睡恋―sui ren―

桜 詩

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50, 紳士クラブ (Joel)

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 フィリスを送り届けた後、ジョエルは紳士クラブへと顔を出した。ジョエルはそこで馴染みの場所に立ち、シガレットケースからシガーを取りだし、火を着けた。

紫煙を燻らせていると、ジョエルに馴染みの顔が近付いてくる。
ヴィクター・アークウェインとルーファス・アボットだ。
二人とも議会でも顔を合わせていたのだが……。

二人ともいずれジョエルと同じく爵位を継ぐ立場で、ルーファスは、次のアボット伯爵で後にオルグレン侯爵となる。ジョエルよりも二歳歳上で24歳だ。反対にヴィクターは二歳年下で20歳だった。この三人だと一番年下のヴィクターだけが結婚している。
その相手に……ジョエルが想いを寄せていた、というのは最早過去の話だ。

「ジョエル、来ていたか」
ルーファスがそう声をかけてきた。
「見ての通りだな」

「レディ ウィンスレットは順調か?」
「ああ、体調も良さそうだ。ご本人は久しぶりの出産に不安がおありな様だが、兄も色々と気を配っているし今の所は順調だと言えるのじゃないか?」

ジョエルが答えると、
「しかしだ……今になって、もし男子誕生となれば。それはそれで複雑になりはしないか?」
「ならないさ、男子が誕生すれば、俺の次に跡を継ぐのはその子になるだろう」 

「本当に?子供が産まれたら……変わるのじゃないか?」
「ルーファスと違って、俺は次男だから。兄と年が離れているから跡継ぎなだけで、元々兄に息子が産まれたら、そもそも継がないと思っていた」
ジョエルは、昔からの気安さでそんな本音を漏らした。

「もしかして、それには最近親しいレディとも関係ある?」
「いや、それはない」

フィリスの事があっても無くても、ジョエルの選択は変わらない。
「………相手が既婚者って所が、ジョエルらしいというか……、なんというか……」
「そうだな……どうも、誰かのものという女性の方が、魅力的に見えて惹かれてしまうのかも知れないな。困った性癖を持っているのかも知れない」

年長者二人に遠慮がちなヴィクターに、つい意地悪をしてみたくなった。彼ら二人の関係がぎくしゃくしていた時にジョエルがレナに近づいていた事をヴィクターは知っている。

二人の結婚が早かったのは、要因の一つにはジョエルが二人の間に割り込もうとしたのが関係していると思っている。むしろ感謝してもらいたい位だ。

「幸いな事に、彼女は今は独身だし……誰かの妻でも恋人でもないが」
ジョエルがそう言うと、ルーファスは笑った。
「それよりもルーファスこそ、どうなんだ?エリーとは」
「え?エリーって、エリー・マクラーレン?」
とヴィクターがようやく声を出した。

「うーん。家柄も悪くない、エリーの事はもちろん好きだ。ただ……幼い頃から知りすぎてるっていうのがなぁ」
「いいお手本がすぐ近くにいるじゃないか……なぁ、ヴィクター」

 エリー・マクラーレンは、マクラーレン侯爵家の令嬢だ。ただ、その容貌は地味で冴えない。しかし、知的で大人しい控えめな性格は時に好ましく、時に歯がゆい。本人の自信のなさがよりそう見せてしまう。しかし、家同士が仲が良いルーファスは、昔から彼女をよく気遣っている。

 そして、ヴィクターもまたレナとは幼い頃に知り合い、将来を約束し、そのまま成長して再会した後に恋を成就させたのだ。

「確かに、なかなか難しい所はあると思う」

「だろうな。家の事よりもジョエル、お前こそさっさと結婚して、学友となる子供を持たないとな」

「それを言うなら、結婚してるヴィクターだろ。しばらく二人でいるつもりか知らないが……」
「なぜ、それが……レナから聞いたとか?」

「まさか、当たりだとは。俺がレナとそんな話をすると思うか?」
くっとジョエルは笑った。


――笑ったまま、ルーファスが小さく警告した。

「来たぞ……カートライトと、エーヴリー。嫌な組み合わせだ」
ナサニエル・カートライトと、デーヴィド・エーヴリー。
カートライト侯爵とエーヴリー伯爵だ。ジョエルたちとはいささか相性の悪い新政派という派閥に属している。ざっくりと言えば現王家の支配体制を反対している。

ジョエルの家は親王派、王家を支持する派閥だ。つまりは正反対。現王妃が伯母であるルーファスも、従姉妹が王太子妃のヴィクターも、やはり彼らとはやはり相容れない。


 ちらりとこちらに冷ややかな視線を向けたのはカートライト。ねっとりとした視線を向けたのがデーヴィド。デーヴィドは50間近だったはずだが、ずいぶん若い妻を迎えて、立て続けに三人子供を授かったと聞いている。元々は悪くない顔立ちのはずだが、醜悪な表情で台無しだ。一方のカートライトはどこまでも貴族的で……傲慢で冷ややかで冷酷な印象だ。

彼らの力は現在の王家が押さえ込んでいるはずだが……。
やはり、いつまでも油断はならない相手だ。

「弱腰王家のスペアか」

冷ややかな声がジョエルの耳に到達する。どうやら、カートライトはそう言ったらしい。

婚姻を結ぶことで、フルーレイスとの国交を保っているのが気に食わないらしい。

「これは、どうも。カートライト侯爵、未来永劫スペアにはなられそうにない閣下がとても羨ましいですね」

ジョエルは、カートライトが王位の継承権を全く持たない事を揶揄した。

「戦争の一つもしない、弱腰たちめ」
エーヴリーがヴィクターに向かって告げた。ヴィクターに言ったのは、彼が武門派だからだ。武門派も現在の所は戦争をするべきだ、と声はあげてはいない。

「だったら、閣下は真っ先にその時は向かわれると……勇気がおありになる」
ヴィクターも軽く返した。

酷薄な琥珀色の眼差しを受けて、ジョエルは笑みを返した。

「行くぞ、エーヴリー」
カートライトはそう言って、奥の彼らのいつもの辺りに向かっていった。


「吐き気がする」
ヴィクターがエーヴリーの背中を見ながら呟いた。
「ほんとには吐くなよ」
ジョエルは険しい顔を和らげるために笑いながら軽くヴィクターの肩辺りを叩いた。

「ヤるのは止めておけよ、あれでも利用価値があるから生かされてる」
それから血の気が多いヴィクターにそう言った。

「分かってるさ」
腹立たしそうに、ヴィクターは拳を握りしめていた。

「気持ちはみんな同じだ」

ジョエルが言うと、ルーファスとヴィクターも同時に煙を吐き出した。

 しかし、嫌いな人物の登場でヴィクターとの少々気詰まりだった関係が解消されたのは幸いだった。
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