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1巻
1-3
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「あー。ナディちゃん、なんか自分を狙うヤツらを自動的に気絶させるアーティファクトを持ってるらしいんだよ」
この世界では、魔術具と呼ばれるアイテム――魔術陣を刻んで、着脱式の魔結晶をはめ込んで魔術的効果を発動させる道具が流通している。こちらはわりと一般的だ。
ナディが持つネックレスは、一般的に使われているそれらとは異なる、特殊なアイテム――アーティファクトだ。
魔術陣の刻印がいるせいでサイズが限定される魔術具と異なり、アーティファクトは魔法を付与したアイテムだ。そのため、どんなに小さくても効果が期待できる。
付与できる効果の数も、格段に多い。
魔法が失われた現在では、こうしたアーティファクトは主に遺跡から出土する。
基本的には国宝として高値で取引されるのだが、時として効果が不明なガラクタが見つかり、不要と判断されることもある。意外なところに捨てられているのだ。
ナディのネックレスは少々事情が異なり、そうして拾ったものではなく、自身で作ったものだ。
アガータが、盛大にため息をつく。
「しばらく前から噂になってた『死の天使』とか『引剥』とか呼ばれている幼女って、ナディのことだったのかい……酔っ払いの戯言だと思っていたのに……」
オットの説明を聞いたアガータが、額を押さえた。
彼女の反応が不本意だったのか、ナディは弁明しようとした。
しかしその前に、何か聞きたくない単語が含まれていたことに気付く。
「え! 何その恥ずかしい二つ名!? しかも二つもあるとかなんなの!? 通り名が二つあるから二つ名かー、ウケるー……って、やかましいわ! 誰よそんな根も葉もない噂を吹聴してるのは!」
「感情の起伏が激しいな」
若干パニクってノリツッコミをするナディを、オットが冷静に評価する。
「二つ名はともかく、噂のほうは根も葉もあるだろ。何日か前には、ナディちゃんを攫おうとした男――アクセサリーをゴテゴテにつけた、ハゲデブなお貴族を見たぞ。逃げるフリしてうまく路地裏に誘導して、お付きの執事とか護衛の騎士どもとかもろとも意識を刈り取って、引剥してたろ」
そうツッコんだオットが、胡散臭い笑みを浮かべてさらに続ける。
「いやぁ、あれはいい稼ぎになった。性根が腐っててもさすがお貴族。いろいろといい値で売れたよ。おかげで借金を全部返せた」
「あれは正当な迷惑料よ。それに私、お金は根刮ぎもらうけど、それ以外には手を出さないわ」
貧民街で意識を失えば、当たり前のように全部持っていかれる。
相手がお貴族ならなおさらで、アクセサリーはもちろんのことパンツさえ残らないのだ。
さすがに命までは取らない。懲りずにまた来て、ホイホイできるかもしれないから。
「それはそれとして、お貴族に遭遇したら、身包み剝いだあとで、『倒れていたから保護したんだよー』って素知らぬ顔で助けたらいいのよ。さらに儲けを得られるかもしれないわ」
「おお、なるほど! その手があったか!」
楽しそうに悪巧みをしているナディとオットをジト目で見るが、とやかく言うつもりはないアガータだった。現場にいたら、彼女も同じことをしただろうし。
明らかに五歳児にはない発想を嬉々として披露しているナディを訝しく思うアガータだったが、ここは貧民街。たった一人で暮らしているナディの思考が大人びるというか、小賢しくなるのはさもありなんと考えていた。
ぶっちゃけて言えば、思考を放棄したのである。
アガータはそんなナディと楽しげに計画を練っているオットに、ジトッとした視線を向けた。
残念ながら、彼は悪巧みに夢中で気付かなかったが。
「まぁ、ナディに余裕があるってのは分かった。でも、いつまでも引剝ばかりしていられないだろ。稼ぐアテはあるのかい? これから妹も養うんだよ」
貧民街では、年齢に関係なく稼がなければならない。そうしないと生きていけないのだ。
稼ぐ術のない者は、老若男女問わず死ぬしかない。
安定収入を求めるなら、どこかの商店に雇われるのが正攻法だが、五歳児を雇い入れるところなどあるはずもない。
そうなると、どう転んでもその日暮らしになってしまう。
「どうやって稼ごうかな? やっぱり冒険者になるのが手っ取り早いかな……」
そう呟いて、ナディは真剣に悩む。まぁぶっちゃけてしまえば、冒険者自体がその日暮らしの集団ではあるが。
(……なんだ、結局変わらないじゃないか)
何やら思考が堂々巡りして、結局は本末が転倒してしまった。
「いやいや待て待て。ナディちゃんは冒険者になれないぞ」
思考のドツボにはまっているナディに、オットが待ったをかけた。
当のナディはなぜ止められたのかが理解できず、不思議そうな表情を浮かべる。
「ナディちゃん、今いくつだ?」
「え? んーと、五歳かな」
「だよな。普段の言動を知っていると、全然そう見えねーけど。実はヒト種じゃなくて、成人している別種族だって言われても納得できるぞ」
見た目が子どもにしか見えない種族も、この世界にはいるのだ。草原妖精や小妖精……コロポックルといった種族がそれに当てはまる。
もっとも見た目が若くなったり、幼い子どもだったりするだけで、表情や行動は完全に大人だが。
「そんなことはないと思うけど……でもほら。どっちにしろ自活しているし、できているから!」
「世の五歳児は普通それ、できねーからな? 誰かに養ってもらうか、ヤベー組織の末端に利用されるか、売り飛ばされて奴隷になるかがせいぜいだぞ」
そこまで言われて、ナディはやっと自分が五歳児らしからぬことに気付く。
「えーと……やっぱり私って、変かな?」
恐る恐る聞いたところで――
「ああ、変だ。普通に考えて変だ」
「変だねぇ。常識的に考えて変だ」
意味も文字数すらもまったく同じ肯定を返されるだけだった。
「えー。そんなことないよー。そもそも『普通』とか『常識』っていうのは、種族とか住んでいる地域とか身分とか職業とか財産の差とかで変わってくるものだから、一概には言えないんだよ?」
諦めないナディはそんな正論を並べたものの、二人同時にため息を吐かれるだけだった。
「ああ。それを全部含めて、五歳児はそんなこと言わない」
「うん。言ってることは正しいが、五歳児はそう言えない」
「そもそも、大人だってこの結論はそうそう出ない」
「今日日、大人だってそんな達者なことは言わない」
「マジかぁ……」
大人二人に揃って断言され、ナディは肩を落とす。その仕草も、完全に五歳児のものではない。
それにしても、オットとアガータの息がピッタリだ。アガータは否定していたが、実にお似合いの二人である。言葉の文字数すら一緒だし。
ちょっと気落ちしていたナディだが、すぐに気を取り直して上を向き、右手を掲げて宣言する。
「でも諦めない! 冒険者に、私はなる!!」
「いや無理だって。諦めない心意気は立派だけど、無理もんは無理だからな」
「そんなことないよ! 愛と勇気と根性と努力と友情があれば、きっと勝利できる!」
「だーかーらー。無理なんだって。無理なもんは無理。分かってくれよ、ナディちゃん」
「ううん、無理じゃない! できるよ! 絶対にできる! できるって信じれば必ずできる! この世に頑張ってできないことなんて、ないんだよ! もっと熱くなれ!!」
記憶にある最初の人生、異世界転移する前、地球にいた頃に見た熱血元スポーツ選手のように熱く、暑苦しく熱弁するナディである。
だが、いくら熱弁したところで本当にそれは不可能なのだ。
冒険者になるための必須事項。
これは書面に明記されており、冒頭にはこう記載されている。
『――まず、十二歳以上であること』
オットとアガータにそう聞かされ、ナディはその場に崩れ落ちた。
二章 冒険者になろう
ナディが冒険者の年齢制限に引っかかって崩れ落ちてから、七年の月日が流れた。
その頃になると、ナディも年相応にしっかりと成長した。だが相も変わらず、ゴロツキやら悪徳奴隷商人やらアホなお貴族やらに誘拐されそうになっているのは変わらない。
彼女が幼児から少女と呼べる年頃に育ったことで、拍車がかかる有様であった。
ナディは濡烏の髪と暗紫の瞳を持ち、容貌が整っている。おまけに栄養に気を付けた食生活を送っていたおかげか、貧民街育ちの十二歳にしては発育もいい。
傍から見ても容姿がよく、貧民を狙う悪党どもの恰好の的である。
そして、彼女の隣にいる妹のレオノール。
七歳になったレオノールは、白金髪と翠瞳をした非常に可愛い女の子に育っていた。
どこか儚げで庇護欲をそそられる面立ちをしており、ナディ以上に変態どもをホイホイしてしまう超ド級の美少女に成長したのだ。
斜向かいに住むオットは、そんな姉妹をずっと見守ってきた者たちの一人であるため、美しく成長した姿に感慨もひとしおだ。
見守っていただけで、特に世話はしていない。
現在進行形でいろいろと世話になっているのは、むしろオットのほうである。ホイホイされたゴロツキどもの御相伴だとか。
今では近隣に住む貧民をまとめ上げ、それ目的の互助団体を立ち上げて会長にまでなっていた。
ともかくナディは、ホイホイで収入を得て、それを消費しながら生活していたのである。
ぶっちゃけ労働とは呼べない退廃的な生活だが、そこはまだ子どもであるから目を瞑ってほしい。
(一時はオットさんを代表にして、商売でも始めようかとも思ったんだけどね)
わりと妙案だと思ったのだが、アガータに全力で止められてしまった。
アガータが言うには、オットは悪い人物ではないが壊滅的に商才がないらしい。
「保証されるのは、失敗と負債だけだ」と滔々と説得されたため、実行する前に廃案になった。
ところで、ゴロツキどもから巻き上げた魔力――魔結晶は現在、ナディの【収納】に大量に溜まっている。十センチメートル大のそれが、数えるのが面倒なくらいにコロコロあったりするのだ。
ナディはそうした純魔結晶を数ミリメートル大に加工して、それぞれ違う魔法を付与したうえでネックレスを作製し、レオノールにプレゼントしていた。
自衛魔法はもちろん、治癒、体調管理、強化、感知、耐性、清潔、補修など……おまけに使用者制限まで付けた一級品である。
世間の常識では軽く国宝級を超えているのだが……四回目の人生で当たり前のように作り、家族に渡していたものより性能面でかなり劣っていたため、「まぁいっか」と深く考えないで与えているのであった。確実にやらかしているのだが、やはり気付いていないナディである。
ここ最近のナディは、貧民街のゴミ溜めに捨てられている書籍を厳選して拾い集めて修復し、現在の知識を集めていた。
(『魔王ヴァレリアが入滅してから二百年』かぁ。そんなに経っているのには驚いたわ。国とかも結構興亡していたし。……待って。あのひと、不滅の存在じゃない。なのにどうして滅んだのよ)
集めた知識にいろいろと衝撃を受けつつ、ナディは自身の経験と知識をもとに妹へ英才教育を施したのである。
そのせいでレオノールの能力は、世間一般の常識から逸脱してしまっていた。
使い終わった修復済み書籍や、ナディお手製の魔導書は、惜しみなくゴミ捨て場に捨てている。【収納】に入れていても嵩張るだけだから。
彼女の【収納】にはなぜか三度目以降の人生で集めたアイテム――貴重な品から、いい感じのただの木の棒まで――が大量に入っている。混然としているそこをいまだに整理しきれていないので、不要なものは容赦なく捨てたい。
それに自作の書籍の表紙の裏に、悪ノリで『千剣姫の魔導書』と小さく書いてしまっていた。四度目の人生で得た異名が黒歴史になる前に、早く手放したかったのだ。
かくして英才教育を受けたレオノール。彼女は当たり前のように魔法を使うことができた。
しかも無詠唱であるばかりではなく、発動挙動すらない思考発動型と呼ばれる魔法も行使できる。
おまけに系統が異なる三十以上の魔法を同時発動までできた。
ちなみに、現代において魔法を行使できる者は、ヒト種はおろか他種族でもほぼ存在しない。
高位の魔族や龍人族、一風変わった魔法体系である小妖精全般ならできるかも、といったところだ。
そうした種族にとっても無詠唱は高等技術で、思考発動型ともなると、魔族の王族ですら難しいと言われていた。日常会話を思考伝達で行う小妖精……コロポックルのみ、当たり前に可能だが。
思考発動型の魔法は、伝説の『不滅の魔王』と彼の妃、彼らの血を引く子どもたちの中でも一部のみの秘奥技術だと伝えられている。
まぁ、ナディの前世――つまり四回目がその魔王妃当人なのだから、当然のように使えるけれど。なんなら教授もできるし。
(レオ以外には教えないわ、面倒臭いし。そもそもこれは秘奥技術ですらなくて、魔力を感知できるなら誰でも行使可能だもの。才能次第かつ、エグいくらいの努力は必要だけど、その気になればヒト種だってできるわよ)
やりたいヤツは存分にやればいい。習得の出来不出来は自己責任だ。
ナディはレオノールの今後の養育計画まで立てていた。
まず十歳までに魔法・武術の基礎を習得させ、それと並行して貴族としての礼儀作法を教える。
レオノールには、時と場所と場合に合わせて適切なマナーで振る舞えるようになってもらいたかった。
亡くなった母親の身なりから推察するに、レオノールはきっと、どこかの貴族の血を引いている。もしかしたらいつか捜し出されて、在るべき場所に戻ることになるかもしれない。
そうなったときのために、貴族社会でも通用する立ち居振る舞いを教えておく必要があった。
また万が一、礼儀作法がなってなくてあちらの社会で孤立しても、逆境に負けないタフネスと物理的・魔法的な強さを身につけさせたかったのだ。絶対に困らないから。
力こそパワー! それがナディのモットーである。
彼女はかなりの脳筋であった。
(なんとなくわかっていたけど、レオは魔法適性が異様に高いのよね。……武術はちょっとあれっぽいけど)
砂が水を吸い込むがごとく、知識と技術を吸収していくレオノール。
教えるのが楽しくなったナディは、彼女に自分の知る魔法技術をこれでもかと注ぎ込んだ。
規格外の教育を受けたレオノールも、よその家庭の事情を知らないため、素直に享受した。
ただ斜向かいのオットと同居を始めたアガータ夫婦の子らの勉強の様子を見たとき、違和感を覚えたが……レオノールは「知識も技術もあって損はない」という結論に至った。反抗は特にせず、むしろより深く学ぶようになっていく。
レオノールは年齢のわりに妙に聡い子どもだった。幼児のはずなのに。
そんな日々を送りつつ、恐らく十二歳になったナディ。
彼女はついに冒険者登録をすべく、街にある冒険者ギルドへ向かうことにした。……レオノールと一緒に。
いつもはオットたちの家でおとなしく留守番してもらっているのだが、珍しく「一緒に行きたい」と言い出したのである。
ナディは「その程度の我儘なら、まあいっかぁ」と、深く考えずに了承し、仲よく手を繋いで出かけていった。
ちなみにナディの格好は、しっかりした木綿のシャツとジャケット、ポケットがたくさん付いた便利なパンツ。レオノールは白を基調としたワンピースにズボンを合わせている。皮革製サコッシュはお揃いだ。
間違っても女の子らしいスカートを穿きはしない。これ以上、ホイホイ率を上げたくないから。面倒臭いし。
なお、肩掛けにしているサコッシュはダミーで、二人とも貴重品は【収納】にしまっている。
貧民街から歩き続け、ナディたちは街に入った。
やがて冒険者ギルドに到着した二人は、外の喫煙所で一服している連中が訝しそうに見てくるのを気にせず中に入る。
ギルド内は広く、ホールは吹き抜けになっていた。南側のクリスタルのガラス窓から、温かな陽光が差し込んでくる。
この世界における一般的な冒険者ギルド――酒場と一体になっているイメージから逸脱した内装だ。
窓沿いの日が差す場所は、半テラス席になっており、どうやら食事も提供しているらしい。
そんな場所があることも相まって、一見おしゃれなカフェにも見えるのだが……近くの壁には『ギルド内禁煙。破ったら殺す!』と書かれた紙がデカデカと貼られている。
紙には血痕らしきシミがついていて、お洒落な雰囲気が台無しであった。
貼り紙を見て、喫煙所で多人数がたむろしていたのを思い出し、妙に納得するナディである。
ギルド内は、健全で明るい環境に整えているみたいだ。
(ここを管理してる人たちの努力は素晴らしいわね。でも、暑い時期はメッチャ暑くて、寒い時期はメッチャ寒そうだわ)
……などと、ナディは見当違いなことを考えた。
それはさておき。
レオノールと手を繋いだナディは、テクテク歩いて奥の受付に向かう。午前のピークは過ぎたのか、ギルドは閑散としており、五箇所ある受付は一番と二番のみ開いていた。
笑顔のままフロアを見渡している美人なお姉さんが一番に、忙しなく書類仕事をしている、濃ゆい顔に向こう傷がある厳つい天パの長髪ガチムチおじさんが、二番の窓口に座っていた。
そんな、それとなくナディたちを視界に入れつつ笑顔を絶やさない一番受付の美人なお姉さんと書類仕事に集中しているらしい二番受付のおじさんを見比べ、ナディは一切迷わず向かった――二番受付に。
「おやこっちに来たのか。あっちのねえちゃん――ラーヴァのほうがいいんじゃないのか。そっちのちっこいのは……妹かなんかか?」
近づいてきたナディを意外に思ったのか、男が感心したように言う。
作業が一段落したようで、彼は書類から目を離して顔を上げた。
二重瞼で、やや垂目。とはいえ体格がいいので、ギャップがあっても子どもは近寄りがたいだろう。年齢は三十歳半ば……といったところか。
濃ゆい顔と体格のせいで、実年齢より上に見られていそうだ。
先ほどの言葉を聞くに、本人も子どもから避けられやすい自覚があるのかもしれない。
(私たちが寄ってきても、愛想を振り撒かないのね。子どもに避けられてもなんとかしようとも考えていないみたい……まあ、なんとかしようにも無駄なくらい厳つい見た目だものね)
口にも表情にも出さず、失礼なことを考えるナディである。
「受付ならどこでも一緒でしょ。それともあなたは仕事が嫌なの? あと、レオは私の妹よ」
「うわ。ド正論で来たよ。まだ子どもに見えるけど見た目どおりじゃねぇのか?」
「見た目どおりの十二歳だし、ちゃんとヒト種よ。それより、冒険者登録をしたいんだけど」
笑顔一つ見せずに淡々とナディが言うが、男は気にした様子すらない。
「そういうしっかりしてるところが、見た目どおりじゃねぇって言うんだが……いいか、それは」
諦めたのか、それともこんなタイプは初めてではないのか、男が何事もなかったかのように書類を出す。
「まず必要事項を書くんだが……字は書けるか?」
書類と羽根ペンをカウンターに置き、基本的なことを聞いてきた。
これは意地悪でもなんでもなく、子どもに限らず大人でも字を書けない者はいるのだ。特に、貧民街出身者の識字率は低い。
「書けるわよ。筆記用具も持ってきてる」
ナディはそう言い、サコッシュに手を突っ込んで【収納】から万年筆を出して必要事項をスラスラ書いていく。筆跡が、メッチャ綺麗だった。
「筆記用具持参かよ。本当に見た目を裏切るな……」
ちなみに、ナディの隣ではレオノールも万年筆を取り出していた。記入する気満々である。
それが微笑ましかったようで、男は身を乗り出してレオノールのために踏み台を用意して、別の書類を渡す。ナディがチラッと確認した限り、ちょっとだけ内容が違うようだった。
ガチムチだが、意外と面倒見はいいらしい。
「持参する人がまったくいないわけじゃないでしょ。はい、これでいい?」
滞りなく記載した書類を差し出すナディ。隣のレオノールは、お絵描き感覚でサラサラ書いている。
「ん? 書くの早ぇな。うお、字がうめぇしなんだペンは? インクつけてなかったろ」
「そういうのいいから。さっさと登録してちょうだい」
当たり前とも言える疑問をすべてを却下したナディは、半眼で受付おじさんに催促した。そういうところが「子どもっぽくない」のだが、それもナディにとってはどうでもよい。
ちなみに、彼女が使う万年筆は魔族の王族が好んで使う筆記用具であり、魔王妃アデライドが愛用していたものだ。
もとを辿れば、八百年以上前、自身を「薬師だ」と言い張る冒険者にして魔法使いが開発したと伝わっているが、詳細は不明である。
一般的には流通していないため、余程の識者でない限りまず知らない。
冒険者の中には秘密主義者もいるので、男も追及しないことにした。
「おう、まぁそうだな。えーと、書類に不備はないか。ようこそ、冒険者ギルドへ。じゃあ、まずは初心者講習の受講から――おお、妹ちゃんも書けたのか……」
やり切った感全開な、ものすごくいい笑顔を見せ「ムフー」と得意満面なレオノールからも書類を受け取り、男が目を通す。
「てか、こっちも字が滅茶苦茶うまいな。マジでヒト種なのか? 種族詐称してねぇか?」
ちょっと失礼なことを言っちゃうおじさんである。
こうして無事ナディの冒険者登録が終わり、初心者講習が始まるのであった。
冒険者になるためには、冒険者ギルドに登録をしなければならない。だがこれは必須ではなく、登録せずに活動している者もいる。
真っ当なほうは、商店や商会、研究施設の専属で素材集めを中心に活動している冒険者。真っ当ではないほうは、社会のはみ出し者やヤクザな商売をしているかのどちらかだ。
そもそも、冒険者とは冒険を生業とする者の総称であり、素材を収集したり、害獣や魔物を討伐したりして、生計を立てる……というのが、かつての当たり前だ。
だが、そんな状態でまともに生活ができるのはほんの一握りであり、実力が不足している者や要領が悪い者の生活は、かなり逼迫していた。
冒険者ギルドとは、そうした立場の弱い冒険者を守るために結成された組織であり、ここに所属した者は、よほどバカなことをしない限りギルドが責任を持って守る。
ギルドが定める依頼をこなしていれば最低限の生活費が手に入るし、住居がなければ、それなりな質ではあるが寮も用意する。
寮は男女共用であるため、時として問題が起きるが……、同意の上ならギルド側は関知しない。
そうではない場合は、虚偽封印の魔術具を使った裁判の後、加害者は問答無用で鉱山奴隷に落とされる。鉱山での労働で得た金銭は全額、被害者に対する慰謝料にあてられるのだ。
また、冒険者ギルドに所属する者で、怪我や冒険中に受けた状態異常、または病気などで稼業を続けられなくなったとき、ギルドは希望者に職業訓練を受けさせ、就職先を斡旋する。
そう。冒険者ギルドとは冒険者を守るだけではなく、それらが正しく生きていけるように導くための組織なのである。
「――と、まぁ。概要はこんなところだ」
冒険者登録を済ませたナディとレオノールは別室に案内され、受付の男から初心者講習を受けていた。
「……教本を読み上げただけじゃない」
「この本面白くない」
ナディとレオノールは席につき、そんな文句を言う。
一応真面目な内容なのだが、ナディの評価はからい。なぜなら、教本をそのまま読み上げているだけだから。
「これって教本に全部書いてあることよね。講習する意味ってあるの?」
「お姉ちゃん。『初心者冒険者は最長で一ヶ月の間一日銅貨十枚の支給を受けられる』って説明が抜けてたよ。それと『依頼受注後の一般的な作業の流れとギルド内での書類処理方法』のフローチャートが端折られていた」
結果、十二歳児と七歳児にダメ出しされる有様である。向こう傷のあるガチムチおじさんなのに。
この世界では、魔術具と呼ばれるアイテム――魔術陣を刻んで、着脱式の魔結晶をはめ込んで魔術的効果を発動させる道具が流通している。こちらはわりと一般的だ。
ナディが持つネックレスは、一般的に使われているそれらとは異なる、特殊なアイテム――アーティファクトだ。
魔術陣の刻印がいるせいでサイズが限定される魔術具と異なり、アーティファクトは魔法を付与したアイテムだ。そのため、どんなに小さくても効果が期待できる。
付与できる効果の数も、格段に多い。
魔法が失われた現在では、こうしたアーティファクトは主に遺跡から出土する。
基本的には国宝として高値で取引されるのだが、時として効果が不明なガラクタが見つかり、不要と判断されることもある。意外なところに捨てられているのだ。
ナディのネックレスは少々事情が異なり、そうして拾ったものではなく、自身で作ったものだ。
アガータが、盛大にため息をつく。
「しばらく前から噂になってた『死の天使』とか『引剥』とか呼ばれている幼女って、ナディのことだったのかい……酔っ払いの戯言だと思っていたのに……」
オットの説明を聞いたアガータが、額を押さえた。
彼女の反応が不本意だったのか、ナディは弁明しようとした。
しかしその前に、何か聞きたくない単語が含まれていたことに気付く。
「え! 何その恥ずかしい二つ名!? しかも二つもあるとかなんなの!? 通り名が二つあるから二つ名かー、ウケるー……って、やかましいわ! 誰よそんな根も葉もない噂を吹聴してるのは!」
「感情の起伏が激しいな」
若干パニクってノリツッコミをするナディを、オットが冷静に評価する。
「二つ名はともかく、噂のほうは根も葉もあるだろ。何日か前には、ナディちゃんを攫おうとした男――アクセサリーをゴテゴテにつけた、ハゲデブなお貴族を見たぞ。逃げるフリしてうまく路地裏に誘導して、お付きの執事とか護衛の騎士どもとかもろとも意識を刈り取って、引剥してたろ」
そうツッコんだオットが、胡散臭い笑みを浮かべてさらに続ける。
「いやぁ、あれはいい稼ぎになった。性根が腐っててもさすがお貴族。いろいろといい値で売れたよ。おかげで借金を全部返せた」
「あれは正当な迷惑料よ。それに私、お金は根刮ぎもらうけど、それ以外には手を出さないわ」
貧民街で意識を失えば、当たり前のように全部持っていかれる。
相手がお貴族ならなおさらで、アクセサリーはもちろんのことパンツさえ残らないのだ。
さすがに命までは取らない。懲りずにまた来て、ホイホイできるかもしれないから。
「それはそれとして、お貴族に遭遇したら、身包み剝いだあとで、『倒れていたから保護したんだよー』って素知らぬ顔で助けたらいいのよ。さらに儲けを得られるかもしれないわ」
「おお、なるほど! その手があったか!」
楽しそうに悪巧みをしているナディとオットをジト目で見るが、とやかく言うつもりはないアガータだった。現場にいたら、彼女も同じことをしただろうし。
明らかに五歳児にはない発想を嬉々として披露しているナディを訝しく思うアガータだったが、ここは貧民街。たった一人で暮らしているナディの思考が大人びるというか、小賢しくなるのはさもありなんと考えていた。
ぶっちゃけて言えば、思考を放棄したのである。
アガータはそんなナディと楽しげに計画を練っているオットに、ジトッとした視線を向けた。
残念ながら、彼は悪巧みに夢中で気付かなかったが。
「まぁ、ナディに余裕があるってのは分かった。でも、いつまでも引剝ばかりしていられないだろ。稼ぐアテはあるのかい? これから妹も養うんだよ」
貧民街では、年齢に関係なく稼がなければならない。そうしないと生きていけないのだ。
稼ぐ術のない者は、老若男女問わず死ぬしかない。
安定収入を求めるなら、どこかの商店に雇われるのが正攻法だが、五歳児を雇い入れるところなどあるはずもない。
そうなると、どう転んでもその日暮らしになってしまう。
「どうやって稼ごうかな? やっぱり冒険者になるのが手っ取り早いかな……」
そう呟いて、ナディは真剣に悩む。まぁぶっちゃけてしまえば、冒険者自体がその日暮らしの集団ではあるが。
(……なんだ、結局変わらないじゃないか)
何やら思考が堂々巡りして、結局は本末が転倒してしまった。
「いやいや待て待て。ナディちゃんは冒険者になれないぞ」
思考のドツボにはまっているナディに、オットが待ったをかけた。
当のナディはなぜ止められたのかが理解できず、不思議そうな表情を浮かべる。
「ナディちゃん、今いくつだ?」
「え? んーと、五歳かな」
「だよな。普段の言動を知っていると、全然そう見えねーけど。実はヒト種じゃなくて、成人している別種族だって言われても納得できるぞ」
見た目が子どもにしか見えない種族も、この世界にはいるのだ。草原妖精や小妖精……コロポックルといった種族がそれに当てはまる。
もっとも見た目が若くなったり、幼い子どもだったりするだけで、表情や行動は完全に大人だが。
「そんなことはないと思うけど……でもほら。どっちにしろ自活しているし、できているから!」
「世の五歳児は普通それ、できねーからな? 誰かに養ってもらうか、ヤベー組織の末端に利用されるか、売り飛ばされて奴隷になるかがせいぜいだぞ」
そこまで言われて、ナディはやっと自分が五歳児らしからぬことに気付く。
「えーと……やっぱり私って、変かな?」
恐る恐る聞いたところで――
「ああ、変だ。普通に考えて変だ」
「変だねぇ。常識的に考えて変だ」
意味も文字数すらもまったく同じ肯定を返されるだけだった。
「えー。そんなことないよー。そもそも『普通』とか『常識』っていうのは、種族とか住んでいる地域とか身分とか職業とか財産の差とかで変わってくるものだから、一概には言えないんだよ?」
諦めないナディはそんな正論を並べたものの、二人同時にため息を吐かれるだけだった。
「ああ。それを全部含めて、五歳児はそんなこと言わない」
「うん。言ってることは正しいが、五歳児はそう言えない」
「そもそも、大人だってこの結論はそうそう出ない」
「今日日、大人だってそんな達者なことは言わない」
「マジかぁ……」
大人二人に揃って断言され、ナディは肩を落とす。その仕草も、完全に五歳児のものではない。
それにしても、オットとアガータの息がピッタリだ。アガータは否定していたが、実にお似合いの二人である。言葉の文字数すら一緒だし。
ちょっと気落ちしていたナディだが、すぐに気を取り直して上を向き、右手を掲げて宣言する。
「でも諦めない! 冒険者に、私はなる!!」
「いや無理だって。諦めない心意気は立派だけど、無理もんは無理だからな」
「そんなことないよ! 愛と勇気と根性と努力と友情があれば、きっと勝利できる!」
「だーかーらー。無理なんだって。無理なもんは無理。分かってくれよ、ナディちゃん」
「ううん、無理じゃない! できるよ! 絶対にできる! できるって信じれば必ずできる! この世に頑張ってできないことなんて、ないんだよ! もっと熱くなれ!!」
記憶にある最初の人生、異世界転移する前、地球にいた頃に見た熱血元スポーツ選手のように熱く、暑苦しく熱弁するナディである。
だが、いくら熱弁したところで本当にそれは不可能なのだ。
冒険者になるための必須事項。
これは書面に明記されており、冒頭にはこう記載されている。
『――まず、十二歳以上であること』
オットとアガータにそう聞かされ、ナディはその場に崩れ落ちた。
二章 冒険者になろう
ナディが冒険者の年齢制限に引っかかって崩れ落ちてから、七年の月日が流れた。
その頃になると、ナディも年相応にしっかりと成長した。だが相も変わらず、ゴロツキやら悪徳奴隷商人やらアホなお貴族やらに誘拐されそうになっているのは変わらない。
彼女が幼児から少女と呼べる年頃に育ったことで、拍車がかかる有様であった。
ナディは濡烏の髪と暗紫の瞳を持ち、容貌が整っている。おまけに栄養に気を付けた食生活を送っていたおかげか、貧民街育ちの十二歳にしては発育もいい。
傍から見ても容姿がよく、貧民を狙う悪党どもの恰好の的である。
そして、彼女の隣にいる妹のレオノール。
七歳になったレオノールは、白金髪と翠瞳をした非常に可愛い女の子に育っていた。
どこか儚げで庇護欲をそそられる面立ちをしており、ナディ以上に変態どもをホイホイしてしまう超ド級の美少女に成長したのだ。
斜向かいに住むオットは、そんな姉妹をずっと見守ってきた者たちの一人であるため、美しく成長した姿に感慨もひとしおだ。
見守っていただけで、特に世話はしていない。
現在進行形でいろいろと世話になっているのは、むしろオットのほうである。ホイホイされたゴロツキどもの御相伴だとか。
今では近隣に住む貧民をまとめ上げ、それ目的の互助団体を立ち上げて会長にまでなっていた。
ともかくナディは、ホイホイで収入を得て、それを消費しながら生活していたのである。
ぶっちゃけ労働とは呼べない退廃的な生活だが、そこはまだ子どもであるから目を瞑ってほしい。
(一時はオットさんを代表にして、商売でも始めようかとも思ったんだけどね)
わりと妙案だと思ったのだが、アガータに全力で止められてしまった。
アガータが言うには、オットは悪い人物ではないが壊滅的に商才がないらしい。
「保証されるのは、失敗と負債だけだ」と滔々と説得されたため、実行する前に廃案になった。
ところで、ゴロツキどもから巻き上げた魔力――魔結晶は現在、ナディの【収納】に大量に溜まっている。十センチメートル大のそれが、数えるのが面倒なくらいにコロコロあったりするのだ。
ナディはそうした純魔結晶を数ミリメートル大に加工して、それぞれ違う魔法を付与したうえでネックレスを作製し、レオノールにプレゼントしていた。
自衛魔法はもちろん、治癒、体調管理、強化、感知、耐性、清潔、補修など……おまけに使用者制限まで付けた一級品である。
世間の常識では軽く国宝級を超えているのだが……四回目の人生で当たり前のように作り、家族に渡していたものより性能面でかなり劣っていたため、「まぁいっか」と深く考えないで与えているのであった。確実にやらかしているのだが、やはり気付いていないナディである。
ここ最近のナディは、貧民街のゴミ溜めに捨てられている書籍を厳選して拾い集めて修復し、現在の知識を集めていた。
(『魔王ヴァレリアが入滅してから二百年』かぁ。そんなに経っているのには驚いたわ。国とかも結構興亡していたし。……待って。あのひと、不滅の存在じゃない。なのにどうして滅んだのよ)
集めた知識にいろいろと衝撃を受けつつ、ナディは自身の経験と知識をもとに妹へ英才教育を施したのである。
そのせいでレオノールの能力は、世間一般の常識から逸脱してしまっていた。
使い終わった修復済み書籍や、ナディお手製の魔導書は、惜しみなくゴミ捨て場に捨てている。【収納】に入れていても嵩張るだけだから。
彼女の【収納】にはなぜか三度目以降の人生で集めたアイテム――貴重な品から、いい感じのただの木の棒まで――が大量に入っている。混然としているそこをいまだに整理しきれていないので、不要なものは容赦なく捨てたい。
それに自作の書籍の表紙の裏に、悪ノリで『千剣姫の魔導書』と小さく書いてしまっていた。四度目の人生で得た異名が黒歴史になる前に、早く手放したかったのだ。
かくして英才教育を受けたレオノール。彼女は当たり前のように魔法を使うことができた。
しかも無詠唱であるばかりではなく、発動挙動すらない思考発動型と呼ばれる魔法も行使できる。
おまけに系統が異なる三十以上の魔法を同時発動までできた。
ちなみに、現代において魔法を行使できる者は、ヒト種はおろか他種族でもほぼ存在しない。
高位の魔族や龍人族、一風変わった魔法体系である小妖精全般ならできるかも、といったところだ。
そうした種族にとっても無詠唱は高等技術で、思考発動型ともなると、魔族の王族ですら難しいと言われていた。日常会話を思考伝達で行う小妖精……コロポックルのみ、当たり前に可能だが。
思考発動型の魔法は、伝説の『不滅の魔王』と彼の妃、彼らの血を引く子どもたちの中でも一部のみの秘奥技術だと伝えられている。
まぁ、ナディの前世――つまり四回目がその魔王妃当人なのだから、当然のように使えるけれど。なんなら教授もできるし。
(レオ以外には教えないわ、面倒臭いし。そもそもこれは秘奥技術ですらなくて、魔力を感知できるなら誰でも行使可能だもの。才能次第かつ、エグいくらいの努力は必要だけど、その気になればヒト種だってできるわよ)
やりたいヤツは存分にやればいい。習得の出来不出来は自己責任だ。
ナディはレオノールの今後の養育計画まで立てていた。
まず十歳までに魔法・武術の基礎を習得させ、それと並行して貴族としての礼儀作法を教える。
レオノールには、時と場所と場合に合わせて適切なマナーで振る舞えるようになってもらいたかった。
亡くなった母親の身なりから推察するに、レオノールはきっと、どこかの貴族の血を引いている。もしかしたらいつか捜し出されて、在るべき場所に戻ることになるかもしれない。
そうなったときのために、貴族社会でも通用する立ち居振る舞いを教えておく必要があった。
また万が一、礼儀作法がなってなくてあちらの社会で孤立しても、逆境に負けないタフネスと物理的・魔法的な強さを身につけさせたかったのだ。絶対に困らないから。
力こそパワー! それがナディのモットーである。
彼女はかなりの脳筋であった。
(なんとなくわかっていたけど、レオは魔法適性が異様に高いのよね。……武術はちょっとあれっぽいけど)
砂が水を吸い込むがごとく、知識と技術を吸収していくレオノール。
教えるのが楽しくなったナディは、彼女に自分の知る魔法技術をこれでもかと注ぎ込んだ。
規格外の教育を受けたレオノールも、よその家庭の事情を知らないため、素直に享受した。
ただ斜向かいのオットと同居を始めたアガータ夫婦の子らの勉強の様子を見たとき、違和感を覚えたが……レオノールは「知識も技術もあって損はない」という結論に至った。反抗は特にせず、むしろより深く学ぶようになっていく。
レオノールは年齢のわりに妙に聡い子どもだった。幼児のはずなのに。
そんな日々を送りつつ、恐らく十二歳になったナディ。
彼女はついに冒険者登録をすべく、街にある冒険者ギルドへ向かうことにした。……レオノールと一緒に。
いつもはオットたちの家でおとなしく留守番してもらっているのだが、珍しく「一緒に行きたい」と言い出したのである。
ナディは「その程度の我儘なら、まあいっかぁ」と、深く考えずに了承し、仲よく手を繋いで出かけていった。
ちなみにナディの格好は、しっかりした木綿のシャツとジャケット、ポケットがたくさん付いた便利なパンツ。レオノールは白を基調としたワンピースにズボンを合わせている。皮革製サコッシュはお揃いだ。
間違っても女の子らしいスカートを穿きはしない。これ以上、ホイホイ率を上げたくないから。面倒臭いし。
なお、肩掛けにしているサコッシュはダミーで、二人とも貴重品は【収納】にしまっている。
貧民街から歩き続け、ナディたちは街に入った。
やがて冒険者ギルドに到着した二人は、外の喫煙所で一服している連中が訝しそうに見てくるのを気にせず中に入る。
ギルド内は広く、ホールは吹き抜けになっていた。南側のクリスタルのガラス窓から、温かな陽光が差し込んでくる。
この世界における一般的な冒険者ギルド――酒場と一体になっているイメージから逸脱した内装だ。
窓沿いの日が差す場所は、半テラス席になっており、どうやら食事も提供しているらしい。
そんな場所があることも相まって、一見おしゃれなカフェにも見えるのだが……近くの壁には『ギルド内禁煙。破ったら殺す!』と書かれた紙がデカデカと貼られている。
紙には血痕らしきシミがついていて、お洒落な雰囲気が台無しであった。
貼り紙を見て、喫煙所で多人数がたむろしていたのを思い出し、妙に納得するナディである。
ギルド内は、健全で明るい環境に整えているみたいだ。
(ここを管理してる人たちの努力は素晴らしいわね。でも、暑い時期はメッチャ暑くて、寒い時期はメッチャ寒そうだわ)
……などと、ナディは見当違いなことを考えた。
それはさておき。
レオノールと手を繋いだナディは、テクテク歩いて奥の受付に向かう。午前のピークは過ぎたのか、ギルドは閑散としており、五箇所ある受付は一番と二番のみ開いていた。
笑顔のままフロアを見渡している美人なお姉さんが一番に、忙しなく書類仕事をしている、濃ゆい顔に向こう傷がある厳つい天パの長髪ガチムチおじさんが、二番の窓口に座っていた。
そんな、それとなくナディたちを視界に入れつつ笑顔を絶やさない一番受付の美人なお姉さんと書類仕事に集中しているらしい二番受付のおじさんを見比べ、ナディは一切迷わず向かった――二番受付に。
「おやこっちに来たのか。あっちのねえちゃん――ラーヴァのほうがいいんじゃないのか。そっちのちっこいのは……妹かなんかか?」
近づいてきたナディを意外に思ったのか、男が感心したように言う。
作業が一段落したようで、彼は書類から目を離して顔を上げた。
二重瞼で、やや垂目。とはいえ体格がいいので、ギャップがあっても子どもは近寄りがたいだろう。年齢は三十歳半ば……といったところか。
濃ゆい顔と体格のせいで、実年齢より上に見られていそうだ。
先ほどの言葉を聞くに、本人も子どもから避けられやすい自覚があるのかもしれない。
(私たちが寄ってきても、愛想を振り撒かないのね。子どもに避けられてもなんとかしようとも考えていないみたい……まあ、なんとかしようにも無駄なくらい厳つい見た目だものね)
口にも表情にも出さず、失礼なことを考えるナディである。
「受付ならどこでも一緒でしょ。それともあなたは仕事が嫌なの? あと、レオは私の妹よ」
「うわ。ド正論で来たよ。まだ子どもに見えるけど見た目どおりじゃねぇのか?」
「見た目どおりの十二歳だし、ちゃんとヒト種よ。それより、冒険者登録をしたいんだけど」
笑顔一つ見せずに淡々とナディが言うが、男は気にした様子すらない。
「そういうしっかりしてるところが、見た目どおりじゃねぇって言うんだが……いいか、それは」
諦めたのか、それともこんなタイプは初めてではないのか、男が何事もなかったかのように書類を出す。
「まず必要事項を書くんだが……字は書けるか?」
書類と羽根ペンをカウンターに置き、基本的なことを聞いてきた。
これは意地悪でもなんでもなく、子どもに限らず大人でも字を書けない者はいるのだ。特に、貧民街出身者の識字率は低い。
「書けるわよ。筆記用具も持ってきてる」
ナディはそう言い、サコッシュに手を突っ込んで【収納】から万年筆を出して必要事項をスラスラ書いていく。筆跡が、メッチャ綺麗だった。
「筆記用具持参かよ。本当に見た目を裏切るな……」
ちなみに、ナディの隣ではレオノールも万年筆を取り出していた。記入する気満々である。
それが微笑ましかったようで、男は身を乗り出してレオノールのために踏み台を用意して、別の書類を渡す。ナディがチラッと確認した限り、ちょっとだけ内容が違うようだった。
ガチムチだが、意外と面倒見はいいらしい。
「持参する人がまったくいないわけじゃないでしょ。はい、これでいい?」
滞りなく記載した書類を差し出すナディ。隣のレオノールは、お絵描き感覚でサラサラ書いている。
「ん? 書くの早ぇな。うお、字がうめぇしなんだペンは? インクつけてなかったろ」
「そういうのいいから。さっさと登録してちょうだい」
当たり前とも言える疑問をすべてを却下したナディは、半眼で受付おじさんに催促した。そういうところが「子どもっぽくない」のだが、それもナディにとってはどうでもよい。
ちなみに、彼女が使う万年筆は魔族の王族が好んで使う筆記用具であり、魔王妃アデライドが愛用していたものだ。
もとを辿れば、八百年以上前、自身を「薬師だ」と言い張る冒険者にして魔法使いが開発したと伝わっているが、詳細は不明である。
一般的には流通していないため、余程の識者でない限りまず知らない。
冒険者の中には秘密主義者もいるので、男も追及しないことにした。
「おう、まぁそうだな。えーと、書類に不備はないか。ようこそ、冒険者ギルドへ。じゃあ、まずは初心者講習の受講から――おお、妹ちゃんも書けたのか……」
やり切った感全開な、ものすごくいい笑顔を見せ「ムフー」と得意満面なレオノールからも書類を受け取り、男が目を通す。
「てか、こっちも字が滅茶苦茶うまいな。マジでヒト種なのか? 種族詐称してねぇか?」
ちょっと失礼なことを言っちゃうおじさんである。
こうして無事ナディの冒険者登録が終わり、初心者講習が始まるのであった。
冒険者になるためには、冒険者ギルドに登録をしなければならない。だがこれは必須ではなく、登録せずに活動している者もいる。
真っ当なほうは、商店や商会、研究施設の専属で素材集めを中心に活動している冒険者。真っ当ではないほうは、社会のはみ出し者やヤクザな商売をしているかのどちらかだ。
そもそも、冒険者とは冒険を生業とする者の総称であり、素材を収集したり、害獣や魔物を討伐したりして、生計を立てる……というのが、かつての当たり前だ。
だが、そんな状態でまともに生活ができるのはほんの一握りであり、実力が不足している者や要領が悪い者の生活は、かなり逼迫していた。
冒険者ギルドとは、そうした立場の弱い冒険者を守るために結成された組織であり、ここに所属した者は、よほどバカなことをしない限りギルドが責任を持って守る。
ギルドが定める依頼をこなしていれば最低限の生活費が手に入るし、住居がなければ、それなりな質ではあるが寮も用意する。
寮は男女共用であるため、時として問題が起きるが……、同意の上ならギルド側は関知しない。
そうではない場合は、虚偽封印の魔術具を使った裁判の後、加害者は問答無用で鉱山奴隷に落とされる。鉱山での労働で得た金銭は全額、被害者に対する慰謝料にあてられるのだ。
また、冒険者ギルドに所属する者で、怪我や冒険中に受けた状態異常、または病気などで稼業を続けられなくなったとき、ギルドは希望者に職業訓練を受けさせ、就職先を斡旋する。
そう。冒険者ギルドとは冒険者を守るだけではなく、それらが正しく生きていけるように導くための組織なのである。
「――と、まぁ。概要はこんなところだ」
冒険者登録を済ませたナディとレオノールは別室に案内され、受付の男から初心者講習を受けていた。
「……教本を読み上げただけじゃない」
「この本面白くない」
ナディとレオノールは席につき、そんな文句を言う。
一応真面目な内容なのだが、ナディの評価はからい。なぜなら、教本をそのまま読み上げているだけだから。
「これって教本に全部書いてあることよね。講習する意味ってあるの?」
「お姉ちゃん。『初心者冒険者は最長で一ヶ月の間一日銅貨十枚の支給を受けられる』って説明が抜けてたよ。それと『依頼受注後の一般的な作業の流れとギルド内での書類処理方法』のフローチャートが端折られていた」
結果、十二歳児と七歳児にダメ出しされる有様である。向こう傷のあるガチムチおじさんなのに。
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