さよなら、仮面の王子――婚約破棄された伯爵令嬢は才覚で国を救い、“本物の愛”に溺愛される

鍛高譚

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1-2 噂と嘲笑

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1-2 噂と嘲笑

 夜明け前、王都の空にかかる薄桃色の雲は――誰かの見せかけの祝福のように儚かった。舞踏会が終わったのは未明だったが、私リュシアーナ・エステルの一夜はまだ終わっていない。
 馬車へ乗り込むと同時に、門前には見物人の黒い塊ができていた。「第一王子に婚約を破棄された没落令嬢がこちらです」と刻印された看板でも掲げているのかと思うほどの熱気。吐き気を奥歯で噛み殺し、私は窓のカーテンを閉じた。

 無名の通人は残酷だ。速さでは王家所属の急使よりも噂好きの舌のほうが上である。揺れる馬車の中、侍女レメディアが震える声で言った。
「お嬢様……きっとすぐ忘れ去られます。皆様、いっとき面白がっているだけで……」
「ええ。わかっていますわ」
 私は扇子の骨を折らぬよう開閉を続ける。一定のリズムで鳴る音が眠気を払い、頭脳を冷やした。けれど胸の奥の熾火は消えない。屈辱という名の火種は深い呼吸で抑えようとするほど赤くなる。

 伯爵邸に着くと、門番らしからぬ若い見習い兵が視線を泳がせていた。それだけで十分だ――彼らは何かを聞きつけている。情報網は人の数だけある。もちろん我が家の内にも。

 正面扉を開ける前、私は深呼吸し、新しい仮面をかぶった。涙を見せぬ完璧な令嬢の顔。迎えた執事が告げる。
「お帰りなさいませ。伯爵様が書斎でお待ちです」

 書斎の扉を叩くと、「入れ」という短い声。父ユリウス・エステル伯爵は痩せた頬に蒼白を宿しながらも、瞳は鋭い。机上に置かれた新聞号外――《第一王子、舞踏会で電撃婚約! 相手はフィオレッタ公爵令嬢》
 小さく《元婚約者エステル伯爵令嬢、静かに退場》の見出し。

「……事実か」
「はい。殿下自ら口頭で」
「そうか……家にとっては痛手だ。だが――おまえ自身は?」

 思いも寄らぬ問い。私は首を縦に振った。
「私は、大丈夫です」
 嘘ではない。殿下に与えられた屈辱は私を深く傷つけたが、同時に炎をともした。

 父は何かを悟ったように頷き、重厚な鍵束を差し出した。
「書庫の鍵だ。先祖の政治記録と財務文書が眠っている。おまえの頭脳なら使い道も浮かぶだろう」

 その重みは無骨な勲章のようだった。夜明けの薄明かりの下、私は初めて本当の自由を得たのだと気づく。

◆ ◆ ◆

 寝室へ向かわず、私は居間へ。夜勤明けの女中頭マルグリットが待っていた。
「温かいハーブティーを」
「ありがとう。でも後でいいわ。それより執務机にある手紙と帳面を大広間に運んで」
 人は一夜で変わる、というが、私には変わる以外の道が残されていない。侮られないためではない。自分を侮ることにもう耐えられないのだ。

 朝日が差し込む頃、広間の長卓には古い帳簿と地図が広がった。租税の流れ、商会の利権――数字は王宮の裏側を赤裸々に語る。甘い言葉で私を切り捨てた第一王子が、どれほどの裏財源を抱え、誰に囲われているか。数字は告げる。「ここに切れ目がある」と。

 けれど私一人の手では足りない。そこで思い出す。夜会で交わったもうひとつの視線――氷のような第二王子ヴィクトール。王家の権力バランスが揺らぐ今、彼の存在は避けて通れない歯車となるはずだ。

◆ ◆ ◆

 昼下がり、王都中央広場。市場を歩けば耳に入るのは私を揶揄する声。

「見た? エステル令嬢、王子に捨てられたってさ」
「まあ当然よねえ。没落家なんて箔にもならない」
「でも可哀想。公衆の面前で……ふふ、ドラマチック!」

 毒を帯びた花粉のように噂が舞い、人々の興奮を煽る。ヴェール付き帽子を深くかぶり、その花粉を胸いっぱい吸い込んだ私は静かに炎へと変えた。観客は多いほどいい。ならば――もっと上質の見世物を用意してあげましょう。

◆ ◆ ◆

 帰邸すると配達人が王立図書院の封蝋を捧げ持っていた。
《あなたの洞察が必要だ――第二王子ヴィクトール》
 鋼線のように端正な文字。噂と嘲笑の渦中で私は確信する。これこそ反撃の序章。惨めな令嬢の役割はここで終わる。鍵束の重みが掌に蘇り、心は一層研ぎ澄まされた。

 夕刻、執事が報告する。
「本日だけで二十件を超える弔慰の花束と、同数の侮蔑の投書が届いております」
「どちらにも礼状を。花束には感謝を、投書には“ご意見感謝いたします”とだけ」
「侮蔑にも感謝を?」
「ええ。感情を向けていただけるのは光栄ですわ。それだけ“彼ら”は私の動向を知りたがっている。では存分に注目していただきましょう」

 夜、執務机の灯を落としながら侍女が呟く。
「……お嬢様、本当にお強いですね」
「強いのではなく、弱い自分が嫌いなだけですの」

 窓外には家々の灯が星図のように瞬く。噂と嘲笑――夜空の星のように散らばるが、結び線を引けば真実の形が現れる。私は天空に新たな星座を描くつもりだった。名付けて《叛逆の乙女》。観測者が誰であれ、その輝きはきっと覆い隠せない。

――明日からが本当の幕間劇。私を笑う者たちよ、どうか目を逸らさないでくださいませ。その好奇心が尽きる前に、私は舞台の幕を引き裂いてみせるのだから。

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