚い皮膚と筋肉も耐え切れなかったらしく、巨木のような片足から夥しい鮮血が噴出する。
「ギガッ、ゴオオオオオオオオオオッ」
片足を切断されてバランスを崩した〝怒りの荒くれ者〟だったけど、せめてもの反撃なのか、地面に倒れながらもその手に持つ錨をルベリア義母さん目掛けて振り下ろした。
まるで巨岩が落下してきたような一撃だったけど、ルベリア義母さんは既にそこに居ない。
獣以上の俊敏さで攻撃範囲外に逃げていたからだ。
錨は石畳の回廊を穿ち、破片を勢い良く飛び散らせたけど、その他の被害はなかった。
「――ッチ」
小さな舌打ちが聞こえた。それはルベリア義母さんが漏らしたものだった。
「もう再生が始まってるかぁ。同じ程度の体格ならとっくに仕留められるんだけど、大きさって厄介だなぁ、本当に」
ルベリア義母さんが距離をとった僅かな間に、〝怒りの荒くれ者〟は切断された部位と部位を無理やりくっつけ、馬鹿げた再生力で繋ぎ合わせてしまったのだ。
多少の違和感があるようだけど、そこまで動きに問題があるようには見られない。地面に転がっていた状態から、もう立ち上がってしまった。
足をくっつけている間、アルが懸命にパルチザンを撃ち込んでいたけど、多少の被弾を無視して再生を優先していた。
やっぱりこれまでの迷宮で戦ったダンジョンモンスター達と比べて知能が高いわ。攻撃されても焦らず、しっかりと優先順位を決めて私達を屠る為に動いているのだから。
「圧倒的な体躯差のある相手に対する決定力不足、か。今後の改善点にしないと」
ルベリア義母さんは自分より三倍以上大きい〝怒りの荒くれ者〟を近接戦で圧倒している。一切ダメージを負わず、一方的に攻撃を加えていくのだけれど、再生能力を突破して殺害するには攻撃力が若干足りなかった。大きさが違いすぎるから仕方ないにしても、それが気に食わなかったらしい。
事態は膠着した、とも言えるわ。
でも、こんな時こそ私の出番なのよねッ。
「魔弾生成完了ッ、私達の経験値にしてあげるッ」
斬撃や打撃で倒すのが困難なら、再生が追いつかない程の火力で全身を一気に燃やしてしまえばいいのよッ。
[オーロは戦技【破滅の魔砲】を繰り出した]
今回は戦技も上乗せして、確実に火葬してあげるッ。
「ちょッ、まだルベリア義母さんがッ」
アルが何か叫んでいるけど、アルが見えてないだけでルベリア義母さんはとっくに退避済みよ。
しかもその前に、飛ぶ斬撃を繰り出す戦技を使って〝怒りの荒くれ者〟の眼球を深く切り裂いていった。
短時間で再生されるだろうけど、それによって一時的に視界を奪われた〝怒りの荒くれ者〟が私の攻撃を回避する可能性はグッと低くなったわね。
そんなルベリア義母さんの援護に感謝しつつ――
「ファイヤー!!」
お父さんがくれた魔砲の引き金を絞ると、砲口から目も眩むような発火炎と共に耳をつんざく轟音が迸る。私の魔力を糧に生成された魔弾は視認できない程の高速で射出されると、視界を奪われ、万全ではない右足のせいで咄嗟に動く事のできなかった標的に、狙い違わず着弾する。
胸部に直撃を受けて、錨を手放しながら大きく仰け反った〝怒りの荒くれ者〟の全身を、青白い業火が包む。しかもそれは周囲に拡散する事なく、鎧のように〝怒りの荒くれ者〟を覆っていく。
まるで巨大な松明のように、高い天井を焦がす程の火柱が立ち上った。
「ギ、ギガアアアアアアアアッ」
全身を燃やされては、流石の〝怒りの荒くれ者〟もたまらないようね。
見る間に青い皮膚は焼け爛れ、再生しようとしていた眼球は沸騰して弾け飛び、業火を吸い込んだ肺は内部から燃え出し、肉の焼けていく匂いが漂い始めた。
今回選択した魔弾は、対象を燃やし尽くすまで消えない魔炎を発生させる【不鎮炎弾】と、特定範囲に強風を発生させる【錯乱風弾】を合成した【劫火纏嵐弾】。
これはレベルを上げた私が、【職業・魔砲使い】によって生成可能になったばかりの合成魔弾の中で、最も攻撃力が高いもの。それに戦技【破滅の魔砲】を上乗せした結果、その威力は通常時と比べて三倍以上にまで引き上げられている。
異常なまでにタフな〝怒りの荒くれ者〟でも、生物である以上は全身を燃やされればダメージは深刻なはずッ。
「ガアアアアアアアアアアッ!」
それでも、死んではいなかった。
全身を燃え上がらせ、まるで炎の巨人のようになった〝怒りの荒くれ者〟は、怨嗟の咆哮を撒き散らしながら私に向かってくる。
〝怒りの荒くれ者〟の全身を包んでいる炎は数千度にまで達している。魔弾の効果によって周囲に飛び火こそしないけど、流石に近づき過ぎれば熱波に焙られて非常に熱い。
「ファイヤーッ! ファイヤーッ!」
多少は我慢できるけど、限度というものがある。慌てて後方に下がりながら、追加で【劫火纏嵐弾】を撃ち込んだ。
炎はより一層勢いを増し、周囲のジメジメとしていた空気が熱波で散っていくのが分かる。
「ガアアアアアッアアアア、アア……」
ついに耐え切れなくなったらしく、巨大な四肢の末端から燃え尽きた部位がボロボロと崩れ落ちていく。
自重に耐え切れなくなった脚部が砕け、巨体が前のめりに転倒した。にもかかわらず、腕で這って近づいてくるのを止めない〝怒りの荒くれ者〟。
肉体の半分以上が燃え尽きてもまだ死なない事には流石に恐怖したけど、アルがパルチザンを撃ち込み、脆くなっていた肉体を次々と砕いていく。
ようやく動けなくなった〝怒りの荒くれ者〟に、ルベリア義母さんがトドメを刺す。振り抜かれた後から風切り音が聞こえてくる程に鋭い戦技の一撃は、惚れ惚れするくらい綺麗だったわ。
でも、これで〝怒りの荒くれ者〟との戦闘は終了した。
「よしッ、これで――」
この時。一瞬だけであれ、強敵を倒した事で私は油断してしまった。
それが新たな敵に、致命的な優位をもたらしたのは間違いない。
「――〝精神侵す悪意の波動〟」
私の死角になっていた横道から放たれ、一瞬で身体を駆け抜けていった黒い波動――深淵系統第五階梯魔術〝精神侵す悪意の波動〟。
油断していた精神による抵抗など、圧倒的なその威力の前には無意味であり、私はまるで熱した金属棒で脳髄を掻き混ぜられるような耐え難い激痛に蹲るしかなかった。
それでも何とか状況を確認しようと顔を上げる。そして、アルやルベリア義母さんだけでなく、知っているありとあらゆる人達の死骸が、まるで山のように視界一杯に積み重なった光景を目の当たりにした。
鼻腔を貫く、夥しい血と臓物と汚物が混じり合った悪臭。
踏んだ死骸の骨が砕け、腐った肉が擦れる生々しい感触。
五感で認識するそれ等は、現実のものとしか感じられなかった。
「うぷっ」
胃からこみ上げてくる気持ちの悪さ。食道が胃酸で焼かれ、ツンとした臭いが鼻につく。
家族全員が惨たらしく死に果てた光景は強いストレスを生み出し、それによる激しい頭痛が正常な判断を遮断する。
恐らく今の私は、【恐慌】や【混乱】といった【状態異常】に侵されている。
〝精神侵す悪意の波動〟には肉体を破壊する効果はないけど、精神に強いダメージを与えて精神的な【状態異常】を幾つか引き起こす陰湿な〝魔術〟、と勉強した。
今見えているモノ全てが幻覚、そのはずなのに。
余りにも現実的な感覚が、もしかしたらそうなっているのでは、なんて思いを引き出してしまう。
幻影を振り払う事など、今の私にはできない。圧倒的強者から放たれた魔術に抵抗できない。
「イア! ムグディアングルム」
幻覚のはずの、屍の山の上。そこに魔術を行使した敵がいる。
肉体的にはそこまで強くないけれど、魔法に関しては非常に優れている事で知られる、狂気を撒き散らす残忍なダンジョンモンスター〝イシリッド〟。この迷宮で遭遇する敵としては最悪に近い存在ね。
ハッキリ言って、私達では勝ちようが無い。遭遇した瞬間に勝敗は決してる、そんな格上の存在だった。
そんな〝イシリッド〟が、白目を剥いたお父さんの生首を、骨と皮だけのような細長い指で掴み、口元に蠢く無数の触手型捕食器官を使って脳髄を啜っていた。
ジュルジュルジュルジュル、嫌な音が聞こえてくる。
ニタリ、〝イシリッド〟が悪意に満ちた笑みを浮かべた気がした。
「あ、あ、あああ、ああああああああああ」
思わず私の口から出る叫び。
それに気を良くした〝イシリッド〟が、脳髄を吸い尽くしたお父さんの頭部を両手で押し潰した。
まるで爆発したかのように肉片が飛び散る。
「イア! アンバルゥグンナム」
勝ち誇るように〝イシリッド〟は何かを言い、お父さんの肉片がこびり付くその手に濃密な魔力を集約させる。
何かしらの魔術を発動させようとしているのだろうけど、私にはそんなの関係なかった。
「あああああ、アホかーーッ!」
「イア!? アブルンマ!?」
幻覚だと分かっていて、それでも現実だと思ってしまうような光景は、確実に私を苦しめていた。間違いなく、私は〝精神侵す悪意の波動〟によって正常な精神状態ではなかった。攻撃されれば、防御すらできずに殺されていたと思う。
でも、流石にこんな、有り得ない光景を見させられれば、正気に戻るというものだ。
「お父さんがアンタ如きに殺される訳ないでしょうがッ! お父さんはアンタの同族と遭遇した時に『お、蛸発見。よし、食べてみよう』って言って、槍のひと薙ぎで抵抗すら許さず瞬殺してたじゃないのッ!! しかもその後で実際に食べて『あ、蛸足がコリコリしてて美味いな。お土産に何体か狩ってこうか』って言ってたしッ」
この区画に来るまでの間、数は少なかったけど〝イシリッド〟達とも遭遇した。その時お父さんが、まるで草を刈るように瞬殺していったのを目撃しているのだ。
しかも、【恐怖】して半狂乱に陥りながら高階梯の魔術を連発してくる〝イシリッド〟に対し、防御らしい防御もせず、ただ近づいて槍でなぎ払うだけで。
そんな程度の存在が、よりにもよってお父さんの生首を掲げて脳髄を啜るなど、幻覚にしても酷すぎるわ。
「あーもう、あーもう、なんでこんなのに負けそうだったのかしら! あームカつくッ」
もう頭の激痛は無い。多分【状態異常】も消し飛んでいる。
馬鹿げた余興に付き合わされたような鬱憤を晴らすのに、ピッタリな方法がある。だから私は迷わずそれを実行した。
「全部全部全部、ぶっ飛べーーーーッ!!」
最大まで魔力を込めた魔砲が生み出す魔弾。
それが尽きるまで、私は引き金を引き絞り続ける。
圧倒的な爆砕が、〝イシリッド〟を一瞬で呑み込んだ。
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