ふたりきりの閉鎖倶楽部

きどじゆん

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人間の女『ナンナ』の苦悩と光明

#18

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 ナンナの説明で、『更科しらさ』がネット上で人気を博したということはわかった。
 それ自体は商売繁盛で結構、で終わらせていいのだが、悩みの原因については未だ明らかではない。
 ナンナの悩みが、不人気のVRキャラクターの演者を続けていることが辛い、とかなら俺にもその辛さを想像できそうなものだが、これはハズレだった。

「人気者を演じるのが辛いとか? あるいは演者として定着してしまって元の仕事に戻りづらくなった、とか?」
「しらさちゃんを演じることは楽しいから、そういう悩みじゃないんだよね。元の仕事に未練は……無いとまでは言わないけど」
「なら、人気者だから妬みを買ってしまうことが多くて辛い?」
 それでもない、とナンナは否定する。

「じゃあ、あんたは何を悩んでるんだ?」
「そうだね、一言で言うなら……自分って何なんだろう、かな」
「遅れてきた思春期か?」
「次に同じこと言ったらバカにされていると判断するから気をつけてね」
 不興を買ってしまった。
 割かし真面目に返事したつもりだったのだが。

「ちょっと想像してみて欲しいんだけど。そう、自分の中にもう一人の人格が居ると想像してみて」
 ナンナに言われた通り、想像してみる。
 やあ、もう一人の俺。今日も元気にやってるか?
 そうか、それならヨシ。じゃあお前、俺の代わりにこの閉鎖空間でナンナと二人きりな!

「もう一人の自分は、自分より人気者で実力があって性格も良くて、何一つ勝てるところがないと考えてみて」
 ぬうう……もう一人の俺、よくぞ俺を倒した!
 ……だが覚えておくがいい。俺が倒れても第二第三の俺がお前の前に立ち塞がるだろう。
 そしていくらお前でも、俺の中のもう一人の俺には勝てぬぞ、フハハハハーーってあれ、もう一人の俺同士が戦い始めたぞ?
 本来の人格であるはずの俺はどこに行った?

「もしそうなったら、元から居た自分の人格の存在価値はどうなるのかなって、考えたりしない?」
「なるほど。もう一人の人格の方が優れているなら、最初から居た自分は引っ込んで、別人格に体を明け渡したほうがいいかも、と考えてしまうかもな」
「やけに理解が早いのが怖いけど……だいたいその通り。でも私は、引っ込みたくない。別人格が居てもいいけど、元から居る私はそのままにしておきたい」
「その流れでいくと、あんたが二重……いや多重人格か? そういう心の悩みを抱えてることになるけど」
「いや、別人格の話は想像しやすいように持ち出しただけだよ」
 平然とそういうこと言うなよ。
 手がつけられない深刻な話かと思って身構えたじゃねえか。

「別人格は居ないけど、私の中にはしらさちゃんが居る。プロジェクト立ち上げの時からあの子のことを考えつづけてきたから、きっと私が一番理解してるんだって思う」
「……いきなりどうした?」
 いや、俺もナンナの言う通りだと思うけど。
『更科しらさ』を動かすために準備しつづけて、すったもんだの末に彼女を動かす演者となり、その後も配信活動を続けてきたのだ。ナンナ以上に『更科しらさ』を理解している人間は居ないだろう。

「しらさちゃんへの思い入れが強すぎてね、最近配信を始めると勝手に考え始めるんだーー『私は更科しらさなんだ』っていう強烈な思い込みに頭を支配されるようになってきた。昔は演技しているっていう自覚があったのに、配信が始まった途端に、しらさちゃんがすっと出てくるようになった」
「それは悪いこととも言い切れないんじゃないか。俳優だって役になりきることもあるだろうし」
「違う、そういうのじゃない」
「じゃあ、なにが違う?」
「配信のときだけじゃないんだよ。この思い込みが強くなってから、私の人格はしらさちゃんを存続させるために存在しているだけなんじゃないか……って、強迫的に考えるようになったんだ」
「それは……」
 言葉に詰まる。
 俺の返事を待つこと無く、ナンナは独白のように続けた。

「しらさちゃんが私の生活の中心になってしまったーーいや、あの子を支えるためだけに私という人格が居るんじゃないかって考えてしまうようになった。食べるのも寝るのも、あの子が配信できる分の体力を回復させるため。私のためだけに何かをしよう、なんて考えられなくなってきた……実は今日、お休みの日だったんだけどね、私が私のためにやってることなんて、最低限の身の回りのことぐらいしかない……って気づいちゃったんだ」
 見ればわかるでしょ、とナンナは両手を広げる。体全体を見せるように。

 ああ、見ればわかる。
 あんたは服装も髪の毛も整ってないし、顔色もひどく不健康そうだ。
 体調が良さそうなんて感想を抱くやつは十人のうち一人いるかどうかってところだろう。
 あんたが人気配信者だと紹介したところで、誰も信じてくれないさ。

 それなのに、そんな状態だっていうのにーーなんであんたの声だけは元気で、快調そのものなんだろうな。
 あんたの声まで悪くなったら、『更科しらさ』まで調子を崩しているように思われるからか?
 ……いや、これこそが証拠なのか。
 『更科しらさは自分より優先されるべき』という思い込みの証拠を、目の前の女性はその身で表しているのだ。

 その時、柄にもなくこう思った。
 ナンナのために俺から何かしてやれることはないのか、なんてことを。
 情でも移ったかーー普段は他人への興味が薄いくせに。

「ごめん、カイトウさん。こんなこと打ち明けられても困るでしょ?」
 ナンナの言葉に対して、肯定も否定もできなかった。
 最初は軽いつもりで聞いていた悩み相談が、心理カウンセラーに相談するレベルだったのだ。たしかに困っているといえば、そのとおりだ。

 それでも肯定するつもりはなかった。
 それを認めてしまうと、せっかく悩みを打ち明けてくれたナンナの思いを無駄にしてしまう気がした。

 しかし、「別に困るほどではない」という否定もできない。
 そもそも、俺は悩み相談を受ける側に回ったことはないのだーー『悩みがあるなら抱え込まずに打ち明けてください』と説かれたことは幾度もあるが。
 経験値が足りなさ過ぎるのだ。あと、回答の引き出しが少ない、というか段数があるのに接着剤か何かで固定されて引っ張り出せないようにされてて、結果として何も出し物が無い。

「いいんだよ、無理しなくて。こうして聞いてもらえただけで、ちょっと楽になった気もするから」
 いかん、俺が悶々としている間にナンナが回答時間を打ち切ろうとしているぞ!
 ……いや、こんな時こそ、落ち着くんだ。
 クリティカルな回答じゃなくていい。遠回りに何かだしてみろ。

 心理的な問題。
 二重人格。
 実生活の重大な変化。
 ーーそうだ、そう言えば昔、そんなテーマの映画を見た気がする。
 ディテールは抜け落ちているが、肝心な部分は覚えている。
 だからーーきっと俺にもやれるはずだ、俺なりのやり方で。

「カイトウさん? 悩み相談はもういいから、お散歩の続きでもーー」
「急だが、ある映画の話をしてもいいか」
「いいけど……せめてB級以上の映画にしてよ? サメとかやめてよ?」
「大丈夫、B級よりは上だから」
 少なくともサメをメインに据えてはいない。いわゆるヒューマンドラマだ。
 世間的な評価は知らないが、コアなファンには刺さった映画だったはず。
「そう? なら話してみてよ」
 ナンナは木の幹に寄りかかって、話を聞く姿勢をとる。
 俺は彼女を正面に見据え、あと三歩の距離を開けてから、語ることにした。
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