白い結婚のはずでしたが、冷血辺境伯の溺愛は想定外です

鍛高譚

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3話

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夕方になり、使用人が夕食の準備を整えたと知らせに来た。
 私は侍女の助けを借りて、軽く着替えてから食堂へと向かう。
 そこには先に席についていたジークフリートの姿があった。
 私の足音に気づいたのか、彼は顔を上げて目が合う。ほんの一瞬だけ、ジークフリートの眉がわずかに和らいだように見えたが、すぐに無表情に戻ってしまった。

 

 夕食は豪華すぎず、けれど充実したメニューが並んでいた。ローストした肉料理や新鮮な野菜、温かいスープに香り高いパン。デザートには優しい甘さのフルーツタルトが添えられている。
 私は黙々とナイフとフォークを動かしながら、ちらりとジークフリートの様子をうかがった。すると彼は、私がタルトにフォークを入れるのを確認してから、低く静かな声で尋ねてきた。

 

 「……そのタルトの味はどうだ?」
 「え?」
 思いがけない問いかけに、つい声が裏返りそうになってしまう。
 「気に入らなければ、別の菓子も用意させる」
 「いえ、美味しいです」
 私は慌てて答える。事実、とても美味しかった。フルーツの香りが口いっぱいに広がって、程よい甘さが疲れを和らげてくれるようだった。

 

 すると、ジークフリートはそれ以上何も言わなかった。ただ、その表情がほんのわずか緩んだようにも見える。
 (……本当に無表情だな、この人)
 内心、そう思わずにはいられない。だが、少なくとも嫌味を言ってくるわけでもないし、私を追い詰めるような態度もない。
 むしろ、私が喜んでいることを少しだけ嬉しく思っているような──そんな雰囲気すら感じるのは気のせいなのだろうか。

 

 食事を終える頃には、日はすっかり暮れていた。
 侍女が明日の予定を説明しに来る。どうやら明日から早速、男爵夫人としての挨拶回りが始まるらしい。もっとも、男爵家というのは公爵や侯爵に比べれば下の階級。挨拶回りの相手も数は多くないと聞く。
 「ですが、奥様のことをお待ちしている方も多いかと。皆さまにぜひ、ご挨拶をなさってくださいね」
 まるで歓迎されているかのような言い方だったが、それが真実なのかはわからない。
 私は小さくうなずいて了承した。

 

 夕食後、廊下を歩いて寝室へ戻ろうとしたとき、ジークフリートが私の名を呼び止める。
 「……クレスタ」
 初めて直接、名前を呼ばれた気がして、なぜか胸が微かに高鳴る。でもその理由は自分でもわからない。
 「な、なんでしょうか」
 振り向いた私に、ジークフリートは言いにくそうに切り出した。

 

 「その……何か困ったことがあれば、遠慮なく言ってくれ。できることなら、手を貸す」
 「え……」
 一瞬、私は返事に詰まった。あまりに意外な申し出だったからだ。
 「私との結婚は、そちらにとっても思惑があってのことでしょう? お気遣いは無用ですわ」
 「そういうわけでもない。……確かに俺には俺の事情があるが、君を道具扱いするつもりはない」
 それだけ言うと、ジークフリートはどこか急いでいるように踵を返した。
 私はその背中を見送りながら、言い表せない胸のざわめきを抱え込む。

 

 政略結婚、それも急いで決まった結婚。私はてっきり、もっと無関心に扱われると思っていた。けれど、そうではないらしい。
 “道具扱いするつもりはない”と言ったあの言葉は、どれほどの真実味を伴っているのだろう。
 私は少し疲れを覚えながら、自室に戻り、ゆっくりとドレスを脱いで眠りの支度を始めた。

 

 ベッドに横たわると、柔らかな寝具が私の身体を優しく包む。
 それなのに、不思議と眠れない。
 頭に浮かぶのは、王太子殿下のこと。そして今こうして私の夫となったジークフリートのこと。
 (私は、どうなるんだろう……)
 心配の種は尽きないが、今日はもう考えないようにしよう。私は無理やり目を閉じた。

 

 翌朝、侍女が起こしに来てから、早速挨拶回りが始まった。
 アルグレイン邸の車に乗って、私は幾つかの男爵領近くの貴族家や関連施設を訪れる。ジークフリートは同席しない。どうやら公務のようなものがあって別行動らしい。
 冷血と噂される男爵がどんな公務をしているのか、いまいち想像がつかないが、私はそれを深く問わないことにした。
 (お互い干渉し合わないのが“白い結婚”の基本でしょう?)
 自分自身に言い聞かせつつも、昨夜の言葉が胸をかすめる。

 

 数軒の家を回ってわかったのは、皆、想像以上に私に対して好意的だということだった。
 「これまでアルグレイン男爵は公務で忙しかったですからね。新しい奥様がいらして、とても嬉しいですわ」
 「男爵様は無口ですが、領地の管理は素晴らしいのですよ」
 口々にそう語られ、まるで男爵は慕われているようだ。冷血とか非情とかいった噂とは、ずいぶん印象が違う。

 

 そういった褒め言葉を聞くたびに、私の胸にかすかな違和感が生じる。
 (冷酷と言われているのは、ただの表向きの噂にすぎないのかしら……?)
 もっとも、それだけでジークフリートに完全な信頼を寄せられるわけではない。だが、少なくとも理不尽な暴力や冷遇を加えられることはなさそうだ、と安堵もする。
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