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新しい夏の思い出
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ロレインとの対決のその後は、いたって何ごともなかったかのような平穏な日々をブロンテ邸で迎えていた。
いよいよ明日には出立という、その日…。
「ティファニー様、ウェルズ夫人がお見えでございます」
ケリーがティファニーを呼びに来た。
「ウェルズ夫人というと…レディ マリアンナ?」
「はい、そうです」
あっさりと肯定されるも、マリアンナとは以前に舞踏会で紹介されて以来である。ティファニーを個人的に訪ねてくるほど親しくなれたとは思っていない。
応接室に向かうとゆったりと上品な佇まいでマリアンナはソファに座っていた。
「突然来てしまってごめんなさいね。驚いたでしょう?」
「ええ、少し驚きました」
ティファニーもマリアンナの前に座る。
ティファニーの率直な物言いにマリアンナはすこし笑ったようである。あまり本音で言わない方が良いのかと言ってしまってから気づく…それではすでに遅い…
「まずは、一つ目の用事はこれね、結婚おめでとう。ささやかだけれどお祝いね」
しかし、気を悪くしたようでもなく朗らかにマリアンナがくれたのは金細工の美しい鏡と櫛だった。模様細工の中にティファニーの名前があり、正しくティファニーの為に作ってくれたのだとわかる。
「きれい…ありがとうございます」
「…元気そうで良かったわ。この間の事で本当に怪我はなかったの?」
この間の事…というとは紛れもなくロレインとの事であろう。
「…ほんとうに何でもお見通しなのですね…」
「びっくりさせてごめんなさい。でも、貴女は口も堅いようだし、私がこうした一面を持つことはわかっているかと思ったの。レディ ロレインの事は、私がもっと気をつけておくべきだったわ。まさかあんな形でティファニーに攻撃するとは思わなかったから…」
「水をかけられただけですから」
「そこに水しか無かったからよ。もし…そこにナイフでもあったら衝動的に刺したかもしれないわ」
もし、そこに…。その言葉にティファニーは思わず、去年の夏の自分の行動を思い出した。
あの日、近くに鋏があったから、とっさにみっともない姿になれば縁談が無くなる、あわよくば白紙になる、とふと思い立ち髪を衝動的に切ったのだ。
ロレインももしそこにナイフがあれば衝動的にそれを振るったとしても、人の感情というはそういう、自分でもどうしようもない事がある。
「そうかもしれません、でも私はこうして無事でした」
でもなぜマリアンナがわざわざティファニーを気にしてるのだろう。
「純粋に可哀想だわ。ロレインは…」
「そうですね…でも、私は同情出来ません。彼女が選ばなかった人と親しかったから」
ジョルダンは彼女が自分を選んでくれる事をずっと諦めずに待っていたはずだ。それを突き放したのはロレインで、ティファニーが引き離した訳ではない。
「その通りだわ」
マリアンナは紅茶を口に運ぶと
「貴女が元気そうでほんとうに良かったわ。大事なブロンテ家の花嫁に何かあったら、こんな風に今平穏じゃ無かったでしょうから」
「もしそうなっていたら、ラファエルが何か報復をするという事でしょうか?」
「ラファエルも、ブロンテ伯爵もそれに、屋敷内での事だからアボット伯爵もでしょうね。そうなれば、ロレインはもちろんカートライト侯爵はどうなったかしら?」
にっこりと微笑んでいる
「貴女がロレインを許せない、と言うのなら打つ手はあるわ」
目の奥が笑っていなくて、ティファニーは慎重に言葉を選んだ。
「いえ、レディ シャーロットが釘を刺してくださいましたから、私は何も望みません」
「…ほんとうに?」
「…ええ…」
「…残念…まぁ、すぐに力を削ぐ必要は無いし、今まで以上に注意しておくわ。貴女も何かあったら、私にすぐに相談してシャーロットでもいいわ」
「はい、レディ マリアンナ」
「それはそうと、王都をもうすぐ発つのですって?」
もはや、マリアンナが何を知っていようと驚くまい。
「はい」
「じゃあ、これをあげるわ。イングレスの本よ、私がプロデュースして作成させたの」
それは、旅に必要な知識の書いた本である。
「すごいです!嬉しいです!」
「楽しんできて、いい旅を」
ティファニーは頷いた。
「あのね、私がどうして貴女を気にかけるのか…それが気になる?」
「ええ」
「貴女がブロンテ家の夫人の座に収まったからよ。ブロンテ家は武門派のグレイ家に継ぐ家。ウェルズ家は宰相家の家、穏健派の筆頭よ…貴女は望まないかも知れないけれど、女の社会にもそれは色々と影響するの」
「だから…その私を傷つけようとしたレディ ロレインこの先どうするのか…確かめにいらしたのですね?」
「そうよ、やっぱり思った通り、貴女は賢い女性だわ」
「今回は本当に平気です…。でも次はありません」
ティファニーもきっぱりと言った。
「それで良いわ。私も今のこの均衡を崩したくないの」
「均衡…?」
「どの派閥も突出させないように、よ」
「…よく…わかりました…」
コクリとティファニーは息を飲んだ。
おっとりと見えるこのマリアンナは、正しくこの国を影から支える宰相家の嫁なのだ。
きっと恐ろしく頭が良い。
「怖がらなくても大丈夫。うちも、私も貴女の敵ではないの、わかる?」
「ええ、わかります」
難しいが…こういうことだ…。突出した派閥を作らないために、影で協力し合える派閥をたくさん作っている…。
つまりは武門派も穏健派も中立派も、根幹はきっと同じなのだ…。
「分かってもらえて嬉しいわ」
にっこりと微笑む。
「また来シーズンはお茶会にでも来てちょうだいね、今年はそれどころじゃなかったでしょうから」
「ええ、もちろんです」
するりと立ち上がるその様は、とても美しくて優雅である。
「今度うちに来た時には是非ピアノを聞かせてね」
「はい、レディ マリアンナ」
「待ってるわ」
にっこりともう一度微笑むと、マリアンナは帰っていった。
ティファニーは、貴族として産まれたけれど…何も分かっていなかったのかもしれない。
ラファエルと結ばれたことで、ティファニーの人生は瞬く間に貴族社会の中枢に押し上げられている。こんなことを思いもしていなかった。
夕方のラファエルの部屋で、ティファニーはぼんやりとラファエルの支度を見ていた。
「どうした?」
「え?」
「なんだか難しい顔をしてる」
ラファエルがここ、と眉間を指で押してくる。
「私、何にも分かってなかったのかなって…。ラファエルと結婚するって事の本当の意味」
「えっ…」
ラファエルは驚いたようにティファニーを見る。
「…嫌になった?」
「…と、思う?」
「…いや、父は怖い顔してるし、姉たちの前だと情けない姿なの見せてるし…色々とややこしいし…この前は、守りきれてないし」
ラファエルは少し焦ったように言う
「…かっこ悪いな…俺。全然…」
「そんな風に思ってたんだ?」
ティファニーはラファエルの手をそっと握った。
「そうじゃない…。私が、世間知らずだってわかったっていう話…」
「ティファニーは大丈夫だよ」
「ううん…たくさん、頑張るね」
「ゆっくり、覚えていけば良いよ…俺も、ティファニーもまだ若い。時間はある」
「うん」
そっと頬に大きな手が当てられて、ティファニーはその手に顔を寄せた。自然と唇がふれあう、その心地よさにうっとりとする。
今の立場に戸惑い、おののく揺れる気持ちもこうして触れ合うそれだけで慰められる。他ならぬラファエルの横にちゃんといる為なら、どんなことでも頑張れる、そんな気持ちが心の奥底から沸いてくる。
「そういえば、本当にメイド連れて行かなくて平気?」
「ラファエルこそ」
「大丈夫だよ。俺たちは寄宿舎で一通りの事はしてるから」
「私もよ、一人で暮らしてた時もあるから」
「…そうか…」
「うん」
「楽しみだな?旅」
「うん」
「じゃあ、そろそろ晩餐かな、行こうか」
明日の荷物は、もともとティファニーが持っていた街中でも浮かないドレスと、それにダイナが用意してくれた鞄と持ち物、それから街中で使いやすい硬貨。
準備は万端である。すでにウキウキとしている。
ラファエルのエスコートでダイニングに降りると、ちょうどレオノーラとキースもやって来た。
「レオノーラ、ヴィクターは?」
「今は眠ってる。とても元気だよ」
「そう、良かった」
母になったレオノーラはとても美しい笑みを見せている。ティファニーもそれを見て嬉しくなる。
「ヴィクターに何かおもちゃとかあったらお土産を買ってくるわ」
ニコッと笑っていうと、
「みんながそうやって買ってくると、おもちゃであふれそうだ」
くすくすとレオノーラが笑う。
席にはすでにルナが着いていて、あとはアルマンとリリアナを待つばかりである。
アルマンとリリアナがやって来て、晩餐が始まる。
「いよいよ明日には発つのか」
「はい、父上」
ラファエルが答える。
「良い機会だ、しっかりと見聞を広めてこい」
アルマンが言うと、ラファエルはうなずいた。
「本当に二人で行く気なんだな?」
「…はい、心配かけて申し訳ありません」
「自分を過信せず、慎重に。一人ではない、ティファニーはお前の守るべき妻だ。頼るべき所はしっかりと他人を頼れ。わかったな?」
アルマンが重々しく言う。
「ティファニー…いや、いい」
何かを言いかけてアルマンはやめた。気になる…
「…伯爵閣下…。私が、この家にふさわしくないとお考えなのは、よく分かっております。でも、たくさん学んで努力していきたいと思っています。ですから、少しだけでも、話していただけたら私はそれで今は嬉しいのですが…」
「ふさわしくないとは思っていない。私にくってかかれる娘が他にどれだけいることか」
「…それでは…」
「それから…私の事は、義父(ちち)と遠慮なく呼べばいい…」
「ありがとう、ございます…閣下…、いえお義父(とう)さま」
「ラファエル、ティファニー、気を付けていけ。何かあればどこかの屋敷でも兵舎でも駆け込め」
ほっとして、ラファエルと笑いあうと、ルナもレオノーラも優しくティファニーを見て、ルナは唇だけで良かったね、と言ってきた。
コクン、とうなずきを返すと、ティファニーは胸がいっぱいになりつつも料理を口に運んだ。
「そうそう、忘れないで9月にはウィンスレット邸に間に合ってね。ルナの結婚式なのだから」
リリアナが気を引き締めるように告げてくる。
はじめはブロンテのカントリーハウスをめざすつもりだったのだが、それだと旅が続いてしまうので直接ウィンスレット邸を目指すのだ。
「もちろん、忘れませんよ」
「ティファニー、手紙を出してね。ラファエルは当てにならないから」
「はい」
「気を付けて」
ティファニーにレオノーラがまっすぐに見ながら言ってくる。
「はい」
晩餐は、いつものように他愛ない会話が続くけれど、どこかしんみりもしている。
次に合うときには、ルナはもう花嫁になる。
友人でもあり、たよりになるお姉さんのようでもある。
「ルナ、後でピアノを聞いてくれる?」
「聞かせてくれるの?うれしい」
にっこりと微笑む。
ティファニーがルナにあげられるものなんて、他には思い当たらないから…。
晩餐の後に、応接室のピアノの前にティファニーは座った。
サイモンが作った、友情のちょっぴり切ない歌である。
それが、ルナへの感謝の気持ちを伝えるのにぴったりだと思ったのだ。
色々な事を話した思い出、また会えるその日まで、過ごした日々に感謝を告げる、サイモンが綴る言葉の情景は違うけれど心情は重なるのだ。
「ティファニー、ありがとう!とっても素敵だった…ありがとう」
「うん…」
ぎゅっと柔らかくて弾力のある体に抱き締められて同性ながらドキドキしてしまう。
「ルナの結婚式には絶対に行くからね?」
はじめて出来た友人たち。そのルナはラファエルの妹でもあり、ティファニーの好ましく思う気持ちはかなり大きい。
「待ってるからね」
「しかし、いい曲だったね。誰が作ったんだ?」
キースが感心しながら言ってきた。
「私のお世話になった人」
これは嘘ではない。
「プロになれるよティファニー」
にっこりとレオノーラも誉めてくれる。
「ありがとう」
アルマンとリリアナも遠巻きに聞いていたらしく、惜しみない拍手を送ってくれて、ティファニーはお辞儀をした。
忘れられない夏の日がまた増えた。
いよいよ明日には出立という、その日…。
「ティファニー様、ウェルズ夫人がお見えでございます」
ケリーがティファニーを呼びに来た。
「ウェルズ夫人というと…レディ マリアンナ?」
「はい、そうです」
あっさりと肯定されるも、マリアンナとは以前に舞踏会で紹介されて以来である。ティファニーを個人的に訪ねてくるほど親しくなれたとは思っていない。
応接室に向かうとゆったりと上品な佇まいでマリアンナはソファに座っていた。
「突然来てしまってごめんなさいね。驚いたでしょう?」
「ええ、少し驚きました」
ティファニーもマリアンナの前に座る。
ティファニーの率直な物言いにマリアンナはすこし笑ったようである。あまり本音で言わない方が良いのかと言ってしまってから気づく…それではすでに遅い…
「まずは、一つ目の用事はこれね、結婚おめでとう。ささやかだけれどお祝いね」
しかし、気を悪くしたようでもなく朗らかにマリアンナがくれたのは金細工の美しい鏡と櫛だった。模様細工の中にティファニーの名前があり、正しくティファニーの為に作ってくれたのだとわかる。
「きれい…ありがとうございます」
「…元気そうで良かったわ。この間の事で本当に怪我はなかったの?」
この間の事…というとは紛れもなくロレインとの事であろう。
「…ほんとうに何でもお見通しなのですね…」
「びっくりさせてごめんなさい。でも、貴女は口も堅いようだし、私がこうした一面を持つことはわかっているかと思ったの。レディ ロレインの事は、私がもっと気をつけておくべきだったわ。まさかあんな形でティファニーに攻撃するとは思わなかったから…」
「水をかけられただけですから」
「そこに水しか無かったからよ。もし…そこにナイフでもあったら衝動的に刺したかもしれないわ」
もし、そこに…。その言葉にティファニーは思わず、去年の夏の自分の行動を思い出した。
あの日、近くに鋏があったから、とっさにみっともない姿になれば縁談が無くなる、あわよくば白紙になる、とふと思い立ち髪を衝動的に切ったのだ。
ロレインももしそこにナイフがあれば衝動的にそれを振るったとしても、人の感情というはそういう、自分でもどうしようもない事がある。
「そうかもしれません、でも私はこうして無事でした」
でもなぜマリアンナがわざわざティファニーを気にしてるのだろう。
「純粋に可哀想だわ。ロレインは…」
「そうですね…でも、私は同情出来ません。彼女が選ばなかった人と親しかったから」
ジョルダンは彼女が自分を選んでくれる事をずっと諦めずに待っていたはずだ。それを突き放したのはロレインで、ティファニーが引き離した訳ではない。
「その通りだわ」
マリアンナは紅茶を口に運ぶと
「貴女が元気そうでほんとうに良かったわ。大事なブロンテ家の花嫁に何かあったら、こんな風に今平穏じゃ無かったでしょうから」
「もしそうなっていたら、ラファエルが何か報復をするという事でしょうか?」
「ラファエルも、ブロンテ伯爵もそれに、屋敷内での事だからアボット伯爵もでしょうね。そうなれば、ロレインはもちろんカートライト侯爵はどうなったかしら?」
にっこりと微笑んでいる
「貴女がロレインを許せない、と言うのなら打つ手はあるわ」
目の奥が笑っていなくて、ティファニーは慎重に言葉を選んだ。
「いえ、レディ シャーロットが釘を刺してくださいましたから、私は何も望みません」
「…ほんとうに?」
「…ええ…」
「…残念…まぁ、すぐに力を削ぐ必要は無いし、今まで以上に注意しておくわ。貴女も何かあったら、私にすぐに相談してシャーロットでもいいわ」
「はい、レディ マリアンナ」
「それはそうと、王都をもうすぐ発つのですって?」
もはや、マリアンナが何を知っていようと驚くまい。
「はい」
「じゃあ、これをあげるわ。イングレスの本よ、私がプロデュースして作成させたの」
それは、旅に必要な知識の書いた本である。
「すごいです!嬉しいです!」
「楽しんできて、いい旅を」
ティファニーは頷いた。
「あのね、私がどうして貴女を気にかけるのか…それが気になる?」
「ええ」
「貴女がブロンテ家の夫人の座に収まったからよ。ブロンテ家は武門派のグレイ家に継ぐ家。ウェルズ家は宰相家の家、穏健派の筆頭よ…貴女は望まないかも知れないけれど、女の社会にもそれは色々と影響するの」
「だから…その私を傷つけようとしたレディ ロレインこの先どうするのか…確かめにいらしたのですね?」
「そうよ、やっぱり思った通り、貴女は賢い女性だわ」
「今回は本当に平気です…。でも次はありません」
ティファニーもきっぱりと言った。
「それで良いわ。私も今のこの均衡を崩したくないの」
「均衡…?」
「どの派閥も突出させないように、よ」
「…よく…わかりました…」
コクリとティファニーは息を飲んだ。
おっとりと見えるこのマリアンナは、正しくこの国を影から支える宰相家の嫁なのだ。
きっと恐ろしく頭が良い。
「怖がらなくても大丈夫。うちも、私も貴女の敵ではないの、わかる?」
「ええ、わかります」
難しいが…こういうことだ…。突出した派閥を作らないために、影で協力し合える派閥をたくさん作っている…。
つまりは武門派も穏健派も中立派も、根幹はきっと同じなのだ…。
「分かってもらえて嬉しいわ」
にっこりと微笑む。
「また来シーズンはお茶会にでも来てちょうだいね、今年はそれどころじゃなかったでしょうから」
「ええ、もちろんです」
するりと立ち上がるその様は、とても美しくて優雅である。
「今度うちに来た時には是非ピアノを聞かせてね」
「はい、レディ マリアンナ」
「待ってるわ」
にっこりともう一度微笑むと、マリアンナは帰っていった。
ティファニーは、貴族として産まれたけれど…何も分かっていなかったのかもしれない。
ラファエルと結ばれたことで、ティファニーの人生は瞬く間に貴族社会の中枢に押し上げられている。こんなことを思いもしていなかった。
夕方のラファエルの部屋で、ティファニーはぼんやりとラファエルの支度を見ていた。
「どうした?」
「え?」
「なんだか難しい顔をしてる」
ラファエルがここ、と眉間を指で押してくる。
「私、何にも分かってなかったのかなって…。ラファエルと結婚するって事の本当の意味」
「えっ…」
ラファエルは驚いたようにティファニーを見る。
「…嫌になった?」
「…と、思う?」
「…いや、父は怖い顔してるし、姉たちの前だと情けない姿なの見せてるし…色々とややこしいし…この前は、守りきれてないし」
ラファエルは少し焦ったように言う
「…かっこ悪いな…俺。全然…」
「そんな風に思ってたんだ?」
ティファニーはラファエルの手をそっと握った。
「そうじゃない…。私が、世間知らずだってわかったっていう話…」
「ティファニーは大丈夫だよ」
「ううん…たくさん、頑張るね」
「ゆっくり、覚えていけば良いよ…俺も、ティファニーもまだ若い。時間はある」
「うん」
そっと頬に大きな手が当てられて、ティファニーはその手に顔を寄せた。自然と唇がふれあう、その心地よさにうっとりとする。
今の立場に戸惑い、おののく揺れる気持ちもこうして触れ合うそれだけで慰められる。他ならぬラファエルの横にちゃんといる為なら、どんなことでも頑張れる、そんな気持ちが心の奥底から沸いてくる。
「そういえば、本当にメイド連れて行かなくて平気?」
「ラファエルこそ」
「大丈夫だよ。俺たちは寄宿舎で一通りの事はしてるから」
「私もよ、一人で暮らしてた時もあるから」
「…そうか…」
「うん」
「楽しみだな?旅」
「うん」
「じゃあ、そろそろ晩餐かな、行こうか」
明日の荷物は、もともとティファニーが持っていた街中でも浮かないドレスと、それにダイナが用意してくれた鞄と持ち物、それから街中で使いやすい硬貨。
準備は万端である。すでにウキウキとしている。
ラファエルのエスコートでダイニングに降りると、ちょうどレオノーラとキースもやって来た。
「レオノーラ、ヴィクターは?」
「今は眠ってる。とても元気だよ」
「そう、良かった」
母になったレオノーラはとても美しい笑みを見せている。ティファニーもそれを見て嬉しくなる。
「ヴィクターに何かおもちゃとかあったらお土産を買ってくるわ」
ニコッと笑っていうと、
「みんながそうやって買ってくると、おもちゃであふれそうだ」
くすくすとレオノーラが笑う。
席にはすでにルナが着いていて、あとはアルマンとリリアナを待つばかりである。
アルマンとリリアナがやって来て、晩餐が始まる。
「いよいよ明日には発つのか」
「はい、父上」
ラファエルが答える。
「良い機会だ、しっかりと見聞を広めてこい」
アルマンが言うと、ラファエルはうなずいた。
「本当に二人で行く気なんだな?」
「…はい、心配かけて申し訳ありません」
「自分を過信せず、慎重に。一人ではない、ティファニーはお前の守るべき妻だ。頼るべき所はしっかりと他人を頼れ。わかったな?」
アルマンが重々しく言う。
「ティファニー…いや、いい」
何かを言いかけてアルマンはやめた。気になる…
「…伯爵閣下…。私が、この家にふさわしくないとお考えなのは、よく分かっております。でも、たくさん学んで努力していきたいと思っています。ですから、少しだけでも、話していただけたら私はそれで今は嬉しいのですが…」
「ふさわしくないとは思っていない。私にくってかかれる娘が他にどれだけいることか」
「…それでは…」
「それから…私の事は、義父(ちち)と遠慮なく呼べばいい…」
「ありがとう、ございます…閣下…、いえお義父(とう)さま」
「ラファエル、ティファニー、気を付けていけ。何かあればどこかの屋敷でも兵舎でも駆け込め」
ほっとして、ラファエルと笑いあうと、ルナもレオノーラも優しくティファニーを見て、ルナは唇だけで良かったね、と言ってきた。
コクン、とうなずきを返すと、ティファニーは胸がいっぱいになりつつも料理を口に運んだ。
「そうそう、忘れないで9月にはウィンスレット邸に間に合ってね。ルナの結婚式なのだから」
リリアナが気を引き締めるように告げてくる。
はじめはブロンテのカントリーハウスをめざすつもりだったのだが、それだと旅が続いてしまうので直接ウィンスレット邸を目指すのだ。
「もちろん、忘れませんよ」
「ティファニー、手紙を出してね。ラファエルは当てにならないから」
「はい」
「気を付けて」
ティファニーにレオノーラがまっすぐに見ながら言ってくる。
「はい」
晩餐は、いつものように他愛ない会話が続くけれど、どこかしんみりもしている。
次に合うときには、ルナはもう花嫁になる。
友人でもあり、たよりになるお姉さんのようでもある。
「ルナ、後でピアノを聞いてくれる?」
「聞かせてくれるの?うれしい」
にっこりと微笑む。
ティファニーがルナにあげられるものなんて、他には思い当たらないから…。
晩餐の後に、応接室のピアノの前にティファニーは座った。
サイモンが作った、友情のちょっぴり切ない歌である。
それが、ルナへの感謝の気持ちを伝えるのにぴったりだと思ったのだ。
色々な事を話した思い出、また会えるその日まで、過ごした日々に感謝を告げる、サイモンが綴る言葉の情景は違うけれど心情は重なるのだ。
「ティファニー、ありがとう!とっても素敵だった…ありがとう」
「うん…」
ぎゅっと柔らかくて弾力のある体に抱き締められて同性ながらドキドキしてしまう。
「ルナの結婚式には絶対に行くからね?」
はじめて出来た友人たち。そのルナはラファエルの妹でもあり、ティファニーの好ましく思う気持ちはかなり大きい。
「待ってるからね」
「しかし、いい曲だったね。誰が作ったんだ?」
キースが感心しながら言ってきた。
「私のお世話になった人」
これは嘘ではない。
「プロになれるよティファニー」
にっこりとレオノーラも誉めてくれる。
「ありがとう」
アルマンとリリアナも遠巻きに聞いていたらしく、惜しみない拍手を送ってくれて、ティファニーはお辞儀をした。
忘れられない夏の日がまた増えた。
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