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人間の女『ナンナ』の苦悩と光明
#21
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映画の説明が一通り終わったので、言いたいことをまとめる。
「この映画だが、メインテーマを際立たせるための添え物として乖離性人格ーー多重人格を描写している。普段接することが無い人間にはファンタジーに思えるだろうが、多重人格を持つ人間は実在するんだ」
ナンナは黙ってうなずいた。
「聞きかじった知識だが、発症の一因として、主人格に対する心理的抑圧があるらしい。映画の主人公の抱える症状、いわゆる睡眠不足によって現実感が希薄になる感覚は、あくまでもう一人の人格が出てくる心のスキマをつくり出したに過ぎなくて、実際は仕事や趣味嗜好や家庭環境が複合的に主人公を抑圧していたんだろう」
「……うん」
「抑圧から生まれた別人格は行動原理が明確でわかりやすい、っていうのは劇中の主人公の相方を見ればわかる。彼は何かにしばられることを嫌い、自分を囲う世間のしがらみを破壊しようとし、さらに自身の行動を邪魔する主人公まで乗っ取ろうとする。行動原理が明確で、意思が強固な人物として描かれている」
「ああ、確かに」
「この映画では、心の中に生まれた別人格を振り払うために自決レベルのことをやっている。つまり、それぐらいの覚悟が無ければ人格を統合することは難しいということだ」
「ウソでしょ……私そんなの怖くてできないよ」
気持ちはわかる。俺がナンナの立場でも怖い。できる気がしない、いや、やろうとしてもやり切れずに終わりそうな気がする。
「カイトウさん。どうすればいい?」
すがるようなナンナの声。
どうすればいいか--Vの演者として『更科しらさ』の人格を内側に作り出した彼女の場合、映画のように深刻な事態にはならないだろうが、当事者からすれば『いつか同じことになるかもしれない』という不安は拭えないことだろう。
病は、今の症状が軽いからといって何もしなければ、重症化することは多かれどもより軽くなることは少ない。良くて小康状態が続くくらいだ。
「しらさちゃんのことは大切に思ってる。だけど、私はあの子にすべてを明け渡すつもりは無い。だって、私はしらさちゃんじゃないし、あの子も私じゃない。別人格じゃなくて、別々の存在なんだよ」
ナンナは自分の胸に手をあてている。
彼女の認識では、そこに『更科しらさ』がいるのだろう。
だが、架空のキャラクターはそこにいるわけじゃない。
これは心の、いや人間の心を生み出し、機能させていく脳の問題だ。脳の問題を解決してやればいいのだ。
だが、本当に俺がやってしまっていいのか。
しっかりした、心理療法の専門家に任せた方がいいのでは。
「もう、私はVを辞めた方がいいのかな。しらさちゃんにも、協力や応援してくれる人にも悪いけど、私の人格がおかしくなるぐらいなら、もう私は演者を辞めて、この空間にずっと引きこもっていたほうがいいのかも」
「……いや、それは駄目だ」
聞きとがめた。こればかりは聞き逃すことはできない。
「そうだよね、カイトウさんはここから出たいもんね」
「それもあるが、それだけじゃない。あんたは『更科しらさ』を辞めたら、絶対に後悔する」
「そんなの……カイトウさんに私の気持ちはわからないじゃん」
ここまであんたの話を聞いていて……わからないなんてことあるか!
「好きなんだろ、『更科しらさ』のことが。あんたの子がVRの中で動いて喋って、楽しく配信して、皆から応援されて成長していって、そして輝く姿を見たいだろ」
「……うん、見たい」とナンナがつぶやく。
「しらさちゃんが輝くところ、見たいよ」
「そう思えるなら辞めるべきじゃない」
「だったら……どうしたらいい!」
ナンナの顔は、感情を表に出さないよう堪えていた。
その感情は、怒りや悲しみがないまぜになったものかもしれなかった。
俺にはそれを推し量ることができないが。
「……どうしたらいい? しらさちゃんを今までみたいに活動させて、そして私が苦しまなくて済むような解決方法がある?」
無い、と言いたいところだが。
「有る」
と俺は言った。
心の問題なんていうデリケートな話は、専門家に相談するべきで、素人が口を出すものじゃない。
だか、この閉鎖空間には、彼女と俺しか居ない。
彼女が相談できる相手は、俺しか居ない。
それは誇張もなく、うぬぼれもなく、事実として。
今、この場所で、俺がナンナの悩みを解決に導くしかないのだ。
だから俺は「解決策は有る」とはっきり言った。
「この映画だが、メインテーマを際立たせるための添え物として乖離性人格ーー多重人格を描写している。普段接することが無い人間にはファンタジーに思えるだろうが、多重人格を持つ人間は実在するんだ」
ナンナは黙ってうなずいた。
「聞きかじった知識だが、発症の一因として、主人格に対する心理的抑圧があるらしい。映画の主人公の抱える症状、いわゆる睡眠不足によって現実感が希薄になる感覚は、あくまでもう一人の人格が出てくる心のスキマをつくり出したに過ぎなくて、実際は仕事や趣味嗜好や家庭環境が複合的に主人公を抑圧していたんだろう」
「……うん」
「抑圧から生まれた別人格は行動原理が明確でわかりやすい、っていうのは劇中の主人公の相方を見ればわかる。彼は何かにしばられることを嫌い、自分を囲う世間のしがらみを破壊しようとし、さらに自身の行動を邪魔する主人公まで乗っ取ろうとする。行動原理が明確で、意思が強固な人物として描かれている」
「ああ、確かに」
「この映画では、心の中に生まれた別人格を振り払うために自決レベルのことをやっている。つまり、それぐらいの覚悟が無ければ人格を統合することは難しいということだ」
「ウソでしょ……私そんなの怖くてできないよ」
気持ちはわかる。俺がナンナの立場でも怖い。できる気がしない、いや、やろうとしてもやり切れずに終わりそうな気がする。
「カイトウさん。どうすればいい?」
すがるようなナンナの声。
どうすればいいか--Vの演者として『更科しらさ』の人格を内側に作り出した彼女の場合、映画のように深刻な事態にはならないだろうが、当事者からすれば『いつか同じことになるかもしれない』という不安は拭えないことだろう。
病は、今の症状が軽いからといって何もしなければ、重症化することは多かれどもより軽くなることは少ない。良くて小康状態が続くくらいだ。
「しらさちゃんのことは大切に思ってる。だけど、私はあの子にすべてを明け渡すつもりは無い。だって、私はしらさちゃんじゃないし、あの子も私じゃない。別人格じゃなくて、別々の存在なんだよ」
ナンナは自分の胸に手をあてている。
彼女の認識では、そこに『更科しらさ』がいるのだろう。
だが、架空のキャラクターはそこにいるわけじゃない。
これは心の、いや人間の心を生み出し、機能させていく脳の問題だ。脳の問題を解決してやればいいのだ。
だが、本当に俺がやってしまっていいのか。
しっかりした、心理療法の専門家に任せた方がいいのでは。
「もう、私はVを辞めた方がいいのかな。しらさちゃんにも、協力や応援してくれる人にも悪いけど、私の人格がおかしくなるぐらいなら、もう私は演者を辞めて、この空間にずっと引きこもっていたほうがいいのかも」
「……いや、それは駄目だ」
聞きとがめた。こればかりは聞き逃すことはできない。
「そうだよね、カイトウさんはここから出たいもんね」
「それもあるが、それだけじゃない。あんたは『更科しらさ』を辞めたら、絶対に後悔する」
「そんなの……カイトウさんに私の気持ちはわからないじゃん」
ここまであんたの話を聞いていて……わからないなんてことあるか!
「好きなんだろ、『更科しらさ』のことが。あんたの子がVRの中で動いて喋って、楽しく配信して、皆から応援されて成長していって、そして輝く姿を見たいだろ」
「……うん、見たい」とナンナがつぶやく。
「しらさちゃんが輝くところ、見たいよ」
「そう思えるなら辞めるべきじゃない」
「だったら……どうしたらいい!」
ナンナの顔は、感情を表に出さないよう堪えていた。
その感情は、怒りや悲しみがないまぜになったものかもしれなかった。
俺にはそれを推し量ることができないが。
「……どうしたらいい? しらさちゃんを今までみたいに活動させて、そして私が苦しまなくて済むような解決方法がある?」
無い、と言いたいところだが。
「有る」
と俺は言った。
心の問題なんていうデリケートな話は、専門家に相談するべきで、素人が口を出すものじゃない。
だか、この閉鎖空間には、彼女と俺しか居ない。
彼女が相談できる相手は、俺しか居ない。
それは誇張もなく、うぬぼれもなく、事実として。
今、この場所で、俺がナンナの悩みを解決に導くしかないのだ。
だから俺は「解決策は有る」とはっきり言った。
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