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第一章 シャラ
三、外の世界
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初めて見る外の景色は、夜の帳に覆われていました。
それでも、“白鬼”には新鮮でした。草の匂い、蛙の鳴き声、澄んだ空気の味、湿った土の感触、何にも阻まれずに見える三日月。
小高い丘に座ってそれらを眺めていた“白鬼”の背後から、草を踏む音が聞こえました。振り向けば男が立っています。
「新しい着物、これでいいか?」
男が差し出したそれは、銀の糸が所々に織り込まれている白い布に、紫色の小さな花が刺繍されていました。自分が今着ているものよりもはるかに上等なものだと、見ただけでわかります。
“白鬼”は早速着替えます。
「どう? 似合う?」
“白鬼”はくるりと一回転しました。すると男は眉を下げました。
「俺に聞くな。俺には美醜が分からん」
「なによ、ここはお世辞でも似合うって言うところよ」
「似合う」
「今さら言われても遅いわよ」
“白鬼”はフンと男から顔をそむけました。
気を取り直すため、“白鬼”は再び着物を眺めました。
「この花、きれいね。かわいい」
着物に施されている紫の花を、“白鬼”はそっと撫でます。
「それは菫だ」
「スミレ? ふうん」
しばらく、“白鬼”はその花をしげしげと眺めていました。やがて顔を上げます。
「あなたの名前は?」
男は紫色の目をきょとんとさせました。
「あなたにも名前、あるんでしょう」
「俺は白鬼だ」
「それは私を『人』と呼ぶようなものよ」
「そういうお前は」
“白鬼”は言葉を詰まらせました。その顔が、だんだんと険しいものになっていきます。
「ないわよ、悪かったわね! ずっとあの店にいて、親なんか知らない、名前も知らない、みんなからいじめられて、ロクロだけが親切で。でもロクロだって、私の名前を知らない。ずっと『あんた』って呼んでいた」
知らず知らずのうちに、“白鬼”は涙を溢れさせていました。目の前を涙で滲ませたまま、“白鬼”は男をまっすぐに見ました。
「ミタマ」
唇からこぼれ出した言葉に、男は息を飲みました。“白鬼”はこれがこの男の名前だと、ストンと腑に落ちました。
「そうよ、ないなら付ければいいんだわ。ミタマ、私にも名前を付けてよ」
“白鬼”は涙を拭いました。男は狼狽を押し殺したような顔をしています。
「俺が、お前に?」
「何でも言うこと聞いてくれるんでしょ?」
畳み掛けるように言うと、男は口を固く結んで頷きました。
「じゃあ、シャラ、は、どうだ」
「シャラね。まあ、悪くないんじゃない。ねえミタマ、私は京へ行きたいわ。あんな店にはもう二度と戻らない」
「京はまだ復興途中だ。でかい火事があったの、知ってるだろ」
「だからよ。私たちみたいな出自の知れない人が棲み着いても、受け入れてくれそうじゃない」
「……分かった」
目的が決まってなんとなく安堵したシャラは、疲労を覚えてごろりと地面に寝転がりました。
草いきれがつんと鼻の奥を突きます。湿った土の上は温かく、安らぎを覚えました。
目の前には夜空が一面に広がっています。円から円をくりぬいたような三日月や散らばる星々を見ていると、自分は自由になったのだという喜びがむくむくと湧いてきました。
うつらうつらと瞼が重くなって、やがてシャラは眠ってしまいました。
それでも、“白鬼”には新鮮でした。草の匂い、蛙の鳴き声、澄んだ空気の味、湿った土の感触、何にも阻まれずに見える三日月。
小高い丘に座ってそれらを眺めていた“白鬼”の背後から、草を踏む音が聞こえました。振り向けば男が立っています。
「新しい着物、これでいいか?」
男が差し出したそれは、銀の糸が所々に織り込まれている白い布に、紫色の小さな花が刺繍されていました。自分が今着ているものよりもはるかに上等なものだと、見ただけでわかります。
“白鬼”は早速着替えます。
「どう? 似合う?」
“白鬼”はくるりと一回転しました。すると男は眉を下げました。
「俺に聞くな。俺には美醜が分からん」
「なによ、ここはお世辞でも似合うって言うところよ」
「似合う」
「今さら言われても遅いわよ」
“白鬼”はフンと男から顔をそむけました。
気を取り直すため、“白鬼”は再び着物を眺めました。
「この花、きれいね。かわいい」
着物に施されている紫の花を、“白鬼”はそっと撫でます。
「それは菫だ」
「スミレ? ふうん」
しばらく、“白鬼”はその花をしげしげと眺めていました。やがて顔を上げます。
「あなたの名前は?」
男は紫色の目をきょとんとさせました。
「あなたにも名前、あるんでしょう」
「俺は白鬼だ」
「それは私を『人』と呼ぶようなものよ」
「そういうお前は」
“白鬼”は言葉を詰まらせました。その顔が、だんだんと険しいものになっていきます。
「ないわよ、悪かったわね! ずっとあの店にいて、親なんか知らない、名前も知らない、みんなからいじめられて、ロクロだけが親切で。でもロクロだって、私の名前を知らない。ずっと『あんた』って呼んでいた」
知らず知らずのうちに、“白鬼”は涙を溢れさせていました。目の前を涙で滲ませたまま、“白鬼”は男をまっすぐに見ました。
「ミタマ」
唇からこぼれ出した言葉に、男は息を飲みました。“白鬼”はこれがこの男の名前だと、ストンと腑に落ちました。
「そうよ、ないなら付ければいいんだわ。ミタマ、私にも名前を付けてよ」
“白鬼”は涙を拭いました。男は狼狽を押し殺したような顔をしています。
「俺が、お前に?」
「何でも言うこと聞いてくれるんでしょ?」
畳み掛けるように言うと、男は口を固く結んで頷きました。
「じゃあ、シャラ、は、どうだ」
「シャラね。まあ、悪くないんじゃない。ねえミタマ、私は京へ行きたいわ。あんな店にはもう二度と戻らない」
「京はまだ復興途中だ。でかい火事があったの、知ってるだろ」
「だからよ。私たちみたいな出自の知れない人が棲み着いても、受け入れてくれそうじゃない」
「……分かった」
目的が決まってなんとなく安堵したシャラは、疲労を覚えてごろりと地面に寝転がりました。
草いきれがつんと鼻の奥を突きます。湿った土の上は温かく、安らぎを覚えました。
目の前には夜空が一面に広がっています。円から円をくりぬいたような三日月や散らばる星々を見ていると、自分は自由になったのだという喜びがむくむくと湧いてきました。
うつらうつらと瞼が重くなって、やがてシャラは眠ってしまいました。
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