私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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七十七話『お散歩相談室』

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 七津さんの家で始まった料理教室、どら焼き編。
 大きなトラブルに見舞われることなく、順調に進んでいる。
 お菓子作りって全部難しいものだと思っていたけど、簡単なものもあるんだなぁ。って、まだまだ始まったばかりなんだから気を抜くな、私。
「混ぜ終わったら、三十分ほど待機です」
 心の中でパチンと頬を叩いた数秒後、気を抜いて良いことが判明した。個人的なイメージとして、お菓子作りはもっと繊細で長い時間を要すると思っていただけに拍子抜けだ。
「お菓子作りって、結構待ってばっかりだったりするんですよ」
 はにかむようにしながら古町さんは言った。そして安心したようにため息をついた。教える立場ということで、どうにも緊張していたらしい。
「お疲れ様。と言っても途中か」
「教える。というほど大きな作業もないですけどね。あはは」
 あくまで自然に会話をしようと話しかけたが次のワードが思い浮かばない。
 いつもならもう少しくらい話せるのに……。
 待機時間中、リビングでウルフィたちと戯れながら待つ流れとなった。
 ウルフィたちはあちらへこちらへ、丁寧に愛想を振りまいてからお気に入りのポジションに落ち着いた。麦丸(猫)は礼ちゃんがいないからか、ずっとキャットタワーの上で私たちを見ている。その視線はどこか不満気だ。
「あら、いけない。お茶っ葉切らしちゃってたわ~。ちょっと買ってくるからみんなゆっくりしてて」
 一人キッチンに残っていたカトリさんはそう言うと、身につけていたエプロンを外して身だしなみを整え始めた。
「私が行きますよー。このへんだと【さんば屋】あたりですかね?」
 カトリさんがエプロンをたたみ終わるより少し早いタイミングで友杉先輩がゆっくりと立ち上がった。
 先輩この辺に土地勘あるんだ。というかそもそも、散歩している時にバッタリ会ったんだった。…………でも先輩の家ここから少し遠いような。
「甘いものを食べる前の準備運動……的なことですよー。ついでに志穂の好きなお煎餅買ってあげたいし」
 友杉先輩は大きく伸びをすると、チラリと私を見た。
「雪菜ちゃんも付き合ってもらっていいかな? 一人だと少しさみしくてねー」
 はにかみながら肩を竦める友杉先輩。どことなくその表情に含みというか、何かを見透かしてるような雰囲気が漂っている。
 断る理由はないし……。古町さんと一緒にいられる時間は減るけど、上手く話せそうにないから頭冷やしてくるか。
「わかりました。命、迷惑かけないようにね」
「はいはい。うちだって大人ですよ~」
 照れ隠しというか、隠れ蓑というか。命に注意すると、見透かされたように「やれやれ」と言いたげな声色の返答をされた。
 ……なんかちょっと腹立つ。
「というわけで、行ってくるねー」
 二人でしっかりと防寒をしてから廊下に出る。この時点で既に寒さに押し返される気分だ。冷ややかな壁を乗り越えて、玄関の扉を開ける。
 寒いじゃなくて冷たい。戻るころには耳が真っ赤になるか真っ白になるかしてそう。
「さて……ちゃちゃっとのんびり行こうか」
 相反する言葉を言って友杉先輩はスマホを取り出すと、ゆったりとした足取りで歩き出した。
「そのお店、よく買い物に行くんですか?」
「いや? 二回くらいかな」
 スマホのルートを拡大縮小しながら友杉先輩は答えた。そしてスマホをポケットに戻して私の方に振り向いた。
「で、なにかあったの?」
 驚きで足が急ブレーキをかける。靴とアスファルトが擦れ、ザッ……と小さく鳴った。思わず目を開いて先輩を見つめると、やれやれと言いたげに苦笑して息をついていた。
 嘘を吐くのも、強がるのも。上手くなったつもりだったのに、友杉先輩には隠せてないか。
「話してみる? それとも、しまっておく?」
 友杉先輩を首を傾げ、私の返答を待つ。何かあるのはわかるが、何があるかまではわかっていないようだ。話すかどうかは私の自主性に任される。話しても、黙っていても、気持ちは落ち着きそうもない。
 でも、何もしないよりは…………。
 ふと、二人で遊園地に行ったあの日を思い出す。私は最後には告白するつもりで誘っていながら、何もせずに終わることを選んだ。
 私、何もしなかったことを引きずってるのかな。
「最近、好きな人が出来たんです」
 一言一言、呼吸を整えるようにゆっくり確実に言葉を吐きながら友杉先輩の隣に並ぶ。
「恋かぁ。いいじゃない、青春らしくて」
 隣で私が話し始めたのを確認すると、ゆっくりとした足取りで友杉先輩は歩き出した。穏やかな声色で、穏やかな表情で。私の言葉に肯定してくれる。
 少しの安堵と緊張を抱いて、友杉先輩と同じように歩を進めながら次の言葉を吐き出す。
「でも、その人には好きな人がいて……何も、言えなくて」
 思い返すたびに後悔に似た感情が胸の中で蠢いている。同時に、告白していて正式にふられる未来を想像すると、鼓動が止まったみたいにギュッとする。
「まあ、それも青春だよねー」
 重すぎず、かと言って軽視するわけでもない。友杉先輩はあくまで聞き手でいてくれる。
「そっかー。ついつい思い出しちゃってたんだねー」
 私より少し小さくて、指先の冷えた優しい手が私の頭をそっと撫でる。小さい頃に戻ったような気持ちが溢れた。自然と涙腺が少し緩む。
 冷たいのに、温かい。
「本人を目の前にしてると上手く感情を処理できなくて」
「うんうん…………うん?」
 緩やかに、穏やかに。私を頭を撫でる友杉先輩の手と足が急停止した。唐突な停止に対応できなかった私は先輩の手を少し通り過ぎた。
 私の頭が先ほどまであった空中に手を置いたまま、友杉先輩は数秒ほど固まった。
「……雪菜ちゃん。もしかしてその相手って琉歌ちゃん?」
 間違いの選択肢を何一つ選ぶことなく言い当てられた。もっとも、今日集まったメンバーで考えると自然とバレてしまうものではあるのだろう。
「そっかー……そっかぁ……」
 先程までの受け入れて流すような相槌ではなく、飲み込みきれないような苦しい言い方。私に対してではなく、友杉先輩自信が処理するために呟いているようだった。
 ショック……だったのかな。友杉先輩からすれば妹さんの友達なわけだし。
「志穂がやけに詮索してきたのはそういうことか」
 思い当たる節があったのか、納得できたのか。言葉を漏らすと少し困ったように笑って歩を進め、私の隣で一度止まった。
 友杉先輩が小さく息を漏らしたのを合図に、私たちはまた歩き出した。少し忘れそうだったが、おつかいの途中だ。
「世間ってのは案外狭いよねー。私としては、雪菜ちゃんなら安心して任せられたんだけど。……伝える気はない?」
 私の好意を肯定するような言葉。引かれたかもしれないと思った私には安心する響きだった。認められている嬉しさも溢れ出す。
「……振られる自信はないですね。あはは」
 苦笑しながら先輩の提案を私は拒んだ。散々たくさんの子たちに抱かせた喪失感を、私は受け入れる自信がない。やらぬ後悔よりやる後悔。その言葉を肯定できるほど本当の私は強くない。
 そのくせして、告白しなかったことをズルズル引きずってもいる。我ながら酷い話。
「……そっか。無理強いは良くないね」
 一呼吸おいた友杉先輩の回答。わかっていたような、あえて踏み込まないような。優しい声。
「相手を考えると……ねぇ」
 私に視線を向けないまま、友杉先輩はポツリと呟いた。横顔は複雑そうで、少し苦い表情にも見える。
 古町さんが誰を好きかまで言った覚えはないんだけど、気付いてる? ……さっき志穂さんが詮索してきたって言っていたっけ。それで察したのかな。
「ま。当人の問題だからこれ以上は触れないでおこうかな。ただ、仲良くはしてあげてよね。あの子、雪菜ちゃんに負けず劣らず気にしぃさんだから」
 ポン、と。軽く肩を叩いて友杉先輩は穏やかに私に笑いかけてくれた。
「善処します」
 自分で思っている以上に、露骨な態度で古町さんに心配をかけていたかもしれない。
 私の選択。私の迷いで古町さんにいらない心配かけちゃうとか、先輩としてさすがにカッコ悪すぎるよね。強がりでも何でも。選ばれなくても、私はあの子の頼りになる先輩でいたい。……今そうなれてるかと聞かれると、正直あんまり自信ないけど。
 気持ちを吐き出したからか、はたまた冬の寒さのおかげか。私の心も、ひとまず落ち着いてくれたらしい。
「おつかい済ませて戻りましょうか」
「そーだね。少しのんびりすぎたかもだし」
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