捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚

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第3章:エミリアの逆襲と、皇太子との急接近

3-2

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伯爵令嬢クリスティーヌの企み

 そんな日々を過ごすエミリアのもとへ、ある日、一通の招待状が届けられた。差出人は、先日ティーパーティーで意地の悪い質問をぶつけてきた伯爵令嬢――クリスティーヌ・フォーブス。
 文面によると、クリスティーヌが主催する小規模な音楽会が近く開催されるので、ぜひ来てほしいという。場所はフォーブス伯爵家の別邸で、それほど大きくはないが庭園が美しいことで知られている。
 (……クリスティーヌ様の招待、ですって? あの方は私の弱みを嗅ぎつけるのが大好きそうな性格。何か裏があるのかしら)
 正直なところ、行きたくはなかった。しかし、これを断れば「やはりエミリアは社交界から逃げている」という噂の格好の材料になる可能性がある。さらに、ウィンスレット公爵家としても、伯爵家からの正式な招待を無碍にはできない。
 悩んだ末、エミリアは出席の返事を送った。公爵令嬢としての責任もあるが、何より“どんな機会も逃すべきではない”という直感が働いたからだ。たとえ相手が意地悪な意図を持っていても、その場を利用してこちらが一手を打てるかもしれない。エミリアの心には、すでに小さな戦意が芽生えていた。

 クリスティーヌ主催の音楽会当日、エミリアは比較的控えめな淡いブルーのドレスを身にまとい、ウィンスレット公爵家の馬車でフォーブス伯爵家の別邸へ向かった。同行するのは、いつもエミリアを支えてくれる侍女と護衛の騎士。それほど派手な人数ではないが、最低限の身辺警護と世話役は連れて行く必要がある。
 広い門をくぐり、庭園へ続く小道に降り立つと、鮮やかな花々が出迎えてくれた。クリスティーヌの趣味か、庭にはピンクと白の色合いが中心に配置され、まるで甘い香りが漂ってくるような空間が広がっている。そこに設えられたテラスが、今日の音楽会の会場だ。
 「ようこそいらっしゃいましたわ、エミリア様」
 案内に出てきたクリスティーヌは、濃いローズピンクのドレスに身を包み、いかにも“可憐な女主人”を演出している。だが、その瞳にはどこか探るような光が宿っていた。エミリアは微笑みで返しながら、内心では予測を巡らせる――(何を仕掛けてくるつもりかしら)。

 音楽会には、貴族の子女を中心におよそ二十名ほどが集まっていた。ハープやヴァイオリンの演奏を聴きながらお茶を楽しむ、という形式の催しだ。エミリアも軽く挨拶を交わしながら着席するが、やはり人々の視線はどこかよそよそしい。
 音楽が始まってしばらくは、静かにメロディが流れる優雅な時間が続いた。エミリアは内心の緊張をほぐすかのように、ハーブティーを一口啜っては演奏者たちに目を向ける。
 ――すると、演奏の合間に、クリスティーヌが急に立ち上がり、人々の前で話し始めた。
 「皆様、本日は私の音楽会にお越しいただきありがとうございます。ところで、今日は特別な試みを用意しておりまして……。なんと、我が家にお招きしている宮廷楽師の一人が、即興で歌劇の抜粋を披露してくださるとのこと。そこで、もしよろしければ、どなたかが朗読や歌の伴奏を担当してくださらないかと思いまして」

 会場が少しざわめく。貴族の娘たちは音楽や朗読の嗜みを持つ者が多いが、こうした場でいきなりの“飛び入り参加”は難易度が高い。恥をかく可能性もあるため、慎重になるのが普通だ。
 「まあ、私がやってもいいですわ。でも、せっかくなら皆様にも楽しんでいただきたいし……。あら、エミリア様はいかがかしら? その麗しいお声で、有名な叙情詩か何かを朗読していただけないかしら」
 クリスティーヌの視線がエミリアに突き刺さる。まるで“あなたに失敗させて恥をかかせてやる”と言わんばかりだ。周囲の令嬢たちも興味津々の様子で、エミリアの反応を伺っている。

 (なるほど、これが狙いね。私がここでうろたえて断れば、「やはり失意の令嬢は何もできない」と笑われる。逆に受けて失敗すれば、それこそ格好の笑い者になる……)

 エミリアは一瞬、クリスティーヌの意図に苛立ちを覚えた。しかし、同時に気づく。――ここで堂々と成功してみせれば、“捨てられた令嬢”という陰口に少しは反撃できるのではないか、と。
 深呼吸をして微笑を湛えたまま、エミリアは席から立ち上がる。

 「喜んでお引き受けいたします。わたくしも音楽や文学に関しては、幼少より学んでまいりましたので……。皆様にご満足いただけるかはわかりませんが、精一杯務めさせていただきますわ」

 その言葉に、周囲から驚きの声が上がった。あの慎重なエミリアが、こんな唐突な申し出を受けるとは。クリスティーヌも少しだけ目を丸くしたが、すぐに冷たい笑みを浮かべた。

 「まあ、それは頼もしいですわ。では、宮廷楽師の方と一緒に進行をお願いいたしますね」

 宮廷楽師は朗らかな壮年の男性で、エミリアに曲の簡単な説明をした。今回演奏するのは、当国で有名な叙情詩“虹の伝説”の一節。それをハープの伴奏に合わせ、エミリアが朗読するという段取りだ。急造の舞台でありながら、エミリアは数分ほど演奏家と打ち合わせをし、本番に備える。

 人前での朗読や歌の披露は、貴族令嬢として多くの者が一度は経験する。しかし、こうした“試し”の場は失敗すれば恥が大きい。エミリアも緊張しないわけではなかったが、幼い頃から礼儀作法とともに身につけた表現技術は決して低くない。

 ハープの澄んだ音色が空気を揺らし、静粛に耳を傾ける観客たちの視線がエミリアに集まる。――彼女は大きく息を吸い、胸の奥で沸き立つ決意を込めて、口を開いた。

 「――この大地を覆う曇り空、光の筋が差し込む時、七色の虹はかすかに揺らめき……」

 透明感のある柔らかな声音が、庭園の一角に広がっていく。言葉の抑揚、休止のタイミング、視線の配り方――エミリアは舞台の中心で、完璧な礼儀と表現を両立させながら朗読を紡いでいった。
 やがてクライマックスに向けて、ハープの音が少しずつ力強さを増す。その節回しに合わせ、エミリアの声も感情を帯びていく。彼女は目を閉じることなく、観客のほうをまっすぐに見据えながら、一語一語を慈しむように語っていく。

 その瞬間、そこにいるほとんどの人間が「美しい」と感じた。エミリアの中に宿る悲しみや悔しさ、そしてそれを乗り越えようとする気高さ――それらが言葉の一つひとつに秘められていたのだろう。彼女の紡ぐ声は淡々としていながらもどこか切なく、けれど最終的には希望へと昇華していく。その流れが、虹の伝説という詩の内容と奇跡的に噛み合い、心に迫るものを作り出していた。

 朗読が終わり、最後のハープの余韻が消えると、庭にはしんとした沈黙が降りた。誰もがしばし言葉を発しない。まるで、そのまま余韻に浸っていたいかのように。だが、ほどなくしてパラパラとした拍手が起こり、それがやがて大きな拍手喝采へと変わっていく。
 「ブラボー……!」
 「なんて美しい朗読なの……」

 令嬢たちの中には涙を浮かべている者もいた。それほどにエミリアの朗読は見事だったのだ。そんな中、クリスティーヌだけは苦々しい表情を隠せずにいる。計画ではエミリアの失敗を晒して笑いものにするつもりだったはずが、逆に称賛を浴びる結果となったからだ。

 エミリアは深々と一礼し、宮廷楽師にもお礼を述べる。すると、演奏家のほうから「素晴らしかったですよ、またどこかで共演したいものです」と声をかけられた。
 ――観客の多くも、エミリアに歩み寄り「感動しました」「さすが公爵令嬢ですね」などと賞賛の言葉を向け始める。今までよそよそしかった人々も、一気に態度を変える者が少なくなかった。それを“掌返し”と呼ぶべきかもしれないが、エミリアはあくまで笑顔で応対し、「ありがとうございます。お耳汚しでなければ何よりですわ」と控えめに答える。

 (こうしてみると、貴族社会の人間関係など表面的なものね。けれど、だからこそ私の振る舞い一つで、状況はどうにでも変えられる。……アルバートや王女殿下に舐められたままで終わるつもりはないわ)

 そう心の中で思いながらも、エミリアは謙虚さを崩さずに笑みを保つ。朗読一つにしても、彼女にとっては“自分の存在感を取り戻すための武器”だった。クリスティーヌがどんなに悔しがろうと、今の会場にはエミリアへの賞賛が満ちている。この結果は、今後の社交界に少なからぬ影響を与えるだろう。

 音楽会が終わると、クリスティーヌは苦笑いを浮かべながらエミリアを見送りにやってきた。形だけでもホステスとしての役割を果たさねばならないからだ。
 「……さすがエミリア様。とても素敵な朗読でしたわ。私も胸を打たれましたわよ、本当に」
 その言葉に嘘が混じっているのは明らかだったが、エミリアはあえて深く追及しない。代わりに、静かに微笑むだけ。
 「ありがとう、クリスティーヌ様。お招きにあずかり、とても楽しいひとときを過ごせましたわ。また機会があれば、ぜひお声がけくださいませ」

 (もうあなたに利用されるのは御免だけれど、こうして笑顔で返すのも戦略のうち――)

 心の中でそう呟き、エミリアは優雅な足取りで庭園を後にする。その背中には、ほんのわずかに“勝利”の風が吹いていた。
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