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いろいろな事情

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ジョルダンの言うことは、難しくてよくわからない。
優しくしてくれる彼は…ティファニーにとってもしかすると味方であるような顔をして、利用しているのではないか?と思った。
…何故なのか、ティファニーには理解が出来なかった。

招待客を出迎えにホールにいたライアン・ウィンスレット公爵は、堂々たる体格の覇気溢れる紳士で、妻のエレナはほっそりとしながらも女性らしい体型をしていて、色気ある美人であった。

「こんばんは、ジョルダン、レディ ティファニー」
親しみの籠った声でライアンが二人に、というよりはジョルダンに向けて声をかけた。
「こんばんは公爵閣下、公爵夫人」
ジョルダンは微笑みを二人に向けた。
「お子さま方は健やかにお育ちですか?」
「ええ、とても」
にっこりと柔らかな笑みを見せるエレナは、とても優しそうな暖かい雰囲気であった。
「それは楽しみですね」
ジョルダンがにこやかに返すと、ティファニーを促して次の客に公爵夫妻の前を譲る。ティファニーは二人にお辞儀をすると、ジョルダンにエスコートされて、会場前でケープを預けた。

デビューしたばかりの、ティファニーにはまだこの貴族の華やかな世界がまだ馴染まない。
隣に立つジョルダンは、息をするのと同じくらいこの世界に溶け込んでいて、なおさら気後れしてしまう。

「ほら、そんな風に俯いてないで」
囁かれて、そっと顔をあげる。

壮麗なウィンスレット公爵邸の大広間。目に入る物がすべて王宮にも匹敵するほどの華麗な設えである。

ジョルダンに連れられて、ティファニーは大人の貴族たちに次々と紹介されて行く。その度に、名前を教えてもらいお辞儀をしてと繰り返していく。

「そろそろ慣れてきたんじゃない?」
「え?」
「君が気後れするような立派な大人たちに緊張しなくなったでしょ?」

流れ作業のように同じような動作を繰り返す事で、確かに初めほど緊張しなくなってきた。
「ピアノの練習と同じように回数をこなすことで、上手く出来るようになるんだ」
にっこりと微笑む。

公爵夫妻と、嫡男のフェリクスと婚約者のルナ、それから令嬢のジョージアナと婚約者のフレデリック、フレデリックはジョルダンの兄である。容貌はとても似ているな、とティファニーは思った。舞踏会の始まりは定石通りウィンスレット公爵家の方たちからダンスから舞踏会が始まった。

次の曲からは、招待客も一斉に踊る。華やかな曲調のカドリールでの幕開けだ。
ジョルダンのダンスは改めて一緒に踊ってみると、しなやかで流れるように美しい。

「ティファニー…君が俯かないで済むように、私が色々な事を教えてあげるよ」
「色々?」
「そう、せっかく社交界デビューしたんだから楽しまないとね…自信がないならつければいい」
にっこりとジョルダンは微笑んだ。

「…どうして、そんな風に言ってくれるの?」
「これは心からの親切心からだ。裏はないよ」

ふふっとジョルダンは可笑しそうに笑った。
「ティファニーはすぐに顔に感情がでるんだね」
そう言われて、そっと目線をを外してしまった。
招待客が多く、ティファニーはめまぐるしく次々とと相手を変えて踊っていった。

時おり、ジョルダンが来て飲み物を手渡したりパウダールームに促してくれたり、ティファニーに気を使ってくれて、やはり若いラファエルやマクシミリアンとは違う、大人らしい細やかな気遣いが感じられた。

「ティファニー」
ルナがにこにこと声をかけてきた。ルナの隣に守るようにいるフェリクスは間近で見ると、とても麗しい貴公子でティファニーは、どちらが素敵かな…と思わずラファエルと比べてしまう。

年齢を重ねた落ち着きと、穏やかな雰囲気で大人の魅力がある分フェリクスの方が胸を高鳴らせ高鳴らせる女性が多いかとティファニーは思った。
「こんばんは、ルナ」
「ねぇティファニー。今日はラファエルお兄様をみた?来ているはずなのに、少しも姿が見えなくって」
ルナはそう言ったけれど、ティファニーもこの夜は見ていなかった。首を横に振ってそれを返事にした。

「ラファエルたちはもしかすると、外かもしれない、ルナ」
フェリクスが会場内を見渡すようにして、そう言った。
「そとっ!?」
ルナは驚いた顔をみせた。
「ラファエルだけじゃなくて、若い子のほとんどが、いないみたいだ…探しに行ってみようか」

フェリクスが示したテラスへ行くと、少し離れた庭一画に年若い貴公子たちが固まってまさしく遊んでいた。

ラファエルたちは、その時小広間から庭に降りる少し高めの階段にいて、そこからどれだけ遠くまで飛べるかを競っているらしくて、盛り上がってる声が響いている。

「次いくぞー!」
ラファエルが、階段からジャンプする。
ティファニーから見れば、怖いほどの高さから階段をけって空中にしなやかな動物のように身を踊らせ、テールコートを翻して着地する。
その一連の動作にティファニーは見とれた。
「またラファエルの勝ちかな」
「つぎ、マックスいけー」
とすでに酔いがまわっているのか、盛り上がってる。
マクシミリアンも、ラファエルが立っていた階段からジャンプをする。ラファエルに負けず劣らずのジャンプ力だった。
それに、やんやの喝采があがっている。
「…うーん。やっぱりラファエルの勝ちかな!」
オスカーの声がしている。

「ラファエルー!」
フェリクスが呼びつけた。
振り向いたラファエルが、走りよってきた。
「なんですか?」
「お前たちね、舞踏会に来たんじゃないのかな?それなのに、今は何してる?」
フェリクスがやれやれ、といった風に話始めた。
「舞踏会に…まぁ…その前にちょっとカードゲームをはじめたら、熱くなって」
「その、カードはどうなったんだ?」
「で、セオがまけて罰ゲームで、階段からジャンプしようってなって」
「で?」
「で。なんか飛ぶのも、楽しそうだなって」
「そうか…それで家の庭は大丈夫なんだろうね?」
「たぶん?」
にっこりと微笑むラファエル。
「ガキだな…」
「まだ19だから許して、フェリクス」
わざとらしく、まだ子供だと主張している。

「…子供ぶるなら全員今すぐ、お前たちの親に言ってやろうか?それともレオノーラに言った方がいいか?」
「うわ、本当に許して。家の親もレオノーラ姉上もほんとに洒落にならないくらいボコボコにされる」
「だったら、身支度を整えて戻ってこい」
フェリクスがびしっと言うと
「わかった!ルナ、父上とレオノーラ姉上にいうなよ!」
とラファエルが叫ぶと、駆け足で友人たちのもとへ行く

「ちゃんと戻らないとマズそうだ」
遠くから、微かにラファエルの声がした。
「俺は止めたぞ!」
マクシミリアンが言った。
「いーや。同罪だ、俺がオヤジにやられたら、骨は拾ってくれ」
そう言ったラファエルに、他のみんなで笑いながら階段を上がって部屋に入っていく。


「多分、身なりを整えて入ってくるはずだ」
フェリクスが笑いながら言った。
「ラファエルお兄様ったら、ちょっと大人になったのかと思ってたのにやっぱり子供みたいなのね」
「でも、ルナはそういうけれどラファエルは優秀だよ。スクールだって今だって、立派な貴族院の一員として頑張ってるんだ」
くすっとフェリクスは言った。
「そうなの?」
ルナがフェリクスを見上げている。
「ブロンテ家の嫡男として、家と家族を守ろうと必死だよラファエルは」
「ですって。ティファニー、お兄様をよろしくね」
「え?」
ティファニーはルナの言葉に少し赤くなった
「お兄様が仲良くしてる令嬢なんて、ティファニーくらいだもの。見捨てないでね」
きゅっとルナに手を握られた。
「仲良くなんて、していないから。ラファエルは私の事なんて令嬢扱いしていないだけ」
「え?本当にそうかしら?」
ルナは首を傾げて、ティファニーを見下ろす。

「そうなの」
ティファニーは笑みを向けた。

「まぁ、お兄様自身がまだ子供みたいだものね」

さっきの鮮やかなジャンプが脳裏に浮かんで、楽しくなる。
思わず笑みが浮かんでいた。

「でも…楽しそうで、いいな」
気がつくとポツリとことばが漏れていた。

少したって、装いをきっちりと直してきたラファエルたちが会場内にそっと入ってきていた。

「さっき、俺らを見てた」
フェリクスに怒られたからか、ばつが悪そうにそっと囁く声でラファエルが言ってきた。

会場に入ってきて、一番に声をかけてくれたことが素直に嬉しくなる。多分さっきの遊びをティファニーが見ていたからだとは思うけれど…

「少しだけ…。でも、楽しそうって思った」
ティファニーはふきだしそうになった。
「ふぅん、じゃ今度してみる?」
「まさか、しないから」
くすっと笑えた
「次のダンスはあいてる?」
「…空いてる…」
「じゃあ、よろしく。ティファニー」
「でも、次の曲は…ちょっと難しくて…」
「大丈夫、足踏んでもいいから」
くくっとラファエルは笑いながら踊りの輪の中に連れていった。
さっきの出来事があったからか、気負わずに普通に話せる事に安堵する。

難しいステップのダンスは上級者向けだけれど、ラファエルは溌剌とした足どりでステップを踏んでいく。
このダンスはみんななかなか苦戦して、失敗しつつも笑いながら踊るのが主旨でもある。

「相変わらず、小さいな。ちゃんと食べてる?」
「小さいってなによ?それ」
くすっとティファニーは笑った。長身のラファエルに比べられても困る。
「食べてるから、ちゃんと」
「あんまり…大きくならないから、…壊れそうだ」
思わず見上げてしまって、見下ろしている目と視線が合わさって少しドキドキしてしまった

「…壊れたりしないから。大丈夫」 

ダンスが終わり、ティファニーはそっと告げた。
「アリアナは…15日よ」
これで、通じるはず。
「褒めてくれたお礼…」
お辞儀を終えて、続けていった。
「会いに行くよ…」
同じようにそっとラファエルも返した。 

ラファエルと踊り終えると、マクシミリアンがダンスを申し込んできた。
「いつも、あんな風にふざけてるわけじゃないんだよ?」
少し恥ずかしげにマクシミリアンは言ってきた。
クールな風に常日頃いる彼だから、ティファニーに見られたことを恥ずかしく感じているのだろう。
「楽しそうでいいなと思いました…男同士って仲がいいんですね」
「特に、ラファエルたちとは小さな頃から一緒にいましたから兄弟同然ですね」
マクシミリアンが笑った 
「女性はそういうのがありませんから、少し羨ましくもあります」
「そう?女の子たちも会ってすぐに打ち解けて、話していたりこそこそ話していたり、男からはまったく謎な世界だよ?」
確かに、そのようなシーンはよく見受けられた。

ティファニーもエーリアルやアデリンと会ってすぐに楽しく話していたり、
「確かにそうですね」
同意の笑みを向ける。

「今日は皆、楽しむ予定なのですよ。ここはどの貴族の屋敷より立派でしょう?早朝にはここの乗馬を楽しむのです。ティファニーも行きませんか?」
「早朝に、乗馬を…」

貴族たちにとって乗馬は、男女共に基本的な素養として必須である。しかし、ティファニーは乗馬をしたのはすでに2年前に遡る。しかも、当時から自信がない。

「あの…私、恥ずかしいのですけれど乗馬が苦手で…」
そっと目を伏せた。
「以外だな。元気な令嬢だからてっきりこういうことは得意かと思っていました。でしたら尚更、この機会に行ってみましょう」
「でも本当に…乗れないかも知れないんですけど?」
「私の乗る馬に一緒に乗ってみましょう。朝に馬を駆けさせると楽しいですよ?」

そこまで熱心に言われると、ティファニーも頷かざるを得なくなる。

やがて、夜が更けて大広間から応接室へと移動していく。
男性たちはテーブルゲームや、ビリヤードをしたり、女性たちは談笑している。
すでにティファニーは眠気でぼんやりとしてきて、話の内容が頭に入ってこない。
「ねぇ、ティファニー。私たち同じ部屋に泊まりましょうよ、そして朝から乗馬に行くの」
眠そうなティファニーに、まだまだ元気そうなエーリアルが言ってくる。
「同じ部屋に…?エーリアルが良いなら」
とあくびを噛み殺しながら言うと、エーリアルは嬉しそうに
「やった!あのね、私もお姉様たちみたいに友達とお泊まりしてみたかったの」
とにこにこしている。
そのままエーリアルと腕を組んで、ウィンスレット邸の客室に案内されて、女性向けの部屋に入った。
ベッドは1つだけれど、一人では広すぎる位なので問題ない。

公爵家の用意してくれたバスルームを使い、着替えも借りてティファニーはネグリジェになる。
「あれ?ティファニーの髪の毛…」
「うん。短いでしょ?」
エーリアルの背を覆うほどの髪に比べると、伸びてきたとはいえ肩を覆うくらいのティファニーの髪では短すぎる。
「去年ね…結婚話がきて、それがイヤで思わず切っちゃった。レディらしからぬみっともない見た目になったら、壊せるんじゃないかと思ったの」
「ええ!?結婚って」
「でも、親しい人がそれを白紙になるように、してくれたみたいで。その話はなくなったの」
「そうなの …でも良かったわ。気に入らない結婚なんてしなくって」
エーリアルが言った。 

「あのね、家は男の兄弟がいないの」
「レイノルズ伯爵の跡継ぎが…いないってことね?」
「うん。そう、それで養子をもらってシャーロットお姉様にその人と結婚をって両親共に考えていたみたいなんだけれど」
女では家は継げない。そういう法律である。

養子というのは、所謂苦肉の策である。
「でも…お姉様はずっと従兄のエドワードお兄様と許嫁だったわけ。口約束だったけれどお姉様はお兄様を好きだったのね…。」
「…そう」
「エドワードお兄様はアボット伯爵家の嫡男だから、諦めざるを得なかったのだけど。お互いに愛し合ってる二人の気持ちを知ったお父様もお母様も二人を結婚させたの」
「…そう、素敵ね」
「うん」
エーリアルの笑みは心底嬉しそうである。

「それでその事があったから、アデリンお姉様も私も、お母様から好きな相手を選びなさいって言われてるけれど、私もお姉様も頑張って養子になってくれる人を選ぼうって決めてるの」
「エーリアル…」
「だって、次男や三男の方にも素敵な人はたくさんいるもの」
「うん、そうねエーリアル」

明るくて可愛らしいエーリアルが、そんな風に相手を探そうとしているなんて、想像もしなかった。

「ティファニーなら、どんな相手でも選べるんじゃない?」
にこにことエーリアルが言った。
「ねぇ、誰か好きな人、いないの?」

好きな人…と言われて思い浮かべるのはラファエルだ。でも、彼を好きだと言う資格は自分にはないのだ…。

「…内緒…恥ずかしいから」

えー?とくすくすとエーリアルが笑う。
「じゃあ…恥ずかしいのが落ち着いたら話してね」
「うん…」
手を繋ぎ合う。ティファニーのはじめての友人…。
金色の瞳が、キラキラしている。
「ティファニーの瞳ってとっても綺麗。まるでガラス細工みたいに繊細で晴れ渡った朝の空みたいに澄んでる」
「エーリアルの瞳だってとっても綺麗。お日様の光を集めたみたい」
二人でベッドに入ってそんなことを話していると、エーリアルの瞼がゆっくりと閉じられていく。

エーリアルに、いつか話せる日が来るだろうか?ティファニーの恋の話を。あどけなさの残る、エーリアルの寝顔を見ながらティファニーもまた眠りに落ちた。
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