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第2章:冷遇されるエミリアと貴族たちの掌返し
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晩餐会での孤立と、思わぬ再会
それから数日後、ウィンスレット公爵家に王城から正式な書簡が届いた。そこには「アルバート・ロンズデールとエミリア・ウィンスレットの婚約を解消したことを確認する」旨、および「王女クラリッサとロンズデール公爵子息の婚約発表を行う予定である」ことが淡々と記されている。無機質な文章に宿るのは、王家の絶対的な権威だ。公爵家としては、それを受け入れるしかない。
そんな中、エミリアは公務に忙しい父の代理として、ある晩餐会に出席することになった。王宮の一角で開かれる定期的な貴族会合――大臣や高位貴族たちが一堂に会し、互いの情報交換や国政についての議論を行う場である。エミリアは幼い頃から父に同伴し、こうした公的な場での立ち居振る舞いを学んでいたため、代理を任されても問題はない。
だが、ここでもエミリアは嫌でも注目を浴びる。元婚約者が“王女殿下の婚約者”となった今、その“破棄された公爵令嬢”として、まだまだ噂の対象なのだ。会場に着くと、伯爵家の令息たちが興味本位に彼女を眺め、貴族夫人たちは「あらまあ、気の毒に」と口々に囁き合う。エミリアは微笑を絶やさずに挨拶を返しながらも、その視線の痛さに内心苦笑するばかりだった。
晩餐が始まる前、広いホールでの立食形式の軽い会話タイムが設けられていた。各々がグラスを手に取り、社交辞令を交わす場面だ。エミリアは知り合いの婦人や紳士に礼儀正しく声をかけるが、返ってくる反応はどこか素っ気ない。あるいは、わざとらしく明るく振る舞いながら、核心を避けるようにすり抜けていく人もいる。
(皆、ロンズデール公爵家や王家の様子を探っているのね。私に深入りすれば変な噂が立つと恐れているのでしょう)
そんな中、さりげなく声をかけてきたのは宰相家の次男であるグレイ・アベリーだ。彼はエミリアとは一歳違いだが、幼少期に同じ家庭教師の下で学んだ仲間であり、そこまで親しいわけではないが、お互いに一定の信頼感を持ち合う間柄でもある。
「エミリア嬢、今宵はお一人でのご出席ですか。ウィンスレット公爵殿はお忙しいそうで……」
「ええ、父は国政の件でまだ執務室に缶詰めの状態ですの。ですから代理で参りました」
「そうですか。……その、ご気分はいかがですか? 先日の大舞踏会の一件、話が早くから広まっていて」
グレイは遠回しにエミリアを気遣ってくれているのだろう。しかし、周囲には多くの人の耳がある。彼は深くは突っ込まないまま言葉を濁した。エミリアはその配慮に感謝し、微笑んで返す。
「ありがとうございます。お気遣いは嬉しいのですが、私は大丈夫ですわ。むしろ、こうして堂々と場に出てくるのも大切な務めだと思っています」
「そう……。あなたの強さには、昔から感服していました。今宵も無理をなさらずに。何かあれば声をかけてください、僕にできることがあれば」
グレイはそれだけ言うと、会釈をして立ち去っていった。エミリアはその後ろ姿にホッと息をつく。こうして昔からの繋がりで心配してくれる人がいるのはありがたい。一方で、あまり近づかれると余計な誤解を招くかもしれないので、これくらいの距離感がちょうどいいのだ。
晩餐が始まると、大広間の長いテーブルにつき、貴族たちはコース料理を楽しみながら談笑を交わす。エミリアは父の代理ということで、メインテーブルの端のほうに席を与えられていたが、その席順からしても“ウィンスレット公爵家”という格の高さは揺るがない。周囲には伯爵や侯爵など、相応の地位を持つ貴族が並んでいる。
しかし、やはりというべきか、エミリアに積極的に話しかける人は少ない。たまに声をかけてくるのは、「公爵閣下はどうされているのです?」という公務に関する質問ばかり。彼らは皆、エミリア本人のことなどさほど興味がないのだ。
(これが“冷遇”というものね。誰もあからさまな侮蔑はしないけれど、私に関わろうとはしない。ロンズデール公爵家や王女殿下の逆鱗に触れたくないから――)
エミリアは一皿目のスープを口に運びながら、密やかな苛立ちを覚える。先日のティーパーティーでも似たような状況だったが、晩餐会のような“公的な場”ではなおさら、周囲の態度は慎重になる。つまり、彼女は社交界で完全に浮いた存在になりつつあるのだ。
(でも、これでいいわ。むしろ私に絡んでこられるほうが、今は面倒くさい)
そう自分に言い聞かせ、次に運ばれてきた魚料理を味わう。料理そのものは優雅で美味だが、胸の内にわだかまる不快感で、せっかくの食事を堪能しきれないのが残念だった。
メインディッシュに差しかかった頃、突然会場が少しざわめいた。何事かと思えば、どうやら途中で到着した来客がいるらしい。貴族たちが一斉に立ち上がり、礼を取っているのが見える。その人物こそ――皇太子アレクシス・ヴァレンタイン。
「なぜ殿下が今頃……?」
エミリアは小さく目を見張りながら、その姿を見つめる。黒髪に碧眼の皇太子は、衛兵と数名の随員を連れて静かに歩みを進め、テーブルの中央付近へと向かっていく。どうやら国王陛下の代理として、晩餐会の席に姿を見せたようだ。滅多にないことではあるが、王家が高位貴族の集まりに顔を出す場合は、相応の政治的意図があるのだと察せられる。
アレクシス皇太子は広間を見渡しながら落ち着いた態度で会釈を返し、周囲に着席を促した。貴族たちはそれに従い、あたりには緊張した空気が漂う。皇太子がいるだけで場の重厚感は大きく変わる。エミリアはなるべく目立たないように振る舞いながら、心臓の鼓動を落ち着けようとした。何せ、彼がこの場に現れただけで、嫌でも“先日の婚約破棄”の記憶が蘇る。あの夜会でも、皇太子は遅れて姿を現しはしたが、結局エミリアと直接言葉を交わすことはなかった。
(できれば今は目を合わせたくない。余計な噂が立っても困るから――)
そう思いながら視線を落とし気味にしていると、不意に隣の伯爵家当主がエミリアに話しかけてきた。
「ウィンスレット令嬢、皇太子殿下がお越しになったからには、何らかのご挨拶をするのですか?」
その問いに、エミリアは少し戸惑う。いや、本来であれば公爵家の令嬢としては、皇太子がこうして公の場に姿を見せたときには、挨拶を交わすのが筋だ。だが、先の婚約破棄の件があってから、彼女が安易に皇太子と接触するのは周囲の目が厳しい。かといって、無視するのも礼儀に反する。
(どうすれば……)
迷うエミリアの元に、今度は執事役らしき男が足早にやってきて、「皇太子殿下がウィンスレット公爵令嬢にご挨拶を希望されております」と告げるではないか。驚いたのはエミリアだけでなく、周囲の貴族たちも同様。なぜわざわざ皇太子が、今日この場にいるエミリアを名指しで――?
場にいた人々の視線が一気にエミリアへ集中する。彼女は内心の動揺を必死に隠しながら椅子を引いて立ち上がり、執事の案内で皇太子のもとへ向かった。ホールの中央付近、アレクシス皇太子は厳粛な面持ちでエミリアの姿を待っている。
「殿下、ウィンスレット公爵令嬢をお連れいたしました」
執事が名乗り上げると、エミリアは深く膝を折り、丁寧に頭を垂れた。
「ウィンスレット公爵家の長女、エミリアにございます。皇太子殿下、今宵はこのような晩餐にお越し下さり、光栄の至りでございます」
顔を上げると、皇太子アレクシスの碧眼がじっとエミリアを見つめている。その視線は思ったよりも柔らかいものだった。エミリアが戸惑う間もなく、彼は静かに口を開く。
「顔を上げてくれ、エミリア・ウィンスレット。――先日の舞踏会は、失礼をした。到着が遅れたばかりに、あの場で君が酷い目に遭うのを阻止できなかったのではないかと、ずっと気にしていたのだ」
その言葉に、場中がどよめく。皇太子殿下が、わざわざあの婚約破棄騒動を口にし、エミリアを気遣うような言葉を述べた――それ自体、異例のことといえた。エミリアは驚きに固まりながらも、「いえ、殿下のお気になさることでは……」と控えめに答える。
アレクシス皇太子は一瞬、何か言いたげに唇を結んだが、そのまま言葉を飲み込むようにして軽く首を振った。
「君には、かつて宮廷で幾度か教えを受けたことを覚えている。幼い頃……まだ私が“後継ぎ”として扱われる前に、君の礼儀作法は素晴らしいと、母后が評していたのだ。……またゆっくりと話がしたい。今日は公の場だ。余計な口出しはすまいが、いつでも君のことを案じている」
まるで心底から労わるような言葉に、エミリアの胸が小さく波打つ。これまで皇太子との関わりはさほどなかったが、そういえば幼い頃に宮廷で数回、言葉を交わした記憶がある。あのときアレクシスはまだ少年で、現国王の嫡子としての立場を固めきっていなかった。母后の教育方針により、様々な貴族や令嬢と面識を得ていたらしい。しかし、それを今まで覚えていたとは……。
(なぜここまで親切な言葉をかけてくださるのだろう? もしかして、王女殿下との間に溝でもあるのかしら……?)
エミリアの脳裏に様々な疑問が浮かぶが、今はそれを口に出せる状況ではない。周囲の視線が痛いほど突き刺さるなか、アレクシス皇太子は「それでは、引き続き晩餐を楽しんでくれ」と言い残し、別の来賓との挨拶へと移っていった。
エミリアは何とも言えぬ気持ちのまま、深く礼をして自分の席に戻る。怒涛のように押し寄せる衆目と囁き。――「皇太子殿下はあの令嬢を気遣っていたわね」「やはりエミリア様はただ者ではないのかも」「王女殿下に睨まれないといいけれど……」などなど、雑多な思惑がそこかしこに渦巻いているのが手に取るようにわかる。
(これでまた、面倒な噂が立つでしょうね)
エミリアは心の中で苦い笑みを浮かべる。一方で、皇太子が示した“友情”ともとれる言葉は、今の彼女にとってほんの少しだけ心強くもあった。少なくとも、この国の中枢たる皇太子が自分を侮蔑するどころか、わざわざ気遣ってくれた。――もし、今後何か事を起こすとき、その存在が力になってくれる可能性は否定できない。
そう、相手は王女クラリッサとアルバート。彼らがのうのうと幸せの絶頂にいるところへ、一矢報いるチャンスが今後巡ってこないとは限らない。エミリアは冷たく燃えるような決意を胸に秘めながら、晩餐会の賑わいの中で瞳を伏せた。
必ず、後悔させてみせる――”
この国の社交界に渦巻く陰謀と思惑は、まだまだこれから激しく動き出す。エミリアの冷遇は当分続くだろう。だが、それでも彼女は決して負けない。過酷な運命が待ち受けるとしても、ウィンスレット公爵令嬢の名に懸けて、彼女は高らかに勝利を掴み取ろうとしていた。
それから数日後、ウィンスレット公爵家に王城から正式な書簡が届いた。そこには「アルバート・ロンズデールとエミリア・ウィンスレットの婚約を解消したことを確認する」旨、および「王女クラリッサとロンズデール公爵子息の婚約発表を行う予定である」ことが淡々と記されている。無機質な文章に宿るのは、王家の絶対的な権威だ。公爵家としては、それを受け入れるしかない。
そんな中、エミリアは公務に忙しい父の代理として、ある晩餐会に出席することになった。王宮の一角で開かれる定期的な貴族会合――大臣や高位貴族たちが一堂に会し、互いの情報交換や国政についての議論を行う場である。エミリアは幼い頃から父に同伴し、こうした公的な場での立ち居振る舞いを学んでいたため、代理を任されても問題はない。
だが、ここでもエミリアは嫌でも注目を浴びる。元婚約者が“王女殿下の婚約者”となった今、その“破棄された公爵令嬢”として、まだまだ噂の対象なのだ。会場に着くと、伯爵家の令息たちが興味本位に彼女を眺め、貴族夫人たちは「あらまあ、気の毒に」と口々に囁き合う。エミリアは微笑を絶やさずに挨拶を返しながらも、その視線の痛さに内心苦笑するばかりだった。
晩餐が始まる前、広いホールでの立食形式の軽い会話タイムが設けられていた。各々がグラスを手に取り、社交辞令を交わす場面だ。エミリアは知り合いの婦人や紳士に礼儀正しく声をかけるが、返ってくる反応はどこか素っ気ない。あるいは、わざとらしく明るく振る舞いながら、核心を避けるようにすり抜けていく人もいる。
(皆、ロンズデール公爵家や王家の様子を探っているのね。私に深入りすれば変な噂が立つと恐れているのでしょう)
そんな中、さりげなく声をかけてきたのは宰相家の次男であるグレイ・アベリーだ。彼はエミリアとは一歳違いだが、幼少期に同じ家庭教師の下で学んだ仲間であり、そこまで親しいわけではないが、お互いに一定の信頼感を持ち合う間柄でもある。
「エミリア嬢、今宵はお一人でのご出席ですか。ウィンスレット公爵殿はお忙しいそうで……」
「ええ、父は国政の件でまだ執務室に缶詰めの状態ですの。ですから代理で参りました」
「そうですか。……その、ご気分はいかがですか? 先日の大舞踏会の一件、話が早くから広まっていて」
グレイは遠回しにエミリアを気遣ってくれているのだろう。しかし、周囲には多くの人の耳がある。彼は深くは突っ込まないまま言葉を濁した。エミリアはその配慮に感謝し、微笑んで返す。
「ありがとうございます。お気遣いは嬉しいのですが、私は大丈夫ですわ。むしろ、こうして堂々と場に出てくるのも大切な務めだと思っています」
「そう……。あなたの強さには、昔から感服していました。今宵も無理をなさらずに。何かあれば声をかけてください、僕にできることがあれば」
グレイはそれだけ言うと、会釈をして立ち去っていった。エミリアはその後ろ姿にホッと息をつく。こうして昔からの繋がりで心配してくれる人がいるのはありがたい。一方で、あまり近づかれると余計な誤解を招くかもしれないので、これくらいの距離感がちょうどいいのだ。
晩餐が始まると、大広間の長いテーブルにつき、貴族たちはコース料理を楽しみながら談笑を交わす。エミリアは父の代理ということで、メインテーブルの端のほうに席を与えられていたが、その席順からしても“ウィンスレット公爵家”という格の高さは揺るがない。周囲には伯爵や侯爵など、相応の地位を持つ貴族が並んでいる。
しかし、やはりというべきか、エミリアに積極的に話しかける人は少ない。たまに声をかけてくるのは、「公爵閣下はどうされているのです?」という公務に関する質問ばかり。彼らは皆、エミリア本人のことなどさほど興味がないのだ。
(これが“冷遇”というものね。誰もあからさまな侮蔑はしないけれど、私に関わろうとはしない。ロンズデール公爵家や王女殿下の逆鱗に触れたくないから――)
エミリアは一皿目のスープを口に運びながら、密やかな苛立ちを覚える。先日のティーパーティーでも似たような状況だったが、晩餐会のような“公的な場”ではなおさら、周囲の態度は慎重になる。つまり、彼女は社交界で完全に浮いた存在になりつつあるのだ。
(でも、これでいいわ。むしろ私に絡んでこられるほうが、今は面倒くさい)
そう自分に言い聞かせ、次に運ばれてきた魚料理を味わう。料理そのものは優雅で美味だが、胸の内にわだかまる不快感で、せっかくの食事を堪能しきれないのが残念だった。
メインディッシュに差しかかった頃、突然会場が少しざわめいた。何事かと思えば、どうやら途中で到着した来客がいるらしい。貴族たちが一斉に立ち上がり、礼を取っているのが見える。その人物こそ――皇太子アレクシス・ヴァレンタイン。
「なぜ殿下が今頃……?」
エミリアは小さく目を見張りながら、その姿を見つめる。黒髪に碧眼の皇太子は、衛兵と数名の随員を連れて静かに歩みを進め、テーブルの中央付近へと向かっていく。どうやら国王陛下の代理として、晩餐会の席に姿を見せたようだ。滅多にないことではあるが、王家が高位貴族の集まりに顔を出す場合は、相応の政治的意図があるのだと察せられる。
アレクシス皇太子は広間を見渡しながら落ち着いた態度で会釈を返し、周囲に着席を促した。貴族たちはそれに従い、あたりには緊張した空気が漂う。皇太子がいるだけで場の重厚感は大きく変わる。エミリアはなるべく目立たないように振る舞いながら、心臓の鼓動を落ち着けようとした。何せ、彼がこの場に現れただけで、嫌でも“先日の婚約破棄”の記憶が蘇る。あの夜会でも、皇太子は遅れて姿を現しはしたが、結局エミリアと直接言葉を交わすことはなかった。
(できれば今は目を合わせたくない。余計な噂が立っても困るから――)
そう思いながら視線を落とし気味にしていると、不意に隣の伯爵家当主がエミリアに話しかけてきた。
「ウィンスレット令嬢、皇太子殿下がお越しになったからには、何らかのご挨拶をするのですか?」
その問いに、エミリアは少し戸惑う。いや、本来であれば公爵家の令嬢としては、皇太子がこうして公の場に姿を見せたときには、挨拶を交わすのが筋だ。だが、先の婚約破棄の件があってから、彼女が安易に皇太子と接触するのは周囲の目が厳しい。かといって、無視するのも礼儀に反する。
(どうすれば……)
迷うエミリアの元に、今度は執事役らしき男が足早にやってきて、「皇太子殿下がウィンスレット公爵令嬢にご挨拶を希望されております」と告げるではないか。驚いたのはエミリアだけでなく、周囲の貴族たちも同様。なぜわざわざ皇太子が、今日この場にいるエミリアを名指しで――?
場にいた人々の視線が一気にエミリアへ集中する。彼女は内心の動揺を必死に隠しながら椅子を引いて立ち上がり、執事の案内で皇太子のもとへ向かった。ホールの中央付近、アレクシス皇太子は厳粛な面持ちでエミリアの姿を待っている。
「殿下、ウィンスレット公爵令嬢をお連れいたしました」
執事が名乗り上げると、エミリアは深く膝を折り、丁寧に頭を垂れた。
「ウィンスレット公爵家の長女、エミリアにございます。皇太子殿下、今宵はこのような晩餐にお越し下さり、光栄の至りでございます」
顔を上げると、皇太子アレクシスの碧眼がじっとエミリアを見つめている。その視線は思ったよりも柔らかいものだった。エミリアが戸惑う間もなく、彼は静かに口を開く。
「顔を上げてくれ、エミリア・ウィンスレット。――先日の舞踏会は、失礼をした。到着が遅れたばかりに、あの場で君が酷い目に遭うのを阻止できなかったのではないかと、ずっと気にしていたのだ」
その言葉に、場中がどよめく。皇太子殿下が、わざわざあの婚約破棄騒動を口にし、エミリアを気遣うような言葉を述べた――それ自体、異例のことといえた。エミリアは驚きに固まりながらも、「いえ、殿下のお気になさることでは……」と控えめに答える。
アレクシス皇太子は一瞬、何か言いたげに唇を結んだが、そのまま言葉を飲み込むようにして軽く首を振った。
「君には、かつて宮廷で幾度か教えを受けたことを覚えている。幼い頃……まだ私が“後継ぎ”として扱われる前に、君の礼儀作法は素晴らしいと、母后が評していたのだ。……またゆっくりと話がしたい。今日は公の場だ。余計な口出しはすまいが、いつでも君のことを案じている」
まるで心底から労わるような言葉に、エミリアの胸が小さく波打つ。これまで皇太子との関わりはさほどなかったが、そういえば幼い頃に宮廷で数回、言葉を交わした記憶がある。あのときアレクシスはまだ少年で、現国王の嫡子としての立場を固めきっていなかった。母后の教育方針により、様々な貴族や令嬢と面識を得ていたらしい。しかし、それを今まで覚えていたとは……。
(なぜここまで親切な言葉をかけてくださるのだろう? もしかして、王女殿下との間に溝でもあるのかしら……?)
エミリアの脳裏に様々な疑問が浮かぶが、今はそれを口に出せる状況ではない。周囲の視線が痛いほど突き刺さるなか、アレクシス皇太子は「それでは、引き続き晩餐を楽しんでくれ」と言い残し、別の来賓との挨拶へと移っていった。
エミリアは何とも言えぬ気持ちのまま、深く礼をして自分の席に戻る。怒涛のように押し寄せる衆目と囁き。――「皇太子殿下はあの令嬢を気遣っていたわね」「やはりエミリア様はただ者ではないのかも」「王女殿下に睨まれないといいけれど……」などなど、雑多な思惑がそこかしこに渦巻いているのが手に取るようにわかる。
(これでまた、面倒な噂が立つでしょうね)
エミリアは心の中で苦い笑みを浮かべる。一方で、皇太子が示した“友情”ともとれる言葉は、今の彼女にとってほんの少しだけ心強くもあった。少なくとも、この国の中枢たる皇太子が自分を侮蔑するどころか、わざわざ気遣ってくれた。――もし、今後何か事を起こすとき、その存在が力になってくれる可能性は否定できない。
そう、相手は王女クラリッサとアルバート。彼らがのうのうと幸せの絶頂にいるところへ、一矢報いるチャンスが今後巡ってこないとは限らない。エミリアは冷たく燃えるような決意を胸に秘めながら、晩餐会の賑わいの中で瞳を伏せた。
必ず、後悔させてみせる――”
この国の社交界に渦巻く陰謀と思惑は、まだまだこれから激しく動き出す。エミリアの冷遇は当分続くだろう。だが、それでも彼女は決して負けない。過酷な運命が待ち受けるとしても、ウィンスレット公爵令嬢の名に懸けて、彼女は高らかに勝利を掴み取ろうとしていた。
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