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人間の女『ナンナ』の事情

#8

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 女神が消えてから、俺はこの閉鎖空間についてナンナに説明することにした。
 女神ーーいやもう女神モドキに格下げするが、奴の言葉に従ったわけではない。
 たった二人でこの場にいる以上は情報を共有しておく必要があった。それに、ここがどれだけイカれた場所であるかナンナが理解してくれれば、彼女が「こんなところにいられるか!」と真剣に考えて、ここから出られるかもしれないという期待もあった。

「……話をまとめると、ここは屋外じゃなくて、よくわからない閉鎖空間の中だと。時間も過ぎないし、お腹も空かないし、怪我もしない。それに景色はずっとこのままで、動物なんかいやしない。いつまで待っても変化が起こらない、ってことでいい?」
「おおむねは」と俺はうなずいた。
「ふうん、別にいいんじゃない。それぐらいなら」

 激高するか、嘆くかすると思っていたのだが、ナンナは冷静なものだった。
 彼女は手を頭の後ろで組み草むらに寝っ転がり、大きく息を吐いた。

「とんでもない化け物が出てくるとかならともかく、そんなこともないんでしょう? それにもし出てきたとしても、あんたを囮に逃げるから、一回ぐらいはなんとかなるし」
「バカな、俺を囮にして逃げるだと……?」
「ていうか、ここでは怪我しないんなら多分死なないだろうし、何回でも同じ手を使えそうだよね」
「使い回される俺の気持ちとか、考えたことある?」

 そう言うと、彼女は俺の方を見た。
 ……おい、人の顔見てるんだからもうちょっと楽しそうな顔してくれよ。
 なんて無感動な表情しやがるんだ、こいつは。

「さあねえ。まあ、同じシーンを切り取られて晒し者にされたらつらいかもしれないけど、どうせここに居るのは私とあんただけなんだから、泣き顔で追い回されるあんたの顔が晒される心配はしなくていいでしょ」
「……わかってんのか? そのとんでもない化け物が俺かもしれないんだぞ。俺があんたを襲ったらどうするつもりだ」
 あえて身の危険を感じさせる。いくつか言葉を交わしたことで警戒心が緩んだのかもしれないが、さすがに女として無防備だと言わざるを得ない。
 状況的に、限定された空間内に、若い男と若い女が二人きり。さらには、助けを呼べる状況ではないときている。
 こんな状況で何か間違いが起こったらどうしようとか考えないのだろうか。

「どうする、って言われてもさ。逆に聞くけど、あんたは何するつもりなの、自称怪盗さん」
「そりゃまあ、アレだよアレ、子供には聞かせられないからピー音で隠すようなヤツだ。昔のテレビでは放映されていたらしいと今では伝説となっているようなアレやコレやだ」
「いや、そのたとえは全然わかんないけど……でも、そっか」
 ナンナが上体を起こす。
 ジャージのトップスの前ファスナーをみぞおちまで下ろすと、事も無げに彼女は言った。
「別にいいよ。あんたにその気があるなら。あ、勘違いしてほしくないから言うけど、好きだからとかそういうのじゃないから」
 ほらどうぞ、と言ってナンナは腕を広げた。胸元の生地だけが盛り上がりぴんと張っている。
 その行動が何を意味するのかわからないほど俺も朴念仁ではない。
 しかし、そんなことより別のことが気になっていた。

「どうしたの? 来ないの?」
 ナンナの姿を見て、これは可哀想だな、と思った。
 彼女が眠っていたときは気づけなかったが、彼女の表情には疲れの色が濃く出ていたのだ。格好からは、それに付随する属性のモノが見て取れる。
 目元にはクマが浮かんでいた。それも関連して顔全体の血色が悪いように感じられる。
 頭髪には、ところどころに全体的な流れに従わずあちこちへ伸びていく乱れた毛がある。前髪に着目すれば、まもなく上のまぶたを覆い隠すぐらい、不揃いに伸びている。
 服もそうだ。上下ジャージを着ている時点では、女性だってそういう装いをすることがあるだろうと軽く考えていたが、こうやって改めて全体を俯瞰すると、違う予測が導き出されるーー服装に気を回す余裕が無いのだ、と。

 このナンナという女性についてまとめると。
 服装はもちろん、髪にも肌にも気を遣えないほど疲れており、さらに出会って間もない男に身を委ねてもいいと考えてしまうほど、冷静な判断力を欠いた状態であった。
 女神モドキの言っていたことが、今さらながら腑に落ちる。
『ーー貴方は見ていられない状態にまで追い詰められていましたからね』
 あれは、こういう意味だったのだ。
 神が手を差し伸べたくなるほどに、ナンナは疲弊しきっている。

「……ちっ、気づかれたか。近づいたらビンタしてやったのに」
 勘のいいやつ、と言って彼女は両腕を下ろす。
 ここで下手に気を遣っても、これまでと変わらず軽口を叩いても、彼女には響かない。
 きっと、呆れとともに右から左へと受け流すことだろう。
 おそらく、あっちの世界でこれまでの彼女がそうしてきたように。
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