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十話『好きと幸せと』
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ピピピピっ……ピピピピっ……
「ん。六時……起き、ないと。くぁ」
朝の日差しが優しい早朝。まだ布団の温もりに包まれて眠っていたい土曜日。布団に潜ったまま体を伸ばし、起き上がる。そこからもう一度体を伸ばす。
まだ少し早いかもしれないけれど、準備しちゃおうかな。
部屋から出て階段を降り、洗面所で顔を洗う。気を引き締める為に、冷たい水で何度か洗う。流れる水の音の中で、パシャッパシャッと合間に響く。
水を止め、タオルで顔を優しく拭う。顔を上げて、鏡に映った私の口角は少し下がっていた。夢国さんの力になってあげられるのか。そもそも今日来てくれるのか。
ダメダメ。私が弱気になってるのはダメ! 力になるんだから。
口角を指で持ち上げて、笑顔になった顔をパチンと叩いた。冷えた頬がピリピリと痺れているのを感じながら、笑顔が保たれていることを確認する。
キッチンに移動し、今日使う予定の材料を確認しておく。小麦粉、薄力粉、砂糖、バター、卵、ナッツ類、チョコチップ。
材料オッケー。道具もちゃんと手入れしてあるから問題なし。後は夢国さんが来る前に掃除して、朝ごはん食べておこうかな。
炊飯器にお米と水を入れてスイッチを押す。炊けるまでの間に、特に汚れているわけではないがリビングとダイニングに掃除機をかける。
ヘッドパーツも取り替えて目につかないところも念入りに掃除をする。そのまま廊下、惰性で階段と二階の掃除も済ませる。
掃除を終えるとちょうどご飯も炊けていた。
お湯を沸かしながら卵焼きを作る。朝は食欲が湧かないので控えめに。
よし、焦げもないし焼き目も綺麗。
小盛りのご飯、インスタント味噌汁に卵焼き。一人静かに朝食を済ませた。汚れが固まらないうちに洗い物を終えてソファで予定の時間まで待つ。
テレビを点けても、ソワソワした気持ちが落ち着かない。
内容の入ってこないままテレビを見ていると、約束の時間の十分前になっていた。
ピンポーン
予定よりも早く、インターホンの音が鳴った。
即座にテレビを消して、カメラを確認しに行く。
そこには、白のワンピースに春らしい薄緑の上着を羽織ったパッツンカットの女の子が立っていた。
良かった。来てくれた。
ホッとした私は軽い足取りで玄関に向かい、勢いよく扉を開けた。
インターホンからの返答もなく扉が開いたからか、夢国さんは少し驚いていた。
「いらっしゃい、夢国さん。上がって」
「……はい、お邪魔しますわ」
笑顔で出迎えると、夢国さんも笑顔で返してくれた。ただ、その笑顔に申し訳なさそうな悲しい表情が混ざっていた。
昨日のこと、気にしてるのかな。私は来てくれただけですごく嬉しんだけど。罪悪感とか、バツの悪さってなかなか消えないよね。
気にしないでって言ってあげるべきなのか。触れないであげるべきなのか。どっちが正しいんだろう。
「あの、ご両親は」
「仕事。二人とも基本帰ってこないんだ。洗面所そこね」
夢国さんからの話題でタイミングを見失い、一人で先にキッチンに向かった。
作りながらか、食べながら訊いてみよう。真正面からだと話しづらいかもしれないし。
「手洗い終わりましたわ」
「じゃあ、早速始めようか」
夢国さんは無言で頷き、無地エプロンを身につけると私の隣に並んだ。正面にはボウル二つと、二人分に分けた材料。
「まずはバターと砂糖を混ぜ合わせて、その後に卵黄を加えてまた混ぜる。その後に薄力粉を振るって粉っぽさがなくなるまで混ぜる。混ぜすぎ注意だよ」
「わかりましたわ」
焦って結構まとめて教えちゃったけど大丈夫かな。
少しの不安と共に同時に開始。夢国さんは教えてほしいと言っていただけあって、あまり手慣れているようには見えない手つきだった。私の手元を見ながら、どう混ぜるのが正解か探している感じだ。
でも飲み込み早いなあ。コツとか教えてないのに見ただけで真似ちゃうなんて。ちょっと凹む。
「あの、古町さん」
夢国さんの器用さに感心していると、ワントーン低い声で夢国さんが話しかけてきた。聞きたいことがある雰囲気ではない。
私が作業の手を止めると、夢国さんの手も止まっていた。
「……昨日は、ごめんなさい。何も言わずに帰ってしまって」
「い、いやいや、気にしてないよ。今日もちゃんときてくれたし」
突然の謝罪にあたふたしてしまった。正直、謝られるようなことをされたとは思っていない。
「ありがとうございます……。本当に」
夢国さんの中で何かが引っ掛かっちゃったんだろう。
そのまま昨日のことを話したかったけれど、生地を途中で放置しておくこともできず先に片付けることにした。
完成した生地をラップで包んで冷蔵庫で寝かせる。その間に、お茶を飲みながら話をすることにした。
「それで。えっと、昨日はどうしたの? あ! 怒ってるわけじゃないよ?! ただ吐き出せば楽になるかもだし、何か力になれるかもって」
「……ふふっ」
問い詰めている時の言い訳のような台詞を焦って口走ると、夢国さんが小さくだが笑ってくれた。
良かった。やっと普通に笑ってくれた。
「ご、ごめんなさい。急に笑って。失礼しましたわ」
「ううん。暗い顔より、笑ってる夢国さんのが素敵だもん。……昨日のこと、訊いてもいい?」
普段の夢国さんらしさが少し戻ってきたところで、本題に入った。夢国さんはお茶を一口飲むと、両手でカップを押さえたまま話し出した。
「嫉妬、と言いますか。なんと言いますか。少し、想像してしまったんです。私が隣にいない楓さんを」
「夢国さんのいない、七津さん? あまり想像できないけど」
パズルのピース。磁石。くっついていることが当たり前。二人一組が普通。片方しかないのはしっくりこない。
目標とまではいかなくても、二人みたいに私も先生にくっ付きたい。水族館以降できてないけれど。
「二人とも仲良いから、やっぱり想像できないや」
「そう言われると、照れますわね」
素直な感想を伝えると、夢国さんは頬を赤くしてはにかんだ。しかし、すぐにため息を漏らして瞳が曇ってしまった。
「楓さんは、友達を作るのが上手ですの。昨日だって、多くの人に囲まれて。本当なら、クラスの大きなグループで楽しく過ごせてるはずなんです」
夢国さんは口を歪めながら話す。カップを握る手にも力が入っているようで、中の紅茶に波紋が広がっている。
「私がそれを奪っている気がして」
言葉を続けるごとに、夢国さんの声は暗く、重くなっていく。俯いた瞳に雨の兆しが光る。
「我儘ですね、私」
自分を嘲笑するように夢国さんは言った。
「そんなことないよ。七津さんだってそう思ってーー」
「古町さんはなんとでも言えるわ」
ボソっと呟くように。けれど私に届く声で、強い語気で。深海のように深く重く暗い声で、夢国さんは言った。
ギュッと心臓を締め付けられたような。ナイフで刺されたような感覚に息が詰まった。ありふれた嫌な記憶が蘇る。
「でも、あの時ーー」
「何も知らないくせに」
ダメだ。何言っても届かない。夢国さんの芯の強い部分が、今は逆に働いちゃってる。
「楓ちゃんの何を知ってるっていうの! 私が何をできるっていうの!」
夢国さんは全てを拒むように、私の言葉を遮るように叫んだ。一気に肺の空気を出し切ったのか、荒い呼吸をしている。
今の言葉、私に向けてもあったけど。一番その矛先が向いてたのはきっと夢国さん自身だ。自分のことを何も信じられなくなってるんだよね。
「はぁ……はぁ……。!? ごめんさい、古町さん。私、今……」
ハッとした夢国さんは、言葉を止めようとするように手で口を塞いだ。乱れた呼吸で、怖がるように震えている。
初めて会った時に七津さんに言われたことを思い出した。
(ちょっと臆病だけど頑張り屋で良い子だから、これからよろしくね)
今の夢国さんには、言葉だけじゃ伝わらない。不安を拭ってあげられない。水族館でやった時より、もっと強く、優しく。七津さんみたいに。
私は立ち上がって、夢国さんに近づいていく。夢国さんは怯えて小さく固まり震えている。
「ふ、古町さ……、ご、ごめ、ごめんなーー」
夢国さんの言葉を遮るように、七津さんのように思いっきり抱き締めた。心臓の鼓動が聴こえてしまいそうなほどに。
「古町、さん?」
「確かに、私は七津さんじゃないから、なんとでも言えるよ」
否定するだけじゃダメ。正しいところは肯定して受け入れる。じゃないと、相手も受け入れてくれない。
「昨日の七津さん。教室でも笑ってたけど、夢国さん見つけた時のがずっと嬉しそうに笑ってたの」
「え?」
抱き締めていた夢国さんを離して向かい合い、潤んだ瞳を見つめ、笑顔で言葉を続ける。
「私も昔、夢国さんと似たようなことで不安になったの。その時は本人にバレて、打ち明けたら怒られたけど」
「怒られた?」
「うん。『友達は多くなったかもしれないけど、琉歌と一緒が一番良い。勝手に私の幸せ決めんな』って」
夢国さんを放っておけなかったのは、友達だからというのもあるけれど、私と似ているからだ。
性格も趣味も、好きな人に対するスタンスも違うかもしれないけれど、大切な人に感じる不安は一緒なんだ。
「だからね、七津さんも友達が多いことより、たった一人の親友……じゃなくて、恋人と一緒にいるのが良いんじゃないかな?」
「古町さん」
よし、伝えたいことは全部言えた。ちゃんと夢国さんに伝わっていると良いんだけど。
夢国さんは両手を胸に当てて目を瞑り、息を整えている。
「確かに、決めつけて動けないのは私の理想に反しますわ。月曜日、それとなく迫ってみます。意趣返しを込めて」
目を開いて、少し恥ずかしそうにしながら夢国さんは答えた。バレてしまった私と違って、自分から確かめる行動力は夢国さんらしい。言葉遣いも戻ってきたし。
質問の内容が重苦しいような気がするけれど、二人の信頼関係なら問題ないよね。
「クッキーも焼けたみたいだし、少しだけ飾り付けしちゃおう」
「ええ。最高のプレゼントに仕上げてみせますわ」
いつもの調子を取り戻した夢国さんは、今日一番の自信に満ちた可愛い笑顔を見せてくれた。その瞳は、先生に自己紹介をさせた時のように力強く輝いている。
私も負けてられない。先生にとびっきりのクッキーを送らないと。
「ん。六時……起き、ないと。くぁ」
朝の日差しが優しい早朝。まだ布団の温もりに包まれて眠っていたい土曜日。布団に潜ったまま体を伸ばし、起き上がる。そこからもう一度体を伸ばす。
まだ少し早いかもしれないけれど、準備しちゃおうかな。
部屋から出て階段を降り、洗面所で顔を洗う。気を引き締める為に、冷たい水で何度か洗う。流れる水の音の中で、パシャッパシャッと合間に響く。
水を止め、タオルで顔を優しく拭う。顔を上げて、鏡に映った私の口角は少し下がっていた。夢国さんの力になってあげられるのか。そもそも今日来てくれるのか。
ダメダメ。私が弱気になってるのはダメ! 力になるんだから。
口角を指で持ち上げて、笑顔になった顔をパチンと叩いた。冷えた頬がピリピリと痺れているのを感じながら、笑顔が保たれていることを確認する。
キッチンに移動し、今日使う予定の材料を確認しておく。小麦粉、薄力粉、砂糖、バター、卵、ナッツ類、チョコチップ。
材料オッケー。道具もちゃんと手入れしてあるから問題なし。後は夢国さんが来る前に掃除して、朝ごはん食べておこうかな。
炊飯器にお米と水を入れてスイッチを押す。炊けるまでの間に、特に汚れているわけではないがリビングとダイニングに掃除機をかける。
ヘッドパーツも取り替えて目につかないところも念入りに掃除をする。そのまま廊下、惰性で階段と二階の掃除も済ませる。
掃除を終えるとちょうどご飯も炊けていた。
お湯を沸かしながら卵焼きを作る。朝は食欲が湧かないので控えめに。
よし、焦げもないし焼き目も綺麗。
小盛りのご飯、インスタント味噌汁に卵焼き。一人静かに朝食を済ませた。汚れが固まらないうちに洗い物を終えてソファで予定の時間まで待つ。
テレビを点けても、ソワソワした気持ちが落ち着かない。
内容の入ってこないままテレビを見ていると、約束の時間の十分前になっていた。
ピンポーン
予定よりも早く、インターホンの音が鳴った。
即座にテレビを消して、カメラを確認しに行く。
そこには、白のワンピースに春らしい薄緑の上着を羽織ったパッツンカットの女の子が立っていた。
良かった。来てくれた。
ホッとした私は軽い足取りで玄関に向かい、勢いよく扉を開けた。
インターホンからの返答もなく扉が開いたからか、夢国さんは少し驚いていた。
「いらっしゃい、夢国さん。上がって」
「……はい、お邪魔しますわ」
笑顔で出迎えると、夢国さんも笑顔で返してくれた。ただ、その笑顔に申し訳なさそうな悲しい表情が混ざっていた。
昨日のこと、気にしてるのかな。私は来てくれただけですごく嬉しんだけど。罪悪感とか、バツの悪さってなかなか消えないよね。
気にしないでって言ってあげるべきなのか。触れないであげるべきなのか。どっちが正しいんだろう。
「あの、ご両親は」
「仕事。二人とも基本帰ってこないんだ。洗面所そこね」
夢国さんからの話題でタイミングを見失い、一人で先にキッチンに向かった。
作りながらか、食べながら訊いてみよう。真正面からだと話しづらいかもしれないし。
「手洗い終わりましたわ」
「じゃあ、早速始めようか」
夢国さんは無言で頷き、無地エプロンを身につけると私の隣に並んだ。正面にはボウル二つと、二人分に分けた材料。
「まずはバターと砂糖を混ぜ合わせて、その後に卵黄を加えてまた混ぜる。その後に薄力粉を振るって粉っぽさがなくなるまで混ぜる。混ぜすぎ注意だよ」
「わかりましたわ」
焦って結構まとめて教えちゃったけど大丈夫かな。
少しの不安と共に同時に開始。夢国さんは教えてほしいと言っていただけあって、あまり手慣れているようには見えない手つきだった。私の手元を見ながら、どう混ぜるのが正解か探している感じだ。
でも飲み込み早いなあ。コツとか教えてないのに見ただけで真似ちゃうなんて。ちょっと凹む。
「あの、古町さん」
夢国さんの器用さに感心していると、ワントーン低い声で夢国さんが話しかけてきた。聞きたいことがある雰囲気ではない。
私が作業の手を止めると、夢国さんの手も止まっていた。
「……昨日は、ごめんなさい。何も言わずに帰ってしまって」
「い、いやいや、気にしてないよ。今日もちゃんときてくれたし」
突然の謝罪にあたふたしてしまった。正直、謝られるようなことをされたとは思っていない。
「ありがとうございます……。本当に」
夢国さんの中で何かが引っ掛かっちゃったんだろう。
そのまま昨日のことを話したかったけれど、生地を途中で放置しておくこともできず先に片付けることにした。
完成した生地をラップで包んで冷蔵庫で寝かせる。その間に、お茶を飲みながら話をすることにした。
「それで。えっと、昨日はどうしたの? あ! 怒ってるわけじゃないよ?! ただ吐き出せば楽になるかもだし、何か力になれるかもって」
「……ふふっ」
問い詰めている時の言い訳のような台詞を焦って口走ると、夢国さんが小さくだが笑ってくれた。
良かった。やっと普通に笑ってくれた。
「ご、ごめんなさい。急に笑って。失礼しましたわ」
「ううん。暗い顔より、笑ってる夢国さんのが素敵だもん。……昨日のこと、訊いてもいい?」
普段の夢国さんらしさが少し戻ってきたところで、本題に入った。夢国さんはお茶を一口飲むと、両手でカップを押さえたまま話し出した。
「嫉妬、と言いますか。なんと言いますか。少し、想像してしまったんです。私が隣にいない楓さんを」
「夢国さんのいない、七津さん? あまり想像できないけど」
パズルのピース。磁石。くっついていることが当たり前。二人一組が普通。片方しかないのはしっくりこない。
目標とまではいかなくても、二人みたいに私も先生にくっ付きたい。水族館以降できてないけれど。
「二人とも仲良いから、やっぱり想像できないや」
「そう言われると、照れますわね」
素直な感想を伝えると、夢国さんは頬を赤くしてはにかんだ。しかし、すぐにため息を漏らして瞳が曇ってしまった。
「楓さんは、友達を作るのが上手ですの。昨日だって、多くの人に囲まれて。本当なら、クラスの大きなグループで楽しく過ごせてるはずなんです」
夢国さんは口を歪めながら話す。カップを握る手にも力が入っているようで、中の紅茶に波紋が広がっている。
「私がそれを奪っている気がして」
言葉を続けるごとに、夢国さんの声は暗く、重くなっていく。俯いた瞳に雨の兆しが光る。
「我儘ですね、私」
自分を嘲笑するように夢国さんは言った。
「そんなことないよ。七津さんだってそう思ってーー」
「古町さんはなんとでも言えるわ」
ボソっと呟くように。けれど私に届く声で、強い語気で。深海のように深く重く暗い声で、夢国さんは言った。
ギュッと心臓を締め付けられたような。ナイフで刺されたような感覚に息が詰まった。ありふれた嫌な記憶が蘇る。
「でも、あの時ーー」
「何も知らないくせに」
ダメだ。何言っても届かない。夢国さんの芯の強い部分が、今は逆に働いちゃってる。
「楓ちゃんの何を知ってるっていうの! 私が何をできるっていうの!」
夢国さんは全てを拒むように、私の言葉を遮るように叫んだ。一気に肺の空気を出し切ったのか、荒い呼吸をしている。
今の言葉、私に向けてもあったけど。一番その矛先が向いてたのはきっと夢国さん自身だ。自分のことを何も信じられなくなってるんだよね。
「はぁ……はぁ……。!? ごめんさい、古町さん。私、今……」
ハッとした夢国さんは、言葉を止めようとするように手で口を塞いだ。乱れた呼吸で、怖がるように震えている。
初めて会った時に七津さんに言われたことを思い出した。
(ちょっと臆病だけど頑張り屋で良い子だから、これからよろしくね)
今の夢国さんには、言葉だけじゃ伝わらない。不安を拭ってあげられない。水族館でやった時より、もっと強く、優しく。七津さんみたいに。
私は立ち上がって、夢国さんに近づいていく。夢国さんは怯えて小さく固まり震えている。
「ふ、古町さ……、ご、ごめ、ごめんなーー」
夢国さんの言葉を遮るように、七津さんのように思いっきり抱き締めた。心臓の鼓動が聴こえてしまいそうなほどに。
「古町、さん?」
「確かに、私は七津さんじゃないから、なんとでも言えるよ」
否定するだけじゃダメ。正しいところは肯定して受け入れる。じゃないと、相手も受け入れてくれない。
「昨日の七津さん。教室でも笑ってたけど、夢国さん見つけた時のがずっと嬉しそうに笑ってたの」
「え?」
抱き締めていた夢国さんを離して向かい合い、潤んだ瞳を見つめ、笑顔で言葉を続ける。
「私も昔、夢国さんと似たようなことで不安になったの。その時は本人にバレて、打ち明けたら怒られたけど」
「怒られた?」
「うん。『友達は多くなったかもしれないけど、琉歌と一緒が一番良い。勝手に私の幸せ決めんな』って」
夢国さんを放っておけなかったのは、友達だからというのもあるけれど、私と似ているからだ。
性格も趣味も、好きな人に対するスタンスも違うかもしれないけれど、大切な人に感じる不安は一緒なんだ。
「だからね、七津さんも友達が多いことより、たった一人の親友……じゃなくて、恋人と一緒にいるのが良いんじゃないかな?」
「古町さん」
よし、伝えたいことは全部言えた。ちゃんと夢国さんに伝わっていると良いんだけど。
夢国さんは両手を胸に当てて目を瞑り、息を整えている。
「確かに、決めつけて動けないのは私の理想に反しますわ。月曜日、それとなく迫ってみます。意趣返しを込めて」
目を開いて、少し恥ずかしそうにしながら夢国さんは答えた。バレてしまった私と違って、自分から確かめる行動力は夢国さんらしい。言葉遣いも戻ってきたし。
質問の内容が重苦しいような気がするけれど、二人の信頼関係なら問題ないよね。
「クッキーも焼けたみたいだし、少しだけ飾り付けしちゃおう」
「ええ。最高のプレゼントに仕上げてみせますわ」
いつもの調子を取り戻した夢国さんは、今日一番の自信に満ちた可愛い笑顔を見せてくれた。その瞳は、先生に自己紹介をさせた時のように力強く輝いている。
私も負けてられない。先生にとびっきりのクッキーを送らないと。
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