9 / 23
第二章:氷の令嬢、契約結婚の提案を受ける
2-4
しおりを挟む
やがて扉が閉じられ、公爵は大きく息を吐く。
「まったく……王太子派もどこまで愚かなのか。とはいえ、あまりにも追い詰めすぎると、こちらにも何らかの不利益が及ぶ恐れがある。まだ油断はできないな」
公爵が渋面を作ったまま唸るように言うと、ヴァレリーは落ち着き払った調子で応じる。
「お父様の仰るとおり、ぎりぎりまで駆け引きが続くでしょう。ですが、その間に私たちが不当な扱いをされることはないはずです。あちらは完全に分が悪いのですから」
「そうだな。……ところでカイル、わざわざ来てもらって済まなかったな。お前にも苦労をかける」
公爵がそう言って目を向けた先には、先ほどから静かに事の成り行きを見守っていたカイル・ヴァレンタインがいる。彼は苦笑気味に肩をすくめた。
「いいえ、公爵様。私も今回の件は看過できません。第二王子殿下も、王太子殿下の軽率な行動を嘆いておられます。
それに、このままでは国全体に悪影響が出る可能性がある。何より、王太子殿下が庶民出身の“聖女”とやらに振り回されている現状を放置すれば、国内外の信頼を損なうでしょう」
淡々とした語り口ながら、その中に確固たる意志を感じる。
ヴァレリーはカイルの横顔を初めて間近で見つめた。彫りの深い端正な顔立ちに、騎士らしい精悍さがある。金色の短髪の向こうに覗く瞳には、冷徹さよりも優れた洞察力と静かな熱意が宿っているように思えた。
――何より、彼はエドワード王太子ではなく、第二王子側の人物だ。
巷の噂によれば、第二王子は王太子殿下と同母弟だが、性格は全く異なるらしい。国政にも積極的に関与し、慎重かつ誠実な人柄で知られている。カイルは、その護衛隊長として長く仕えてきた。
公爵は席を立ち、書類をひとまとめにするとカイルに向き直る。
「昼に再度の話し合いがあるが、その前に一度休憩を入れるとしよう。午前中からずっと机にかじりついていては疲れも溜まる。ヴァレリー、お前とカイルで少し屋敷の庭でも散歩してきたらどうだ? きっと気分転換になる」
「……お父様? 私がカイル殿と?」
唐突な提案に、ヴァレリーは目を瞬かせる。
彼女の知る父は、この手の“気遣い”をするタイプではない。ましてや、ヴァレリーが異性と二人きりになるよう誘導するなど考えにくいことだ。何か意図があるのだろうか――。
「ハハ、深い意味はないさ。私もすぐに執務に戻らなければならん。ここは一つ、カイルの見識を借りるというのはどうだ? 今後の王宮との交渉や、王国内の情勢について、彼に直接聞いてみたいこともあるだろう」
その言葉に、カイルは苦笑を浮かべながら小さく頷いた。
「公爵様がお望みならば、喜んでお付き合いしますよ。リチャードソン令嬢とも、ぜひお話ししてみたいと思っておりましたので」
ヴァレリーは内心で小さく首をかしげるが、表には出さずに席を立つ。そして、「わかりました。では、お言葉に甘えて」という形で、二人で執務室を出ることになった。
執務室を出て長い廊下を歩き、階段を下りていく間も、ヴァレリーとカイルの間に会話はほとんどなかった。
ヴァレリーとしても、どのタイミングで何を話せばいいか判断しかねていたし、カイルはカイルで、先ほどまでの交渉を冷静に振り返っているように見える。
やがて屋敷の一階にある裏口から出ると、広大な庭園が広がっていた。リチャードソン家の庭は王都きっての美しさとも評されており、季節の花が常に絶えることなく咲き誇っている。
今日も日差しは柔らかく、風に乗って甘い花の香りが漂ってきた。
「まったく……王太子派もどこまで愚かなのか。とはいえ、あまりにも追い詰めすぎると、こちらにも何らかの不利益が及ぶ恐れがある。まだ油断はできないな」
公爵が渋面を作ったまま唸るように言うと、ヴァレリーは落ち着き払った調子で応じる。
「お父様の仰るとおり、ぎりぎりまで駆け引きが続くでしょう。ですが、その間に私たちが不当な扱いをされることはないはずです。あちらは完全に分が悪いのですから」
「そうだな。……ところでカイル、わざわざ来てもらって済まなかったな。お前にも苦労をかける」
公爵がそう言って目を向けた先には、先ほどから静かに事の成り行きを見守っていたカイル・ヴァレンタインがいる。彼は苦笑気味に肩をすくめた。
「いいえ、公爵様。私も今回の件は看過できません。第二王子殿下も、王太子殿下の軽率な行動を嘆いておられます。
それに、このままでは国全体に悪影響が出る可能性がある。何より、王太子殿下が庶民出身の“聖女”とやらに振り回されている現状を放置すれば、国内外の信頼を損なうでしょう」
淡々とした語り口ながら、その中に確固たる意志を感じる。
ヴァレリーはカイルの横顔を初めて間近で見つめた。彫りの深い端正な顔立ちに、騎士らしい精悍さがある。金色の短髪の向こうに覗く瞳には、冷徹さよりも優れた洞察力と静かな熱意が宿っているように思えた。
――何より、彼はエドワード王太子ではなく、第二王子側の人物だ。
巷の噂によれば、第二王子は王太子殿下と同母弟だが、性格は全く異なるらしい。国政にも積極的に関与し、慎重かつ誠実な人柄で知られている。カイルは、その護衛隊長として長く仕えてきた。
公爵は席を立ち、書類をひとまとめにするとカイルに向き直る。
「昼に再度の話し合いがあるが、その前に一度休憩を入れるとしよう。午前中からずっと机にかじりついていては疲れも溜まる。ヴァレリー、お前とカイルで少し屋敷の庭でも散歩してきたらどうだ? きっと気分転換になる」
「……お父様? 私がカイル殿と?」
唐突な提案に、ヴァレリーは目を瞬かせる。
彼女の知る父は、この手の“気遣い”をするタイプではない。ましてや、ヴァレリーが異性と二人きりになるよう誘導するなど考えにくいことだ。何か意図があるのだろうか――。
「ハハ、深い意味はないさ。私もすぐに執務に戻らなければならん。ここは一つ、カイルの見識を借りるというのはどうだ? 今後の王宮との交渉や、王国内の情勢について、彼に直接聞いてみたいこともあるだろう」
その言葉に、カイルは苦笑を浮かべながら小さく頷いた。
「公爵様がお望みならば、喜んでお付き合いしますよ。リチャードソン令嬢とも、ぜひお話ししてみたいと思っておりましたので」
ヴァレリーは内心で小さく首をかしげるが、表には出さずに席を立つ。そして、「わかりました。では、お言葉に甘えて」という形で、二人で執務室を出ることになった。
執務室を出て長い廊下を歩き、階段を下りていく間も、ヴァレリーとカイルの間に会話はほとんどなかった。
ヴァレリーとしても、どのタイミングで何を話せばいいか判断しかねていたし、カイルはカイルで、先ほどまでの交渉を冷静に振り返っているように見える。
やがて屋敷の一階にある裏口から出ると、広大な庭園が広がっていた。リチャードソン家の庭は王都きっての美しさとも評されており、季節の花が常に絶えることなく咲き誇っている。
今日も日差しは柔らかく、風に乗って甘い花の香りが漂ってきた。
0
あなたにおすすめの小説
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい
高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。
だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。
クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。
ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。
【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
棗
恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。
王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。
長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。
婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。
ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。
濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。
※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
初恋の王女殿下が帰って来たからと、離婚を告げられました。
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢アリスは他に想う人のいる相手と結婚した。
政略結婚ではあったものの、家族から愛されず、愛に飢えていた彼女は生まれて初めて優しくしてくれる夫をすぐに好きになった。
しかし、結婚してから三年。
夫の初恋の相手である王女殿下が国に帰って来ることになり、アリスは愛する夫から離婚を告げられてしまう。
絶望の中でアリスの前に現れたのはとある人物で……!?
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる