白い結婚でしたので、裏切り夫とはお別れいたします

鍛高譚

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第2章:愛なき結婚の真実

9話

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父の怒りと決意

 目が覚めたとき、窓の外にはすでに昼下がりの穏やかな光が差し込んでいた。もしかすると昼を過ぎているかもしれない。新婚生活の不安とストレスでまともに眠れない日々が続いていたからか、こんなにもぐっすり眠れたのは久しぶりだった。
 やがて、私がゆっくりと起き上がり、部屋に備え付けられた水差しで顔を洗っていると、ノックの音が聞こえた。
 「クレア、起きているか? 私だ」
 聞き慣れた、低く落ち着いた男性の声。私の父である、ローランド公爵だった。
 「……どうぞ」
 ドアを開けて父が入ってくる。その表情は険しく、ただならぬ怒りを秘めているのがひと目で分かった。普段はどんなときでも冷静に状況を見極める父が、ここまで怒りを露わにしている姿を私は滅多に見たことがない。
 「母さんから話は聞いた。あのギルバート・ウェインが、よりによって……!」
 声を荒らげる一歩手前で、父は懸命に自制している様子だった。私が起き抜けで驚いているのを見て、父は少し声を潜める。
 「すまない、クレア。大丈夫か? 眠れたのか?」
 「はい……なんとか。少し寝たら落ち着きました」
 「そうか。それはよかった。……すぐにでもギルバートを呼び出して問い詰めたいところだが、まずはお前の体調を優先したい。少しでも休めたなら安心だ」
 父の声の中には、強い怒りと同時に、私への深い心配が込められていた。その眼差しを受けると、私はまた涙が出そうになる。けれど、ここで泣いてばかりはいられない。もう私は夫の裏切りを知った以上、毅然とした態度で対処しなければならないのだ。
 「父様……私、もう離縁をしたいです。あの人と夫婦でいる理由は何ひとつありません。どうか手続きを進めてもらえませんか?」
 「もちろんだ。私だって、あんな男をこのままのさばらせておくつもりはない。ローランド公爵家を侮辱した罪は重い。貴族社会の厳しさ、思い知らせてやらねばな」
 父の言葉にはいつもの落ち着きというより、憤怒の炎が宿っていた。それも当然だろう。大切な娘を裏切られただけでなく、公爵家の名誉や影響力を利用する目的で近づかれたのだから。
 「ただ……ギルバートは騎士団の有望株であり、すでにある程度の地位も得かけている。法的にも、それなりの証拠が必要だ。もし奴が『離縁なんて認めない』と言い張るならば、こっちも正式な手続きを踏まえる必要がある」
 「……証拠なら、あります。ギルバートの愛人から届いた手紙を見つけました。あれには、結婚が出世のための策略だったことや、私を利用する内容がはっきり綴られています」
 私がそう言うと、父の瞳が鋭く光った。
 「やはり、そうか。母さんからもその手紙のことは聞いた。どこにある? 私に見せてくれないか」
 「ええ。出てくるときに、しっかり持ち出しました。絶対に握り潰されないようにと思って……。ここにあります」
 私はバッグの底に大事にしまっていた手紙を取り出し、父の手に渡した。父はその封筒を開き、じっくりと中身を読んでいく。読み進めるほどに、その顔は険しさを増した。
 「……これは、思った以上に決定的だな。リリアン……? リリアンという女か。公爵家やクレアを蔑ろにした発言まで書かれている。ここまであからさまな証拠があれば、法廷でも不利にはならないだろう。むしろ、公爵家に対する重大な侮辱と捉えても差し支えない内容だ」
 父は手紙を封筒に戻しながら、やや考え込むように首をかしげた。
 「とはいえ、これを公にすれば大きなスキャンダルになる。特に騎士団や、ギルバートの実家であるウェイン男爵家を巻き込む形になるだろう。王宮も黙ってはいない。……クレア、そこまでの騒動になっても構わないか?」
 少し躊躇するように言う父の気持ちはわかる。私自身も、公に騒ぎ立てることで自分を含む家族がどんな非難や詮索を受けるか想像がつく。しかし、あの裏切りを許すわけにはいかない。
 「はい……。私はもう、後悔しません。騎士団や王宮を巻き込む大事になったとしても、あんな形で結婚を続けるくらいなら、すべてを晒してでも決着をつけたいです」
 それが私の正直な気持ちだった。何より、私の人生を壊そうとしたギルバートに対して、ただ離縁するだけでは腑に落ちない。少なくとも、自分を利用するような輩にはそれ相応の報いを受けてもらわねばならない。
 父はしばし黙っていたが、やがて力強く頷いた。
 「わかった。私も徹底的にやるとしよう。まずはギルバート本人に釈明の機会を与えねばならないが、奴がどう言おうと揺るがないだけの証拠はある。近いうちに彼を王都の裁定所へ呼び出し、公の場で話をつけることになるだろう」
 裁定所とは、王国に存在する公的な「審理」のための場所だ。離縁や家督問題など、貴族同士の深刻なトラブルを扱う際に利用される。国王あるいは上級貴族の代理人が審判役を務め、公正な結論へ導くというシステムだが、表沙汰にしたくない事件を扱うには目立ちすぎる。
 しかし、だからこそ私たちはここで一気に事を運ぶ必要があった。万が一、ギルバートが裏で根回しをして事実を歪めようとしたら……手段を選ばない彼のことだから、どんな陰謀を企てるか分からない。
 「ギルバートが素直に応じるとは思えないけれど、きっと父様なら……」
 「できる限り早く話を進める。お前はしばらく公爵家で過ごしていなさい。母さんもいるし、身の安全は確保されるから」
 その言葉を聞いて、私はほんの少しだけ安心した。家を出る前、あんな形で口論し、その後ろくに顔も合わせていないギルバートのことを考えると、下手に外をうろつくのは危険な気がする。彼が私を狙ってくるとは考えにくいが、何をするか分からないのも確かだ。
 私は父に深く頭を下げた。
 「ありがとうございます、父様。私……この件が収まるまで、こちらに置いてください。ご迷惑をおかけします」
 父はそんな私の頭を静かに撫でて、優しく微笑む。
 「親子の間で迷惑なんて言葉は不要だ。むしろ私たちがもっと早くギルバートの本性を見抜けなかったことが悔やまれる。……けれど、今はお前を守ることだけを考えよう。安心していい、クレア」
 私はそれを聞いて、心が少しだけ軽くなるのを感じた。悩んで苦しんでいたのは私だけではない。両親もまた、私を傷つけられたと知って怒りや悲しみを抱えているのだ。ならば、私はもう一人で抱え込む必要はないだろう。
 「ギルバート……覚悟しておきなさい」
 心の中で強くそう呟く。私を裏切った代償は、きっと彼に重くのしかかるはずだ。
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