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第2章
22.商才
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アヤメが紅茶を口にしながら、楽しそうに告げる。
『聞いたかえ? フラン。
ヴァルターの奴、妾の服を用意するだけでは飽き足らず、商いと青嵐国の啓蒙活動をまとめて行うつもりじゃ。
あれで”己は剣士だ”と言い張るのじゃから、まっこと面白き男よの』
フランチェスカは困惑しながら応える。
『それは偶然か、考え過ぎではないでしょうか。
あの乱暴な男がそこまで考えて動くとは思えません』
アヤメが呆れた視線をフランチェスカに向けて応える。
『まだヴァルターという男を理解できぬのかえ?
フランも筋金入りの愚昧よな。
少しは眼に写る事実をまっすぐと見つめよ。
感情に惑わされて、事実を歪めるでない』
愚か者扱いされてしまったフランチェスカが、悔しさで口を引き結んだ。
以前、ヴァルターと交わした言葉の数々、あれらも彼女は理解できていなかった。
恐ろしく強い剣士なのは確かだが、彼に傭兵以上の資質があるようには思えなかった。
だというのに、アヤメを始め、キュステンブルクの国王や高官たちはヴァルターの資質を高く評価している。
フランチェスカに見えてなくて、アヤメたちに見えているものが何なのか――それを知りたいと感じていた。
「ったく、なんでこんな窮屈な服を用意するんだか」
ヴァルターの声で、フランチェスカは思索から引き戻された。
リビングに戻ってきたヴァルターは大剣を外し、シルクの開襟シャツとコットンのトラウザーズを着用していた。
大男なのは変わらないが、印象がまるで違う。
パリッとしたパーティースーツとも異なる、柔らかい空気を身にまとっていた。
フランチェスカが余りの印象の違いに戸惑っていると、アヤメが楽しそうな声をヴァルターにかける。
『これまた、馬子にも衣装よな。立派に貴族に見えるではないか。
どうじゃ? 少しは貴族の気分に浸れたかえ?』
ヴァルターが不機嫌そうに眉をひそめて応える。
「だから、公用語を使え――いや、聞き覚えのある単語だな。もしかして、似合ってるって言ったのか?」
アヤメがニコリと微笑んだ。
「そうだよ? よく似合ってる!」
ため息をついたヴァルターが、その大柄な体をソファに埋めた。
紅茶を静かに飲む姿には、気品すら感じそうだった。
衣装を着替えただけで、そんなことまで思う――フランチェスカは己の未熟をようやく思い知り、反省を感じた。
――もっと、見えていることをまっすぐと見よう。
アヤメに言われた事を胸に刻み、フランチェスカは紅茶を手に取った。
****
一息ついた俺たちは、リビングからそれぞれの部屋に戻っていた。
フランチェスカはアヤメと同じ客間が割り当てられた。
俺は新しい私室とやらで、アヤメの父親にあてた手紙をしたためていた。
まず、形だけの婚約でアヤメの立場を守ることを説明する。
婚約は滞在中に限った話で、セイラン国に帰国する時に白紙撤回することも添える。
あとは……服職人の手配を、手紙でもお願いしておくか。王族用の職人だしな。
服の素材取引をこちらにも書いて……そんぐらいか?
最後にアヤメたちを無事に帰国させることを約束して〆だ。
……無難だけど、必要なことは書いてあるな、よし!
俺は手紙を便せんに入れ……後は封蝋か。
机の周囲から封蝋らしき一式を探し出し、便箋に封をする――樫の木の紋章か。シャッテンヴァイデ伯爵家の紋章かな。
俺は手紙を手に立ち上がり、アヤメたちの部屋に足を向けた。
****
開け放たれた扉をノックし、「入るぞー」と告げて客間に足を踏み入れる。
アヤメは何やら、独特なペンを使って紙に文字を記していた。
「……面白いペンだな。なんだそれ?」
アヤメが手紙を書きながら俺に応える。
「これはフデだよ。セイラン国のペンだね。スミで文字を書く道具――できた!」
なんか、アヤメの手紙物凄い簡素だな。
五か月離れてる家族にあてた手紙が、一行だけ?
アヤメも手紙を折って便せんに入れ、封蝋らしきものを施していた――月の紋章か。へぇ、セイラン国王家の紋章かね。
俺がフランチェスカを見ると、彼女はやたらと長い手紙をしたためていた。
使っているのは羽ペンだが、何枚目なんだ? その手紙……。
しばらく見ているとようやく手紙を書き終わったらしく、手紙の束を折って便せんに入れ、封蝋をしていた。
「よし、じゃあお前らの手紙も預かっておく。
――なぁアヤメ、その筆記具、予備は充分にあるのか?」
「フデとスミのこと? あんまりないよ?」
おいおい、それじゃあ困るだろう。
羽ペンを使わずにセイラン国の筆記具を使ったってことは、それしか使えないか、伝統的にそれを使う必要があるか、か。
あとで、これの手配も頼んでおくか。
俺はついでにフランチェスカに尋ねる。
「なぁフランチェスカ、セイラン国から他に取り寄せておいた方が良いものはあるか?」
「そうですね……ゾウリ――履物の予備があっても良いかもしれません。
こちらは私でも簡易的なものは作れますので、短期間ならそれで対応はできますけれど、殿下に相応しいものは作れませんから」
「なるほどな、他に大陸受けしそうな特産品はあったか?」
フランチェスカが眉をひそめて考えていた。
「大陸受けですか……ワサビという香辛料が、独特の風味で美味しかったですね。
ただし鮮度が大事な食品ですから、持ち帰ってくるのは難しいかと」
「魔導術式に≪保管≫があっただろう? あれじゃダメなのか?
魔導士の付き添いが必要だが、術式をかけている間は保存が効くと聞いたが」
「――ああ、それなら対応できるかもしれません。
ですが、半年間も魔導士を雇うんですか?
雇用費用が莫大になりますよ?」
「お前、知らんのか? ≪保管≫は≪浄化≫と大差ない術式で、傭兵でも使える奴が居るくらいだぞ?
正式な魔導士じゃなくても、使える人材は見つかるだろ。
――じゃあそのワサビって香辛料も、取り寄せてみるか」
遠方の香辛料なら、貴族受けがいいはずだ。
人件費で売値が高くなろうと、逆にそれがプレミアになって利益を十分に見込める。
傭兵として護衛中の商人どもが、よく人気商品として取り扱ってたからな、香辛料は。
……まさか自分が取引をすることになるとは、夢にも思わなかったが。
俺は手紙を預かって二人に告げる。
「他に取り寄せて欲しいものがあれば、明日の内に言ってくれ。
おそらくクラウスは、三日以内に手配を済ませると思う。それに間に合わせる」
アヤメがきょとんとした顔で俺に告げる。
「なんで三日なの? クラウスは『一週間以内に旅立たせる』って言ってなかった?」
「今の≪保管≫の魔導術式もそうだが、必要な人材の手配がある。
一週間以内に旅立たせるなら、三日以内に何を取り寄せるかわかってないと手配が間に合わん。
クラウスは有能そうだから、全て込みで二、三日あれば手配を終わらせちまうだろう。
一週間ってのは、余裕を持って俺に言っただけだと思うぞ?」
納得している風のアヤメに手を振り、俺はアヤメの客間を後にした。
****
ヴァルターが立ち去った客間で、紅茶を口に含んだアヤメが満足そうに微笑んだ。
『聞いたかえ? 山葵まで交易品にいれるつもりじゃ。
ヴァルターは実物を知らぬはずじゃが、名産品の山葵を持ち込むとは良い着眼点じゃの。
長期保存の問題さえ解決できれば、小さくて量を運べるからの。
今まで青嵐国の特産品は青嵐瑠璃という宝石しかなかったが、新しい特産品となろうぞ』
フランチェスカが呆然とした顔で応える。
『香辛料は、大陸でも交易品の目玉です。
肉料理が多い大陸では、貴族たちが頻繁に使いますので。
……ヴァルターはいったい、どこでそんな商売センスを身につけたのでしょうか。
彼の傭兵人生に、交易事業なんて縁がなかったはずです』
クスリとアヤメが笑みをこぼす。
『おんし、この二か月で何を見てきたのかえ?
妾たちは、商人の護衛仕事にも付き添ったであろう?
おそらく、その護衛の経験で、商人たちが扱う品々を見てきたのであろうよ。
ヴァルターは、ただ漫然と護衛仕事をしてきたわけではないということじゃ。
見るべきものを見て生きておれば、どのような人生でも斯様に生かすことができる、良い手本じゃの』
フランチェスカはようやく、ヴァルターという男の本質を垣間見た気がして、感慨にふけっていた。
『聞いたかえ? フラン。
ヴァルターの奴、妾の服を用意するだけでは飽き足らず、商いと青嵐国の啓蒙活動をまとめて行うつもりじゃ。
あれで”己は剣士だ”と言い張るのじゃから、まっこと面白き男よの』
フランチェスカは困惑しながら応える。
『それは偶然か、考え過ぎではないでしょうか。
あの乱暴な男がそこまで考えて動くとは思えません』
アヤメが呆れた視線をフランチェスカに向けて応える。
『まだヴァルターという男を理解できぬのかえ?
フランも筋金入りの愚昧よな。
少しは眼に写る事実をまっすぐと見つめよ。
感情に惑わされて、事実を歪めるでない』
愚か者扱いされてしまったフランチェスカが、悔しさで口を引き結んだ。
以前、ヴァルターと交わした言葉の数々、あれらも彼女は理解できていなかった。
恐ろしく強い剣士なのは確かだが、彼に傭兵以上の資質があるようには思えなかった。
だというのに、アヤメを始め、キュステンブルクの国王や高官たちはヴァルターの資質を高く評価している。
フランチェスカに見えてなくて、アヤメたちに見えているものが何なのか――それを知りたいと感じていた。
「ったく、なんでこんな窮屈な服を用意するんだか」
ヴァルターの声で、フランチェスカは思索から引き戻された。
リビングに戻ってきたヴァルターは大剣を外し、シルクの開襟シャツとコットンのトラウザーズを着用していた。
大男なのは変わらないが、印象がまるで違う。
パリッとしたパーティースーツとも異なる、柔らかい空気を身にまとっていた。
フランチェスカが余りの印象の違いに戸惑っていると、アヤメが楽しそうな声をヴァルターにかける。
『これまた、馬子にも衣装よな。立派に貴族に見えるではないか。
どうじゃ? 少しは貴族の気分に浸れたかえ?』
ヴァルターが不機嫌そうに眉をひそめて応える。
「だから、公用語を使え――いや、聞き覚えのある単語だな。もしかして、似合ってるって言ったのか?」
アヤメがニコリと微笑んだ。
「そうだよ? よく似合ってる!」
ため息をついたヴァルターが、その大柄な体をソファに埋めた。
紅茶を静かに飲む姿には、気品すら感じそうだった。
衣装を着替えただけで、そんなことまで思う――フランチェスカは己の未熟をようやく思い知り、反省を感じた。
――もっと、見えていることをまっすぐと見よう。
アヤメに言われた事を胸に刻み、フランチェスカは紅茶を手に取った。
****
一息ついた俺たちは、リビングからそれぞれの部屋に戻っていた。
フランチェスカはアヤメと同じ客間が割り当てられた。
俺は新しい私室とやらで、アヤメの父親にあてた手紙をしたためていた。
まず、形だけの婚約でアヤメの立場を守ることを説明する。
婚約は滞在中に限った話で、セイラン国に帰国する時に白紙撤回することも添える。
あとは……服職人の手配を、手紙でもお願いしておくか。王族用の職人だしな。
服の素材取引をこちらにも書いて……そんぐらいか?
最後にアヤメたちを無事に帰国させることを約束して〆だ。
……無難だけど、必要なことは書いてあるな、よし!
俺は手紙を便せんに入れ……後は封蝋か。
机の周囲から封蝋らしき一式を探し出し、便箋に封をする――樫の木の紋章か。シャッテンヴァイデ伯爵家の紋章かな。
俺は手紙を手に立ち上がり、アヤメたちの部屋に足を向けた。
****
開け放たれた扉をノックし、「入るぞー」と告げて客間に足を踏み入れる。
アヤメは何やら、独特なペンを使って紙に文字を記していた。
「……面白いペンだな。なんだそれ?」
アヤメが手紙を書きながら俺に応える。
「これはフデだよ。セイラン国のペンだね。スミで文字を書く道具――できた!」
なんか、アヤメの手紙物凄い簡素だな。
五か月離れてる家族にあてた手紙が、一行だけ?
アヤメも手紙を折って便せんに入れ、封蝋らしきものを施していた――月の紋章か。へぇ、セイラン国王家の紋章かね。
俺がフランチェスカを見ると、彼女はやたらと長い手紙をしたためていた。
使っているのは羽ペンだが、何枚目なんだ? その手紙……。
しばらく見ているとようやく手紙を書き終わったらしく、手紙の束を折って便せんに入れ、封蝋をしていた。
「よし、じゃあお前らの手紙も預かっておく。
――なぁアヤメ、その筆記具、予備は充分にあるのか?」
「フデとスミのこと? あんまりないよ?」
おいおい、それじゃあ困るだろう。
羽ペンを使わずにセイラン国の筆記具を使ったってことは、それしか使えないか、伝統的にそれを使う必要があるか、か。
あとで、これの手配も頼んでおくか。
俺はついでにフランチェスカに尋ねる。
「なぁフランチェスカ、セイラン国から他に取り寄せておいた方が良いものはあるか?」
「そうですね……ゾウリ――履物の予備があっても良いかもしれません。
こちらは私でも簡易的なものは作れますので、短期間ならそれで対応はできますけれど、殿下に相応しいものは作れませんから」
「なるほどな、他に大陸受けしそうな特産品はあったか?」
フランチェスカが眉をひそめて考えていた。
「大陸受けですか……ワサビという香辛料が、独特の風味で美味しかったですね。
ただし鮮度が大事な食品ですから、持ち帰ってくるのは難しいかと」
「魔導術式に≪保管≫があっただろう? あれじゃダメなのか?
魔導士の付き添いが必要だが、術式をかけている間は保存が効くと聞いたが」
「――ああ、それなら対応できるかもしれません。
ですが、半年間も魔導士を雇うんですか?
雇用費用が莫大になりますよ?」
「お前、知らんのか? ≪保管≫は≪浄化≫と大差ない術式で、傭兵でも使える奴が居るくらいだぞ?
正式な魔導士じゃなくても、使える人材は見つかるだろ。
――じゃあそのワサビって香辛料も、取り寄せてみるか」
遠方の香辛料なら、貴族受けがいいはずだ。
人件費で売値が高くなろうと、逆にそれがプレミアになって利益を十分に見込める。
傭兵として護衛中の商人どもが、よく人気商品として取り扱ってたからな、香辛料は。
……まさか自分が取引をすることになるとは、夢にも思わなかったが。
俺は手紙を預かって二人に告げる。
「他に取り寄せて欲しいものがあれば、明日の内に言ってくれ。
おそらくクラウスは、三日以内に手配を済ませると思う。それに間に合わせる」
アヤメがきょとんとした顔で俺に告げる。
「なんで三日なの? クラウスは『一週間以内に旅立たせる』って言ってなかった?」
「今の≪保管≫の魔導術式もそうだが、必要な人材の手配がある。
一週間以内に旅立たせるなら、三日以内に何を取り寄せるかわかってないと手配が間に合わん。
クラウスは有能そうだから、全て込みで二、三日あれば手配を終わらせちまうだろう。
一週間ってのは、余裕を持って俺に言っただけだと思うぞ?」
納得している風のアヤメに手を振り、俺はアヤメの客間を後にした。
****
ヴァルターが立ち去った客間で、紅茶を口に含んだアヤメが満足そうに微笑んだ。
『聞いたかえ? 山葵まで交易品にいれるつもりじゃ。
ヴァルターは実物を知らぬはずじゃが、名産品の山葵を持ち込むとは良い着眼点じゃの。
長期保存の問題さえ解決できれば、小さくて量を運べるからの。
今まで青嵐国の特産品は青嵐瑠璃という宝石しかなかったが、新しい特産品となろうぞ』
フランチェスカが呆然とした顔で応える。
『香辛料は、大陸でも交易品の目玉です。
肉料理が多い大陸では、貴族たちが頻繁に使いますので。
……ヴァルターはいったい、どこでそんな商売センスを身につけたのでしょうか。
彼の傭兵人生に、交易事業なんて縁がなかったはずです』
クスリとアヤメが笑みをこぼす。
『おんし、この二か月で何を見てきたのかえ?
妾たちは、商人の護衛仕事にも付き添ったであろう?
おそらく、その護衛の経験で、商人たちが扱う品々を見てきたのであろうよ。
ヴァルターは、ただ漫然と護衛仕事をしてきたわけではないということじゃ。
見るべきものを見て生きておれば、どのような人生でも斯様に生かすことができる、良い手本じゃの』
フランチェスカはようやく、ヴァルターという男の本質を垣間見た気がして、感慨にふけっていた。
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