冷たい婚約破棄?では契約結婚いたしましょう

鍛高譚

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第二章:氷の令嬢、契約結婚の提案を受ける

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 婚約破棄が宣言された翌朝、リチャードソン公爵家にはいつにも増して慌ただしい空気が漂っていた。
 ヴァレリー・リチャードソンは、自室の窓から差し込む朝日を眺めながら、昨夜から一睡もしていないというのに目の下のクマひとつ見せることなく、いつも通り端正な姿でデスクに向かっている。机の上には、王家との間で取り交わした契約書の写しや、新たに作成した補足条文の案文、さらには公爵家の法務担当からのメモが散らばっていた。
 「思ったよりも、事は深刻になりそうね……」
 そんな思いを抱きつつ、ヴァレリーは机上の書類を一通り確認すると、小さくため息をつく。

 昨日、王太子エドワードは舞踏会の場で婚約破棄を言い渡し、その代わりに 「聖女シエナ」 との結婚を求めると大々的に宣言した。そのうえ、リチャードソン公爵家との正式な契約により、違約金として公爵家へ領地を譲渡することを、王太子自身が公衆の面前で明言してしまった。
 まさに歴史に残る醜態。今頃王太子を擁護する者など、ほとんど残っていないだろう。もっとも、エドワードは王太子という立場にあるがゆえに、一定数の取り巻きはまだいるはずだ。
 しかし、その取り巻きたちですら、リチャードソン公爵家を敵に回すリスクを避けたがるに違いない。何しろ、貴族社会の人間にとって “契約違反” は致命的な汚点だ。仮に王太子がゴネて領地譲渡を反故にしようとすれば、王家全体の信用は地に堕ちる。

 ヴァレリーは静かに席を立ち、部屋の鏡台へと歩を進める。その姿勢は優雅そのもので、深夜まで公的文書を整理していたとは思えないほど、背筋がすっと伸びている。
 鏡に映る自分の姿を見つめながら、何とも言えない感情が胸をよぎった。
 ――本来であれば、これから王太子妃としての生活が始まるはずだった。
 あの男が心変わりしなければ、王妃教育の一環として王宮に移り住み、公務にもより深く関わっていくことになっていたはず。

 だが、いまや状況は一転し、ヴァレリーは 「王太子に婚約破棄された公爵令嬢」 として注目の的だ。それも同情ではなく、ある種の “勝ち組” のように見られている点が興味深い――違約金として莫大な領地を得るからだ。
 もっとも、ヴァレリーからすれば、領地を得たところで痛快さや勝利感などは一切ない。エドワードがあまりにも軽率で、婚約者に対して侮辱的な行為を行った事実は消えない。
 とはいえ、公爵家としては、得るものはきっちり得なければならない。ヴァレリーもそれを承知している。

 ふと、鏡に映った自分の顔を見つめる。
 その表情は、いつにも増して冷たい。自分自身ですらそう思うほどの、氷の仮面。
 ――怒りや悲しみ、軽蔑を、私自身が封じ込めているだけ。
 王太子に対して抱く感情は、怒りというより呆れに近かったが、それでもどこかに切なさが残っているのは事実だった。

 「私だって、人間だから……」
 ぽつりとそう心中で呟いて、ヴァレリーはクスリと微笑む。
 王太子殿下への初恋など持ち合わせていなかったものの、彼女は女としての心が完全に枯れているわけではない。ただ、公爵家の令嬢としてあまりにも完璧さを求められすぎ、感情を表に出さないのが当たり前になっていただけだ。
 そんな自分が、これからどう生きていくのか――それを考えれば、多少の不安もある。だが、その不安を表情に出すことはない。

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