睡恋―sui ren―

桜 詩

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6,行き場のない二つの想い

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 ウィンスレット家のダイニングルームは、目にも綾なる物ばかりですべてが目映い。銀食器は美しく磨かれ艶やかであるし、食器も料理も色合いといい、上品さといい素晴らしく目を奪う。

ただ…その完璧な美しさの中に、フィリスの存在が異質に思える。

「今日は申し訳なかった。レディ フィリス」
シアンが隣に座ると、そう声をかけてきた。
本当に反省しています、という表情で眉尻がさがっている。

「何も……。間違えた事をおっしゃった訳でも無いでしょうから」
それに若いシアンたちが噂をしていたって仕方がないと思ってる。それは大人になればもっと酷いことを言われていたとしても全く不思議ではない。

「いや、少なくともヴィヴァース伯爵は間違ってる」
大真面目に言うシアンをフィリスは軽く横目で見た。

ブライアンも、………間違ってなどいない。
子供を得たい、というのは結婚する上での重要な事柄でそれが叶わなかった相手よりも叶った相手を選ぶのは、さして誤りとも言えない。
ましてや、爵位をもつ男性であれは特に……。

そして、妻と妻の友人を愛人として二人を側に置くのと、キッパリ離婚をするのと、果たしてどちらが妻に対して誠実だと言えるだろうか?

「さぁ、それはどうでしょう?あなたはまだ若くて、それほどたくさんの経験をされたとは思えないわ」

若いシアンには、ブスかブスじゃないか、そんな相手の見た目が大切なのかもしれない。
だけれど、年々気づく事も少しづつ増えていったなら、果たしてその時同じことが言えるだろうか?

フィリスとジェラルディンどちらがどうと容姿で比べた所でどうにもならない。端的に言えば選ばなかった女と、選んだ女。
この差は天と地ほどに大きい。

「それでも、あなたは綺麗だし機知に富んでいる」

「ありがとう、シアン卿。そう言って下さるととてもありがたいわ。それでも、わたしよりもずっと素敵な女性は大勢おりますから」

「つまりは……新しいレディ ヴィヴァースは素敵な女性だと?」
「少なくともヴィヴァース伯爵はそう判断したのでしょう」
フィリスがそう返すと、反対側からジョエルが問いかけた。

「料理の味はどうかな?レディ フィリス」
「ええ、とても美味しいと思います」
そうは言っても味など分からないし、さっきからほとんど減ってもいない。

「そうですか、それはコックも喜ぶだろう。ところで、もし良ければ明日は町の方を案内しようか?」
「いいのですか?それはとてもありがたいわ」

「兄上は新しい馬車を乗り回したいんだ」
ニヤリとシアンは笑った。
「新型なんだ。ウルフスタン社の」
シアンの言葉にはジョエルは艶やかな笑みを浮かべて言った。

「あれは本当にいい。それに兄上があちこちにこだわって注文してるから」
「そうだろ?」
ジョエルはゆったりとした笑みを浮かべた。彼のその魅力的な笑みは、その威力を存分に発揮していて、目の当たりにしたフィリスをゾクリとさせた。
「馬車がお好きなんですね」

「大概の男はああいう物が好きだ、女性の方はあまり興味がない方が多いようだが」
「それは、男性がドレスへの興味の度合いと同じかも知れませんね」

さりげなくジョエルが会話を変えたことに、フィリスは気付いてしまった。
若くても、貴族的でも本物の紳士なのだとそう思った。


 晩餐は和やかに終わり、フィリスは自ら送るというジョエルに驚きつつも、まだ家を知らないのだから仕方ないと彼の申し出を受けた。
馬車を出してもらったことを申し訳なくなるくらいにはその家は近くにあった。

「ここが家になる」
彼の手で開かれた扉を開けると、ぼんやりと灯された灯りが見えた。シンとしていて人の気配がなくて軽く体を震わせた。

「ありがとう、ジョエル。何から何まで感謝するわ」

「ここには、誰もいない。使用人たちもすでにいない………一人で本当に大丈夫?」
最後に確認、と言うように彼はそこへ足を止めていた。

「ええ………平気よ」
フィリスは心細くなりそうな気持ちを叱咤してそう言った。
一人になりたい、一人にはなりたくない相反する心がメトロノームのように行ったり来たりする。

「そうは、見えない」

「ジョエル、あなたがとても良くしてくれているのは分かるの。でも………。あなたみたいな完璧な紳士が……どうしてわたしに気遣うのか分からないわ」

「分からないかな………今日うちの家族は君に対してとても失礼だった。その度に慰められるべき君が、気持ちを建て直すのを何度も見た。女性が一人で悲しみに耐えるのを黙って見ていろと?」

「悲しんでなんていないわ」

自分は大丈夫。
なにも悲しい事なんて起こってない。
自分はここで、自由な生活を手に入れる………誰にも干渉されることのない……女一人の暮らしを。

「君は彼を愛していた。だから、失えば悲しみに打ちひしがれても仕方ない」

「いいえ、それはないわ」

フィリスはすぐに否定した。
そんなことはあり得ない、だってフィリスとブライアンは親が決めた結婚だったのだから……。

「俺にはわかる。君は少しばかり自分の気持ちを隠そうとするのが上手すぎるんだ。自分さえ騙そうとするくらいに、だから………何でもない風を装ってる。
――本当は………荒れ狂い、間に割り込みたいくせに、二人の事が好きでたまらないから幸せを祈らずにいられなくて、それでいてどうして自分を選んでくれなかったのか叫びたくて仕方がない」

ジョエルの言葉がフィリスの心の最後の何かを突き破ってしまった。
彼にはじめて会った時の事……。そのときの気持ち。
穏やかな毎日……。思い返せば輝いていた時間。

「あなたに、何が分かるというの?」

「ただ、そうだな。………泣いたらいいんだ。今すぐにでも、それが必要だと思う、君には」

ふわりと頬に彼の手が触れる。
近づいた距離の分、男らしいムスクとウッドにほんのりフローラルな爽やかさが混じった、少し官能的な香り。
そんな香りが、周りの空気ごと包み込んできて、彼がフィリスの知らない男だと分からせ、それと同時に………だからこそ言われる通りにすればいいと、強がらなくても、傷ついていないふりをしなくてもいいと、どこかで心が囁く。

「思いっきり泣いても、どうにもならないが……こういう時はそうするべきで、目の前には胸を貸せる男が都合よくいる」

少ししてフィリスは頬を伝う熱い涙に気がついた。

どうしてこの人はフィリスがまだ泣いていないと気がついたのだろう。

「泣いてくれ、俺の分も……俺のために………」

切ない響きの懇願を聞いたとき、フィリスはこの恵まれた青年ですらフィリスと同じく辛い恋をしてきたのだとそう素直に思えた。

そうすると、二人分の悲しい想いがて込み上げて来てしまって、フィリスは声を上げて泣き出した。

フィリスの泣きかたが激しくなると共にジョエルの腕は優しくそれでいて強く抱きしめた。

 フィリスの悲しみを受け止めた温もりに、次第に涙は落ち着いていき、泣きすぎた次には、泣きすぎた恥ずかしさに笑いの発作が込み上げてきてしまった。
「わたしったら、子供みたい。あなたの服をダメにしてしまったわ」

ジョエルから、それに答えはなくただ濡れた頬に唇が触れた。
「ありがとう、フィリス」
掠れた声が、まるで彼も泣いていたかのように思えた。

****

 翌日ジョエルは軽二輪馬車を自分で御してきた。
さすがに自慢していただけあって、車体から車輪の細やかな部分まで芸術的な仕上がりだった。また引いている馬がまた黒毛で、車体の黒としっくりと合っていて目を惹く。

「加減はどう?」
「あなたのお陰で、少しスッキリしたみたい。ジョエルは?」

「少しはいい。君のお陰で」
そんな感じで、なんとなく微笑みあった。

「好みが分からないから、勝手に選んできた」

ジョエルが手渡してきたのは、白とグリーンの色合いの花束。白い花の様々な形が一見すると無造作に見えてそれでいて不完全な美しさを醸していた。

「わたしに大概の人はピンクの花束を選ぶのに……」

甘い外見からか、こんな花束を貰ったのは初めてだった。爽やかでスッキリとした色味が目に優しくて香りも優しい。
「ありがとう、うれしいわ」

この人が辛い恋をしてるなんてどうしてなんだろう。

もしや既婚者に道ならぬ恋をしてるとか?

とある夫人の戯れが若い青年を本気にさせてしまったとか?

「こんなことをされると、女性はすぐにあなたに靡いてしまうわ」

気がつくとそんな風にポツリと呟いてしまっていた。

「ところが、君も知っての通り、そんな風には行かないものだ」

そう返されて、彼がやはり辛い想いを抱いているのだと理解させられる。

フィリスは、通いのメイドに花を生けてくれるように頼むと、ジョエルの手助けで馬車に乗り込んだ。

「特に大した町じゃないが……」
そうは言っても、穏やかさと賑やかさの丁度いい心地の成熟された町は、舗装された道や、統一性のある建物それに町行く人達の身なりの良さといい全てが美しく見えた。

「少しその店に寄る」
ジョエルが停めた所は、ガラス瓶の並ぶ香水の店だった。

「いらっしゃいませ、侯爵様。注文の品は出来ております」
「ありがとう」

「もしも作るときは、ここで注文するといい。フィリスに合う香りを作ってくれる」
ジョエルがそう言うと店主は誇らしげに微笑んだ。

「いつも贔屓にして頂いております」
昨夜フィリスを包み込んだ香りはこれがそうだったのだともう一度彼の体香と合わさったものを確かめたくなった。

「これは昨夜つけていたのと同じもの?」
「いや、少しだけ配合を変えてもらった。気分転換にね」

何を血迷ったのかフィリスはつい
「じゃあ、それをつけてみせて」

フィリスの言葉にジョエルは、少しだけ驚いて、くいっと手首を晒すと、それから瓶を開けて手首にすっとなぞらせた。
そんなさりげない仕草が、男っぽくてどこか艶があり色っぽい。

ふんわりとはじめはウッド系の香りが漂う。
「時間と共に変化しますよ、楽しんで下さい」
にこやかに店主は言った。

「ありがとう」

店を出て、再び馬車に乗る。
「驚いたわ、あなたって若いのに色っぽいのね」
フィリスがそう言うと、ジョエルはクスクス笑った。

「若いのにって、君こそまだ若いのに」
「20歳よ……来年には成年よ」
「なるほど……同じ歳だったか」

「何だか、意外だったわ」
「そうだな………ああ、そうだ、メイドを募集するなら求人はあの雑貨屋に貼り紙をしてもらうと見つかりやすい。王都には負けるが、ドレスメーカーももちろんある。後は……見ての通り、外に看板があるから暇なときは散策してみるといい」

―――フィリス、村を案内するわ!
―――ミスター ハリスンの家は今、奥さんが病気で大変なの。一緒に手伝いに行きましょう 

ジョエルの町を紹介する声に、ジェラルディンの思い出の声が重なる。

―――ミス ライスと村人を助けて来たんだって?ありがとう。いい奥さんが来てくれたって誇りに思うよ。 

ポツッと滴が頬を濡らして、それが雨であることにホッとした。昨日の事で涙腺が緩んでしまったのかと一瞬ドキリした。

「雨だ………急いで送るよ」

フィリスにとっては、恵みの雨だった。

奇跡は、誰にでも起きる訳じゃない。
小さな頃に語られるおとぎ話をみんな知っているけれど、それを夢にみたとしても、おとぎ話みたいなハッピーエンドがみんなに待っている訳じゃない。

はじめて踊った家族以外の男性、親が決めていたとはいえ、その人に求婚されて自分の王子様だと勝手にそう思ってた。
いつまでも幸せに暮らせる未来、めでたしめでたしを信じて疑いもしなかった。

失ったものを、その出来事を実感する、時が経つほどに、苦しくて仕方ない。

信じられない…………。
あれほど永遠に続くかのように思えた日々が、もう二度と過ごせないだなんて。

フィリスだけが、何も知らずにいた。

神の前で誓った結婚、祝福された結婚なのだから神様は奇跡を必ず起こしてくれる、そんな気がしていた。

雨の降る道を、馬車が進む。

言葉を紡ぐことを忘れたフィリスを、ジョエルはそっとしておいてくれた。
彼は、何も言わずただ礼儀正しく送り届けると、雨の中を馬車を御して走り去っていった。
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