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第四章 救聖戦線 世界の宿敵放浪編

三百三十二日目~三百七十日目のサイドストーリー

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 【連合軍≪星叡部隊≫第一星隊長視点:三百三十四日目】

 来る【聖戦】を前にして、我々は準備に追われていた。

 参加する人数が人数だけに、道中にて使用される兵士のテントなどの手配や、消費される食料や水の確保、武器の用意などすべき事は多い。

 今回私は【星読英雄】アルドラ様に仕える≪星叡部隊≫の第一星隊長を務めている事もあり、上からの命令通りに下が動くよう、滞りなく指示を出して取りまとめる中間管理職のような立場にあった。

 ある程度規格化された物資の手配などは慣れたモノながら、今回は普通の戦いではない。

 世界の命運をも賭けた【聖戦】である。

 それを前にして些細な準備不足すら許される筈もない。
 必要になるだろうと思われる物資をまず用意し、その上で様々な場面に対応できるように準備する。

 場所が場所だ。炎熱に対応するマジックアイテムや魔法薬は必要だろう。
 強敵に対する為、各種強化系の魔法薬も必要になる。

 アルドラ様が言うには他の【英勇】様方がどうにかする予定らしいが、戦場では何があるか分からない。
 想定外の事で他の【英勇】様方の邪魔になったり、ましてや足を引っ張る事になるのでは意味がない。
 保険の意味も兼ねて、やっておける事はしておきたかった。

 そうして細々とした神経を使う困難な仕事ではあるが、何とか順調にこなしていった。

 忙しなく奔走する中、私はアルドラ様に仕える一人の【占星術師】としても働いていた。
 ≪星叡部隊≫に入隊する最低限の条件の一つに【占星術師】持ちである事が挙げられる。

 これはアルドラ様を中心に、私達で補助して精度の高い【星読み】を行う為だ。

 これまでにも幾度となく行ってきた【星読み】では、祖国を危機から救った事は何度もあった。
 とても誇りある仕事である。
 家族にも胸を張って自慢できる事だった。

 しかし、だからこそ。
 今回の【星読み】で得た情報は、不安でしかなかった。

 【星読み】で得られた情報は、あまりにも少なかったのだ。
 まるで全てを飲み込む深淵を覗いてしまったような、虚ろな闇が広がっていた。

 こんな事は初めてだった。
 何も得られない結果に納得できず、何度も繰り返されたが、結果は同じ。

 【大神】様が関わっている事で、【星読み】が正常に機能しない。
 そうであるのならばどれだけいいか。

 もし、先がない為にああなのだとしたら……そう思うと、私の背中には悪寒が走る。

 アルドラ様は楽しそうに笑っておられたので、ただの杞憂だったのかもしれない。そう思いたい私が居た。

 不安はあれど、私には任された仕事が残っている。
 だからそれに、さらに全力で取り組んだ。後悔など無いように、不足があった故に僅かな希望が零れない様に。

 そうして準備は整った。
 不足はなく、十分以上に。
 
 一先ず仕事を終えた達成感に浸りながら、私はアルドラ様に願い、一時の暇を得て帰路につく。
 家に帰り、愛する妻と、愛しい娘を抱きしめたかったからだ。



 ・≪星叡部隊≫のトップ。ダンディーなおじ様。
 ・イケメンで美人な妻と将来有望な幼い娘がいる。
 ・頑張ったが相手が悪かった。
 ・戦争は悲劇に満ちている、枠。



 【賭博の沼に浸かった賭博中毒者視点:三百四十一日目】

 ズブズブと、底なし沼に沈んでいくような錯覚。
 いや、錯覚ではない。
 俺はもう、ここから抜け出せないのだと、心の片隅では理解していた。

「そこだ、いけッ」

 それでも、俺は止まれない。止まることなどできない。
 ダメな男が好きな性質の良い女を探しては転がり込み、甘く囁いては手にしたゴルドで賭けを繰り返す。

 勝てば天国、負ければ地獄。

 やり過ぎて女の家から放り出される事も多々あるが、今の女はこれまでで一番良い女だ。
 繁盛している商会の商会長を務め、金がある。顔も良いし身体の相性も最高だ。
 運が来ている。
 事実、最近では勝ちが続いていた。

 今ハマってある賭博は≪モンバト・チャンプ≫といい、用意されたダンジョンモンスターと、挑戦者が戦い、勝敗がどうなるか、それを賭ける。
 ダンジョンモンスターが勝つ、挑戦者が勝つ、引き分ける。そして勝敗が決するまでの時間を一分単位で賭ける。
 勝敗の三パターンが当たればチップは出るが、決着までの時間まで当たればチップは倍加する。
 基本的にはそれだけなので、勝率は悪くない。チップ倍加の可能性もある。
 それに死にはしないが流血ありなので、闘争本能が刺激される過激な賭博だ。

 忘れそうになるが、俺が通うのは【賭博の神】が造った【神代ダンジョン】だ。
 ダンジョンモンスターを用意するのなんて簡単だ。従業員もダンジョンモンスターなのだから当たり前か。

 ともかく、その≪モンバト・チャンプ≫に、つい最近、期待の大型新人が参戦した。

 新人は灰色の岩鉄で作られた仮面によって顔を隠し、屈強な肉体を惜しげもなく晒すブーメランパンツ姿で、それ以外には防具らしい防具を着ていない。
 変態的な服装だが、岩の塊に棒を突き刺したような岩鉄ハンマーを片手に、ドラゴンとガーゴイルを掛け合わせたような外見の黒い石像“ブラックドラーゴイル”を倒していく実力は本物だ。

 半端な武器では薄らと傷をつけるのが限界で、三メートル程の大きさを誇るブラックドラーゴイルを倒す事は意外と難しく、挑戦して敗れた者は数多い。

 それを新人は打倒していく。どこかの高名な【冒険者】か何かだろう。あるいは国軍とかに所属しているのかもしれない。
 そうなると、変態的な服装もある意味納得できる。本来の自分を隠すためなのだろう。

 まあ、そんなのは俺には関係ない。
 安定感は抜群で、皆安全策で新人に賭けるが、ハイリターンを求めてブラックドラーゴイルに賭ける者は一定数存在する。
 一発逆転も夢ではあるが、ここは安全にチップを貯めた方がいい。

 後で、ドカンと大勝するには、元手が必要だからなッ。

「よっしゃーッ。運が来ている、来ているぞこれはッ」

 そして新人は狙い通りに勝ち、手元にはチップが転がり込む。しかも決着時間までドンピシャリだ。
 倍加されたチップが転がり込んできた。

 決めていた額が貯まったので、俺はチップを握りしめ、美人なディーラーが執り行うルーレットへと向かった。

 ここの台の傾向や、美人ディーラーの癖。全て情報は整っている。
 賭博に必要なのは、度胸と知恵、それから金と情報だ。
 確実に勝てる条件を揃え、そして機を見て仕掛ける。
 一流になる条件であり、そしてそれが今だった。

 転がるボールは次々と賭けたポケットに吸い込まれ、チップの山は高くなり続けた。
 自然、賭けるチップは増え、興奮状態になっていく。

「はっはー、またキタキタキタキター!」

 回転するホイールを転がる玉がコロコロコロと転がって、次第に勢いは落ち、やがては一つのポケットへとゆっくり向かっていく。
 それは賭けたポケットであり、再び勝つ。そんな様を想像し――

「きたぞこ、れ……へ?」

 ボールがポケットに落ちた。
 落ちたのは黒の二十四。俺が賭けたのは、赤の五。
 落ちたのは一つ隣であり、つまりは負けた。賭けたチップがごっそりと動く。
 それに嫌な汗が滲むのを感じながら、さらにチップを出す。

 まだだ、ここで引いてはだめだ。
 運は来ている。あとは、つかみ取るだけなのだから。

『ノーモアベット』

 美人ディーラーの声が、染みいるように響いた。


 ・ギャンブル中毒者。
 ・引き際が肝心。
 ・良き鴨である事は間違いない。
 ・以前はとある国軍の精鋭だったが、怪我により退役した。
 ・退役後、ギャンブルにハマって沼に浸かる。







 【仙人ル・ガンフ視点:聖戦最終時】

 【鬼神】の頭上に出現した、禍々しく輝く赤い月。
 赤い月は周囲に広がる英勇達が流した夥しい量の血を吸い寄せ、その輝きを増していく。
 赤い月は、まるで無尽蔵に血を貯める貯蔵庫のようだ。
 それだけならともかく、貯めた血を【鬼神】に送り、その度に威圧感が増していた。
 明らかに、あれは吸収した血の量で強化の上限が変化する類の能力だ。
 ただでさえ強力無比な【鬼神】が強化されるなど、悪夢でしかない。 

 それと並行して、まるで上書きするように赤く染まった世界は何かの内部であるように生々しい。
 呼吸する事すら困難を極め、今までと世界の次元が一変したような感覚に襲われる。
 行動の一つ一つがこの世界を生み出した【鬼神】に感知されている。
 そう思って行動せねばならないが、だからと言ってどうこうする事も出来ないのだから、気にするだけ無駄と判断する。
 気を抜けば力が抜けていく感覚もあるので、余計な事は考えず、僅かな気も漏らさないように体内で極限まで循環させるしかないだろう。

 また【鬼神】の周囲を泳ぐ、鬼頭の龍の圧倒的な存在感は、ただそこにあるだけで寒気が走るほどだ。
 今は周囲を泳ぐだけで何もしていないが、襲われれば全力で対処せねばなるまい。
 見るだけで【石化】しそうな凶悪な顔、太く尖った大きな鬼角、鋭い牙の生えた巨大な口。数十メルトルはある長大な胴体にはまるで刃物のような鋭い鱗が生え揃い、なにがしかの能力なのか赤いオーラが全身を包んでいる。

「一つ一つが理外にある能力、それを同時発動か……」

 先の、地面から突き上がった朱槍の群れ。
 高速で鋭利なそれらは、足元という死角から襲いかかる致命的な一撃である。
 例え万の兵が居ても、回避できる能力や運が無ければただ一撃で殲滅されるだけだ。

 あれだけでも脅威だったが、しかしあれはあれで分かりやすい攻撃ではあった。
 受ければ致命的だが、それでもまだ何とかできる類の能力である。
 しかし新たに発動されたと思しき、二つか三つの能力。
 その効果は全くの未知数であり、もしかしたら他にも隠された能力が発動しているのかもしれない。
 そう思い、背中に冷や汗が滲み出る。

 ――【鬼神】はこれまでも、尋常ならざる敵だった。

 基本的な生物としての性能からして、異常としか言えないだろう。
 膂力や反応速度、肉体の頑健さや種として備えた能力の数々。
 それ等に加えて、異常としか言えない様々な能力。
 糸を出し、毒泡を吐き出し、骨を撃ち出し、武具を喰らい、攻撃を喰らっても逆にダメージを跳ね返し、戦技を駆使し、武術を使いこなす。
 数えればキリがない。

 【鬼神】だから、と納得する事などできない。
 目の前の【鬼神】だからこそ、と考えるべきだ。

 それがさらに強化され、上の段階に達した今、感じるのは絶望であり、明確な死の幻視。
 しかしそれ以上の興奮である。

 これまで戦ってきた無数の敵の中にも、強者は多かった。
 
 祖国を滅ぼし自分や愛する家族を殺した大国を、数多の無念を一心に凝縮し、アンデッドが闊歩する死の国へと変えてしまった【呪怨の勇者】の成れの果て――【復讐呪滅の大怨勇霊】センメティオス。
 心すら凍てつく≪イスト=ラバロネス凍滅大山脈≫に生まれ、巨人種としては恵まれない肉体だったが鍛え上げた武術で山脈に巨人の帝国を築き上げた【巨拳帝】ケルベロト・イガ=ゼン。
 足を踏み入れた者を生きて返さない死毒の沼地の最奥で、いつも微睡んでいた絶死の毒を纏う【永眠毒竜王】ガファロネス・マルファザル。
 そして、私が【仙人】となる切欠にもなった因縁深き【仙人】ジャイ・グオ。

 強者との戦いは心躍るものばかりだった。

 一瞬の過ちが死に繋がり、僅かな幸運で勝利を拾う事もある。
 幾度も死を感じ、その度に乗り越えてきた今までの経験。

 それを全て足してもまだ足りない眼前の絶望。
 それに挑めるという幸運は、ここで終わったとしても一片の悔いも無いだろう。

「かか、死ぬにはいい日だッ」

 だからと言って、負けるつもりで戦うつもりは毛頭ない。
 戦うのならば勝たねばならぬ。死闘の先にだけ感じられる極限を好いてはいても、やはり勝つ事、勝利する事が全てにおいて優先されるのだから。

「フゥ――ッシ!」

 呼気で内部の気を整え、それを爆発させるように力を生み出す。
 高速の一歩。一瞬で世界が後方へと流れ、目指す先の【鬼神】の姿はより近く、よりハッキリと目に映る。

 真正面からの突進だ。当然、それを阻もうと二頭の鬼龍が此方に向かってくる。
 直撃すれば轢殺されるだろう超重量、超高速の突進。半身となり、その軌道を見切って極僅かな隙間に身体を通す。
 それでも鬼龍が纏う赤いオーラに触れた部分は削られ、無傷とはいかない。

 また赤いオーラには【吸収ドレイン】効果でもあったのだろう。
 傷口から力が吸い取られるような感覚があった。

 胸部と背部をそれぞれ削られたが、何とか致命傷を避けて接近する事が出来た。

 しかしそこで、繰り出された【鬼神】の一突き。

 轟、と世界を貫くような威力で突き出された朱槍の穂先を、本能に突き動かされて心臓の前で合掌して白刃取り。
 挟む事が出来たのは奇跡に近い。
 それでも止めきれずに穂先が胸筋に僅かに刺さり、血が流れ出る。もし白刃取りしたのと同時に後方に全力で跳躍して、突きの威力を少しでも殺していなければ心臓を抉り取られていただろう。
 突きが限界まで伸びたところで手を放し、そのままさらに距離をとる。

 数十メルトルほど離れてようやく止まり、ドバッ、と冷や汗が同時にあふれ出る。
 一手、間違えばそのまま死んでいた。
 強化された【鬼神】は、思っていた以上の難敵になっていたらしい。
 その事実に笑みを浮かべつつも、どう攻略するのか全力で頭を働かせねばならない。

「かか。なんにせよ、全身全霊で行かねばならんがな」

 しかし、何よりもまずは前へ。
 臆すれば死ぬ、躊躇えば殺される、止まれば言わずもがな。
 前に進むしか、既に道はない。

 それから、壮絶な戦いがあった。

 【鬼神】が暴れる。 
 肉が弾けた。骨が砕けた。神経が断たれた。四肢はもがれ、内臓が零れ出る。

 【救世主】が力を寄越す。
 肉が戻る。骨が再構築される。神経が繋がる。四肢は再生し、内臓は体内に戻る。

 個としての能力だけでは【鬼神】に負けているが、今回は運がいい事に【救世主】による回復や補助、強化の恩恵もあった。
 だからこそより長く戦える。それに感謝しつつも、まだ鍛錬が不足していた事に僅かな不満を抱く。

 複雑な思いを抱きつつも、破壊と再生が繰り返され、永遠に思えた至福の時は過ぎ。
 しかし全てには終わりがあるように、その時が来た。

 全力を出し尽くし、それでも届かないその先で、【鬼神】の朱槍が俺の命に届いた。
 圧倒的な暴力によって容赦なく解体される、鍛え上げた鋼の肉体。【救世主】による再生すら追いつかない、終わりが眼前に迫っている。

 しかし、死ぬ間際とてただでは死なん。

 クルクルと回る視界の中で、僅かな隙を見つけて頭部に溜めた仙気の噴出。
 狙い違わず【鬼神】の首元まで飛んで、その首筋に噛みついた。
 その瞬間、残された力の全てを振り絞り、確かに歯が肉に食い込んだ。血が口内に流れ込み、肉片が舌に乗った。

 そして俺の意識は、そこで途絶える。
 死の闇が広がり、光は二度と灯らない。

 死ぬ時は強者との戦いの果てで。
 それなりに長い時を生きた俺の人生は、まあ、悪いものではなかっただろう。
 いや、【鬼神】が最後の相手だったのだ。

 最高の人生だった。
 そう言い切れる。


 ・前のめりに死にたい系キャラ。
 ・強者との闘い大好き戦闘狂系キャラ。
 ・個としては最高クラス。
 ・【大神】級【時空星海の青き巨塔】の中層まで攻略していた。


 【光の勇者ルーク視点:???日目】

 巨大な平原や緑の深い山などの上空を、一筋の光る球体が超高速で飛んでいく。

 まるで彗星のように輝き尾を引く球体に気が付いた者はそれなりの数が居ただろうが、皆それを見送り、あまり記憶にも止める事はなかった。
 遠く離れた場所の事など、その時は心に留めても、すぐに忘れるモノなのだから仕方ない。

 そうして目撃されながらも飛んでいく球体は、自然豊かな【星脈】が流れる峻険なる≪イルグーナ大霊山≫の中腹。 
 そこに根を生やす数多の霊樹の中でも特に巨大な、最古の霊樹――大霊樹“ベルガード・ユグドラシル”の前に着弾した。

 着弾した衝撃はなかったが、まるで爆発したように光が弾ける。

 光が弾けた後、着弾地点には全身傷だらけで、着ている翼ある防具もまた破損だらけの一人の青年が、まるで胎児のように丸くなって横たわっていた。

「っ……ぐふっ、が、は……」

 青年の全身は襤褸布よりもさらにボロボロだ。
 四肢は複雑に折れ曲がり、大小様々な傷から流血している。
 左太ももには槍だっただろう残骸が突き刺さり、そのまま貫通していた。
 右腕は上腕の半ばが半分ほど切り裂かれ、今にも千切れ落ちてしまいそうなほど不安定に揺れ動く。
 左目は縦に走る傷によって切られている事が分かり、左耳は根元から削ぎ落ちている。

 そして最も重傷なのは、間違いなく鳩尾と臍の間を縦に貫き、背中から剣身の三分の一ほどが突き出ている聖剣だ。
 明らかな致命傷であり、引き抜けば青年は間違いなく即死する。そうでなくても、後僅かで命の火は消し飛ぶだろう。

 無事な場所を探す方が困難どころか、なぜ死んでいないのか。

 そう聞きなくなるような半死半生の凄惨な状態でありながら、青年――ルークは傷だらけの左手を前に伸ばし、地面を掴む。
 そして、前に伸ばした腕を縮め、地面を擦りながらも僅かずつ進む。
 傷が動く度に刺激され、想像を絶する激痛がルークの全身を駆け抜ける。

「……………っ」

 苦悶の声が漏れた。しかしルークは歯を食いしばり、動く事を止めない。
 弱々しく震えながら、しかし確実にズリズリとその肉体は動く。
 向かうのは“ベルガード・ユグドラシル”に寄り添うようにある屋敷。ルーク達がしばしの時を過ごした、【仙人】ル・ガンフの屋敷である。
 屋敷には主の帰りを待つ“屋敷金妖精・亜種”のインザ・ゴールドがおり、ルークが助かるにはインザに治療してもらうしか残されてはいなかった。
 その過程で死にかけていても、我慢するしかないのだ。

「ぜ…………ぃ、こ…………」

 徐々に屋敷に近付いていくルークが死んでいないのは、ルークが【光の勇者】だから、というのも理由の一つではあるだろう。
 普通なら死ぬような怪我でも、【勇者】として強化された肉体で乗り越えられる場合は多々ある。

 また、着ている鎧が【仙人】ル・ガンフから借りた【大神】級【神代ダンジョン】から得た品であり、なおかつ【光の勇者】であるルークと相性が抜群に良かった事も挙げられる。
 装着者の防御力や生命力を飛躍的に高め、継続的な回復を与える能力が最大限発揮されている為、奪われた愛剣でその身を貫かれながらも、ルークが死ぬ事を防いでいる。

 そして、【救世主】から付与された能力の数々がまだ継続していた事も大きな要因である。
 髪の毛からでも無数の英勇を誕生させる事ができる【救世主】の能力は、もう少しで途切れるまで弱まっているものの、まるで呪いのようにルークが死ぬ事を容易には許さない。

 そのような様々な要因が重なった結果、ルークはまだ生きている。
 しかしそれでも死ぬ寸前である現在、早急な治療が必要だった。
 
「何やら音がしたような~、って、な、何事ッ。ルークが何だか大変だッ」

 ある程度、と言っても着弾地点から数メルトルも動かず、時間にしても数分も経過していなかったが、外の異変に気がついたインザが屋敷から出てきた。

 そしてルークの惨状を発見したインザはすぐさまルークに近づき、ポケットから宝石のように美しい小瓶を二つ取り出した。

「【大神】級からドロップした本物の【エリクシール】、一先ずグイッと飲みなさいッ」

 そして青く澄んだ液体の入った小瓶――神の万能薬【エリクシール】の蓋を開け横たわるルークの口元に持っていくが、体勢が悪い。
 飲みやすくするには腹の聖剣が邪魔であり、斜め下の地面に向く口では飲む事は難しい。
 だからか、インザは【エリクシール】を操作する。蛇のように動く青液がルークの口内から喉を通り、胃にまで向かった。
 無理矢理飲み込まされている事になるルークは咽せるが、その抵抗は僅か。抗う元気すらないのだ。例え【エリクシール】を飲んでいても。
 それは、本当に死ぬ間際だった事を意味していた。

「これでも治りが悪い……やっぱり、こっちも使うしかないねッ」

 【エリクシール】はあらゆる怪我や病気を治す。
 瀕死の病人でも即座に復活できるほどその効果は強力である。

 しかしそれを飲んでもルークの回復は遅く、尋常な攻撃ではない事が窺えた。
 神の万能薬の効果が薄いとなれば、神的存在、とも言うべき何かから特殊な攻撃で負ったとしか考えられない。

 主と共に出立したルークがこうなったのだ。インザはどうしたって主である【仙人】ル・ガンフの安否が気になったが、今はルークの治療を優先させた。
 【エリクシール】が思ったほど効果を発揮しないと見て、同時に取り出したもう一つの小瓶の蓋を開ける。

 小瓶に入っている液体の色は輝く黄金。
 これはル・ガンフ以外の、とある【仙人】が調合した仙薬【金仙賦活蓮華】である。
 使用される素材にはユニコーンの聖角、不死の蛇肉、人魚の命肉、不死鳥の遺灰、賢者の宝石、霊峰の精髄、原典の欠片など、治療や不老不死などの効果があるとされる超高級な希少品ばかりで揃えられ、その効果は【エリクシール】と酷似しながらも少し違う。
 一時的な【不死性】を与え、その間に身体を作り替えるように治すのだ。

 そんな備蓄も少ない貴重品を、インザはルークに使用した。
 まだストックされている事と、主の情報を得るためにルークに死なれると困る事と、友人を死なせたくないという単純な思いからそうさせたのだ。

「さて、問題はこの聖剣だけど……うん、切った方が早いね」

 そして【エリクシール】と同じように操作し、ルークに飲ませた後、インザは二つの魔法薬によって急速な再生が始まったのを見ながら、躊躇なく腹部の聖剣を引き抜いた。
 貫かれたまま治療する訳にもいかない訳だが、一番の理由は聖剣には傷を治さない能力があったからだ。
 聖剣はルークの愛剣であり、奪われて突き刺されたのだった。

「はーい、ちょっと我慢してねー」

 腹部以外の怪我が蠢くように治っていく中、インザは素早くどこからともなく剣を取り出し、再びルークの腹部に突き入れ、素早く引き抜いた。
 血が出るが、それよりも傷が塞がる方が早かった。

「ぐふっ、ぅぅ」

 インザは再生できない部分を斬ったのだ。聖剣によってつけられた傷口は再生しないが、それよりも広く肉体を傷つければ、新しい傷口から再生する事は出来る。
 知っていても中々できない事だが、インザはやってのけた。
 至高の秘薬を重ねて使用し、一時的な【不死性】を獲得し、急速に身体が回復していたからこそできた荒業だ。

「よし、これで動かしても即死はしななくなったねぃ」

 ルークの肉体は急速な再構築とも表現できる速度で回復していく。
 身体に埋まっていた槍の残骸や何かの金属片、傷口や体表にこびり付いた土や石がポロポロと押し出されていく。
 失われた血は新たに作られ、死んだ細胞は分解吸収されて新たな肉体になる材料と化した。

 死の間際から抜け出して、ルークの身体に残っていた生存への執念は弱まった。
 しかし死を乗り越えて、内心にて燃え盛る炎が表へと浮かび上がった。

 仰向けになった状態から左手を霊樹の枝に遮られて見えない空に向けて伸ばし、瞳に仄暗い光を宿らせ、呟いた。

「ぜっ……ゆる、い」

 それはまるで冥府から聞こえてくる呪詛のようで。
 インザは驚いたように身を引き、そしてルークの伸ばされた左手が地面に倒れるのを見た。
 どうやら意識を失ったらしい事が分かる。

「……ルーク、一体、何があったのかな? 主様は、大丈夫、だよね?」

 インザはその身を得体の知れない恐怖で僅かに震わせながらも、ルークの身体を持ち上げて屋敷へと運んだ。

 外に放置する訳にもいかないのだから当然だ。



 そして数日後、屋敷のベッドの上で目覚めたルークはインザに語った。

 幼馴染のアイオラが皆の盾となって、上半身を恐るべき鬼頭の龍に喰われて、最初に死んだ。
 次はチェロアイトが【投擲】された血の槍で四肢を貫かれ、自身の槍で心臓を抉られて、二番目に死んだ。
 弓矢で狙撃していたセレスは【鬼神】が放った業火に焼かれ、灰だけになって、三番目に死んだ。
 過去最高の魔術を放ったクレリアは、それよりも強力な魔術によって一つの肉塊になって、四番目に死んだ。
 そして最後に残ったコライユが、コライユより先に死ぬはずだったルークに対し、ル・ガンフから譲り受けた【天還聖符】を使ってルークをここまで飛ばした。
 飛ばされる直前は、【鬼神】が放った黒い濁流が今まさに到着するというところだった。
 そのあとどうなったかなど、簡単に推察できる。
 それからルークが飛ばされた時は、まだル・ガンフは生きていたが、それでも状況は最悪だった。
 恐らく、もう帰ってはこない。

 ルークの中で認識されている事実を述べた。
 嘆き悲しみ、後悔はジクジクとルークの心を苛む。
 仲間の命を奪った相手に対しては実力が足らず、復讐する事も出来ない。
 守る、そう誓った味方を守れず、それなのに自身だけが生き残ってしまったという事実が、ルークの心を激しく刻む。

 そこにいるのは、これまでの【勇者】としての力強さが微塵もない、ただ傷ついた年齢相応の、苦難に負けそうになっている打ちひしがれる一人の青年だった。

 それからは、恐らく主であるル・ガンフが死んでいるだろうに、感情の乱れを面には出さず、鬱屈としたルークの世話をインザは甲斐甲斐しく続ける事になる。
 それがどれほどの期間になるのかは不明だ。

 しかし、いつかはルークも立ち上がる。
 なぜなら、ルークは【光の勇者】なのだから。
 万人を照らし、先に進む事を宿命を背負っているのだから。


 ・光の神に目をつけられたのが不運。
 ・光が強いほど闇は濃くなり、闇が濃いほど光が強くなる。
 ・だから試練が積み重なる、詩篇の中では激しい部類。
 ・詳しく書きすぎるとアレなので、短めに。


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