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主人公をハッピーエンドに導きます。後

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 私がすみれだと告白しようとした矢先、椿つばきが畳みかけるように言葉を被せる。
「私が読んでた物語なんですけど、ソバナ様も出てくるんです。そこのソバナ様も、国民に重税を強いたり、ちょっとしたことで他人を処刑させたりしていました。その悪政が原因で、最後には自分が処刑されるんです」
 椿は拳を握りしめる。
「ソバナ様、このままだとあなたも、そのソバナ様のように処刑されてしまいます。だから、今からでも遅くないから、国民の誰もが幸せになれるような国を作ってください!」
 まっすぐに私を見据えて、彼女はそう言った。色は違うけど、それは確かに椿の目だった。
 私は言おうとしていた言葉を飲み込んだ。無理だ。彼女に合わせる顔がない。椿のための復讐だと言ってたくさんの人間を殺した。彼女がそのことを知ったら。優しい彼女のことだ、そんな風に私を追いつめてしまったと、自分を責めるだろう。
 それはダメだ。この罪は私だけのものだ。彼女は1ミリたりとも関係がない。
 椿は何も知らない方がいい。私は彼女にとって、ワガママで国民をいじめる悪逆非道の女王のソバナであるべきだ。
 だけど、カンナが椿であると分かった以上、彼を幸せにしてやらなければいけない。椿は幸せになるべき人間なのだから。
「ならあなた、私と結婚する? そうすれば私、あなたに政務を丸投げするわ。善政なりなんなり、好きにすればいい」
 割といい案だと思った。だけど椿は、信じられないものを見るような目で私を見た。みるみるうちに顔から血の気が引いていく。
「それは、それはダメです!」
 勢いよく立ち上がったせいで机が揺れて、カップが倒れた。紅茶がカンナのズボンを濡らすけど、彼がそれを気にする様子は見えない。
「私と結婚したいなんて、父上に……いや、誰にも言わないでください! デルフィニウムもダメです! 今まで通り、誰とも結婚しないと言い続けてください!」
 ものすごい剣幕に、私は呆気に取られてしまった。
 我に返ったカンナは、頭を深く下げる。
「すみません、出過ぎた真似を」
「別に、構わないわ。今のは忘れてちょうだい」
 はい、と返事をするカンナの声は、消えてしまいそうだった。
 ふと彼は時計を見た。
「すみません。父上に呼ばれている時間なので、失礼します」
 気まずそうに一礼すると、彼は退出していった。閉じられた扉を、私はただただ眺めることしかできない。
「ソバナ様」
 ミタマの声で我に返る。というか、いることをすっかり忘れていた。ちょいちょいと手招きをすると、彼は素直に寄ってくる。
「カンナはどうしてあんなことを言ったのかしら」
 無事だった私の紅茶を手に取った。ひと口飲むけど、すっかりぬるくなっていて、おいしくなかった。
「カンナ様は女性ですから、現行で結婚するのは難しいでしょう。法を変えないと」
 ソーサーにカップを戻そうとした手が、思わず止まる。
「女?」
 私の反応に、ミタマは首を傾げる。震える手でカップを置いた。ガチャンと大きな音が立つ。
「な、何言ってるのよ。なんでそんなこと」
「女性と男性とでは匂いが違います」
 彼は嗅覚が鋭い。ぐらぐらと世界が揺れる。思わず越を浮かせ、ミタマに詰め寄る。
「いつから知ってたの!?」
「2年前、頭痛で倒れて、カンナ様に運んでいただいた時です」
「どうしてその時に……」
 言わなかったのか。その言葉は飲み込んだ。当時聞いていたら、私は彼女を殺していただろう。
 腰を下ろした。色々な情報が一度に入ってきたから、頭が混乱している。
 どうしてカンナが男装をしているのか。それは簡単に答えが出た。生きるためだ。アンスリウムには私と同じ年の娘がいた。処刑したと嘘をつき、男として育てたのだ。そして隠し子と偽って、お城に出仕させた。
 彼女が『カン花』の主人公だ。そう直感した。だって、私と同じ年で赤い目の女は、もう彼女しかいない。ここまでうまく生き延びて来られたのも、主人公だからだ。主人公補正というやつだ。
 私のせいだ。私がゲームの女王ソバナと違う行動を取ったから、椿のハッピーエンドを潰した。
 嗚咽が漏れた。息をするのが苦しい。このまま死んでしまいたい。
 そうだ、私が死ねば。ゲームの通り、悪役女王である私をカンナが追い落とせば。彼女は幸せになれる。
「ソバナ様?」
 心配そうなミタマの声で、私のやるべきことが分かった。
 彼女はアサザが好きだった。それに、シロのことも好きだった。本人は隠していたみたいだけど、バレバレだった。
 椿はここに来た時、ミタマのことをすごく気にしていたけど、そりゃそうだ。好きなキャラと同じポジションの、好きな人と同じ顔をした男が気にならないわけがない。
 神様なんてものがいるのなら、それは正しく罰するべきを罰しようとしているのだ。
「ミタマ、あなた、私の命令なら、どんなことでも聞くわね」
「はい」
「ならカンナの恋人になりなさい。そしてこの国を変えるの。目の色なんかで身分を決めない国に」
 灼けつくような痛みをこらえて言った。ミタマは目を丸くする。
「今日をもってあなたの名前を没収するわ。あなたは名無しの奴隷に戻るの」
「それは、もうソバナ様は、俺の名前を呼んでくれないということですか?」
「いいじゃない、名前なんてなんだって」
「良くないです!」
 彼の大声に思わず息を飲んだ。彼は今にも泣き出しそうな、怒っているような顔をしている。
 そんな彼を見ていると、苛立ちが募ってきた。
「良くない? そんなわけないでしょう? シロなんて名前をつけられて、義妹いもうとたちに尻尾振ってたくせに!」
 完全に八つ当たりだ。彼はシロじゃない。前世がそうだったらいいなと、私が思っているだけ。それでもこの苛立ちを、嫉妬をぶつけないと気が済まなかった。
「シロだろうがアサザだろうが、私以外の人間につけてもらいなさい! そのほうがあなたも幸せでしょうよ!」
「それは違います。俺は」
「うるさいうるさい! 私の言うことを聞きなさい!」
 のどが痛い。だから涙が出るんだ。決して他の理由なんかじゃない。目の前も頭の中もぐちゃぐちゃで、もうよく分からない。
 彼の腕にすがりついたのは、そのせいだ。
「お願いミタマ。椿を幸せにしたいの。あの子は私なんかよりもずっとずっともっと、幸せになるべき人間なのよ。だからお願い、お願い」
 長い沈黙があった。私のすすり泣きだけが、部屋にむなしく響く。
「分かりました」
 ミタマはやっとそう言った。
「でも、忘れないでください。俺はあなたのミタマです。いくら別の名前をもらっても、それは永遠に変わりません」
 分かった、分かったわよミタマ。あなたって、意外としつこいのね。私が思いつきで付けた名前、そんなに気に入ったの?
 そんなことを言ったような気がする。覚えていない。泣き疲れた私は、そのまま彼の腕の中で眠ってしまったから。
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