睡恋―sui ren―

桜 詩

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8,聖夜

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 気まずい別れ方をしたのだから、御者だけを迎えに寄越せればいいものをわざわざ、ジョエルは自ら登場した。
夜の正装である黒のテールコートが、まるで彼のために在るかのようにしっくりと似合っている。

「こんばんは、シルヴェルトル侯爵」
フィリスはよそよそしくそう口を開いた。

この日のフィリスの装いは、濃紺の地味な色合いのドレスだった。最近……離婚のあれこれで生活が一変した為か、一回り細くなった顔を大人びて見せていた。

濃紺を選んだのは、夫を失った自分に相応しい色だと思えたからだ。黒は喪を、つまりは未亡人の色、白に近い明るい色は、若い未婚の娘をイメージするからだ。
それで、黒に近く黒でもない物を選んだ。

「こんばんは、迎えに来た」
にっこりと頬笑む彼は、まるでこの間の事など無かったかのようで、それでいてどこかで一線を引いている気もする。

「ありがとう」

ありきたりの、そんな当たり障りない会話を交わして、フィリスは公爵家の獅子と竜の紋章のついた箱形の馬車に乗った。

「クリスマスの飾りつけはしなかったんだな」
フィリスの家の広い玄関ホールは、いつものままでクリスマスらしさは少しも無かった。

「一人だと、なんだか……より淋しくなる気がして」

去年は、ヴィヴァースの家で飾りつけもそれから使用人たちも交えてクリスマスの祝いをしたのもだ。
大きなツリーに輝くオーナメント、お祝いのごちそう。ダンスに、歌。笑いの耐えない一日を過ごした。

ブライアンとジェラルディンと……。

何もかも楽しかった記憶のそれが、今年のそれとどうしても比較してしまいそうで、思い切る事が出来なかった。


 ウィンスレット ハウスは近い距離にあるのだから、それほど
時間もかからず………というよりは、馬車だとあっという間に着いてしまう。だから、それほど会話をする必要もなくてフィリスは内心安堵した。
ジョエルとこれ以上、何か関わりを持つことはフィリスにとって危険な気がしている。
出会ったその日に、はじめて異性の、彼の胸で泣いてしまった時から、

彼のフィリスへの言葉を聞くたびに、なにか勘違いをして間違ってしまいそうになるから。

それが、どんな危険かはなぜか知りたくもない。
知ろうとも思わなかった。

ただ、傷ついた女というのが、通常の状態よりも危うい精神状態だということは分かっていて、そんな時にこんな綺羅綺羅した男性が優しくしてくると………。

つまりは、そういうことで。

口に入れたアイスクリームと同様、結果は一つしかない。

そっと、完璧な貴公子であるジョエルを目の端で捉えてみた。

冷静な自分は、こうして一つの馬車に乗りエスコートされることに最早笑いたくなるくらい違和感を感じてる。

ここからは、感情を全て包み隠して寝かせて置かなければ……。
そして、離婚はしてもその生活に満足している女になるのだ。

フィリスは心の中で唱えた。

(わたしは自由な女で、不幸せじゃない)

ウィンスレット邸に足を踏み入れたその時、フィリスの呪いは成功していた。

「フィリス、久しぶりね」
アデラがにこやかに微笑み、親しみのある抱擁とキスをしてくれる。

「ええ、叔母さま。町に出たり家の模様替えをしたり色々としておりましたわ。すべて叔母さまのお陰だわ」
「でも、ちゃんと食べているの?少し痩せたみたいに見えるわ」

「そうかしら?一人だとついつられて食べ過ぎないでいられるもの。そのお陰かも知れないわ」
「まぁ、フィリスったら」

クスクスとアデラは笑った。

「もっとこちらに来てくれれば良いのに。近所なのだから」
ルナがそう言い、アデラと同じように抱擁とキスをしてくる。
「ありがとうございます、公爵夫人。でも……こちらは、気軽に遊びに来るには立派すぎますわ」

「あら……。じゃあこれからは、しつこいくらいに招待することにするわ。それなら来ざるを得ないでしょう」
「そうですね」

頬笑むルナにフィリスも微笑みを返した。

 ウィンスレット ハウスのホームには巨大なツリーに絢爛華麗なオーナメントが飾られ、階段の手すりにもリボンや花で飾りがつけられてこの上なく浮き立つお祝いの空気が流れている。

楽団の奏でる音楽と、それからお仕着せの使用人たちも楽しそうにその空気を感じながら働いているようで顔が明るい。
公爵家、と言えば例えば……フェリクスのように、固いイメージだが、明るいこの雰囲気は、夫人のルナの人柄なのだろう。
どこか柔らかくて居心地の良さがある。

フィリスは、通された居間のソファに座ると使用人からシャンパンを取った。
ウィンスレットの親族……一応フィリスも親族と言えるが……それだけでもかなりの大人数が集まっていた。

この夜ばかりはまだデビュー前の幼いウィンスレットの娘たちも大人たちにまじり、フルーツジュースでまるで酔ったように楽しそうに笑っている。

「レディ フィリス」
ニコニコと側に寄ってきたのは、トリクシーで年長の娘らしく礼儀正しくお辞儀をした。
「こんばんは、トリクシー。良い夜ね」
フィリスは微笑みを向けた。

ちょこんと隣に来たトリクシーは、
「レディ フィリスは、王都でデビューしたの?」
「いいえ、わたしは父がデビュー前に結婚を決めてきてしまったから、王都でのデビューはしなかったの」

「ええ~、そうなの?……だったら、次のシーズンは私たちと一緒に王都へ行きましょうよ」
「まぁ、どうしてわたしを誘うの?」

「だって、私たちの従姉妹なんでしょう?だったら、私のお姉さまだと思って良いわよね?若くて綺麗なお姉さまが付いてきてくれたら、とっても心強いと思うの。お母様たちは付き添いにあそこの、ミセス マーシアをって言うの。でも私はあんな地味な人にずっと側にいられるなんてイヤ」
「つまりは、わたしに付き添い夫人をしてほしいのね?」

フィリスがそう言うと、トリクシーは満面の笑みを浮かべた。
「そうなると、きっと毎日楽しいわ!」

ミセス マーシアをちらりと示したトリクシーの視線をたどり、見つけた先には確かに気難しそうな夫人が座っていた。
「お母様がわたしでいいとおっしゃるなら」

きっとアデラは良いと言わないとフィリスはそう思い、気軽に応じた。

「やった!」
小さく快哉を叫ぶとトリクシーはフィリスの頬にキスをすると
「メリークリスマス!」
と嬉しそうに言い、フィリスが同じく返すとアデラの元へと足取りも軽く向かっていった。


 合図の後、大きなダイニングルームに向かうとフィリスの席は、ジョエルとシアンに挟まれていた。

彼らの反対側にはもちろん女性が座っているのだからフィリスだけと話すわけでは無いが、この席の配置には見知らぬ男性から、フィリスへの不躾な質問を避けるつもりなのでは無いかと思えた。
すでにヴィヴァース伯爵、ブライアンとフィリスの離婚は新聞に載り、続けてブライアンとジェラルディンの婚約が載ったものだから、人々の好奇の目は避けられない。

時折、ちらりと感じる視線がそれを物語っている。
晩餐の席にはトリクシーとマリエの年長の娘たちが同席して、下のリディアとメアリーはここではもう部屋に下がったようだ。

「レディ フィリスの弟は、もしやライオネルという名前?」
シアンがそう尋ねる。
「ええ、そうよ。知っているの?」
「同じ寮だった、レディ フィリスとはあまり似ていないね」
ライオネルとはもうしばらく会っていない。

「彼はなかなか抜け目ない性格だった」
「わたしから見ると、家の中でも要領良くやっていました。確かに抜け目ないと言えるかもしれないわ」

クスクスと笑うと、シアンがスクールの話を楽しそうに始める。馴染みのない世界に相づちを打っていると

「シアン、レディたちはお前の話をあまり好ましく思っていないようだ」
ニヤリと少しだけ唇を歪めた危険な笑みを浮かべてジョエルが弟を軽く嗜めた。
「そんなことないさ、多分……」

語尾が自信なく弱まるのにフィリスは軽く笑いを堪えた。

「大丈夫です、わたしには珍しいお話ですから楽しんでおります」
「良かったな、シアン」

兄弟の気安いやり取りに救われながら、フィリスは少しずつ切り分けた料理を口に運んだ。

「フィリス、あなた本当にトリクシーの付き添いで王都に来てくれるの?」
不意にアデラから問いかけられた。

「え?」

「トリクシーからそう聞いたの。私も嬉しくって、王都に行けばあなたもきっと楽しめるし、良いご縁もたくさんあるはずだわ」
にこにことアデラが言うと、ミセス マーシアがすかさず続けた。

「それは良いことね。まだまだ若いのだから、王都へ出て社交シーズンを過ごすというのは、とても。再婚してご両親を安心させるべきだわ、きっとご心配されているはずよ」

「ええ……その通りですね」

そんな風に言われては、反論すべきではない。特にこんなお祝いの席では。

「良かった!」
トリクシーが叫ぶと
「しかし、離婚した付き添いなんて縁起が悪いんじゃないか」
クスリと近くの紳士が笑った。

「だからこそ、男を見る目がついたはずです」
ミセス マーシアがびしりと言うと、その紳士は口をつぐんで意味ありげにフィリスを見た。

きっと、他の人が居ないならもっと辛辣な言葉を吐いたに違いない。
それにしても、ミセス マーシアがフィリスの付き添いを賛成してしまうなんて、誤算だった。

軽く気付かれないくらいの溜め息をそっとついた。
今さら行きたくないなどと言えようはずもない……。

ましてや、再婚なんてとんでもない。

それでも、結婚をしたくないということはこの国の貴族女性に許される発言では無かった。女性は家に属し……今のフィリスは、ウィンスレットの一族に連なり庇護されているに等しいのだから。

晩餐の後は、ダンスの時間となり相手を次々と代えて踊る。

さすがに、公爵の目があるからか、不躾な視線をよこす男性は居たが言葉を投げてくる人はいなかった。それでも、居心地の悪さはピリピリと肌を粟立たせた。
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