私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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九話『好きの気持ちと曇り空』

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 梅雨真っ盛りな六月の金曜日。
 しとしと降る雨を音楽がわりに、授業を受けていた。
「ここは、っと。もう時間だな。今日はここまで。次回の授業のとき、予習したやつは俺に言え。追加点やるから」
 八戸波先生は気怠そうではあるが、授業は適切でわかりやすい。飽きない為の小ネタや面白い記憶方法も教えてくれる。予習に対しても、目に見える報酬を用意してやる気を引き出している。
 あーあ。一番楽しい授業が終わっちゃった。現代文だけ二コマ授業になったりしないかなぁ。
 でも、今は取り敢えず。
「先生、お手伝いします」
 提出物と教材で手が塞がってしまっている先生の負担が減るように、半分ほど運ぶのを手伝う。先生は楽になり、私は先生といる時間が増えて嬉しい。まさにウィンウィンの行いだ。
「毎度悪いな、古町」
 先生は申し訳なさそうに笑顔を浮かべた。先生からしてみれば、善意で手伝っているように見えるのだろうか。間違ってはいないけれど、下心がないとは言えないので、僅かに後ろめたさを感じる。
 今日は多いからちょっと大変かな。
「私もお手伝いしますわ」
 運ぶのに手間取っていると、夢国さんが手伝ってくれた。
「ありがとう、夢国さん」
 しばらく一緒に過ごして、七津さんが一緒にいなくても話してくれることが多くなった。友達として距離が縮まったと実感する。
 まあ、七津さんから夢国さんにくっつきに行っているのが大半だから、体感の問題かもしれないけど。
 一列になって教室から出ようとすると、全員の腕が塞がっている上に扉が閉まっていることに気がついた。
 夢国さんが持ってくれた分余裕があるから、私が開けよう。ちょっとくらい片手で持っていられるし。
 ガラガラガラ……
 先生の目に出て扉を開けようとすると、自動ドアのように一人でに扉が開いた。
 もちろん学校の古くさい扉。ちょっとした衝撃で外れてしまうこともあるようなタイプ。そんな扉に近代化技術を使うとは思えないし、使ったとしたらお金の無駄使いだと思う。
 で、でも、扉のガラスに人影とか映ってないし、ままま、まさか幽霊とか? いやいや、こんな白昼堂々と人がいるような場所に早々出てきたりしないよね。
「あわわわわわ。」
 一瞬の焦りから徐々に冷静になっていると、後ろで夢国さんがガタガタ震えていた。申し訳ないことに、そのリアクションで私は完全に冷静さを取り戻した。
「大丈夫? 夢国さん」
「へ、平気ですわ。お、お化けなんて非科学的なもの、いあるわけないですもの。おほほほ」
 明らかに動揺している。お嬢様口調なのはいつものことだけど、普段は「おほほほ」なんて笑い方しないし。でももう少し見ていたいかも。志穂ちゃんが言ってた「意地悪したくなる」ってこういう気持ちなのかな。
(夢国の強がりはわかりやすいな。正直で俺は好きだが)
 そんな夢国さんに追い討ちをかけるように、開いた扉を綺麗な指がガッチリと掴んだ。夢国さんのがブルブルからガタガタに大きくなった。その扉から、フワフワした金髪がチラッと見えた。
「何ふざけてんだ、七津。夢国が泣いちまうぞ」
 先生の言葉にピクッと反応して、扉の向こうからひょっこりと七津さんが顔を出した。半分ほどしか見えていないが、「やっちゃった?」「泣かせちゃった?」と、心配そうな表情をしている。
「な、泣いてませんわよ!」
 夢国さんは叫ぶと、頬を膨らましてツンと拗ねてしまった。七津さんの表情もやりすぎたという後悔が出ている。
「戯れてっと、昼休みなくなるぞ」
 二人を尻目に先生はスタスタと歩き出した。ルート上にいた七津さんは扉の後ろに引っ込み、私と夢国さんは置いていかれないようについていく。
 教務員室まで特に会話もなく、お手伝いはさっと終わった。
「ありがとな、二人とも」
 先生からお礼の言葉をもらい退室する。
 本当は頭を撫でてほしいけれど、教務員室では他の先生の目もあるからか、撫でてもらえなかった。
 いつもなら先生の温もりが頭に残っているのに、今日はない。ちょっとだけ寂しい。
「ちょっと寄り道しましょう」
 僅かなもの足りなさを感じていると、夢国さんがそれに気づいたのか、自販機で缶ジュースを一本買ってくれた。そのまま近くのベンチで少しお話をすることにした。
「全く。楓さんの悪戯にも困ったものです。小さい頃から、何度驚かされたことか」
 怒りと呆れの混じった言い方と態度に反して、丁寧にジュースの蓋を開けると、上品飲んだ。
 缶ジュースなのに綺麗な飲み方するなあ。所作とか覚えたら私も同じように飲めるかな。なんか、魅力的。
「でも、嫌じゃないんだよね?」
 上品な夢国さんの隣で普通に蓋を開けながら、悪戯っぽく聞いてみた。
「ゴクッゴクッゴクッ」
 誤魔化すように、夢国さんは勢いよく飲み始めた。途中で苦しくなったのか、咽せ気味に飲むのを止めて深呼吸していた。
 顔が赤くなり、モジモジしながら話だした。
「それは、その……。ええ。嫌、と言うことはありませんわ。私が本気で嫌がることは、しませんもの」
 夢国さんは缶を親指でなぞりながら、笑みを浮かべた。七津さんと過ごした日々の思い出に、今日みたいな出来事が何度もあったのだろうか。
 夢国さんも、七津さんと同じくらい本当に大好きで信頼してるんだな。私も志穂ちゃんのこと大好きだし信頼してるけど、それとはまた違うんだよね。
 先生を好きになってから違いがわかった気がする。
「七津さんとはいつから一緒なの?」
「幼稚園の頃からですわ。明確に恋人と言える関係になったのは中学生からですが。今では世界中の誰より理解し会える仲かもしれませんわ。なんて」
 嬉しそうに、恥ずかしそうに。恋愛ドラマで聞いたような台詞をはにかみながら言った。
 二人の仲の良さを考えると、誇張とは言えないかもしれない。
 相思相愛って、こういうことなんだろうな。冗談っぽく言ってたけど、本当に相手のことを思っていないと言えない台詞だよね。
「あ。でも、一つだけ懸念というか。心配事がありますの」
 ハッと何かを思い出したように夢国さんは言った。その表情には僅かに不安が見える。一息つくようにジュースを一口飲んでから話だした。
「私の気持ちは、楓さんにどのくらい伝わっているのでしょう」
「どういうこと?」
 二人ともお互いのことが大好きで、それがわかってるから今の関係なんじゃないの? 友達の私から見ても明らかにラブラブだと思うんだけど。
「その、楓さんの好意は私に伝わってますの。かなり直球なので。ですが私は、楓さんのようには伝えられていませんから」
 ちょっと、理解できた気がした。
 側から見ても明らかに相思相愛な二人だけれど、求めにいって行動で示すのはいつも七津さんだった。夢国さんの好意は、相手好意を受け止めているような。受動的な印象が強い。つまり、夢国さん発信の愛情表現が少ないのだ。
 いや、ハグされた後とか、結構ちゃんと甘えてる感じとかするから伝わってると思うけど。
「ちゃんと伝わってるって、私は思うよ。七津さん、夢国さんの反応見るたび嬉しそうだもん」
「わ、わかってますわ。ただ、たまには私から伝えた方が良い気がして。しかし、いざ実行しようとすると不安で……」
 モジモジと指を動かして。空になった缶を見つめる夢国さん。
 自分の意思に正直な反面、人間関係になると臆病で心配性。どこか私と似ている彼女の役に立ちたい。だから思い切って提案してみようと思った。
「ねえ、夢国さん」
 本題の前に生唾を飲む。自分の意思や考えを伝えるのは、友達同士でも緊張してしまう。真剣な悩みに対する意見となれば尚更。
 すでに声が上擦っているかもしれなんて不安を抑えて、言葉を続けた。
「明日のお休み、一緒にお菓子作りしない? 七津さんには内緒で」
 私の趣味。夢国さんが私に話しかけてくれた理由。最初は話すきっかけとして拾ってくれただけかもとも考えた。
 でも違うよね。きっと、最初から目標というか目的は決まってたんだろうな。七津さんに手作りお菓子を作りたいっていう彼女心が。
「よ、よろしいんですの? 私がお願いしたことではありますが」
「もちろん。私も久しぶりに作りたいし」
 嬉しさ半分。申し訳なさ半分な顔の夢国さんに、笑顔で答える。すると、夢国さんも笑顔を見せてくれた。
 よかったー。「予定が合わない」って言われる分にはまだ大丈夫だったけど、「そういうことじゃない」って返された日には、泣きながら全力で逃げてたよ。でも、夢国さんの不安を取り除けたならよかった。
「じゃあ、戻ろっか」
「ええ。そうですわね」
 互いに唇に指を当てて笑い合う。好きを形にして伝える企画。かなり早めのバレンタイン予行練習になりそうだ。
 私の家でのお菓子作りが決まり、空き缶を濯いでからゴミ箱に捨てて足早に教室に戻る。
 あんまり夢国さん独り占めしてると、七津さんが嫉妬しちゃうかもれないし。
「あははー。それはやりすぎだよー」
 教室に戻ると、七津さんはクラスメイトに囲まれて談笑中だった。いつも夢国さんにくっついている印象が強いけれど、交友関係は結構広いらしい。物怖じしない性格と、持ち前の明るさで人の警戒心を解きやすいのだろう
 あの笑顔で話されたら自然と心を許しちゃうよね。私もそうだったし。髪の色も相まって、ちょっとゴールデンレトリーバーに見えることがあるんだよね、七津さんって。
「やっぱりすごいなー。私なんて、まだちょっと話すの緊張しちゃうのに」
「……あんなに、お友達が……」
 友人のコミュニケーション能力に感心していると、夢国さんの顔に暗い影が落ちていた。嫉妬のような、寂しそうな。口を固く結び、左の握り拳を右手で隠している。
 嫉妬……とは何か違うような。七津さんを見てるようで見てないし。何かに怒ってる?
「ん? あ! あーちゃんおかえり~。古町さんもおかえりおっつ~」
「た、ただいま」
 水底に沈んだような暗い顔の夢国さんとは対照的に、七津さんは先ほどよりも明るい、太陽のような笑顔でこちらに駆けてきた。
「ただいま戻りましたわ。……すみません、少々お手洗いに」
 夢国さんは暗い表情を隠すように口角をあげ、逃げるように教室を後にした。
「あ」
 反射的に振り返って声をかけようとしたが、僅かに音が漏れただけだった。
 声をかけて何かできた気はしないけれど、あんな顔見たら放っておけないよ。でも、どうしたら。
「あーちゃん……」
 私の背後で太陽のように輝いていた七津さんの笑顔は暗く沈み、寂しくか細い声は、響くことなく消えていった。
 休み時間が終わって授業が始まっても、夢国さんが戻ってくることはなかった。八戸波先生が早退させたらしい。
「体調どうのってのは、問題なさそうだったんだけどな。話をしてても上の空っていうか、授業受けられそうになかったから。七津も元気ねぇし。古町、なんか知ってるか?」
 帰りのホームルームが終わった後、知っている限りのことを先生に話した。七津さんとも話そうと思っていたのだが、声をかける間もなく帰ってしまった。
「なるほど。って、わかった風に言ってもわからねえな。人間関係は本人同士じゃねぇとなんとも」
 先生は教卓に置いたクラス名簿を指でなぞりながら、悔しそうに言った。先生は生徒間の問題にも目を逸らさず向き合ってくれる。嬉しい反面、責任で潰されてしまわないか心配になる。
「友達なのに、何もできないんなんて……」
 自分の不甲斐なさに、声が漏れた。
 二人は私のことをたくさん助けてくれてるのに、何も返してあげられないんて。大事な時に、なんで。
「まあ、お互い言い出せずに悩んでるなら、古町を頼ることもあるだろう。そん時に助けてやればいい。……気にするなとは言わないが、自分を責めるな。週明けにくれば俺も話してみる。だから休めよ」
 先生は私を気遣う言葉をかけると、いつもより優しく頭を撫でてくれた。焦っていた気持ちが少し落ち着いた。
 少し人のはけた通学路を一人で歩きながら、二人のことを考える。それでも、二人の力になれる方法は思いつかない。
 もっと、私がちゃんとしてれば。きっと。
「よっす~!」
 考え込んでいると、背中に強い衝撃がぶつかり、倒れないようにと足がブレーキをかけた。
「今日は一人~?」
「その前に謝れ、命」
 私を押したのは命先輩だった。雪菜先輩のお叱りを、意に返さぬ様子で受けながしている。
 いつもの二人を見てるみたい。
「古町さんが怪我したらどうするんだよ!」
「そこまで乱暴してないよ~。コミュだよコミュ~。ね、琉歌ちゃ、琉歌ちゃん!?」
「え?」
 命先輩の驚いた声にハッとし、頬を伝う涙の感触に気がついた。
「ごごごめんね? 痛かった?」
「いえ、ちが、違うんです。ただ、ちょっと」
 涙を拭いながら、気持ちを落ち着かせるために深呼吸する。その間、雪菜先輩が背中をさすってくれていた。
 私がしっかりしないと。泣いてる暇なんてないんだから。
「ありがとうございます、雪菜先輩」
「ううん。これくらい気にしないで。……何かあった?」
 誰かに相談はしたかった。けれど、二人のことを他の人にも話していいのだろうか。雪菜先輩も命先輩も、信頼できる人なのは間違いない。でも、どこかで漏れて変な噂になるのが怖かった。
「すみません。言え、ないです」
「そっか」
 雪菜先輩は気まずそうに頬を掻くと、微笑みながら私の両手を握った。
「雪菜先輩?」
「大丈夫。ちゃんと届くよ」
 なにを話したわけでもないのに、雪菜先輩は私の悩みに気がついてるように言った。
「頼りたくなったら頼ってね~」
 私の握られた手を、命先輩が重ねて包んだ。二人の先輩の優しい温もりが伝わる。
 先輩たちに励まされ、家路についた。
 内容ぼかしながらでも、相談した方が良かったかな。いやでも、他の同じ学校の人に聞かれて変な噂立てられたら、って。被害妄想強すぎだな、私。
 本当は、二人のことを考えてるんじゃなくて、私が関わることで壊しちゃかもしれないって、怖がってるだけ、かな。
『明日は十時集合でいい? 待ってるよ』
 自分可愛さの臆病な気持ちを黙らせて、夢国さんにメッセージを送る。先輩たちが励ましてくれていなければ、こんなことすらできなかったかもしれない。
 よし、後は明日に備えて休もう。
 夕食を食べ、お風呂に入る。寝支度を整えて少しだけ勉強の時間をとった。
 もう十時か。そろそろ寝ないと、明日は早く準備しないといけないし。……やっぱり不安で眠くならない。
 やっぱり相談。でも時間遅いし、先輩たちには頼れないな。
 志穂ちゃんなら、まだ起きてるかな。それに、こういう時にどうすればいいか知ってるかも。
「もしもし、どった? こんな時間に電話とは。さては、恋のお悩み相談かの?」
 遅い時間にも関わらず、志穂ちゃんは明るく、どこか芝居がかった陽気な声でワンコールで電話に出てくれた。
「ごめんね、夜遅くに」
「いいのよさ。親友の電話に反応できない志穂の字じゃないのよ、ダハハ。……どうした? 声暗いぞ?」
 ふざけていたような志穂ちゃんは、私の声の違和感を感じて心配してくれた。些細な変化であっても、敏感に反応してくれる。
「実は、学校の友達がねーー」
 私は夢国さんと七津さんのことを少しだけ相談した。名前や経緯は誤魔化しながら。志穂ちゃんは、私が話し終えるまで静かに聞いてくれた。
「なるほどね。わからなくもないなあ、その子の気持ち」
 聞き終えた志穂ちゃんは真面目な声で言った。おふざけ感はどこにもなく、自分にも思い当たる節があるような言い方だった。
 私が気づいてあげられなかっただけで、志穂ちゃんにも似たような経験があったのかな。私、助けられてばかりじゃん。
「ま、相談されなきゃ、できることなんてそうないよ。琉歌もそうでしょ?」
 自分の無力さを噛み締めていると、フォローするように志穂ちゃんが言った。
「でも、何もしないのはーー」
「もう。「しない」と「できない」は別物。メッセは送ったんでしょ? ……頼られたら全力で力貸せばいいの」
「志穂ちゃん……。志穂ちゃんは強引だったよね?」
「それは言わんとって」
「あはは。私はそれで救われたんだけどね」
 すごく当たり前のこと。先生にもすでに言われていた。勝手に不安な気持ちになって見落としていた。
「ありがとう、志穂ちゃん。やってみるよ、志穂ちゃんみたいにできないかもだけど」
「琉歌は琉歌だから、いいんだよ別に。じゃ、ガンバおやす~」
 いつもの調子に戻った志穂ちゃんは、適当な造語で通話を切った。
 明日、夢国さん来てくれるかな。
「来て、ほしいな」
 

 
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