ひっかき

植戸優太

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ひっかき痕と忘れたはずの過去

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俺の背中にはひっかき痕がある。左上の肩下あたりだ。

なぜできたのかは覚えていない。

幼い時の無邪気さでできたものか。だが無邪気だった記憶もない

だがこれだけは覚えている。 自分で作った傷だ。

26歳、ただのサラリーマンをやっている俺だが、どこまで自分の記憶が正しいものなのかわからない。

とりあえず高校生の記憶は残っているか。ウチはお金が無かった。父と母に迷惑をかけたくない一心で、高校卒業後仕事に就いた。

一人っ子だったが、学生の間はとてもよく面倒を見てくれた自慢の両親だ。これからは自分が両親を支える番だという気持ちで仕事のデスクに向かっている。


最近疲れていた。少し気持ちが先走っていたのか、仕事のペースを必要以上に上げてしまっていた。

「おい、まだいたのか。こんな先の仕事までやっても、誰も次に取りかかれないんだ。顔色も良くないし、明日は休みなさい。」

上司にそう声をかけてもらっても、どこか落ち着かなかった。何か不安をかき消そうとしてるような。最近背中の傷が少し痛むからだろうか。

かき消す 昔にも何かをかき消そうとしたことがあるような気がした。記憶はないが。

しかしその感覚の真相は、加速して俺の目の前にやってきた。


上司に休めと言われ、落ち着かない状態でも良くないと感じ温泉にでも浸かろうとした。

近所の温泉、朝9時開店丁度に入った。

店主は無愛想な感じだが、雰囲気はなかなかだ。

500円。悪くない。

こんなに長く湯船に浸かっていたことはあるだろうか。もう何分入ったかわからないが、かなり日が昇って外が明るくなったように感じる。

そこに一人の男が入ってきた。俺は目を見開いた。

刺青を入れている。左肩の下に大きく、数字の「1」の字が。

それを見た俺は、大きい何かを思い出した気がした。気がしただけで説明できるほどではないが。

思わずその男に声をかけた。

「あの、すいません。」

男は何も言わずに振り返った。俺は続けた。

「その背中の刺青・・・。どうしたんですか?」

男は前に向き直り答えた。

「刺青じゃない。」

「それじゃあ・・・。すいませんなんだか見覚えがあって。」

そう言うと男は体を正面に向けてきた。

「まさか、お前、コウイチか?」

聞き覚えはあったが、俺はコウイチなんて名前じゃない。

「すいません、俺はコウイチっていう名前じゃありません。」

男はそんなことは関係ないと言わんばかりに続けた。

「後ろ、向いてみてくれないか。」

「え。」

何かが動き出す。そんな気がしてやまなかったが、ゆっくり後ろを向いた。

「やっぱりな。こんなところで会えるなんて、元気そうで良かった。」

「どういうことですか?俺のことを知ってるんですか?」

知ってる。そんな確証がどこかであったが聞いた。

「ああ知ってる。知ってるとも。」

俺はすかさず返した。

「俺は知りませんけど。」

男は少し寂しげに答えた。

「そうか。覚えていないままでいいのかもしれない。でもそれでは納得いかないよな。」

男は少し間を空けて続けた。

「俺たちは兄弟だ。俺はお前の兄貴。」

俺は心の中ではすぐ納得したのに、頭の中で強く拒否している気がした。

「背中の傷ひとつでそんな繋がりがあるとは思えない。」

男は冷静そうに返した。

「そのひっかき傷の下、少しだけ見える。数字の2が。これは俺たちが昔虐待に遭っていたときの痕だ。焼かれたんだ。」

体が震えてきた。同時に、悲しみ、苦しみ、怒り、負の感情がいっぺんに舞い降りてきたようだった。覚えているんだ、鮮明に。心のどこかで閉ざしていた記憶だったんだ。俺の両親は、本当の両親じゃない。その前があったんだ。

「この痕を残したのは、俺たちの本当の両親?」

兄は全て知っている口ぶりで返した。

「そうだが少し違う。やったのは父親だ。酒にギャンブル、手につけられない人だった。お前はまだ5歳だったが、もっと守ってやりたかったよ。俺たちは家から逃げ出して、お前を保護施設まで連れてったんだ。」

俺はすぐに聞き返した。

「母さんは?」

初めて兄の口が重くなった。

「死んだよ。父さんの暴力で。」

怒りが天辺に達した。

「復讐しに行こう。」

「分かった、行こう。」

迷わずそう言った兄に驚いた。そんなにあっさり決まるとは。

兄に連れて行かれたのは介護施設だ。

「ここに父さんはいる。あとはお前次第だ。」

そう言って兄は一人帰っていった。

中に入ると、そこには驚きの光景があった。

体が全く動かない父の姿だ。顔を見てすぐに父だと分かった。

「あの、面会でしょうか?」

そう施設の女性従業員が声をかけてきた。

「あ、いえ。あそこの車椅子の方、体が動かないんですか?」

従業員は声の大きさを落として話してくれた。

「ええ。昔人とろくな付き合い方ができなかった人らしくてね。そこでのトラブルで大怪我を負ってしまったの。今はとても後悔しているようで、とっても良い人なんです。」

苦笑いしながらも一言だけ答えた。

「そうなんですか。」

諦めの言葉だったのか、認めの言葉だったのか、どんな感情でその一言を放ったかわからないが、心の中に大きな穴が開いたような気がした。それを埋めることはできないかもしれない。だがそれは過去の話で、土台にそんな穴が開いていても生きていける世の中だ。俺は苦しい。それでも帰るんだ、家へ。

「ただいま」

自分にとっての悪いことは、自分が知っていれば十分だ。悪いことを当人たちがひっくり返すことはできない。仕返しなんてものは何かが勝手にしてくれる。

自分の人生を歩んでいくのだと、そう決めた俺はもうひとかき

背中を引っ掻いた。
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