さよなら、仮面の王子――婚約破棄された伯爵令嬢は才覚で国を救い、“本物の愛”に溺愛される

鍛高譚

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6-4 永遠の指輪と口づけ

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6-4 永遠の指輪と口づけ

 王都アルセインに夏の兆しが迫る早暁。
 星明りが退き切る前の群青の空を背に、王宮中央塔のバルコニーは凛と静まり返っていた。
 深紅と金糸で織られた祝宴幕が風にひるがえり、下では戴冠の準備を急ぐ従者のかすかな足音が響く。けれどこの高所に届くのは、一番鶯の細い囀りと、薔薇の露をはらんだ夜風だけ。

 バルコニーの手摺に両手を重ね、リュシアーナは白い息を吐いた。
 今日——ロクサーナ暦七一二年・夏至。
 ヴィクトールの正式戴冠に先立つ黎明の儀式「暁星(ぎょうせい)の誓い」が執り行われる。歴代の王太子は、陽が昇る前に王宮で唯一“空”と“都”を一望できるこの場所で、伴侶へ永遠の愛を誓い、同時に国へ忠誠を誓ってきた。

 ここに立つまでの道のりを思う。
 没落伯爵家の令嬢として社交界の片隅にいたころ。
 婚約破棄、嘲笑、怒り、そして叛逆の炎。
 数字が剣となり、真実が盾となり、王国を貫いた日々——。
 すべては、今日この時に収斂する脚本だったかのように胸が静かに高鳴った。

 「お待たせした」

 背後で扉が静かに軋む。
 振り向けば、黎明の靄を纏ったヴィクトールが立っていた。
 昨夜の祝宴で見た豪奢な礼服ではなく、山霧色の簡素な外套。胸飾りは王家の竜紋でも金銀細工でもなく、一本の羽ペンブローチ——《知の冠》を象る標(しるし)だけ。灰銀の瞳は早朝の湖面のように澄み、けれど底に揺らぐ光は炎にも似ている。

 リュシアーナが言葉を探すより早く、彼は掌を差し出した。
 「王冠より先に受け取ってほしいものがある」

 白梟の刻印が入った小箱を開くと、朝露を孕んだバラの蕾のような紅玉が指輪座に抱かれていた。
 石の中央には細い金糸で数字の“∞(無限)”を描いた象嵌。
 「無限大——王国の未来指標に終点はない、という君の理念を刻んだ」

 リュシアーナは息を呑む。
 「これを授ける肩書は王太子、いや今日の夕刻には“国王”になる。だが今、私はただの男として誓う」
 ヴィクトールは片膝をつき、夜明け前の風をまとった声で続けた。
 「リュシアーナ・エステル。鏡が割れぬよう磨き続けた君の手を、これからは私の手で包みたい。
  知の鍵を共に掲げ、王国の灯台を築く伴侶になってくれないか」

 指輪を掬い取る指がわずかに震えた。
 国の未来図を描く時でさえ揺るがなかった心が、今だけは波を立てる。
 「……鏡は二人で磨く、とあなたが言った夜から覚悟は決めていました。数字の海も、剣の陰も、王冠の重さも、共に抱きましょう」

 紅玉が朝の光で紅を深める。
 ヴィクトールが指輪を薬指にはめ、リュシアーナがその手を重ね返す——一瞬、時が止まった。

 東天が白み、雲間から金糸が射す。
 最初の光が王都の尖塔を灯した瞬間、二人の影が長く重なり合い、その境界が消えた。
 ヴィクトールが身体を寄せ、額を軽く触れ合わせる。

 「……王より先に夫と呼んでほしい」
 囁きに応え、リュシアーナの唇が微かに弧を描く。
 「では、夫上——王国一の“本の虫”殿。初仕事は図書院の蔵書目録更新ですわね」
 声が重なり笑いが零れ、次いで——静かな口づけ。

 薔薇園の下草が朝露を振るわせ、遠くの鐘楼が一度だけ硬質の音を放つ。
 祝祭の鐘よりも早い、一つだけの合図。
 それは王家の書庫の奥で眠っていた古い預言書に記された“黎明の合図”だったという。
 「知の鍵を携えた乙女が王冠を照らすとき、王国は鏡の如き光を得る」

 唇が離れた刹那、光がバルコニーを満たし、二人の姿をはっきりと浮かび上がらせた。
 未来の王と王妃——ではなく、一人の男と一人の女が誓いを分かち合った証として。

 ヴィクトールは外套を翻し、王城を巡る白い雲と朝日を見渡した。
 「さあ、知の鍵を王冠に仕込もう。——始まりの鐘が待っている」
 「王国の鏡は磨かれました。これからは映す番です」

 鳥が低く鳴き、都に朝の活気が満ちていく。
 永遠の指輪と、この口づけ——
 “ざまあ”の物語はここに終わり、王国を照らす新しい伝説が静かに幕を開けた。



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