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 焼けるような痛みが駆け抜ける。前世で死ぬ前に感じた、鉄が身体を貫く感覚に顔が歪む。
 残像すら発生させる程の超高速の刺突に、全く反応する事ができなかった。
 先程の辛うじてそらした一撃は、一体何だったんだと疑問に思う。
 まさか、手加減していたとでもいうのか。

 モンスターが手加減するなんて聞いた事がない。
 だけど実際に目の前にいる敵の急な動きの変化は、そうだとしか考えようのない速度差だった。
 一体なんの為にそんな事を、という大きな疑問が生じるけど。

 負の魔力から生まれるモンスターの思惑なんて、最底辺狩人の自分には検討もつかない。
 そんな事よりも一番の問題は、敵の攻撃を完全に受けてしまった事。
 動きやすさを重視した薄い鉄製のブレストプレートは、まるで紙切れのように貫かれている。
 魔剣は胸の半ばまで突き刺さり、素人目で見ても致命傷である事が分かった。

「……ッ」

 込み上げてくる嘔吐おうと感に、我慢できずに口から血を吐き出す。
 血を浴びた首無し騎士は、手にした魔剣を一気に引き抜く。風穴が開いた胸部からは、血が止まることなく大量に流れだした。
 例えようのない痛みが全身を駆け巡り、自分は耐えられず地面にうつ伏せに倒れる。
 全身の力が抜けていき、死に近づく感覚は前世の最後を思い出す。

 ……不味い、これは完全に致命傷だ。
 狩人の肉体は、頭をやられなければ即死する事はない。
 早く腰に携帯しているポーチから、上級ポーションを取り出さないと出血多量で死んでしまう。
 だけど焦ってポーションを取り出そうとすると、指先が震えるせいで上手く掴めなかった。

 くそ、こんなところで……。
 ようやく夢のシチュエーションの一つを、叶えたばかりだというのに。
 少女に足止めをすると公言しておいて、こんなにもあっさり死んでしまうのか。

 徐々に暗くなっていく視界の中で、〈デュラハン〉は瀕死の自分には興味が無くなったらしい。
 そのまま〈サンクチュアリ国〉がある方角につま先を向けた。狩人を狙うモンスターの目的は、どう考えても一つしかなかった。

 その先には、あの子がいるんだぞ……!

 この場所から初心者の足では、国に逃げ込むのに二十分以上は掛かるはず。
 先に逃げ出した奴等が、助けを呼んでくれていたら良いが。
 もしもそうじゃなかった場合、ヤツを行かせるのは少女を危険に晒す事に繋がる。

 それだけは絶対に阻止しなければと、死に掛けの状態の身体に鞭を打った。
 一瞬だけ浮いた〈デュラハン〉の足首に、命を削りながらも右手を伸ばし。

『……っ!?』

「行か、せ………かよ……っ」

 全力で足首を掴みながら、我ながら実に往生際が悪いと苦笑する。
 この程度の妨害は、たった数秒の時間稼ぎにしかならない。

 だけどこれで彼女が、助かる確率が少しでも上がるのなら御の字だった。
 敵は此方を見下ろし、振り払おうとせずに足を止める。

 すると、どうやら幸運にもヤツのしゃくに障ったらしい。
 邪魔をする俺の息の根を確実に止めようと、手にしている魔剣をゆっくり上段に振りかざした。

 その姿は例えるなら、死刑執行人。首を落さんとする死神だ。

 これはもう、ダメみたいだな……。
 日の光を浴びて不気味に輝く刃が真っ直ぐ振り下ろされる光景を見上げながら、
 走馬灯のように様々な記憶が浮かんでは消えていく。

 ──毎日、街の中を歩けば〈スキルゼロ〉と呼ばれて蔑むような目で見られていた。
 ──毎日、モンスターについて技について図書館で独学の勉強をしていた。
 ──毎日、貯めた資金で装備を整えては大自然のモンスター達と戦っていた。

 悔しくて楽しくて、色々あったけど個人的にはとても充実していた異世界ライフ。
 最後にはこうして、一人の少女の為に死ねるのだから本望ではある。
 ただ一つだけ我がままを言うのならば、

(手紙のやり取りをしていた彼女に、お礼を直接言いたかったな……)

 そんなささやかな願いを抱きながら、凶刃が首を切断せんと迫って来る。
 もう駄目だ。出血し過ぎて弱まっていた心臓は、刃を受ける前に停止した。




 気が付くと真っ暗な世界に立っていた。
 二度目の死を迎えたのかと思い、胸の底から込み上げてくる悔しさに歯を食いしばる。
 自身の才能の無さがもたらした最悪の結末。何もできなかった事に対し瞳からは涙がこぼれ落ちた。

 ああ、平凡になることすらできないとは何て情けないんだろう。
 足りない物が大きすぎて、努力だけではどうにもできなかった。

 無力で、無能で、非力で、無才で、情けない要素ばかり。
 こんな魂など、最初から転生する価値など無かったのだ。

 アスファエルには何度もアドバイスを貰い、知識と技術でカバーできるように手助けしてもらった。
 ランクが低くて装備できる武器が限られている中、ギリギリの品質で剣を作ってくれた鍛冶職人の彼には頭が上がらない思いだ。
 そして何よりも悲しいのは、手紙を送って応援してくれていた彼女の期待に応えられなかった事。

 絶望の中で三人もの人達に支えて貰ったというのに、何もできなかった自分に何の価値があるというのか。
 自身に対する失望感が刃となって突き刺さり、早く意識を消してくれと求める。
 しかし世界はもっと苦しめと言わんばかりに、何時まで経っても自分の存在を消してくれない。

 闇の世界で永遠に苦しんでいると、天から一筋の光が差し込んできた。
 そこでようやく自分は、照らされた目の前に一本の剣がある事に気が付く。

 ──これは、まさか前世の最後に見た剣?

 恐る恐る注目してみると、それはたしかに装飾が施された美しい聖剣だった。
 前は触れることすらできなかったけど、今回は触れることができる距離に出現した。

 何というか美しすぎて、触れることすら躊躇ためらいが生じてしまうけど。
 俺は傷物に触れるように、剣の柄をそっと握った。

「ふん……っ」

 全く微動だにしない。どれだけ引いても押してもダメだった。
 普通こういう時は、するっと抜けてしまうのが王道的な展開なのだが。
 手にした剣は余程深く刺さっているのか。それとも自分が選ばれし者では無いのか。
 一ミリも動くような手ごたえを感じなかった。

 まぁ、人生はそんなに甘くできていないという事だ。
 何というかロマンチックではあったが、自分が主人公の柄ではない事は分かっているので驚きはしなかった。
 仕方がないと思いながら、大人しく諦めて剣から手を離そうとしたら。

「あれ、手が柄から離れないぞ……?」

 まるで接着剤で固定されたみたいに、指がぴったりくっ付いている。
 この展開は凄く嫌な予感がした。何故ならこういう離れないパターンは大抵ろくな事が起きないから。
 現にどれだけ力を込めても、手は握った柄から離れない。
 気分はまさに、ゴキブリホイホイに引っ掛かったG。

 まさかと思うが、美しい見た目で聖剣だと決めつけていたけど実は魔剣でしたってオチ?

 力をくれるのなら魔剣でも全然かまわないが、支配される系は正直に言って勘弁である。
 助けなんて求める事ができない状況下。そんな場で何が起きるのかじっと待っていると、

『選バレシ者、世界ノ願イヲ。狩人ニ与エラレシ本来ノ役目ヲ果タセ』

「は? ──わっぷ!?」

 急に頭の中に意味の分からない声が聞こえ、手にした剣が一センチだけ上に動いた。
 剣が動いた影響なのか、声が聞こえたからなのか。
 地面から闇よりも真っ暗な『暗黒』が、勢いよく吹き出し身体を覆いつくす。
 意識が再び遠退いていく中、俺は暗い世界の果てに巨大な怪物を見た。

 アレは一体なんだ。

 大図書館の資料の中で、あんなモンスターは見た事が無い。
 闇の中で金色に輝く巨大な目玉、それは何かを訴えるように此方を見据える。
 俺はその目が、何故かは分からないが『待っているぞ』と言っているような気がした。
 たぶん気のせいだと思う。でもその意味深な目からは宿敵を待っているようなニュアンスを感じる。

 こうして謎の怪物に見送られながら、俺の意識は深い闇に落ちて行った。
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