私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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八話『気付きと行動』

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 先生との擬似デート(?)イベントからしばらく経過し、私たちは中間テストに向けて、図書室で勉強に励んでいた。
 まだ一回目のテストだから難しいところはあまりないけれど、ちゃんとやっておかないと。それに、良い点数取ったら、先生が褒めてくれるかもしれないし。
 もともと勉強に対するやる気は人並みにあるつもりだったが、今は誰よりもやる気に満ちている気がする。
「あーちゃーん、ここ教えて~」
「どこですの? えっと、ここの文法はーー」
 申し訳なさそうに問う七津さん。教えている夢国さんはどこか嬉しそうな表情をしている。頼ってもらえるのが嬉しいのだろう。
「ありがとう、あーちゃん。大好き~」
 答えに辿り着いた七津さんは、優しいハグで感謝を伝える。
「学校ではほどほどになさい。それと書けませんわ」
 夢国さんの言葉で、七津さんは渋々腕を引っ込めた。
 しばらく二人を見てきたけど、夢国さんの対応が寛容になってきている気がする。
「古町さん。少し宜しいですか?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
 夢国さんが英語。私が数学。教えられるところを教え合う。得意と苦手で補完しあう有意義なテスト勉強だ。
「ごめんねー。私だけ訊いてばっかでー」
「そんなことないよ。教えるのだって、勉強になるから」
 実際、教えてる時に気づくこともたくさんあるし。
「そうですわ。楓さんの得意科目が来たら、頼らせていただきますわ」
「うん! 体育と日本史ならバッチこーい!」
「うるさいですわよ」
 図書室の先生がたまたま用事で席を外していて、七津さんの怒られる回数は一回で済んだ。
 体育が得意なのは知ってたけれど、日本史得意なんだ。授業始まったら、覚え方とか訊いてみよう。
 それぞれ決めた課題のところまでやり終わり、少し休憩をすることにした。
「夢国さんって、なんで英語得意なの?」
「そうですわね。好きな本の原語版を読みたくて、でしょうか。翻訳ではなく、元々の言葉を知りたいというのがきっかけですわね」
 夢国さんは下に置いてある鞄から、一冊の本を取り出した。
 革製のカバーが付けられた、高貴な印象を受ける。夢国さんはそのカバーを外してタイトルを見せてくれた。
 『ノーブル家のお嬢様』か。初めて見るタイトルだ。本自体も結構年季ものみたいだけど、いつ頃の本なんだろう。
「私にとって、バイブルのような本ですわ」
 夢国さんは、愛しそうに本の表紙をなぞった。見つめる瞳は、どこか憧れているように感じる。
「その本ってーー」
「楓さんも、似た感じですわね」
 本のことを聞こうとすると、話題を七津さん移した。
「うん。日本の昔の道具とか好きなんだ~。一人博物館も行ったりしたよ」
 七津さんはスマホに保存されている写真を見せてくれた。
 甲冑、刀、弓、茶碗、箸、鏡、土器。メインは戦国時代の物だったが、いろんな博物館に行っているようで時代の範囲は広かった。
 好きが高じて勉強に繋がってるんだ。
 私はただただ言われた勉強を繰り返しやってきただけだから、なんか二人が羨ましいな。
「そろそろ後半戦いこうか」
 わずかに芽生えた嫉妬未満の感情を掻き消すように、勉強会を再開することにした。
「ですわね」
「え~、もうちょっといいじゃ~ん」
 夢国さんは乗り気だが、七津さんは渋々ペンを握っていた。
 教えて。教えられて。助け合いながらの勉強会は一人で勉強すよりも、やはり有意義な物だった。
 予定よりも早く、設定していた課題が終わったが、三人とも集中力が切れたので終わりにした。無気力な勉強はどうしても効率が悪い。
 図書室を後にして昇降口へと向かう。それなりに遅い時間にはなっているので、生徒はほとんど残っていなかった。
「あ、古町さーん!」
 階段を降りたら昇降口といったところで、活発な声が私の名前を呼んだ。
 振り返ると、予想通り三条先輩が立っていた。その後ろに命先輩も。
「こんな時間までどうしたの?」
「友達と勉強会を」
「そっか。中間もうすぐだもんね。私たちも……って、命は?」
 三条先輩が振り返ると、先ほどまでいたはずの命先輩の姿がなかった。
「琉歌ちゃんの友達~? うちは命。よろしくね~」
 と思ったら、私の後ろにいた二人の両手を捕まえて全力で握手していた。夢国さんはもちろん、七津さんの笑顔にも動揺が見える。
 命先輩、フレンドリーな人だとは思ってたけど、このレベルで詰め方が早いなんて。そういえば私に至っては最初のコミュニケーションはハグだったっけ。
「夢国 亜里沙ですわ」
「七津 楓で~す」
 二人の自己紹介が済んだところで、命先輩は抱きつく体制に入った。この人にとっては挨拶程度に過ぎないらしい。
 アメリカに留学経験とかあるのかな。
「こら、命。誰彼構わずハグするな」
 しかし、三条先輩に制服の後ろ襟を掴まれて未遂に終わった。
「可愛い女の子限定です~。二人が可愛いのが悪いんです~。あ、琉歌ちゃんも超キュートだよ~」
 母猫に吊られた子猫みたいな体制で、ちょっと嬉しいフォローを入れてくれた。
「あ、ありがとうございます」
 ボディランゲージは志穂ちゃんよりも強そうだなぁ。
「あ、そうだ。うちらも今帰るところだから、みんなで帰ろ~」
 命先輩の提案により、その場に居合わせた五人組で帰ることになった。三人以上で固まって下校するのは初めの経験だ。
 中学も志穂ちゃんと二人で帰ってたから、人が多いのは新鮮というか、落ち着かないというか。
「暗記はリズムよ、リズム。うちはそれで七十点をとったね」
「関連ワードの紐付けが大事ですの。単体記憶は非効率ですわ」
「二つ合わせると効率良いよね~」
 命先輩のフレンドリーさに対して二人の順応は早く、三人で勉強方法について語り合っている。
 仲良くなるの早いなぁ。私はただ話しかけるだけでも精一杯なのに、あんなに簡単に友達になれるなんて。
 先生に意識してもらうために、本当はあれくらいの行動が必要なんじゃ……いやいや、友達と恋人は違うし。うん。……頭の片隅にはちゃんと残しておこう。
「すごいよね、命って」
 そんな私の隣を歩く三条先輩が話しかけてくれた。
「怖いもの知らずっていうか、全力で人と関わる感じ」
「そうですね。なんというか、三条先輩とは違う意味で緊張しません」
「あ、私も巻き添えで褒められた。やった」
 三条先輩は小さなガッツポーズをとりながら、飾り気なく笑った。学校で声をかけてくれた時とはまた少し違う笑顔に見える。
「古町さんも緊張しなかったよ。えっと、そう。小動物的な」
「それ、褒められてるんですかね」
「もちろん」
 学校で耳にする三条先輩の評価や噂というものは、大半が自慢できる武勇伝のようなものだ。完璧超人とまではいかなくても、それに近いもの。アイドルに似たような見られ方をしていると思う。
「古町さんって、猫カフェとか行く?」
「たまにですけど、行きますよ」
 他愛無い会話の声音が、早く登校したあの日よりもずっと高く、弾んだものに感じる。
 あまり好きな話題を話せる人がいないのかな。
「小さい子もいいけど、メインクーンとかも好きなんだ」
「大きくてモフモフして可愛いですよね」
 志穂ちゃんが言っていた。自分のイメージと大きく違うものは話すのが難しいと。
 当の本人はジャンル問わず話をしていたが、先輩はもしかしたら、志穂ちゃんの言っていた言葉に当てはまるのだろうか。 
「って、話し込み過ぎた。命たちに置いてかれる。急ごうか」
「そうですね」
 先ほどまで大きめの声で呼べば聴こえるくらいの距離にいたはずの三人は、はるか前方。つまめるような小ささになっている。
 三人は三人で、話に夢中で気がついてないのかな。
 命先輩はともかく、二人に気づかれていないような気がして、少しだけ寂しい気持ちが伝った。
「追いついたー。置いてかないでよ、命」
 駅に入る階段付近に設置されたベンチで、三人は座って待ってくれていた。途中で私たちがいないことに気がついたらしい。
「ごめんごめん。あとでお菓子奢ったげるから~。はよいこ?」
「はぁ。まあいいや」
 置いてかれたことを少し不服そうな顔をしながら、先輩二人は階段を上って行った。
「ごめんなさい、古町さん。置いて行ってしまって」
「ううん。気にしてないよ。私も三条先輩と楽しくお話してたから」
「じゃあ、私たちもいこ~」
 お互いに元の組み合わせに戻り改札へと向かった。先輩と話しているのも楽しかったが、二人といる方がやはり落ち着いた。
 あ。名前呼びしたこと謝るの忘れちゃった。
 改札を抜けてホームに降りると、別れたばかりの先輩二人がベンチに座って電車を待っていた。
「あれ~? 乗る電車も一緒~?」
 こちらから声をかけるよりも早く気づいた命先輩が駆け寄ってきて、その流れのままハグされた。
「イェーィ」
 やっぱり、アメリカとかに留学経験あるんじゃ。
 そんなことを考えていると、一回転して、優しく三条先輩の方に押された。その顔に悪意はなく、離れる寸前に小さく「よろしくね」と聞こえた気がした。
「っと、大丈夫?」
「は、はい。ありがとうございます」
 三条先輩が近くまで来てくれていたため、転んだり躓いたりもなく優しく支えられた。
 命先輩は流れで夢国さんと七津さんにもハグをしたが、こちら側に渡してくることはなかった。
「危ないだろ、命」
「ごめんごめん。ゆきなんも一人ぐらいハグしたいかな~って」
「また適当なこと言って」
 命先輩が叱られているのを横目に電光掲示板を見ると、電車が遅延していたようで、ダイヤがかなりずれていた。
「大丈夫ですか? 古町さん」
「夢国さん。平気だよ」
 私が三条先輩の方に投げられるような形になったのを目撃していたからか、二人が少し心配そうに近づいてきた。
「みこみこ先輩、いい先輩だけど肉体言語強いから。悪気はないと思うよ」
「うん。わかってるよ、七津さん」
「肉体言語どうのは、人のこと言えませんわよ」
 しっかりとツッコミを入れられた七津さんは、夢国さんに抱きついた。命先輩の影響か、照れ隠しか。
 多分、特に関係ない平常運転なだけか。
「電車は運行再開してるから、多分すぐ来るよ」
 ひとしきり説教をし終わったのか、先輩二人がこちらにきた。命先輩はダメージが大きいのか、少しションボリしていた。
「ごめんね、琉歌ちゃん」
 謝りながら、またハグをされた。しかし反省はしているようで、元気なハグではなく優しいハグだった。
 周囲の確認はしっかりしていたものの、危険なことには変わりないと、三条先輩にしっかり怒られたらしい。
 謝罪のハグを受け取ると同時に、電車が到着した。
 普段よりも遅いからか。遅延したからか。それとも両方か。理由はわからないものの、車内が混み合っていた。
 朝の電車より人は少ないけれど、それでも少し嫌だな。
 学校帰りの電車は、どうしてもあの日を思い出してしまう。学生以外が多くなれば尚更。
「命、行くよ」
「は~い。琉歌ちゃんも行こ?」
 それでも、これ以上帰るのが遅れるのは避けたかった。ただそれ以上に、残って一人で帰ることの方が怖かった。
 命先輩に手を引かれて、いつもより混んでいる電車に乗った。
 どうか。何も起こりませんように。
 不安と共に走り出した電車は、トラブルを起こすことなく順調に駅に停まり。また次の駅へと走る。
 人が減り。人が増え。また増える。
「ここで失礼しますわね。また明日」
「またね~。古町さん、三条会長、みこみこ先輩~」
 三駅目に入ったところで、夢国さんと七津さんが電車を降りた。
 降りた人数に対して、乗り込む人数の方が多く、車内は少しずつ人を認識するのが難しくなっていく。
「はいは~い、降りま~す」
 次の駅で降りる命先輩は、大きめの声で周りの人に伝えて、波に埋もれるようにして電車から降りていった。
 期せずして、また三条先輩と二人という形になった。
 私が疲れないようにと、先輩は私をドア側に立たせて、守るように私の正面に立ち、周囲に不審な手がないか見てくれている。
 可愛い先輩だけど、こういう行動を見るとみんなから頼られて、好かれている理由がわかる気がするなあ。
「三条先輩、ありがーー」
 お礼を言おうとした時、三条先輩が小さく震えてることに気がついた。
「三条先輩……?」
「ん? どうかした、古町さん」
 なんでもないような返事。いつもの気丈な声の中に、恐怖に怯える震えた声が混ざっていた。瞳も僅かに潤んでいる。
 私は、この震え方をよく知っている。記憶に新しい、体中を這うようして絡みつく、不気味な恐怖。
 忘れたい恐怖に蝕まれ、肺の底に重たい空気が沈んでいく。あの時と違って、助けてくれる先生誰かはいない。
 落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け落ち着け落ち着け。
「古町さん? 大丈夫? もしかして酔っちゃった?」
 私の様子を心配して、三条先輩が優しく声をかけてくれた。
 さっきよりもずっと引き攣った笑顔で。強張った体で。震えた声で。この場の誰よりも恐怖を感じているはずの三条先輩が私を心配してくれている。
 そうだ。今一番怖いのは私じゃない。三条先輩だ。どうにかして助けないと。
「大丈夫ですよ、三条先輩」
 問いに対してと、先輩に対して。二つの意味を込めて力強く、少し震えた声で答えた。
「そっか……、うん。……なら……いいんだ……」
 枯れたような先輩の声を掻き消すように、耳を刺すようなブレーキ音と共に、車内で人が波になる。
 誰かが先輩を助けるんだ!
 体を強引にねじ込んで、先輩の背後で動く手の根元を鷲掴みにする。
 急な反撃に驚いたのか、迷惑そうな他の乗客と違い、犯人はギョッとして手を引っ込めようした。
 この人だ!
 犯人を確信した私は掴んだ手首に爪を食い込ませる気持ちで更に力を加えた。
「この人痴漢ですうゥゥゥ!!」
 裏返った必死な叫びに困惑しながら、近くにいたおじさんが犯人を捕まえて一緒に降りてくれた。犯人はサラリーマンのような若い男性だった。
 よかった。私一人じゃ逃げられちゃったかもしれないから。
「どうされましたか、お客様!」
 騒ぎを聞きつけた駅員さんが慌てた様子でこちらに向かってきてくれた。
「おお。こいつが痴漢してたらしくてな」
「なるほど。とりあえず、事務所まで行きましょう」
 おじさんと駅員さんに取り押さえれて、犯人は連れて行かれた。
「…………」
 言葉なく震える先輩の左腕を力いっぱい抱きしめた。
 先生みたいにかっこ良くはできなけど。
「大丈夫ですよ。私も一緒ですから」
「うん。ありがと」
 少し安心した表情の先輩に笑顔で応え、一緒に駅員室に向かった。
 駅員室に入ると、先輩は気丈に振る舞い、事の詳細を自分で伝えた。男は相当焦っていたのか、矛盾した言動を繰り返し、そのまま警察に連行された。
 手伝ってくれたおじさんにお礼を言うと、自販機でお茶を二本買ってくれた。
「ありがとうございました」
「よくやったな、嬢ちゃん。あの娘としばらく一緒にいてやれ。おじさんはさっさと消えっからよ」
 そう言って、おじさんは行ってしまった。あの日の先生と同じで、異性がいると安心できないと思ったのだろう。
 もっとちゃんとお礼言いたかったけど。優しいおじさんがいてくれてよかった。
 二人で駅のホームに戻り、一番混まない車両が来るところのベンチに座った。
 言葉選びに迷っていると、先ほどまで気丈に振る舞っていた先輩が顔を押さえて項垂れた。
「三条先輩……」
「私ね。痴漢なんて大した事ないと思ってた。誰かが襲われてたら助けて、自分が標的なら反撃して。それで終わると思ってた」
 体を震わせ、声に涙が滲んでいる。
「でも。でも、ね。今日、触られたとき、すごい怖かった。声、出なかった。動けなかった……」
 嗚咽を混じらせながら本心を吐露する先輩に、私は肩を寄せた。
「私がいます。頼ってくれますか?」
 そう問いかけると、三条先輩は震えながら私を強く抱きしめた。背中を優しく、小さい子供をあやすように叩くと、押し殺すように啜り泣いた。
「大丈夫。私はここにいますよ、雪菜先輩」
 長い付き合いではない。本当に短い時間しか関わっていない。それでも、私と言う存在が先輩の心の支えになってあげられるなら。僅かでも安心してくれると言うなら、こうしていたい。
 しばらくすると先輩は泣き止んで私から離れた。泣き腫れたグシャグシャな顔の先輩にティッシュを渡すと、恥ずかしそうに受け取ってくれた。
「古町さん。さっき、雪菜って」
「え!? ああ! す、すみません! その方が安心するかもと思って!」
 うっかり下の名前で読んじゃってたよぉ。
「ううん。嬉しいから、問題ないよ。できれば、これからも呼んでほしい」
「は、はい」
 先輩は照れたように笑うと、真剣な。どこか落ち込んだような顔で聞いてきた。
「古町さんは、私に幻滅した?」
 その言葉の意味するところは、きっと先輩の外面的なところの話だろう。
 完全無欠。頼れて親しみやすい。みんなの味方。信頼できるヒーロー。羨望の眼差しを独り占めにする生徒会長。弱みなんて少しも見当たらない。誰よりも高貴な憧れの生徒会長。
 今まで、素を見せても大丈夫な人があまりいなかったんですよね。
「私は、先輩を可愛いと思ってます。かっこいいとも思ってます。だからって、弱いところがないなんて思いません。先輩は普通の人で、普通の女の子ですから。幻滅なんてしませんよ」
「……ありがとう。古町さんは強いね」
「そんなことないですよ」
 そう。そんなことはない。もし私が強く振る舞えていたのなら、それは間違いなく先生のおかげだ。私を助けてくれた先生に習って動いただけなのだから。
「もし、古町さんが助けてほしいときは言って。絶対力になるから」
「はい。頼りにさせてもらいます、雪菜先輩」
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