睡恋―sui ren―

桜 詩

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10,付き添い夫人デビュー

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 ベアトリス(トリクシー)・ウィンスレットのデビューは、新年の社交シーズンが始まり、ウィンスレット邸でのお披露目となった。

タウンハウスと言えば、一般的にカントリーハウスよりも手狭なものだけれど、さすがにウィンスレット家の屋敷は桁違いに豪勢かつ広大だった。

フィリスは付き添いらしく控えめなデザインでアッシュローズのドレスを選び、身に付けた。そして、付き添い夫人たちの控える席で座って踊る人々を眺めていた。

「トリクシーは、なかなか見映えのするお嬢様ね」
ミセス ロシェットがにこやかにフィリスに言う。ミセス ロシェットは、だいたいの見た目での判断だが、人生経験が二倍ほどありそうな、ゆとりある雰囲気の女性だ。

「ええ、そうですね」
トリクシーは明るい性格でそれが瞳を輝かせて、自然な笑顔が愛らしい。

「あなたもお誘いがあれば遠慮なく行ってらっしゃい。ここでばばあたちと過ごすのはもったいない」
「誰も誘いになんか来ませんわ。ただの付き添いなんですもの」

「そんな事を言ってないで、楽しんで見返してやりなさい。ヴィヴァース伯爵は新しい妻をつれて王都へのこのこやって来たじゃない。これまで来なかったのに」
ミセス リグネットがミセス ロシェットに続いて言い、ヴィヴァースの名に、フィリスは肩を竦めた。

そうなのだ、ブライアンとジェラルディンは今シーズン王都へとやって来たのだ。フィリスとの結婚生活では必要な時以外は王都へなんて来なかったのに。

「レディ フィリス、踊りましょう」
そう声を掛けてきたのは、ジョエルの友人でアンブローズ侯爵家の次男 セス・アンブローズだった。

セスは、金褐色の髪に紫色の瞳をしていて、しかも、人好きのする整った顔立ちとそれから長身とで、ジョエルと同じく見映えのする貴公子だった。
「でも……」

「ほら、行ってきなさい。トリクシーなら大丈夫ですよ、私たちがきちんと目を光らせておきますから」

「ほら、ミセス ロシェットの言う通りです。こんな所にいるなんてもったいない」

少しばかり強引に、フィリスはダンスホールへと進まされてしまった。

「踊れるんだろ?」
にっこりと微笑んだセスに、フィリスはしぶしぶ彼のホールドに手を重ねて、リードに合わせて踊り出した。

「分かっているのでしょ?わたしは付き添いなの」
「知ってる。でも…、楽しそうな顔を見せつけてやれば?」

彼が軽く示した先には、ブライアンとジェラルディンが談笑している姿があった。
ルナが招待したとは思えないから、誰かから、きっとここであると聞いてやって来たに違いない。こういう………大家のパーティー、それもお披露目のものは、来るもの拒まず、なのが暗黙の了解だった。

「俺は嫌いだな、ヴィヴァースのやり方は」
ふん、と鼻を鳴らして少し鋭い視線を投げた。

「しかもこんな時にのこのこ王都に出てきてわざわざウィンスレットのパーティーに潜り込むなんて……全く」

年末に無事に出産したらしいジェラルディンは、なんと乳母に任せて結婚式をするためにこちらへ出てきたらしい。

子供は女の子だとか……。
それを聞いたとき、少しだけなんだか男の子じゃなくて残念ね、なんて意地悪な気持ちが湧いてきて眉をしかめた。

「良いのよ。多分……ある意味誠実なのかも。結婚を続けたまま、近くに愛人を置かれるよりは………」
そう言うと、セスは眉をくいっと上げた。

「この件で腹立たしく思ってるのはどうやら、周りの方らしいね。君は寛大だ」
「そうじゃないの。もう………関わりたくないだけ」

セスはそれを聞いて軽くステップを心もち弾ませると
「そうか……前向きなんだな、今はじゃあ踊るのを楽しもう」

「ええ、そうね」

セスと踊り終え、元の席へと戻ろうとした所でフィリスは呼び止められた。聞き覚えのある声にゆっくりと振り向き記憶の通りの二人をそこへ見つけた。

「こんばんは、ヴィヴァース伯爵、伯爵夫人」

フィリスは軽くお辞儀をした。

話題の人物たちが集まっているのだから、気持ち視線を集めている気がする。

「その………付き添い夫人シャペロンをしてるの?あなたが?」
ジェラルディンがさもなんて気の毒に、とでも嘆きそうな目を向けてくる。それが多分、嫌味なく本心なのだろうけれど、話しかけて来るなんて言語道断だ。

「あんなに急に出ていってしまって心配していたんだ」
ブライアンもさも心配だという顔をしている。

離婚を切り出しておいて、友人、善き元妻であれと、当たり前の事のように接するのはブライアンらしいが、こちらも言語道断だった。

「そうですか、そのわりには手紙も何もありませんでしたね」
にこりとフィリスは微笑んだ。
「わたしがどこに向かうかなんて、一つですのに」

「フィリス、私たちもう一度……」
ジェラルディンがそう言いかけた時、遮るのは無礼だと分かっていたけれど我慢出来なかった。

「王都での時が楽しいものでありますように、……こちらの流儀に早く慣れるとよろしいですわね」

―――この二人は今、明らかに話題の人であって、………それも悪い噂だ。何とか立場を向上させたいのだろう。けれど、フィリスは今ウィンスレットの親族として王都へ来ているのだから、当然世間の見方はフィリス側になってしまう。

それに、ジェラルディンは地元では名士の家の娘ではあっても王都ではそうではない。だから伯爵夫人としては……まず、その立場に相応しい振る舞いや知識を得なければならない。着飾ってそれらしくしていれば終わり、というものではないのだから。

 そう嫌味混じりで二人に向かって告げた所で、もう一人別の声が割り込んだ。

 二人は悪い人達じゃないと知っている。
それでも、やはりどこか意地悪な気持ちが押し殺せない。
そんな最悪の気分の時にやはり現れるのはだった。

これ以上悪意をぶつけてしまう前で………本当にホッとした。

「フィリス、次は私と踊る約束をしていただろ?」
「ジョエル」

そんな約束はもちろんしていない。

「知り合いか?」
きっと知っているだろうに、わざとこう言うなんてやはり侯爵さまは尊大だ。何せ彼が頭を下げるのは王家の人々それに兄の公爵だけなのだから。

「ええ、昔の」

「そうか……。私はジョエル・ウィンスレットです。よろしく」
ジョエルは軽く会釈をしてフィリスを二人から引き離した。

「わざわざ話しかけに来るとはね」
話題の自分達が、わざわざ話題を提供するなんて本当になんて事だろう!!

「ほんとね」

今頃になって、血の気が引いてきてしまってる。

さっきとは違いゆったりとしたワルツで良かった。

「トリクシーは上手くやってるみたいだな」
「ええ、あなたのエスコートもいいからじゃないかしら」

「それはそうだ。今日は何せウィンスレットでのパーティーなんだから」

当然だとジョエルは微笑んだ。

「フィリスはまだ、ヴィクター・アークウェインに紹介していなかったね、この曲が終わってから挨拶に行こう。新婚だから、あてられるけど」

ほんのり意地悪な笑みを浮かべてジョエルはそう言った。
フィリスも新聞で見たその二人は、紹介もいらないほど目立っている。

ヴィクターは、他の男性よりも抜きん出た長身に、黒い艶のある髪に、緑の瞳が印象的な美青年。それから彼の新妻のレナは、まるで誰もがこれこそ令嬢のお手本、と思い描くだろう、金髪に青い瞳の綺麗な令嬢だ。

「ほんとに……まるでおとぎ話の主人公みたいね」

見つめ合いながら踊るその空気がとても甘くて幸せだと伝えてくる。今の自分達には近づくにはかなりの勇気がいる。

曲が終わり、ジョエルはフィリスを連れて二人に近づいた。
「ヴィクター、レナ、結婚おめでとう」

「ジョエル、お祝いをありがとう。アークウェイン邸は殺風景だから……助かったよ」
その響きの良い声は彼の魅力をより高めていた。

「ありがとう、ジョエル。それと、ミス トリクシーのデビューおめでとう」

恥ずかしそうに寄り添う二人を目にしたとき、珍しいことに、触れている手袋越しに、ジョエルの微かな緊張が伝わってきた。

「いや、礼なら義姉上に。ヴィクター、レナこちらは私の従姉妹でフィリス・ザヴィアー。今年はトリクシーの付き添いもしてもらっている」

「付き添い夫人だって?」
ヴィクターは目を見開いてフィリスを見つめた。
「それは……ウィンスレット家としてもなんだかもったいない気がするな」

「そうだろう?今シーズンもまた、色々とありそうだな」
「そうね……殿下も王宮に戻られた事だし」

殿下、というのは第二王子のギルセルドの事で、彼は昨シーズンに花嫁を拐うという事をしでかして王宮から追放されていた。
しかし、王太子 エリアルドに第一王女 リリアナが誕生したことで恩赦が授けられ、今シーズンから王宮への帰還を許されたのだ。

ギルセルドの相手はアンブローズ侯爵家の遠縁の令嬢で、彼女はすでにアンブローズ養女………つまり、先程フィリスが踊ったセス・アンブローズの義理の妹となっていた。今年はこの二人の結婚式が、堂々と行われるだろう。

「楽しみだな」

「ええ、そうね」
にこりとレナが微笑んでフィリスに視線を向けた。

「レディ フィリス、またぜひわたしたちの家に遊びに来て下さいね」
「ありがとうございます、レディ レナ」

二人から離れて、フィリスはジョエルの顔を窺ったが、何の感情も、読み取れなかった

「トリクシーを頼む。もし何かあればすぐに知らせてくれ」
「ええ、もちろん」

フィリスは付き添い夫人たちの席へと戻り、彼女らにお礼を言った。

「見てたわ。顔もだけど、いい男ね。ジョエル・ウィンスレットは」
ミセス ロシェットがフィリスの手をそっと叩いた。

「ええ、そうですわね」
「だけど、好きになってはいけない相手ね」

「ええ、でしょうね」
「あなたに限らずよ。本気になればなるほど、本心の読めない彼に疲れる。ああいうタイプは、なかなか本気の恋をしたりしないから。その代わり、恋をしたらきっと情熱的ね、きっと」
ミセス リグネットが言うと他の夫人たちが笑いさざめいた。
「心配しなくてもあなたには縁がないわ」

「私だって若ければ、よ」

「あら、ほら。またフィリスにじゃない?」

こちらに歩み寄るのは、ブライアンと同じ年頃か、30歳位の紳士だった。

「レディ フィリス。先ほど踊られてましたね、私はエメルソン・トワイニングと申します。一曲お相手を」
その名前と貴族名鑑を照らし合わせて、彼の身分を知る。
フィリスは、記憶力のいい方なのでそれを覚えるのにそれほど苦労はしていなかった。

「ソールズベリ侯爵、わたしは付き添い夫人です」
「もちろん知っております。あなたがリヴィングストンのご令嬢だということも」

にこやかに言う彼は、少しだけブライアンに似た穏やかな雰囲気があった。
黒っぽい髪をきちんと撫で付けていて、清潔感がある。こちらを見つめる瞳は柔らかな琥珀色。ほどほどに整った顔立ちは好感が持てる。

ソールズベリ侯爵は、妻を亡くして三年。子供は男の子が二人。フィリスにとって何も悪くない条件だった。

「まぁ、ソールズベリ侯爵。フィリスを連れて行ってくださいな」
夫人たちがまた後押しして、フィリスは彼の手を取った。

「ああ、やっぱり。あなたの瞳がとても綺麗だと……間近で見れば想像以上ですね」
にこりとソールズベリは微笑んだ。

「ありがとうございます、侯爵さま」
「近いうちに、お出かけにお誘いに来てもよろしいですか?」
「ですが」

「あなたが付き添い夫人だとは知っています。公爵の許可を貰えれば大丈夫でしょう?」
「ええ……そうですね」

彼はあくまでも礼儀正しく最後は席までエスコートしてそしてまたホールへと向かって行った。

「良いと思うわ、彼には悪い評判もないからね」
ミセス ロシェットが扇越しに言ってきた。
「ええ……でも」

「ゆっくり考えれば良いのよ。ソールズベリ侯爵は焦って何とかしようなんて雰囲気ではないのだから」

王都に来たら、縁があるなんて嘘だと思っていたけれどどうやらそうでも無いようで、フィリスは戸惑うばかりだった。
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