白い結婚で結構ですわ。殿下より、私の自由のほうが大事ですので

鍛高譚

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10話

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大騒動の勃発

 庭園パーティの翌日。王都にあるギルドや諸侯からの報告が一斉に王城へ届けられ、宮廷は朝からあわただしい空気に包まれていた。どうやら国境付近の小競り合いが激化しているらしく、騎士団の追加派遣の要否が議題に挙がっているらしい。

「まったく、落ち着く暇もないわね……」

 私は自室で朝の支度をしながら、シューネの報告を聞き、軽くため息をつく。昨夜のうちにリオネル殿下が例の書類について正式に報告したかどうかも分からないまま、王宮の空気はどこか殺気立っていた。

 そこへコンコンとノック音が響き、扉の向こうからリナの声が聞こえる。

「ルージュ様、失礼いたします……」

「ええ、いいわよ。入って」

 部屋に入ってきたリナは、目の下にクマができていて、ひどく疲労困憊しているように見えた。話を聞くと、昨夜は侍女長に呼び出されて厳しい追及を受け、「しばらく大人しくしていろ」と言い渡されたのだという。
 平民であるリナが機密文書を持っていた事実は重く、すぐにでもお咎めがあっておかしくないのだろうが、リオネル殿下が「リナには罪はない」と庇っていることで、どうにか一時保留になっているという。

「リオネル様が一生懸命に弁明してくださって……でも、私、殿下にご迷惑をかけてばかりです。もしも、王宮にいられなくなったら……」

「そんなに思いつめないで。まだ何も決まったわけじゃないんだから」

 私はなんとかリナを励まそうとするが、本人の不安は募るばかりらしい。そんな彼女を見ていると、私まで胸が痛む。下手をすれば“平民のくせに王子に取り入って、機密を盗んだ女”というレッテルを貼られかねない。実際、似たような噂はすでに一部で囁かれ始めているようだ。

「とにかく、もう一度殿下に会って事情を聞きましょう。殿下は動いているはずだし、私も一緒に行くから」

 そう言って、私はリナを引き連れ、王城の西翼にある執務室へ向かった。そこは王族が仕事をする部屋のひとつで、リオネル殿下もよく使っていると聞く。ところが、扉の前に侍女長が立ちはだかり、私たちを鋭く睨みつけた。

「……ルージュ様、恐れながら。いま殿下は大切なお客様と会談中でして、勝手にお入りいただくわけにはいきません。リナを伴うなど、言語道断ですよ」

「お客様……? どなたかしら?」

「隣国の使節です。昨日の庭園パーティでお越しになった方々ですよ。国境問題の件で急ぎ話し合いが必要だと」

 私は内心で舌打ちをする。こんなタイミングで殿下に用があるなんて、相当空気が読めないのかもしれない。だが、リナの置かれた状況を放置しておくのも危険だ。

「では殿下が会談を終えるまで待ちますわ。部屋の外で待機させてください。いずれにせよ、殿下にぜひ確認したいことがありますから」

「……お好きにどうぞ。ただし、無理に会談を中断するようなことはお控えくださいませ」

 侍女長は不機嫌そうに言い置き、扉の前で仁王立ちを続けた。私とリナは仕方なく少し離れた場所の壁際で待機する。すると、あまり間を置かずして、部屋の中から少し荒々しい声が聞こえてきた。

「……聞いていないぞ! そんな情報は……」
「殿下、それは……!」

 断片的にしか聞こえないが、どうやらかなり険悪なやりとりになっているらしい。やがて、バタンッと扉が勢いよく開き、現れたのは隣国の使節団らしき数名の男たち。彼らは怒気を含んだ表情で侍女長に目もくれず、足早に立ち去っていく。その後ろには、蒼白になったリオネル殿下の姿があった。

「……殿下?」

 私が呼びかけると、殿下ははっとこちらを見て、驚いたように目を丸くした。そして、少し声を震わせながら口を開く。

「ルージュ……リナも一緒か……。まさかここにいるとは……」

「お疲れのところ失礼します。少しお話を伺えませんか? リナのことも含めて、聞きたいことがありまして」

 私がそう言うと、殿下は力なく頷き、執務室の中へ私たちを招き入れた。部屋に入ると、机の上には先日リナが拾ったものと酷似した書類の山が散乱しており、リオネル殿下は深いため息をつく。

「……いま、隣国の使節に厳しく問い詰められたところだ。どうやら、この国の軍備状況が筒抜けになっているらしい」

「筒抜け……って、どういうことですか?」

 リナの唇が震える。殿下は拳を握り締めて悔しそうにうつむいた。

「つまり、何者かが機密を外部に漏らしていたんだ。しかも、僕が取り扱っていた書類とほぼ同じ内容が、何故か隣国の役人たちに伝わっているらしい。連中は怒り心頭さ。『和平交渉の裏で軍を増強しようとしているのか』と、こちらを詰問してきたんだ」

「ちょ……ちょっと待ってください!」
 リナが叫ぶように声を上げる。「そ、それって……私が拾った書類と同じ……? 私が盗んで隣国に売ったとでも……?」

「違う、リナを疑っているわけじゃない。ただ、事実として書類が何者かの手に渡ったとしか思えない。正確な配置情報まで知られている以上、内通者がいるんだ」

 殿下の言葉に、私は息を呑む。まさか軍事情報が漏洩していたなんて想像もしていなかった。しかも、リナが拾ったあの書類は“外部に流出したデータ”と酷似している。普通に考えれば、リナが「犯人では?」と疑われるのは時間の問題だろう。

「ち、違うんです! 私は……そんなこと絶対にしていません!」

 リナが必死に訴えるが、今はもうそう主張するだけでは済まされない段階に来ている。リオネル殿下は苦しげに眉間にしわを寄せ、「とりあえず王宮内で正式な調査が始まるだろう」と言う。

「このままでは、リナは疑いの矢面に立たされる可能性が高い。……だが、僕がはっきり庇えば、余計な波紋を生むかもしれない」

「余計な波紋……?」

 私が問い返すと、殿下は目を伏せ、言いにくそうに続けた。

「僕は王子だ。こんな大問題が起きたのに、自分の“愛人”を一方的に庇うようでは、かえって周囲から“共犯をかばっている”と思われかねない。すでに宮廷の大臣や重鎮たちの目も冷たい。『リオネル殿下が平民の女に甘い顔ばかりしているから、こんな醜態を晒すのだ』と……」

 それを聞いたリナは肩を震わせ、俯き込む。愛人として認められていない立場の苦しさが、まざまざと浮き彫りになる。私も、ただ言葉を失うしかなかった。
 殿下は机を乱暴に叩き、苦悩をあらわにする。

「……クソッ! いったい誰が機密を漏らしたんだ! そもそも、僕の机の中からあの書類が“勝手に”抜き取られた可能性だってある。リナが盗ったわけでもないだろうし、僕が外へ渡すはずもない。それなのに……」

「殿下、リナの潔白を証明する方法はないんでしょうか? 書類には『いつ』『誰が』持ち出したか分かるような印でもないのですか?」

「草稿の段階だから、正規の管理体制が甘かったんだ。……何度か閲覧した人間もいるし、誰がいつどれだけコピーを取ったか把握しきれていない可能性もある」

 殿下の言葉が続くほどに、私の胸の奥に不安が渦巻いていく。これでは、リナに疑いがかかったまま、真犯人を特定できなくなるかもしれない。王族や貴族の中には、リオネル殿下を王位継承から遠ざけたい勢力もあるだろうし、そのためにリナを利用しているとすれば、ますます厄介だ。

「ひとまず、リナを安全な場所に匿うしかないわね。身の潔白が証明されるまで、あまり目立たないようにして……」

 私がそう提案すると、リナはすぐに首を横に振る。

「で、でも……もし私が逃げたり隠れたりしたら、『やはり罪を認めた』と誤解されてしまうかもしれません……。私は殿下を裏切ってなんかいない、堂々と主張したいです!」

「気持ちはわかる。けど……周囲の目はもう厳しいぞ」

 リオネル殿下が辛そうに吐き出す言葉に、リナは小さく唇を噛む。真実を知らない貴族たちや役人たちは、“平民の女が王子を誑かし、国家機密を盗ませた”という筋書きを安易に信じがちだ。リナがいくら否定しても、現実は厳しい。

「……とにかく、王がこの件をどう判断するかによって、事態は大きく変わるだろう。僕は、王に対してリナの潔白を誓うつもりだ。だけど……」

 そこで言葉を切った殿下は、暗い瞳を私に向ける。

「ルージュ。君には本当に悪いが、このままでは婚約はどうなるか分からない。僕が失脚する可能性もあるし、君の家名にも傷がついてしまうかもしれない……。それが本当に申し訳ない」

「……お構いなく。私は元より、あまりこだわりがありませんもの。家名に傷がつくのは困るでしょうが、いざとなれば父も守ってくれるわ」

 ここにきて、私とリオネル殿下の形ばかりの婚姻がどうなるかなんて、もはや些末な問題にも思える。リナの危機はそういう次元を超えているのだ。もし“国家機密漏洩”という罪で断罪されれば、最悪の場合は極刑もあり得る……それほど重い罪だ。

(なんとしてもリナを守らなくちゃ。このままじゃ、リナどころか殿下も……)

 けれど、私はどう動けばいいのだろう。自分の力が及ぶ範囲は限られているし、下手に首を突っ込めば貴族たちの逆鱗に触れるかもしれない。
 その悶々とした思いを抱えながら、私は部屋を後にした。
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