睡恋―sui ren―

桜 詩

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40,思い出は氷のように

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 フィリスは、広間に戻ると遠くからブライアンの鋭い視線を感じた。まさかこれ以上何かをしてくることがあるだろうか、と不安になる。

ミセス ロシェットにお礼を言うと、彼女からは気遣わしげな視線を受けた。
「お陰で大丈夫でした」

「そう……。彼、ちょっと危険よ。貴女と離婚して当然ながらリヴィングストン子爵と決別した訳じゃない?これまでの恩恵が全て無くなって……わずか数ヵ月でがたついているらしいわ」

フィリスはそれでかとようやくブライアンの執着に理解がいった。

 つまり、彼はもう一度フィリスを取り戻して、上手くいっていない件を解決したいのだ。
そう思うと、これまでそれほど彼を悪くは思った事など無かったのに、冷たい感情が現れて来てしまった。
こちらを睨み付けるブライアンを、フィリスはまっすぐ睨み返した。


 フィリスは、そして父を探した。
「ミセス ロシェット……何度もごめんなさい。父に少し用事があるの」
快く頷いてくれたミセス ロシェットにお礼を言い、再び席を立つ。

遠目に見つけたスターリングは、紳士たちと談笑していた。フィリスはそこまでそっと近づくと、目があった時に合図をする。すると、スターリングはその輪を離れて近づいてきた。

「どうした?そろそろ付き添いはやめて、うちに帰る気になったのか?」
「お父様にお願いがあるの」

スターリングは、優しい顔を向けてきた。
「どうした?」
「ブライアン・マクニールに報復をしたいの」
フィリスがそう言ったとたんに、スターリングはいつもの冷たい表情となった。

「何かしでかしたようだな」
「ええ……よりにもよって、愛人まがいに屋敷に囲いたかったみたいなの。わたしは……そんな都合のいいままではいたくないわ」

フィリスは小声で一気に話した。

「いいんだな?……少なくとも、帰ってきた直後は感じなかったあいつへの憎悪を感じる……。そもそも私が娘を傷つけた男を許すと思っていたか?」
「いいえ」

自分の中にも、こんなにも冷たい感情があったのかと……。フィリスはどこか他人事のように思った。

「どうにかするなど簡単な事だ……。あいつは自らその破滅道を選んだ。フィリスではなくジェラルディン・ライスを選んだ時に」

この時、似ていないと思っていた父と自分が重なる部分があったのだと何故だか妙に実感した。

「大人しく……操られていれば幸せでいられたかも知れないのに……」

スターリングにとって、操り安い男。それがブライアンだったのだ。今すでに噂になるほど、磐石がたついているというのなら、きっとすでに父の根回しは十分で、いわばあと指一つの力で全てが次々と連鎖して崩れて行くだけなのだろう。

「あの邸はいるかい?」

「いいえ、住むなんて考えられない。そう考えるだけでもう吐き気がしそう。誰か良い人に……。働く人たちはみんなとても親切だったから」

自分の中には……こんな凍る所があるのだ…。
それと同時に、貪欲なまでに熱くジョエルを求めているそんな部分と。
それが、同じ心に同時に存在していて、フィリスを作っていた。

「もう、煩わされる事などない。だから、安心しなさい。それでも……その結果がどうなるかは、お前が決めて、私にさせた事だと覚えておくことだ」
「ええ……分かるわ。お父様」

それでも、フィリスにこう決意させたのは他ならぬブライアンなのだから……。彼が先を読めるほど利口であったのなら、フィリスと結婚したまま、ジェラルディンに子供を産ませ、そしてその子供を養子として扱えば良かったのだ。

妻の友人を愛人として置くことを、覚悟していれば……。

離婚を選んだのならば、別れたまま互いの幸せだけを願える距離を保ててさえいれば……。

離婚を切り出した時、すでにこの未来は決まっていたのかもしれない。

彼が破滅していく未来に、後悔はあるだろうか?

憐れみは感じるかもしれない、それでも……彼はフィリスを……何一つ、大切に扱わなかった。そんな相手にそれ以上の感慨が浮かぶとは思えなかった。

 きれいに別れていてくれれば、フィリスはこんな凍る心があることを知らずにいたのに……。

よりにもよって、別れた妻を、人質みたいに側に置こうとしていたブライアンは、そんな自分の事を棚に上げてジョエルがフィリスを薄汚れた愛人・・にしようとしていると言ったのだ。

―――許せない

ブライアンとジョエルは全く違う。

フィリスは今さらながら、その事をはっきりと意識する。例え、同じように結婚して子供が出来なかったとしても、ジョエルはきっとフィリスの苦しい心に気付き、これまでのように導いてくれるだろう。友人に子供を産ませた彼とは違う。

それなのに……。

冷たい怒りは、鋭い矢じりとなってブライアンに向いていた。
我慢を強いられた年月の分、噴出したそれは凍えるような想いそっくりそのままに、硬いしこりのように目の前に溢れ出てきた。

「いいえ、やっぱり……わたしのものにするわ。住むのはあり得ないけれど、手に入れて好きに扱うわ」

「では、貸しが一つだな」
この時、スターリングは商売人としての顔をはじめてフィリスに見せた。

ようやく……これで、過去の呪縛は解け心は自由になる。
そんな考えがふわりと浮かんだ。

冷えた心を、そっと撫でる、暖かい風みたいに。

これで、自ら作って閉じ籠っていたかのような、鍵のない檻から飛び立つみたいに……。そんな風になれれば良い。
言い聞かせるのではなく、本来の意味での自由になる。

そうで無くては……。愛という言葉を、口にすることも、愛のある未来を思い描く事も出来ない。
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