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1話
しおりを挟む薄明かりが差し込む森の中、ルーシュエは静かに意識を取り戻した。目を開けると、視界いっぱいに広がるのは、無数の緑の木々と絡み合う蔦、そして柔らかく光る朝霧だった。体はか細く、まるで幼い少女のような印象を与えるが、その目には見覚えのない決意と鋭さが宿っていた。しかし、彼女には自分の名前も、過去も、何一つ思い出すことができなかった。
「……ここは……?」
そう呟きながら、ルーシュエは自分の体に手をやってみる。肌は冷たく、だが内側からは不思議な温もりが伝わってくる。まるで、内に秘めたる力が眠っているかのようだ。彼女は、何故か感じるその力に少しばかり安心感を覚えつつも、混乱と不安に囚われていた。
起き上がった彼女は、周囲を見渡す。目の前に広がる森は、何百万年も生き続けるかのような重厚さと、神秘的な輝きを放っている。木漏れ日が地面に描く模様や、遠くで小川が流れるせせらぎ、すべてが彼女にこの場所がただの森ではないと告げる。だが、どこにも人影は見当たらず、ただ風がそよぐ音だけが彼女の耳に届く。
「私は……誰なの?」
ルーシュエは内心で問い続けた。すべてが霧のように消え去り、記憶の断片すら残っていない。だが、体の奥底で感じる奇妙な力が、何か大切なものを守っているような感覚を彼女に与えていた。手を合わせ、閉じた目の奥でその力を呼び覚ますかのように、静かに祈るような気持ちになった。しかし答えは、依然として闇の中にあった。
森の中を歩き始めたルーシュエは、柔らかな苔の上を素足で踏みしめる。足元には、枯れ葉や小枝が散乱しており、一歩一歩の足音が静かに響く。周囲はまるで時が止まったかのような静寂に包まれ、ただ風が木々の葉を揺らし、時折小鳥のさえずりがかすかに聞こえるのみだった。誰とも出会うことなく、ただ一人、この広大な森の中を歩むその姿は、孤高の存在そのものだった。
ルーシュエは、歩くうちに不意に心の奥底から湧き上がる衝動に気づく。自身の中に眠る力――先ほど、無意識のうちに放たれたその衝撃の記憶が、今も鮮明に脳裏に残っている。どういうわけか、彼女の拳から放たれたあの力は、ただの偶然ではなかった。何か特別な「宿命」が、彼女の体内に刻まれているような感覚があった。
「この力……私は、一体何者なの?」
答えは出ない。だが、その問いに対する答えを求めるように、ルーシュエは森の奥深くへと足を進める。歩みを進めるうちに、太古の木々のざわめきが、彼女に過ぎ去った時代の囁きを伝えてくるようにも感じられた。ひとつひとつの木の根元には、かすかな記憶の欠片が潜んでいるかのようで、彼女はそれを探し求めるかのように、手を伸ばし、触れようとした。しかし、どの手がかりも、彼女には意味を成さなかった。
森の中、ただ一人歩む孤独な旅は、彼女の心にさまざまな感情を呼び起こした。時折、彼女は立ち止まり、広大な森を見渡す。そこでふと、見上げる空に浮かぶ太陽の光や、風に揺れる葉の音、遠くで鳴く獣のうなり声すら、すべてが新鮮で、そして神秘的に感じられた。これまでの記憶が失われた痛みと、未来への不安とが交錯する中で、ルーシュエは自分自身の存在意義を少しずつ見出していくような気がした。
「私は、この森で何をすべきなのだろう?」
答えのない問いに、彼女はただ静かに歩みを進める。時折、足元の小石に躓きながらも、彼女は決して止まらなかった。森は、彼女にとって広大な迷宮であり、同時に新たな始まりの場所でもあった。記憶を失った彼女にとって、過去に戻ることはできない。むしろ、この未知の世界で自らの力と向き合い、未来を自分で切り拓くしかないのだと、内心で静かに決意した。
森の奥深く、木々が生い茂る小道を歩きながら、ルーシュエは自分がこれからどう生きていくべきか、漠然とした希望を抱く。誰もいない森で、ただ自分自身と向き合う時間は、彼女にとってかけがえのないものであった。
―自分自身と対話する――それは、過去を失った者が未来を見出すための唯一の方法だった。
歩みを進めるうちに、ルーシュエはふと、体中に流れる力の鼓動に耳を傾けた。まるで、心の奥底で何かが呼びかけるような、かすかなリズム。彼女はその感覚に従い、ゆっくりと手を伸ばし、胸元に当たるかすかな温もりを感じ取った。
「これは……私の中に秘められた力なのか?」
答えは見つからない。だが、その神秘的な力は、彼女に確かな存在感と、これからの旅に向けた微かな希望を与えていた。
数時間、果てしなく続く森の中を彷徨いながら、ルーシュエは何度も立ち止まり、目の前に広がる自然の息吹に心を委ねた。朝露に濡れる草原、風に揺れる木の葉、遠くで鳴る小鳥の声すべてが、彼女にとっては新たな感動であり、希望の光であった。
「私は、これから自分の生きる道を見つけるしかない。」
その決意は、すでに彼女の心に深く刻まれていた。
そして、ルーシュエは再び歩き出す。
誰とも出会わず、ただ自分自身と森とが対話するかのように、彼女はただ一人、未来へと向かって歩む。
森の中の孤独は、決して彼女を打ち砕くものではなく、むしろ新たな自分を発見するための試練であり、そして機会であった。
「記憶がない……過去が見えなくても、私はこれからの自分で未来を作っていく。」
その静かな宣言は、風に乗って森中に響いたかのようだった。
太陽が高く昇り、森全体が黄金色に輝き始めたとき、ルーシュエはふと立ち止まって、遠くの空を見上げた。
「ここから先、どんな世界が広がっているのかしら?」
問いかけるようなその瞳は、まだ記憶の欠片を取り戻すことはなかったが、未来への期待に満ちていた。
それは、今や彼女が新たな自分自身を創り出すための、最初の一歩であった。
静かな森の中、ただ一人で歩むルーシュエの姿は、まるで自然そのものと一体化しているかのように見えた。
その歩みは、過去の断片も、傷ついた心も、すべてを洗い流し、新たな未来へと続く道であった。
「私は、ここで新しい自分を見つける。どんな困難が待ち受けていようとも、私は前に進む。」
彼女はそう心に誓いながら、再び一歩一歩、着実に足を進めた。
そして、ルーシュエは気づく。
たとえ誰かと出会わなくとも、自然が与えてくれるすべての美しさや厳しさが、彼女にとっての道標となることを。
「この森も、私の教師なのね。」
そう呟くと、彼女はそっと手を広げ、周囲の風景に身を委ねた。
こうして、記憶を失った少女は、ただ自分自身と向き合いながら、未来への第一歩を踏み出すのであった。
森の中で目覚めた瞬間から、彼女の物語は始まった。
すべての出会いを待たず、ただ一人で歩むその道は、今後数え切れぬ冒険と試練へと続いていく――。
「さあ、私はここから新たな物語を紡いでいく。
過去はもう戻らない。未来だけが、私の手の中にある。」
ルーシュエはそう呟きながら、深い森の奥へと姿を消していった。
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