私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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六十九話『ちょっとだけご褒美を』

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 期末テストまで残り二日。私と夢国さんと七津さんは今日も図書室で勉強会を開いていた。
 勉強も終盤ということで、それぞれの得意科目で作ったミニテストを解いている。当然と言えば当然かもしれないけれど、夢国さんのテストが一番難易度が高い。しかし、しっかり教えてもらったおかげで正解の糸口を見つけられる。
 改めて夢国さんの頭の良さを感じるなぁ。自分の中だけじゃなくて、人に教えることもできているし。自分がちゃんと二人の勉強の力になれていたか不安になってきちゃった。
「ぐぬぬ……」
 問題と向き合っていると、シャーペンが走る音に混ざって、小さな唸り声が聞こえた。音の方向と声からして、見なくても七津さんだとわかる。正直、唸りたくなる気持ちはわかる。糸口を見つけれるとは言っても、苦戦していないわけではないのだ。
 七津さんの声に気をとられたが、改めて問題に向き合うと。今度は正面が静かなことに気がついた。
 もしかして、夢国さんはもう解き終わってる? シャーペンのサッサッって音が聞こえないし。……待たせちゃうのは申し訳ないけれど、ここはしっかり考えて解こう。急いで間違えていたら元も子もないし。
 結局そこから私は五分。七津さんは十分ほどで全ての問題を解き終わり、答え合わせの時間となった。
「惜しいですわね、古町さん。ここの一点だけスペルミスですわ。楓さんは少々スペルミスが多いですわね」
「ごめ~ん。何回も教えてもらったのに~」
「ですが、文法や変化は理解できています。あとは本番で焦らないことですわね」
 そう言って夢国さんは七津さんの頭を撫でた。七津さんは嬉しそうに笑いながら、ミスした単語のスペルをノートにメモして、復習できるように準備していた。
「古町さんもあーちゃんも満~点~。……ちょっと悔しい」
 七津さんが作ったテストは二人ともミスがなかった。問題が簡単だったというよりは、暗記の面が強い日本史というジャンルに対して、記憶に残りやすい七津さんの授業が見事に噛み合った結果だろう。
「教師が優秀な証拠ですわ」
「そうだよ。私もびっくりするくらい覚えてたし」
 褒められた七津さんは嬉しそうに笑いながらも、悔しい思いが消えないようで複雑な表情をしていた。
「七津さんは計算ミスが少し。でも、途中式は大体合っているから、焦らないで解いてみて」
 そして私が作った数学のテスト。これまででわかったことだが、七津さんは難しい問題に直面すると焦って空回りしがちのようだ。
 私もあまり人のことは言えないんだけれどね。勉強も、それ以外も。
「夢国さんは全問正解だ。やっぱりすごい」
「気持ちが良いくらい解けるようになって楽しかったですわ。古町さんの指導の賜物ですわね」
「あはは、そうだと嬉しいな」
 夢国さんの褒め言葉に照れていると、七津さんも大きく首を縦に振っていた。
「ここで最後の大詰め。と行きたいところなのですが、諸用があるので私は帰ります」
 夢国さんは勉強道具を鞄にしまって、ため息混じりに立ち上がった。「こんな時に家族会議なんて」と、おそらく無意識にポツリと呟いていたのが聞こえ、踏み入れない内容であることを察した。
「私も、愛介たちの散歩行かないと。最近はママがしてくれてたけど、今日、ママお仕事で遅いんだ~」
「そうなんだ。……私はもう少しだけ勉強していくね」
「では、また明日」
「ばいば~い、古町さ~ん」
 椅子に座ったまま振り向いて、図書室から出ていく二人に手を振る。二人が外に出て扉を閉めるまで振り続け、閉まると同時に手を下ろして姿勢を直した。友達のいなくなった図書室で、静かに勉強に向き合う。
 目の前の勉強に集中しながら、どこか心ここに在らずな私。それもそのはずで、私は今、煩悩に従って図書室に残っている。もしかしたら、八戸波先生がまたきてくれるんじゃないかという、あまりにも小さな期待で。
 我ことながら、バカだなぁ。ついこの間本を返しにきてただけじゃん、先生は。それなのに、わざわざ残って勉強とか。本当にバカ。
 期待で残った数分の前の私に脳内で説教しながら勉強に励む。しっかり現代文の復習にしているあたり、本当に自分で自分のことをどうかと思う。
「古町さん。少し、席を外すけど、気にしないでね」
「わかりました」
 図書室の先生は何か別の仕事があったのか、一言私に言ってから図書室を出ていった。私が知らないだけで、色々な仕事があるのだろうか。
 友達もいない。先生もいない。本当に一人きりになった図書室で、黙々と勉強をする。途中で制服の上着にしまったスマホを取り出して、マナーモードでタイマーをセットした。
 あと二十分勉強したらそのまま帰ろう。

「今日は一人で勉強か? 真面目だな、古町」

 唐突に聞こえた声に鼓動が跳ねた。反射的に振り向くと、扉のところに八戸波先生が立っていた。それどころか、こちらに向かって歩いてきている。
「夢国さんたちは用事があるみたいで、今さっき帰ったんです。先生は?」
「最近、図書室で毎日勉強している生徒がいるから様子見にな。お、現代文の復習か」
 八戸波先生は私のノートを覗き込んで確認すると、少し前に進んで私の対面に座り、頬杖をついた。自分の担当教科を勉強しているからか、心なしか嬉しそうに見える。
「せっかくだ。少しテストしてやろうか?」
「お、お願いします」
 先生にいいところを見せるチャンス。ただ、ほぼ見つめられてるに等しいこの状態で、ちゃんと私の頭が仕事してくれるかどうかだけが、すごい心配。頑張れ、私の頭。
 八戸波先生は私の指をチョイチョイと指さし、手の平を向けて私に差し出した。握っていたシャーペンを渡すと、先生はノートも自分の方に寄せて、考える間もなく書き始めた。普段あまり見れないその姿に、私は釘付けになっていた。
 学生時代の先生も、こんなふうにノートを書いていたのかな?
 高校の制服を着た先生をイメージする。普段と服装が違うだけなのに、より近く感じてなんとも不思議な感覚だ。
「漢字テスト。授業中に覚えるように言ったやつだ」
 空に浮かびかけていた心が、八戸波先生の声で戻ってきた。ノートを見ると、漢字と読みの問題がそれぞれ五問ずつ書かれていた。短い時間で書いたとは思えない、とても綺麗な字だ。
 開始の合図もなく、私は解答を記入する。横に並ぶ字が綺麗すぎて、いつにも増して丁寧に字を書くように心掛ける。しかし、どうにも不釣り合いな文字になってしまう。
 よ、読めさえすれば問題ないはず。別に汚い字じゃないし、綺麗な字だって褒められたこともあるし。
「で、できました」
 意味不明な強がりを抱きながら問題を終わらせた。ノートを引き寄せた八戸波先生の「綺麗な字だな」という言葉に、胸を撫で下ろした。
 赤ペンを取り出そうと筆箱に手をかけると、八戸波先生は一問目の問題に指を置いていた。
 まさか初手から間違えてた!? それはあまりに恥すぎる。今からでも時間を巻き戻して解き直したい。
「正解」
「へ?」
 恥ずかしさと不甲斐なさの板挟みで頭が爆発しそうになっていると、八戸波先生は指を動かして丸を描いた。その後もテンポ良く、問題に指を当てては、見えないペンで採点するように丸を描いた。
「全問正解。しっかり勉強してるな。まあ、元から心配はしてないが」
 そう言って八戸波先生は小さく笑った。
「本番もこの調子で頼むぞ」
「は、はい」
 期待の眼差し。他の誰でもない私を見つめる瞳、優しい声。全ての要素が私の心を震わせる。高まる心が脳裏によぎらせるのは、沙穂さんが語っていた思い出話。
 聞きたい。話したい。知りたい。……………でも、今じゃない。
「先生、あと少しだけ、勉強に付き合ってもらえますか?」
「ああ。いいぞ」
 今優先するべきは、目の前に迫っているテスト。それで高得点をとって、先生の期待に応えることだ。
 でも、もう少し二人きりの時間を過ごすくらいは、いいよね。だって、勉強のことなんだから。
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