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第2章 完璧なはずの生活と、夫の変化
11話
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11.“公爵夫人”としての日常
新しい生活が始まって数週間。カーテンリンゼの毎日は、思いのほか穏やかだった。
「おはようございます、公爵夫人様」
朝になると侍女たちが部屋を訪れ、カーテンリンゼの目覚めを確認してくれる。夫人として相応しい衣服を準備し、彼女の身支度を手伝う侍女の数は、かつてアルベルト侯爵家にいたときよりも多い。
しかし、ヴァレンシュタイン公爵家の侍女たちは皆、口調こそ丁寧だがどこか気負いが少なく、親しみやすい印象だった。これがレオポルド自身の方針によるものなのか、あるいは公爵家が“新興”であるがゆえの風通しのよさなのか。どちらにせよ、カーテンリンゼにとっては居心地が悪くない。
朝食は夫婦一緒のときもあれば、それぞれの用事に合わせて別々にとることもある。そもそもレオポルドは公務に忙しい身であり、軍人としての顔もあるため、朝早くに出発してしまうこともしばしばだ。
「本日は北方領地からの使節が来るのでな。すまないが、夕方までは顔を合わせられないかもしれない」
朝食の席でそう告げたあと、彼は軽くコーヒーを飲み干し、カーテンリンゼに視線を向けた。
「夫人としての務めは、こちらから強制するつもりはないが、館の管理や接遇などに興味があるなら、執事にでも聞くといい。もちろん、退屈ならば自室で好きに過ごしても構わない」
契約どおり、干渉は最小限だ。カーテンリンゼは「はい、わかりました」と返事をし、それ以上は踏み込まない。彼女自身、夫のいる食卓に慣れてはいなかったが、下手に愛想を振りまく必要はないのだと思うと肩が楽になった。
こうして、思いのままに過ごせる朝が始まる。
食事を終えれば、広々とした公爵邸の庭園を散策したり、書庫に籠もって読書を楽しんだり、あるいはサロンで侍女たちとお茶の話をすることもあった。アルベルト侯爵家にいたころよりも、むしろ自由度が高い気すらする。
ヴァレンシュタイン公爵家に仕える侍女や使用人たちは、最初こそ“新しくやってきた公爵夫人”に遠慮や緊張を見せていたが、カーテンリンゼが想像以上に穏やかな性格であり、厳しいことをほとんど言わないため、すぐに打ち解けていった。
「お嬢……いえ、公爵夫人様は、アルベルト侯爵家のご令嬢と伺っておりましたので、もっとお高く止まっていらっしゃるかと……」
ある日、侍女の一人が恐縮した様子で打ち明けたとき、カーテンリンゼはわずかに眉を動かし、「私は人からどう見られているのかしらね」と答えた。
彼女自身、自分が世間から“冷たい人形”と思われているという噂は知っている。だが、それが誤解される形でも、特に否定しようとは思わない。たとえ冷たいという印象を抱かれていても、それが自分にとって生きやすいのであれば問題ないのだから。
それでも、彼女は日常の中で自分なりの役割を見つけようと考えていた。貴族の妻として、まったく何もしないわけにはいかない。使用人たちをまとめるのは執事とメイド長が担っているが、館の管理においては“公爵夫人”が決定権を持つ場面も多い。
――私に何ができるのだろうか。
カーテンリンゼは迷いながらも、館の中を歩き、必要なものは何なのか、使用人たちがどんな不都合を感じているのかを自分の目で確認していった。いくつかの部屋では古い装飾品が痛みかけており、取り換えの時期を迎えているように見える。庭園は広く手入れがされているが、新しい植栽を検討しているらしい。そうした細々としたことを記録し、整理するのは案外嫌いではなかった。
こういった情報をまとめたうえで、館の維持管理にかかる費用を精査したり、必要な予算を父や母――いまや別家庭ではあるが――に相談したりもする。もちろん、最終的には公爵本人の了承が要るが、彼が忙しいときは執事や会計担当者が窓口となってくれる。
ただ、どんなに順調に見えても、カーテンリンゼがレオポルドと深く言葉を交わすことはほとんどなかった。朝か夜のほんの短い時間、顔を合わせる程度であり、会話も事務的。
“これでいい”――彼女はそう思っていた。互いに愛を求めず、干渉も最小限。完璧な夫婦生活だ。もしここで無理に踏み込めば、余計な諍いを生むかもしれないし、面倒な情がわいてしまう可能性すらある。契約結婚とはこうあるべきだろう、とカーテンリンゼは自分に言い聞かせる。
新しい生活が始まって数週間。カーテンリンゼの毎日は、思いのほか穏やかだった。
「おはようございます、公爵夫人様」
朝になると侍女たちが部屋を訪れ、カーテンリンゼの目覚めを確認してくれる。夫人として相応しい衣服を準備し、彼女の身支度を手伝う侍女の数は、かつてアルベルト侯爵家にいたときよりも多い。
しかし、ヴァレンシュタイン公爵家の侍女たちは皆、口調こそ丁寧だがどこか気負いが少なく、親しみやすい印象だった。これがレオポルド自身の方針によるものなのか、あるいは公爵家が“新興”であるがゆえの風通しのよさなのか。どちらにせよ、カーテンリンゼにとっては居心地が悪くない。
朝食は夫婦一緒のときもあれば、それぞれの用事に合わせて別々にとることもある。そもそもレオポルドは公務に忙しい身であり、軍人としての顔もあるため、朝早くに出発してしまうこともしばしばだ。
「本日は北方領地からの使節が来るのでな。すまないが、夕方までは顔を合わせられないかもしれない」
朝食の席でそう告げたあと、彼は軽くコーヒーを飲み干し、カーテンリンゼに視線を向けた。
「夫人としての務めは、こちらから強制するつもりはないが、館の管理や接遇などに興味があるなら、執事にでも聞くといい。もちろん、退屈ならば自室で好きに過ごしても構わない」
契約どおり、干渉は最小限だ。カーテンリンゼは「はい、わかりました」と返事をし、それ以上は踏み込まない。彼女自身、夫のいる食卓に慣れてはいなかったが、下手に愛想を振りまく必要はないのだと思うと肩が楽になった。
こうして、思いのままに過ごせる朝が始まる。
食事を終えれば、広々とした公爵邸の庭園を散策したり、書庫に籠もって読書を楽しんだり、あるいはサロンで侍女たちとお茶の話をすることもあった。アルベルト侯爵家にいたころよりも、むしろ自由度が高い気すらする。
ヴァレンシュタイン公爵家に仕える侍女や使用人たちは、最初こそ“新しくやってきた公爵夫人”に遠慮や緊張を見せていたが、カーテンリンゼが想像以上に穏やかな性格であり、厳しいことをほとんど言わないため、すぐに打ち解けていった。
「お嬢……いえ、公爵夫人様は、アルベルト侯爵家のご令嬢と伺っておりましたので、もっとお高く止まっていらっしゃるかと……」
ある日、侍女の一人が恐縮した様子で打ち明けたとき、カーテンリンゼはわずかに眉を動かし、「私は人からどう見られているのかしらね」と答えた。
彼女自身、自分が世間から“冷たい人形”と思われているという噂は知っている。だが、それが誤解される形でも、特に否定しようとは思わない。たとえ冷たいという印象を抱かれていても、それが自分にとって生きやすいのであれば問題ないのだから。
それでも、彼女は日常の中で自分なりの役割を見つけようと考えていた。貴族の妻として、まったく何もしないわけにはいかない。使用人たちをまとめるのは執事とメイド長が担っているが、館の管理においては“公爵夫人”が決定権を持つ場面も多い。
――私に何ができるのだろうか。
カーテンリンゼは迷いながらも、館の中を歩き、必要なものは何なのか、使用人たちがどんな不都合を感じているのかを自分の目で確認していった。いくつかの部屋では古い装飾品が痛みかけており、取り換えの時期を迎えているように見える。庭園は広く手入れがされているが、新しい植栽を検討しているらしい。そうした細々としたことを記録し、整理するのは案外嫌いではなかった。
こういった情報をまとめたうえで、館の維持管理にかかる費用を精査したり、必要な予算を父や母――いまや別家庭ではあるが――に相談したりもする。もちろん、最終的には公爵本人の了承が要るが、彼が忙しいときは執事や会計担当者が窓口となってくれる。
ただ、どんなに順調に見えても、カーテンリンゼがレオポルドと深く言葉を交わすことはほとんどなかった。朝か夜のほんの短い時間、顔を合わせる程度であり、会話も事務的。
“これでいい”――彼女はそう思っていた。互いに愛を求めず、干渉も最小限。完璧な夫婦生活だ。もしここで無理に踏み込めば、余計な諍いを生むかもしれないし、面倒な情がわいてしまう可能性すらある。契約結婚とはこうあるべきだろう、とカーテンリンゼは自分に言い聞かせる。
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