愛なき政略結婚のはずでしたが、冷酷侯爵が挙式翌日から溺愛してきます

鍛高譚

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第2章:偽りの仮面と真実の愛

2-7:対立、そして新たな始まりの予感

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セクション7:対立、そして新たな始まりの予感





 やがて屋敷が見えてきたころ、私たちは遠目に父の姿を見つけた。どうやら馬車のトラブルを聞きつけて、こちらまで様子を見に来てくれたらしい。父のそばにはクラレンス家の執事や使用人たちも控えており、少し離れた場所には見知らぬ馬車が止まっているのが目に入る。

(誰か来客だろうか……?)

 そんな疑問を抱いていると、父の隣に立っている中年の貴族らしき人物が、こちらに気づいて視線を向けてくる。上品というよりはやや派手な衣服に身を包んだ、どこかいかにも貴族という雰囲気をまとった男だ。顔立ちは厳つく、口元には不敵な笑いを浮かべていた。

「アマンダ、無事だったか?」

 父の声が少し安堵を含んでいる。私は軽く会釈し、「はい。車輪の故障で歩いて帰ってきましたが、エドワード様が一緒でしたので大丈夫でした」と伝える。それを聞いて父はホッとした表情を見せるが、隣の男が鼻を鳴らすように言った。

「おやおや、さすがクラレンス侯爵。姫君を同伴して散歩とは、ずいぶんと仲がよろしいようで」

 その言葉には皮肉が混じっているように聞こえる。私が少し不快感を覚えたのも束の間、彼はまるで私を値踏みするかのように見つめてきた。

「あなたがローウェル家の令嬢か……なるほど、確かに美しい。それにしても、クラレンス侯爵がまさか女性を優先するとは。世の中、分からないものだな」

 嫌味なのか、冷やかしなのか判然としない言葉に、私は戸惑って何も言えなくなる。エドワードはというと、一瞬だけ冷たい光を瞳に宿したが、すぐに口元に淡い微笑を浮かべて答えた。

「トリスタン伯爵、急な訪問とは珍しいですね。今日はどのようなご用件でしょう?」

「ふん、別に大した用はないがね。先日、私の領地にあった小競り合いの対処をあなたが取り仕切ると聞いて、その経過を確認しに来た。……もっとも、会ってみれば、“熱々”の現場を目撃したわけだが?」

 トリスタン伯爵と呼ばれた男は、含みのある笑みを漏らす。小競り合いの対処……領地間の問題だろうか。それをエドワードが仲裁することになっているのかもしれない。トリスタン伯爵の態度からは、エドワードに対する敵意なのか対抗意識なのか、何かしら負の感情が垣間見える。

「あなたが領民に甘い顔をするのは勝手だが、それで自分の首を絞めないようにしたまえ。クラレンス侯爵がそこまで“慈善”に傾倒しているという噂は、決して利点ばかりではないぞ。周囲の領主から反発を買うかもしれないし、悪用される可能性もある」

 伯爵の言葉は一見正論のようにも聞こえるが、その口調には明らかな嘲りが混じっている。エドワードはまったく動じる様子もなく、淡々と答えた。

「ご忠告ありがとうございます。ですが私のやり方は変えるつもりはありません。もし不正があれば正し、利用されれば対策を講じるだけです。私の目的は、領地と人々を守ること。そのためならば、誰かにどう思われようとも構わない」

「ほう……頑固だな。まあ、いいでしょう。せいぜいあなたが信奉する“理想”とやらで、どこまでやれるか見せてもらうとしよう」

 トリスタン伯爵は鼻で笑い、そのまま踵を返して自分の馬車へ向かった。去り際にちらりと私へ視線を投げ、「残念だったな、お嬢さん。あんな男に捕まって」と言わんばかりの軽蔑を含んだ目を向ける。私は思わず眉をひそめるが、余計な波風を立てるわけにもいかず、ただ見送るしかなかった。

(……何なの、あの人。相手がエドワード様じゃなければ、ただの失礼な客では?)

 不快感を抱く私に比べ、エドワードはさほど気にしていないように見えた。むしろ、ああいう人物は珍しくないと達観しているような風情だ。父も苦々しい顔をしているが、敢えて追及することはしない。おそらく外交上の兼ね合いがあるのだろう。

「すみません、アマンダ嬢。お見苦しいところをお見せしました」

 エドワードが申し訳なさそうに言う。私は首を振って否定した。

「いえ、私こそ……。大丈夫ですか? あの方、エドワード様に対してやけに挑戦的というか……」

「ええ、昔からああいう人ですよ。私の方針がどうにも気に入らないらしくて。けれど、彼が何を言おうと気にはしません。私にも譲れないものがありますから」

 エドワードの声は凛としていて、微塵の迷いも感じられない。その姿を見て、私は胸が熱くなるような感覚を覚えた。自分の信念を貫く彼の在り方は、周囲の反発すら受け止める強さがある。そんな彼だからこそ、“冷酷”だとか“非情”だとか、あるいは“理想家”だとか、賛否が大きく分かれるのかもしれない。

「……強いんですね、あなたは」

 私が思わずそう呟くと、エドワードはほんの少しだけ苦笑を混ぜながら答えた。

「強いのではなく、強がっているだけかもしれませんよ。私だって、いつも自信があるわけではありません。ですが、立ち止まっていれば、領地は前に進まない。そうしたら多くの人が困ることになる。それを分かっているから、否応なく進むしかないのです」

 いつも自信があるわけではない。その言葉を耳にし、私はもう一度、先ほど馬車の中で感じた彼の“寂しげな横顔”を思い出す。彼は責任と期待の重さを一人で背負い、迷いながらも前へ進んでいる。その姿に、私の中で漠然と抱いていた疑念がほぐれる気がしていた。

「……私にできることがあれば、手伝います。まだ何も分からない私ですが……少なくとも、あなたが背負う荷を軽くできるなら、私の存在にも意味があるのかなって」

 気がつけば、自分からそんな言葉がこぼれていた。政略結婚の駒として嫁ぐのではなく、“パートナー”として彼の力になりたい。そんな思いが、自然と湧き上がったのだ。私の言葉に、エドワードはほんの少しだけ目を丸くして、それから穏やかに笑ってうなずいた。

「ありがとうございます。そう言ってもらえると心強い。……あなたが嫁いできてくれる日が、今から待ち遠しいですよ」

 その笑顔はとても自然で、どんなに取り繕っても出せないような温かみがあった。私は不覚にも、その表情に胸が高鳴るのを抑えきれない。決して偽りではない、と信じたい。少なくとも、この瞬間の彼の言葉と笑顔は、本物のように思えたから。

4. 新たな始まりへの予感



 こうしてエドワードの領地視察を終えた私は、夕刻にクラレンス家の屋敷を後にした。父との帰り道、馬車の中は奇妙な沈黙に包まれていたが、その静寂を破ったのは父の低い声だった。

「……アマンダ。お前、随分とあの男に心を開いているようだな」

 父にそう指摘され、私は言葉を濁す。別に恋に落ちたわけではない。ただ、彼が噂の通りの“冷酷”な人間とは思えなくなったのは事実だ。領地を見て回り、彼の姿をこの目で見た今、私は少しずつエドワードを知りたいと思い始めている。

「私にも分かりません。けれど、父様が言うように“家のため”だけではなく……私自身が、彼の隣で何かできるかもしれない、と感じたんです」

 そう答える私に、父は複雑そうな表情を浮かべる。しばし黙り込んだ後、重々しい声が聞こえた。

「……そうか。ならば、お前の気のすむようにするがいい。政略結婚であれ、夫婦としてやっていくのはお前たちだ。私が口を出すべきことでもないだろう。……ただし、結婚式が済むまではあまり深入りしすぎるなよ」

 どこか心配そうな父の忠告に、私は静かに頷く。父もまた、私を愛していないわけではない。家のために私を政略の道具として差し出すかのように見えて、その胸中には色々な感情が渦巻いているのだろう。私が傷つくことを恐れているのかもしれない。

 その後の道中、私は馬車の揺れに身を委ねながら、エドワードの言葉や表情を何度も反芻する。気づけば頬が熱くなり、心臓が高鳴る。まだ戸惑いも大きいが、私は確かに変わり始めていると思う。

 エドワードは私に「一緒に学んでいこう」と言ってくれた。領地のこと、政治のこと、そして何よりお互いのことを。政略結婚が前提でも、そこにまったくの愛が生まれないわけではないのかもしれない。そう信じたくなるほど、彼は私に対して優しく、誠実に接してくれた。

(このまま結婚して、本当に私は幸せになれるのだろうか?)

 まだ答えは見えない。しかし、初めて彼を見たあの日、私は「彼の本質が分からないまま、このまま嫁ぐことになるのだろうか」と大きな不安を抱いた。だが、今はほんの少しでも、“彼ならば”という期待が芽生えている。たとえこれが一時の希望にすぎないとしても、ゼロではない確かな可能性。

 帰り着いて夜が更ける頃、私は自室で静かに一日の出来事を思い返していた。目まぐるしく変化していく心境に戸惑いながらも、あの言葉が胸に染み渡る。

 ――「あなたが望むなら、私はいつでもあなたを歓迎しますよ。」

 これまでずっと、私にとって結婚は「家の義務」でしかなかった。父の命令に従い、仕方なく嫁ぐ未来。愛など存在しない、ただの政略。それでもいい、とどこか諦めていた。しかし、その概念が少しずつ崩されていくのを感じる。

 “本当に愛のない政略婚で終わるのだろうか?” 

 そう疑問を持ち始めた自分の心は、もう後戻りできないのかもしれない。エドワードが見せてくれる優しさが、どこまで本物かは分からない。けれど、私はもう少しだけ信じてみたいと思っている。彼となら、新たな未来を切り開くことができるのかもしれない、と。

 夜の帳が下りる中、私はベッドに身を沈め、瞼を閉じた。先ほどまで感じていた不安は完全には消えていない。それでも、その不安の奥底には、小さな希望の灯がともっている。いつか、その灯が明るく輝く日が来るのだろうか。

 そう、私はまだ二十歳の娘。愛を知らないわけではない。けれど、こんなにも人を“知りたい”と思ったのは初めてなのだ。彼が何を抱えているのか、どんな苦しみを秘めているのか、そしてそこに私がどう寄り添えるのか──それを考えると、胸が熱くなる。

(……今は、できる限りの準備をしておこう。結婚までに私が学べることはたくさんあるはず)

 眠りに落ちながら、私は明日の自分に思いをはせる。家庭教師をもう一度呼び戻して、領地経営や政治的知識を学び直そうか。エドワードのためというより、私自身がもっと“主体的に”人生を生きられるように。彼が背負う重責を少しでも分かち合えるように。

 政略であろうと、利害が絡んでいようと、“何か”が始まりそうな予感がする。私とエドワード・クラレンスとの物語は、まだ序章が終わったばかり。  この先に待ち受ける運命が、愛に満ちたものか、それとも苦難の連続かは分からない。それでも私は、少しずつ、彼への不安よりも好奇心が勝り始めているのをはっきりと感じていた。


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